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52「男は黒く染まれ」

 真っ黒な夜空には宝石箱を投げ出したような星々たちの光がまたたいていた。


 大樹は目を凝らしてみれば闇の中でも凹凸がようくわかり手がかりにはこと欠かない。


 右手、左手、脚と。


 三点を固めたのち徐々に徐々に登ってゆくと、やがて光が漏れ出るうろが見つかった。


「クマキチさま。あそこはおそらく蝦蟇大王の私室ではないかしら」


 俺の背でキョロキョロ首を動かし夜景に見入っていたケンネリーナ姫が耳打ちするようにそっと教えてくれた。


 なるほど。


 この異常な高さなら放っておいても捕虜としたリリティナに逃げられる心配はないと蝦蟇大王のやつは余裕ぶっこいてノコノコしたに下りていったってワケね。


 ふふふ。どうやら見誤ったようだな、このシロクマの機動性を。


 俺はするすると登り切ってうろの中に頭をひょいと出す。


「えいっ、えいっ!」


 あだっ。


 途端に頭をぽかりぽかりとやられ思わず悲鳴を上げた。


「ええっ。その声、クマキチさま? きゃああっ。わたしたったらなんてことをっ」


 視線を上げるとそこにはフライパンを投げ捨て身を乗り出したリリティナの姿があった。


 どうやら彼女は救出に来た俺のことを蝦蟇野郎と勘違いしたらしい。


 彼女はいつもの服ではなくすっきりしたブルーのドレスに着替えていた。


 ちょっと新鮮でうれしい。


 でも、モロに脳天を叩かれたのでちょっとびっくりしてしまったな。


「すみません、てっきりあの蝦蟇大王が戻って来たかと――む?」


 手を伸ばして俺の胸のあたりの毛皮をさすさすしていたリリティナは背に乗っていたケンネリーナ姫の存在に気づくと眉をわずかに上げて警戒モードに入る。


 俺はかなり余裕のあるうろの中央で姫を下ろすとふぅとひと息吐いた。リリティナはなぜかケンネリーナ姫と対峙して真っ向から睨み合っている。


「クマキチさま。この方どなたでいらっしゃいますか?」


「ああ、初対面だったか。てか、俺もさっき会ったばっかなんだけど。コボルトたちのお姫さまだよ」


「ケンネリーナと申しますの。このたびはクマキチさまに救われましたわ。ご恩はペンブローク族の名に懸けて必ずお返しいたしますの」


 お姫さまはドレスの裾をつまみ上げて優雅に深々と一礼して見せた。


 どう見てもコーギーにしか見えないのでついつい頭をなでなでしたくなる衝動に駆られるな。


 そんな俺のよこしまな波動を感じ取ったのかリリティナは半目で伸ばしかけた俺の手をジッと凝視する。


 ケンネリーナ姫は黒くてつぶらな瞳をキラキラさせて「撫でて」と蠱惑的に俺を誘っているのだ。迷うぜ。


「むうっ。美人な上に礼儀正しく常識人……強敵ですね」


「うむ。かわいい子だな」


 もちろん愛玩わんこ的な意味合いで同意したのだがリリティナはよろっと背後に下がりながらかなりショックを受けていた。


「く、クマキチさまが……あからさまに女性を褒めるのを……はじめて聞きました」


 リリティナは自分の顔を手で覆ってダークなオーラを身体から放出させていた。


「え、あの、その、困りまわすわ。クマキチさまぁ」


 俺の言葉勘違いしたのかケンネリーナ姫も大きくにょっと突き出た耳をふにふに動かしながら恥じ入っているご様子だ。


 ちなみに俺としては異種姦的嗜好はまったく備わっていないので念のため主張しておく。


 と、わずかに気を抜いている最中に俺たちは三者が三者同時に緊張で身を固くした。


 のすっのすっと幹を這うような巨大な音がうろに向かって近づいて来る。


「先ほどは緊張して間違えてしまいましたが、これは間違いなく――」


 リリティナが唇を震わせてうろの入り口から遠のいた。


 うん、間違いないね。これは蝦蟇大王が幹を伝って上って来る足音だ。


「リリティナ。姫といっしょに奥で隠れていてくれ。ここでやつを打倒する」


 もはや蝦蟇大王との決着はさけられない。


 俺はふぅと長く息を吐き出し心気を整えると近づいて来る蝦蟇大王を迎撃するため身をうろから乗り出して外の様子を窺おうと顔を出した。


 どちゅどちゅどちゅ……


 粘液質なものが幹を叩く音。


「あ――ぐっ!」


 同時にシュルシュルと伸びた縄のようなものが俺の首周りにかかって身体がふわっと浮いた。


「クマキチさまっ」


 俺の名を呼ぶ声が遠ざかり奇妙な浮遊感と寒気が全身を襲う。


 呻きながらそれを左腕で掴み落下しながらもなんとか右手を幹へと叩き込んだ。


 硬い感触とともに爪が突き刺さって落下は止まる。


「ガマガマガマ。吾輩がいないうちにエルムを登らせるくらいは見抜いていたガマ。陽動作戦はおまえたちをおびき寄せる罠ガマよ」


 粘ついた声とともに下方から舌を伸ばしたまま奇妙に嗤う蝦蟇大王の姿が飛び込んで来た。


 俺の首をぐいぐいと絞めつけているのはやつの舌だ。


 切り裂いてやる――!


