05「イノシシ狩り」
広げていた感覚を急速に収斂させてゆく。
このとき使っているのはいわゆる不可思議なマジックでもなんでもない。
視覚、聴覚、嗅覚などを最大限に集中させたものを絞ってゆき、わずかな大気の乱れや草のすり音、異質な命の音を聞いて狙いを定めるのだ。
果たして狙っていた獲物はいた。
が、ちょっとばっかし大きすぎやしませんかねぇ。
俺たちが見つけたのは、ほとんど俺の体格とかわらないくらいの大猪だった。
猪は、実のところとてもうまいのだ。
ほとんどのマタギはあまり競って鹿肉を取ろうとはしない傾向がある。
昨今ではジビエだのなんだのが流行っているが、鹿肉は基本的にすぐ固くなってしまうので敬遠されがちである。
それにダニもいっぱいいるしね。驚くよ、ホントに。
猪は強靭な牙を持っており、これで太腿の動脈を裂かれて死ぬ人間が多い。やつらの牙は巨大な鋭いナイフであると思って差し支えない。
俺は身を低くして繁みを掻き分け逃げようとする猪に向かって咆哮した。
同時に、後方へ回っていたルルティナたちが狼に似た遠吠えを轟かせる。
一瞬、どちらに逃げようかと躊躇した猪であったが、目の前の俺の体格が自分と同等であると判断したのか、姿の見えぬルルティナたちよりもこちらに向かって突撃して来た。
グッと拳を一度握り締め、わずかに力を抜いた。
俺の掌にはよく尖れた剣よりも強靭な爪がある。武器は数少ないが、極めて絶大だ。
地を蹴ってどどど、と猪がまっしぐらに突っかけて来た。
ここで逃がすわけにはいかない。真っ向勝負だ。俺は頭から突っ込むと、右手を振り上げて猪の頭上に振り下ろした。
がつんと、鈍い音が鳴った。同時に凄まじい勢いで猪の頭部から血潮が流れ出た。
猪突猛進という言葉があるくらいだ。敵はこの程度で突撃をやめるはずもない。
俺はカッと大口を開くと、クマの最大の武器である咬筋力を生かした噛みつきを放った。
ぞくり、と猪の首元に喰らいつき、満身の力を込めて巨体ごと頭上に振った。
猪は鮮血をパッと撒き散らしながら宙を舞うと、短く鳴いた。
「これで、トドメだ!」
俺は回転しながら落下する猪の腸にゾブリと右手の爪を突き刺すと、数度大地に叩きつけてから獲物を仕留めたと鬨の声を作った。
「やった。やりましたね、クマキチさまっ」
「応よ」
ルルティナたちが歓喜の表情で駆けつけて来る。三つ子たちは未だ精神が育っていないのか、野性味丸出しでがうがうと動かなくなった猪に噛みつき目を真っ赤に血走らせていた。
まずは成功である。とりあえず、カミサマではないにしろあまり情けない姿を見せずにすんで、俺も満足というものだ。
「にしても、こいつはなかなかデカいな」
「大物ですねっ」
ルルティナたちは興奮収まらないといった格好でその場をピョンピョンと跳ねている。
こいつは目算だが優に三〇〇キロは超えているだろう。
ここで解体して持っていこうかと悩んでいると、ルルティナはリリとアルとで引っ張ろうとしていた。
おいおい、これはお嬢さまがたが持ち運べるようなシロモノじゃないんだ――と忠告しようとしたとき、彼女たちはこともなげに猪を軽々担ぎ上げてしまった。
「クマキチさま。急いで持って帰りましょう。ね」
「ああ、はい」
そうだ。ここはファンタジー世界なのだ。ウェアウルフは普通の人間と同じように見えてまるで筋肉量が違うらしい。
重いものを背負いなれたボッカもかくやという動きで猪は速やかに、洞窟すぐそばに持ち運ばれた。
まず最初にやったのは火を作って、簡単な種火を作った。
「ルルティナ。ナイフ貸してね」
「あ、どうぞお使いくださいませ」
獲物の解体は幾度もやったことがある。まず、俺は猪の体毛を火で焼くと表面の毛をナイフでゾリゾリと丁寧にこそぎ落としてゆく。
内臓を残らず抜いてしまうと、ずいぶんと軽くなった。
