50「巨大蝦蟇の陰謀」
起き抜けにキリリと冷えた河の空気が気持ちよい。
時期的に水量は少ないはずなのだがごうごうと音を立てて流れる河の勢いは強かった。
腕を伸ばしてざぶざぶと顔を洗う。
ふ、と背後に視線のようなものを感じて立ち上がり首を伸ばしてあたりを見た。
気のせいだったのかな。
なんとも拭いきれない違和感を抱えたままテントに戻ると朝食の支度をしていたルルティナがにっこりと笑って犬耳をぴこぴこ動かしているのがわかった。
「クマキチさま。朝食ができあがりましたよっ」
ルルティナは朝から元気だった。
パチパチと火の粉が爆ぜて香ばしい匂いを放っている。
なんだろうこれ、木の棒にねじねじとしたものが絡まっているが。
「ねじねじパンですよ」
棒をたき火にかざしていたリリティナがルルティナに代わって説明してくれた。
なんでも小麦粉を溶いたものを固めに練って棒に巻き焼くだけの簡単料理らしい。
隣ではアルティナがフライパンをひっくり返しぶっといソーセージを炙っている。
ロミスケは三つ子ちゃんたちを抱っこしたまま目をつぶったまま船を漕いでいた。
みなさん、改めましておはようございますですよ。
ヨーゼフがよっとばかりに片手を上げてあくびを噛み殺しているぞ。飲んだくれた次の日の朝はツラいのだ。
汲んできた冷たい河の水を入れた水筒を投げ渡すとヨーゼフが華麗にキャッチ。喉を鳴らして一気に飲み干し喉仏が動くのが見える。
「かーっ。酔い覚めの水ほど美味いもんはこの世にゃねぇなあ。旦那は気が利いてるぜ」
浅黒い顔の真ん中でヨーゼフの真っ白な歯がひと際目立って輝く。
歯の美しさを見ればその人間の階級がわかるというが、ヨーゼフもルルティナたちも大理石のような美しい歯をしているのだ。矯正とかまったく必要ないね。
歯の美しさを保つにはカルシウムが重要なのだが、秘訣を教えてもらいたいほどだ。美男美女は謎の抗体でも保持しているのかな。
ねじねじパンをみんなで仲よく分け合って食べたあと、テントを片づけて再び出発した。
時間をかけて河を遡ってゆくと、次第に幅が狭くなってゆく。
「ここまでくれば、あとはそれほど距離もないんで」
ロミスケがのんびりした口調で教えてくれた。
事態が急変したのはその日の夕方近くになってからのことだった。
朝方、背中に突き刺さるような視線を感じそれとなく周囲を注意して歩ていたのだが、集中力が途切れやすい夕暮れどきを狙ってか、俺たちは黒い影の群れに襲撃された。
素早く飛びかかってきた影をえいとばかりに振り払うとそいつは岩に背をしたたかに打って、ぎゃんと犬のような声で鳴いた。
焦げ茶色の毛を持つ柴犬のような生き物が石斧を手から手放しきゅうと目を回している。
えっと、なにこれ。
柴犬の怪物なのかな?
「旦那、コイツらコボルト族だ。大方、このへんでゴロ巻く山賊かなんかじゃねえか……!」
ヨーゼフが短剣を引き抜いて油断なく視線を小刻みに動かしながらいった。
なに? コボルトって……?
このワンちゃんもどきのことなのかな?
「犬っぽいけど犬じゃねぇ。こいつら、本来は臆病で自分たちより大きな生き物はさけるはずなのに」
そうこうしているうちに、俺たちはコボルト合衆国の真ん中に落ち込んだように、あたりをわんわん王国の住人たちで囲まれてしまった。
十重二十重と取り囲まれ、今もなおコボルトたちの数は増殖している。
ううむ。一体一体は小学生くらいの大きさしかないのでそれほど脅威には思えないのだが、ザッと見ても俺たちは一〇〇を超すわんこたちに囲まれている。
突破するのは難しくないが、一斉に来られると三つ子ちゃんたちがやばいかなぁ。
「きゃあああっ」
俺が逡巡していると、一番後方にいたルルティナがもの凄い悲鳴を上げた。
なんだなんだと思い、振り向く。
そこにはコボルトわんわん王国の背後にどっしりと控えた見上げるような大ガエルが舌を伸ばしてリリティナをぐるぐる巻きにし絡め取っていた。
「なんなんだテメーは! お嬢を放しやがれ!」
ヨーゼフが外套を翻しながら小気味のいい啖呵を切った。
ううむ、カッコいいぞ。
まるでおまえが主人公のようだ。
「ガマガマガマ、黒い妖精よ。キサマが小憎らしいこのハーレムの主か。吾輩はこの一帯を領地とする蝦蟇大王なり。この金色の小娘はキサマのようなリア充風情にはふさわしくない。よって今のこのときより、吾輩の妻とする。命が惜しくば残りの獣人娘と奴隷のエルムを置いて立ち去るがよい」
勘違いしてるようだけど、ボク奴隷じゃないよ。
大荷物を背負ってるからポーターに見えたのかな。
「ンだとテメェ。いうにことかいてリリ嬢ちゃんを嫁にだと……? 許せっかよ、そんなこと!」
