45「釣行」
日が落ちたので適当なところで切り上げログキャビンに戻る。
「クマキチさま。お疲れさまでした」
ニコリとルルティナが笑顔で出迎えてくれる。囲炉裏前の定位置に腰をドっかと下ろすとリリティナがそそっとそばに寄ってきた。
なんだ? と思って見ていると彼女はがばっと首っ玉にしがみついて来た。
「な、なにやってるの!」
ルルティナがおたまをからーんと取り落として目を剥いて叫ぶ。
「いえ、姉さん。クマキチさまに襟巻でも編んで差し上げようかと思いまして。サイズを計っていただけですよ」
「そ、そう。ならいいのだけど……ってそれって抱き着く必要があるのかしら」
ルルティナが唇を尖らせた。
「え? 別にないですけど」
「じゃあやらなくていいでしょうっ。第一クマキチさまに失礼でしょうが」
「ええー。それは姉さんの決めることじゃなくって。お嫌でしたか、クマキチさまぁ」
悪戯っぽくリリティナがわかりやすいシナを作って俺の身体に寄りかかるとルルティナは口をパクパクさせながら百面相をした。
こらこら。どうもリリティナは発作的に姉をからかって遊ぶ癖があるな。
気持ちはわかるが。
「クマキチさま。毛糸の色は何色がよろしいですか? 桃色? 赤? 黄色?」
うーん、なぜチョイスがすべてビビッドな色合いなのか。
とりあえずイメージカラーの緑をお願いしておきました。
そして数日を要して斜面を保護する石垣は完成した。
「で、できた……」
「やたー」
「かんせいだー」
「すごいっ」
俺と同様に心血をそそいでくれた三つ子たちも両手足を大の字に開いてよろこびを露わにしている。
「あらら、すごいですねえクマキチさま」
「お疲れさまでした」
「……壁?」
一方、ルルティナ、リリティナ、アルティナの三姉妹は一応石垣ができたことに賛辞を贈ってくれたのだが、女性は基本的にこういったものにドライなのかひとしきり眺めるとすぐにその場を去っていった。
くうう。なんていうか、くうう。
もうちょっとさぁ、なんかさぁ、あるんじゃないかなあ。そう思わんかね君たち。
「あ……」
くるっと振り返るとすでに飽きたのか三つ子たちもキャッキャッいいながら互いのしっぽを追いかけて走り去ってゆく。
もういいよう。どうせこんなタダの壁だよチクショウ。俺は壁が好きな男なんだよ。
そっと目の前に広がる乱雑でいて豊かな表情を持つ壁に語りかける。
彼は……返事を返してくれなかった。
見事整備された石垣は完全にその任を果たしてくれた。幸いにキツい雨風はなかったが、こうしてログキャビン周辺に文化的な人工物が増えてゆくと現代日本で育った俺には心強い。
石垣はこれから長い年月をかけてコケやシダ、さまざまな多年草が根を張り、堅牢かつ有機的に育ってゆくのだ。
多孔質な石たちはいろんな小動物が住みかとするだろうし、こうして自然の一部として溶け込んでゆくことに大宇宙の意志のようなものを感じずにはいられない。
え? ああ、宗教的で気持ち悪いかな、ごめんね。
天候は小雪がチラついたかと思うとすぐに降りやんでしまう。そのたびに三つ子たちはよろこんで部屋を飛び出していくが雪が降りやむごとに仏頂面で戻ってくる。ふふ。無邪気だね。
元気な子供たちはさておき。
俺は囲炉裏の前で街から物資を運んできてくれたヨーゼフと茶を啜っていた。
「旦那。時間があるならてすさびに魚釣りでもいかねェか?」
ダークエルフ特有の褐色の顔に白い歯がひと際きらりと輝く。
ヨーゼフはカップを置くと手まねで竿をしゃくる真似をして見せた。
「魚だって? 時間があるといえばあるんだが……。こんな寒くて釣れるもんかなぁ」
山のことは一通り首を突っ込んだつもりだが魚釣りは実のところそれほど、それほど精通していない。
どうも俺は気が長くないのか、ひとっところで竿を垂らして待つというのが不得手なのである。