本当はしばらく川の水で冷やしてしまうのがいいのだろうが、今日は久々なので彼女たちにもうんと栄養をつけてあげたいし、たぶん残らず食ってしまえるだろう。
「いいにおいー」
「おなかすいたよう」
おちびたちは久々のご馳走が食べられると知ってか、声を上げてそこらじゅうを走り回っている。
さて、腹抜きをしたあとの猪は丁寧に一本ずつ肋骨を抜いていく作業だ。
これは途中でリリティナに変わってもらった。余った骨は取っておいてスープを作ろうと思う。
すでに待ちきれないのか、アルティナは肋骨を炙ってがじがじとかじっていた。
うーんさすが野生児だ。俺はシロクマなんだけどね。
やはりこれだけ新鮮なものならBBQしかないっしょ! ってことで焼き肉を提案してみました。肉は煮るよりも焼くほうが数段上だと思っている。
ぶ厚く切った肉を並べると、じゅうじゅうと油が熱した石の上で踊り狂っている。
ちなみに石の上で焼くと、石が余計な脂を吸い取ってくれるので、もの凄く美味いのだ。
とんでもなく香ばしい匂いと煙であたりはもの凄いことになっているが、ここにいる全員が笑顔に満ちあふれていた。
「おいしいっ」
「おいしいよー」
「美味しいですねっ」
ウェアウルフの娘さんがたは、肉を頬張りながらしっぽをぶるんぶるんと未だかつてない勢いで振りまくっていた。
さ、俺も焼き方を一時中断して、猪肉のステーキをご相伴しましょうかね。塩を軽く振った(ほかに調味料がない)だけのシンプルな味つけだが、ちょっと口に入れて軽く噛むだけで頭がおかしくなりそうな肉汁がどばっと口中にあふれ出てきた。
もうそれだけで頭がおかしくなりそうになる、何度おかしくなればいいんだ。とんでもない美味さだぜ。
いぇい。
「む、むむっ。にぃー」
「ラナったらあんなに頬張っちゃってますよ、姉さん」
「ふふっ」
ラナは自分の顔と同じくらいの大きさのステーキと格闘している。あれだけ懸命に食べてもらえれば猪も成仏できるだろう。
文字通り食って食って食いまくった。残らないだろと思っていたが、さすがに大物猪くんである。余った分は吊るして燻製にし、保存食として残すことにした。
俺はほとんど寒さを感じないのだが日が落ちると、さすがに彼女たちはちょっと辛そうだ。
流れ的にルルティナの洞窟に一晩宿を借りることとなる。
狭い洞窟であったが、こうやってみんなで寄り集まっていると、不思議にそれほど寒さを感じないらしい。
特に俺は体温が高いらしく、子供たちはみんな寄ってたかってすり寄って来る。はは、こんなに女にもてたのって生まれてはじめてじゃないだろうか。できれば、生前人間だったときにこういうハーレムに恵まれたかった気もするが、それは高望みし過ぎだろう。
すうすうと自分の身体に身を寄せて寝ている子供たちの健康的な寝息が聞こえて来た。
洞窟の入り口は申し訳程度に木の枝を立てかけ、半分ほどをふさいであるが風が容赦なく吹きこんで来る。
彼女たちはウェアウルフの亜人だけあって、普通の人間よりかはずっと体力的にすぐれているが、これ以上寒気が強まれば厳しい森の中で暮らしてゆくことは不可能だろう。
自分はおそらくひとりでも大丈夫だろう。厚い体毛とすぐれた身体能力をもってすれば獲物を取り続けることは不可能ではない。
自分はただのクマではない。人間並みの知能と手先の器用さを兼ね備えた獣なのだ。
ルルティナたちは心ならずも村を捨て森に入ったが、ここで暮らすために蓄積された技術も知恵もない。
少々腕力があるからといって、それは動物としてすぐれているとはいえないのだ。エサが取れないということは、野に生きる獣として死を意味する。
頭上には切れ切れに流れる雲の向こうに、青白く輝く三日月がくっきりと浮かんでいた。
「クマキチさま。まだ、起きてらっしゃいますか」
「ルルティナか。うん、まだ起きているよ。あまり寝なくても俺は平気なんだ」