「ガマガマガマ。キサマの許す許さないなどはこの際問題ではない。吾輩がそうしたいかしたくないかだけのことだ。それにしてもこの数のコボルトに取り込まれての堂々っぷりはますます勘弁できんなぁ。大方そうやってそこの小娘たちも篭絡してきたのだろうが、我が忠実なる軍団の前には無力と知れ。さ、姫よ。吾輩とともに巣に返りあたたかい家庭を作ろうぞ……!」
「クマキチさまぁ。助けてくださいっ」
お。離れた場所でもガマガエル野郎が「ピキィ」と某ヤンキー漫画のようにこめかみに血管の青筋が立ったのがわかったぜ。
「美しいウェアウルフ族の姫よ。なぜあのようないけ好かない細身で色黒でセクシーで腹筋がほどよく割れていて声が落ち着いていて指先が長くて女に好かれそうな軽薄な男に助けを求めるのだ。実際、吾輩のような見てくれはイマイチだがマッチョなタイプのほうが浮気とかしなくて誠実なのだぞ」
ガマガエル野郎は自分のほうがはるかにアドバンテージがあるというのに浚ったリリティナの機嫌を窺うようなオドオドした態度で低姿勢に出る。どっちにしろ女に舐められるタイプじゃん。
「そんなことは知らないわよっ。クマキチさまはあなたなんかよりずっと大きくて固くて強くて頼もしいのっ」
リリティナがそういって「ふかーっ」と唸るとガマ野郎は瞳に激しく傷ついた色を見せた。
メンタル豆腐じゃん、コイツ。
「ゆ……許さんぞ、このダークエルフ野郎が……! 吾輩が、なんかあの子いいなって見染めた婦女子をすでに隅々まで開発済みかよおおおっ! ちくしょおおおっ! きっとこの娘もキサマの雄々しいもので無理やりにィ、力づくでェ従わせたんだろうがっ。味見済みか。味見済みなのか?
許さぬ、許さぬぞおおおっ。コボルトたちに捕らえさせたあとはギタギタのケッチョンケッチョンにしてやるうううっ! その長い耳をぶちってしてやるううっ!」
このわずかな時間でどこまでストーリーを練り上げたんだ。
突発キャラにしては果てしなく濃い野郎だ。
「あ! 旦那、あのカエル野郎逃げますぜ!」
ヨーゼフが指差す方向へとガマ野郎はリリティナを抱いたままさっと姿を消してゆく。
まずいな。
このあたりはまったく土地勘がない。
森の奥へ奥へと逃げられたらそう簡単に探し出すことは難しいぞ。
目の前にはぷるぷるぷるりと震えているコボルトたちが剣を構えて立ちはだかっている。
てか、自分たちのほうが圧倒的に優勢なはずなのであるが、みなが一様にしっぽを股の間にくるりんと挟んで最初から怯えているからだ。
無理もない。彼らはどう見ても背丈は一二〇くらいしかないし、俺の堂々たる体躯を見るや象とアリほどの差があるのだ。
「どけ。無駄な血は流したくない。俺はリリティナをすぐにでも助けなきゃならないんだ」
「こ、ここは通せないわんわん。おまえたちは、おとなしくぼくたちに捕まってもらうわんわん」
「む。いきなりとってつけた語尾をつかってきた。あざとい」
アルティナが冷静にツッコんだ。いやいや、そんなこといってる場合じゃないよ。
とにかくコボルトたちを蹴散らしてガマ野郎を追っかけなくっちゃ――!
俺は両手を上げて渾身の咆哮を放った。
ロムレスの軍勢さえ凍りつかせた野獣の雄たけびだ。
まずは牽制で相手の度肝を抜き、それから一気に攻撃に移る。
と?
あれれ?
見ればコボルトたちはみな武器を放り出して頭を抱え込んでぶるぶると震えている。
柴犬の頭を持つわんちゃんたちが一斉に怖がるのはかわいいね。
身体には人間と同様の衣服や革鎧を纏っているがしゃがみ込んだまま、ちゃーっとオシッコを漏らして池にしているのだ。
「クマキチさま。彼らは誰もが腰抜けです。早く蹴散らしてリリティナを救出に行きましょう」
ルルティナが前に出て「がるうっ」と吠えると、コボルトたちはひいっと泣き喚いて尻を地につけたままずりずりと下がった。耳がぺたんと垂れて目には涙が溜まっている。
「だ、だめだわんわん。ここからはいかせないわんわん」
「そうだわんわん。ここを通るのなら我らの屍を築いてゆくのだわんわん」
「上等だ!」
ヨーゼフが怒鳴るとコボルトたちはとうとう四つん這いになって身を丸めた。
「ひいいっ」
「怖いよう」
「やだあっ」
なんなんだこいつら……。
俺に襲いかかってきたのは虚勢だったのか、ヨーゼフが烈火のごとく怒声を張り上げ長剣を掲げると頭を抱えたまま怖がって泣いている。
なんということだ。
すごくカワイイ。
元来、俺は大の犬好きだ。それにコボルトたちはこうやってみるとひどく柴犬っぽくて鼻先を両手で押さえてもふもふかわいがりたいディテールをしている。
くそぉ。早くリリティナを助けに行かなくちゃならないのに、俺の身体がコボルトたちをぶっ殺すことを躊躇している。
神よ、俺はどうすれば――!