 素早く左腕の鋭い爪を振り下ろそうとするよりも先に蝦蟇大王は舌を巻き取るとゲコゲコとうれしそうに笑い声を響かせる。


「ガマガマガマ。おまえを地上に突き落としてミンチにし、あのクマキチとかいうダークエルフの小僧を怯えさせてやるガマ」


「そいつは無理な相談だぜ」

「なんだとガマ?」


「なぜなら俺が――クマキチだからさっ!」

「な――?」


 俺は幹から身体をふわりと浮かせると遥か下方に引っついている蝦蟇大王にダイブをかました。


 闇夜を切り裂いて頭から突っ込むと予想だにしていなかったのか蝦蟇大王はバランスを崩して幹から離れる。


 やったぜ! けど、このあとどうしようか……。


「か、考えてなかったーっ」


 万有引力の法則に従って地上に落下してゆく俺。

 だが待って欲しい。


 記憶によれば登ってきた途中には幾重にも大ぶりの枝があったはずだ。


「く、くそったりゃあああっ」


 叫びながら俺はくるりと膝小僧を抱えて回転し無我夢中で枝にしがみついた。


 やったぜ! 

 さすがシロクマの身体能力は並はずれているうっ。


「ガマガマガマ……さすがに今の攻撃は焦ったガマよ。だが、クマキチよ。おまえが真の黒幕だというのであれば話は別だ。おまえのようなクマ臭い男をコテンパンに打倒しウェアウルフの娘たちで吾輩のいちゃらぶハーレムを築かせてもらうガマよ……!」


 だが無事だったのは俺だけではなかった。


 蝦蟇大王も大きな枝にその身を救われ妙な繰り言を述べながら俺を抹殺しようと近づいて来る。


 横に渡った大樹の枝は俺たちの重みですら余裕で支える丸太のような太さだった。


「そうはいかない。村のコボルトたちを小間使いのように扱って。リリティナやみんなにはこれ以上指一本触れさせないぞ」


 俺は枝の上で立ち上がって半身になり構えを取ると蝦蟇大王は不気味に笑いながらジリジリと間合いを詰めて来る。


 勝負の潮合が極まった――。


 蝦蟇大王はべろりと舌を垂らすとムチのようにしならせ俺を叩こうと連続攻撃をはじめた。


 幸か不幸かこの身体は少々の打撃はものもとしないのだ。

 首や四肢を巻き取られないことだけ考えながら一気に距離を詰め、跳んだ。


「しゃあっ!」


 俺は空で回転しながら振り絞った右腕の爪を蝦蟇大王の無防備な頭部に激しく叩きつけた。


 ぬごっ


 と蝦蟇大王の眉間に拳が突き刺さって青黒い血が奔流のように噴出した。


「ガマガマァ!」


 蝦蟇大王は苦し紛れに素早く舌を繰り出して俺の身体をぐるぐるっと巻き込んでしまうが、一撃がモロに効いていたのか締めつけに力が感じられない。


 俺は身体を縛った長い舌を無理やり両腕引き千切ると、パカッと大口を上げて蝦蟇大王のまだびゅるびゅると血が噴き出す傷口に思いきり噛みついてやった。


 ホッキョクグマの咬筋力は八〇〇キロだが俺はその平均値をはるかに超えている。


 鋼鉄をウエハースのように噛み千切る顎の力を限界まで行使した。


 ぐいとやつの頭の肉の半ばを噛み千切って天を仰いだとき勝敗は決していた。


「ガ、ガマガマァ……そんな……吾輩の……らぶらぶハッピーやり直し人生が……ガマ」


 うぎゃっ。きたねぇ!


 蝦蟇大王は奇妙な断末魔とともに喉元からぶしゃーっと汁のようなものを吹き出し地上に落下していった。


 正義は勝つ。


 どっと疲れが出てその場に座り込むと幹のほうから俺の名を呼ぶ声と松明の灯りが近づいて来る。


「旦那、無事だったんでやすかっ」


 ヨーゼフである。その後方にはロミスケが巨大な籠を背負って続いている。さすがのふたりはコボルトと違って危なげもなく幹を登っている。


「俺のことはいいから。この上のうろにリリティナとコボルトのお姫さまがいる。助けてやってくれ」


 ヨーゼフが大きく了解と叫んで上に移動してゆくのを確認しながら俺は自分の毛皮に着いた蝦蟇大王の体液をクンクンと鼻を鳴らして嗅いだ。


 やだなぁ。臭くなってなきゃいいけどなぁ。


 てか、そもそもこれって人体ならぬクマ体に悪影響とかないんだろうか。


 まず、下に降りたら湯を使わせてもらおうと固く心に誓うのだった。



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[一言] ガマも転生者かな?
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