一番端で寝ていたルルティナはごそごそと身を起こすと、意を決したように隣に座って寝こけている三つ子たちの顔をやさし気な目でジッと見つめていた。
「お願いがあります」
「なんだい?」
「大恩あるクマキチさまにこのようなことを頼むのは無礼千万であると重々承知の上でお頼み申し上げます。私に、獣たちの取り方をお教えください」
彼女は恥じている。自分がいかに図々しいことを頼んでいるかわかりきった表情だった。
俺はそんなことまったく気にしていないが、彼女は誇り高い女性だ。人のよさ……とでもいうのであろうか、とにかく俺が断らないであろうことを見越して自活する方法を教授してくれと頼み込むそのこと自体に、強い羞恥と自己嫌悪を抱いているのだ。
「ルルティナ。俺の世界には袖すれ合うも他生の縁という言葉がある。ま、俺もシロクマビギナーなんだが年の功ってやつもあるし、君が望むのならばなんでも協力するよ」
「年の功って……クマキチさまはお幾つになられるのでしょうか。あ、すみませんっ。また私ったら、無礼なことを聞いて……!」
「はは。そんなの気にしなくていいよ。俺は二十八だ。君よりひと回りも上のお兄さん、いいや、もうオッサンかな。あはは」
「そんなっ。二十八は若いですっ。クマキチさまの毛並みはしっとりしていて、とても美しいです。まるで、白銀のようです」
ルルティナは消え入るようにポッと頬を染めると、そっと俺の前脚……もとい右腕を握ってきた。どうでもいいがそれって褒め言葉なのか?
よくわからんが褒められたのなら、よろこんでおくのが礼儀というものだろうか。
「ルルティナのしっぽもふさふさしてとても形がいいね。かわいいと思うよ」
うむ。このくらいでいいだろうか。お返しにはちょどいい褒め言葉だ。でも、こういう儀礼的なやりとりって苦手なんだよなぁ。容姿とかに触れるとセクハラっぽいし、せっかく仲よくなれた森の仲間なんだから嫌われるのは勘弁して欲しいしね。
「そんなっ……でも、それってそれって……本気ですか?」
なぜかルルティナは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
いやぁ、こういうときってやっぱ美少女って絵になるよなぁ。
まるで自分が物語の主人公になった気分だ。シロクマだけどな。
「クマキチさま、クマキチさまは、もしやエルム族の方でございますか?」
ん? なんだ、エルム族っていうのは。また聞いたことない部族名が出てきたぞ。
子細にルルティナの話を聞くと、どうやらこの世界にはクマに酷似した亜人の種族も存在するそうだ。
彼らは人語を器用に操って二足歩行し、地域によっては亜人として政治参画する知者もいるらしい。
人間族には見分けはほぼつかないらしいが、このクマを祖とした種族は獣人系といわれる部族の者にとっては山野を彷徨する獣の熊とはまったく違うのですぐにわかるらしかった。だから、俺が喋ってもあまり驚かなかったんだね。
「それは、クマキチさまの毛皮が伝説と同じく純白だったからです」
なぬ?
「ヴァリアントの森には私の部族だけが知っている伝説があります。その口伝によれば、狼の子らが死地に追いやられしとき、天より白き守護神下りて悪をことごとく討ち滅ぼし千年に渡って安寧と平穏の基礎を森に築くであろう、と。だから私はクマキチさまをはじめてお目にしたとき、神がか弱い私たちを憐れんで顕現してくだすったと思ったのですよ」
「ま、俺はカミサマってガラじゃねぇけどさ。できることはやってみせるさ。な」
「はい。ふふっ」
「なんだよ、変な笑い方して。さ、明日も早いんだ、よい子も悪い子もとっとと寝た寝た」
「クマキチさま、私はもう子供じゃありませんよ」
「レディ。夜も遅い。早く床についてくださいな。夜更かしは美容の大敵ですよ」
ルルティナの笑顔。月の光に負けないほど美しいと、俺はそのとき確かに感じていた。