ぽちょんと冷たい水滴が鼻の頭に当たったことでわたしは目を覚ました。
ここはどこなんだろう。
薄暗い穴のような場所で寝かされている。
軽く痛む頭を押さえながら身を起こすとぽっと小さな火が灯って大きな蝦蟇が佇んでいるのが目に入りました。
「ひっ」
「ガマガマガマ、そう恐れないで欲しいウェアウルフの姫よ。吾輩は偉大なる蝦蟇大王。怖いことや痛いことなどは決してせぬから安心して寛いで欲しいのだ」
巨大な蝦蟇は低く不気味な声で喋るとぬめった身体をずりずりと動かし近寄ってきます。
「今日からここが君の終の棲家。仲よく吾輩と夫婦になろうではないか」
強烈な生臭さにわたしは軽い吐き気を覚え精一杯虚勢を張って拒否しました。
「なにを、わけのわからないことをいっているんですか。わたしを姉さんやクマキチさまの元へと返してくださいっ」
「ピキィ、まーた男の名を口走りおってからにィ。感心せん、感心せんなァ。この蝦蟇大王の妻となるからには、以前の男のことなど冗談でも口に出してもらっては困る。困るのだガマ」
薄闇に目が慣れてくると部屋の中がハッキリと見えてきます。
手触りから木をくり抜いたうろかなにかだと思うのですが、入り口側に蝦蟇大王がのっそりと座っているので逃げ出すことは難しそうです。
「あなたなんか、クマキチさまが軽く片づけちゃいますよ。身のほどというものを知ったほうがいいです」
「はあぁ。わかってない。まるでユーはわかっていないガマ。そうか。それほどあのダークエルフのイケメンがいいというのなら、こてんぱんに叩きのめしておまえの目の前で引き裂いて肝を喰らってやるううう。くくく、それから泣いて喚いて服従を誓っても夜の務めに手心を加えることはせぬガマよ……!」
ちょっと話が通じないんですが。所詮カエルさんですね。
それに夜の務め……冗談じゃありません。
このガマガエルの汚らしいものを無理やり咥えさせられたり、上から押さえつけられて四つん這いにされてケダモノのような体位で穢されるくらいなら今すぐ死んだほうがマシというものです。
「来ないでください。わたしに指一本でも触れてみなさい。舌を噛んで死んでやるんだからっ」
「ガマガマガマ、これはまったく気の早い花嫁ガマなぁ。だが吾輩もトード族に伝わる婚礼の儀が終わらない限り、夫婦の営みを行うつもりはないガマからそこは安心して欲しいガマよ」
蝦蟇大王は長くて粘性の舌をべろぉーっと伸ばすとわたしの頬を舐めようとします。
ぞぞぞぞぞ、と背筋に悪寒が走り必死に右腕でガード。
そういえば、先ほど連れ去られたときにはこの舌で全身を絡め取られたんでしたっけ。
ううっ。お気に入りの服がぐちょぐちょに……ってんなにこれ! さっきまで着ていた服じゃない。
わたしは気絶しているうちに着替えさせられたのか、水色のドレスに着替えさせられていました。
ううう、気持ち悪いよう。
「ふふふ。恥ずかしがりおって、我が花嫁リリティナよ。婚礼の儀は今晩中点へと月が登ったときに執り行われる。そのドレスはわざわざニンゲンの街から取り寄せた逸品ガマ。誓いの儀式が終わったのちは、そこな寝台で夫婦仲睦まじく上になったり下になったりして子作りをしようガマ。今から楽しみガマねぇ……」
蝦蟇大王は部屋の隅にあるキングサイズベッドを指差すと頬袋を動かして楽しそうにゲコゲコゲコと歌っています。
冗談じゃありません。そもそもこんな牛のような巨体に乗られたら圧死してしまいます。
だいたい上になるってわたしが唯々諾々と騎乗位を行うとでも思っているのでしょうか。娼婦じゃないんだからそんなはしたないことするはずないでしょ。メチャ腹立ちますね。
「だ、だいたいわたしは名乗ってもいないのに、なんで名前を知っているのですか」
「いったはずガマよ。ずぅーっと見ていたガマと。リリティナよ。おまえのその美しい小麦のような金色の髪。くりくりした愛らしい瞳。ぷりっとしたお尻。是非とも我がカエル汁でめちゃくちゃに汚したいガマねぇ」
めっちゃキモッ。死ねっ!