「いいじゃないですか。たまにはヨーゼフさんと魚釣りも。ね。姉さまもそう思うでしょう」
編み棒をせっせっと動かして襟巻を編んでいたリリティナが片目をつむってウインクした。
「うん。そーですよクマキチさま。ヨーゼフさんとたまには男同士の語らいをなさってきてくださいな。家のことは、ダイジョブですからっ。すべてはこのルルティナ任せてくださいな」
ルルティナが耳をぴこぴこ動かしながらふふんと余裕に満ちた表情で胸を反らす。
別段こちらもこれといって特に断る理由はない。
俺はヨーゼフと連れ立って彼が先だって目をつけていた河へと移動した。
思ったより遠いな。
「すぐつきますって。でも、たまには散歩もいいもんですねぇ」
しかし、なぜこいつはふたりきになりたがったんだ。俺はノンケだぞ。
ちょっと警戒したほうがいいかな。
「なんか、変なこと考えてやしませんかい」
別に。
「旦那はすぐ顔に出るから」
げ、そうなの。俺、自分ではポーカーフェイスだと思ってたんだがなぁ。
そういえば寒いせいなのかあれほどガチ漁でバンバン取れた魚たちが近頃めっきり姿を見せなくなっている。
食卓から魚が消えてから久しいかもしれん。今やヨーゼフという街と森を繋ぐ交渉人がいるので望めば干魚くらいは手に入るだろうが、やはりとれとれはずっと美味しいのだ。
「まあまあ旦那。魚のことなら俺っちに任せてくんねぇ。これでも、田舎じゃ魚釣りにかけては俺の右に出るやつァいねえってくれぇだったんでさ」
「……期待している」
「のわっ!」
突如として現れた少女の声に釣り竿を肩に乗せて先行していたヨーゼフが飛び上がって驚いた。
なんだ。アルティナか。
彼女は防寒対策もバッチリ決め込んだ重装備で音もなく俺たちのあとをついてきていたのだった。
「な、なんだぇ。アル嬢ちゃんか。あんまびっくりさせないでくれやぁ」
「そんなことよりも。キリキリ歩く。男は黙って行動する」
俺たちなんかよりもずっと気合が入っているアルティナは大きなしっぽをピンと立てて目をきらめかせていた。
ううむ。こいつはとてつもないやる気、というか食い気を感じるぞ。
少なくともボウズでは死んでも帰らんという決意のオーラがビシバシ出てます。
「そ、そんなマジになんなくてもよう。俺ァ、ただちっと旦那と積もる話でもしようかと。ほら、へへ……」
ヨーゼフが担いだ雑嚢から酒瓶の頭を見せるとアルティナは憤然とした様子でそれを無理やりひったくった。
「あーっ!」
「没収」
「そ、そんな後生だぜ、嬢ちゃん」
「少なくともヨーゼフはノルマを果たすまで酒は与えない」
「け、けど、ちっとくれーいいじゃんかよう」
「ダメ。反論は許さない。ね、クマキチさま」
いつもの茫洋とした表情はどこへやら。アルティナは妙に艶めいた仕草で小指を咥えながら上目遣いで視線を送ってくる。うう、弱いなぁ。
すまん、ヨーゼフ。俺が頑張って魚をパッパッと釣り上げこの子の胃袋を満たすまで酒盛りは我慢しちくりぃ。
俺とヨーゼフとアルティナの愉快な釣り師三人衆はログキャビンからおおよそ三時間ほどの場所に幕営をはじめた。
初手から泊りのため巨大なテント一式を用意してある。
これもヨーゼフに購入を頼んだもののひとつで緊急時とか日をかけての遠征などが今後ないとはいい切れないのでその試験的な意味もあった。
テントは万が一の河の増水を考えて離れた小高い木々の中に張る。
俺はクマなので森の中とかのほうが落ち着くのだ。
目の前には結構な広い河原が広がっている。
うむむ。
源平の武士たちがひと合戦しそうな趣があるな。自分でいってて意味わからんが。
「こんなとこに川があるなんてなぁ」
「へへ。意外に気がつかないもんだろ? 森で旦那の鼻を明かせるなんて、俺も思ってもみなかったけどな」
「能書きはいいから、早く釣る」
「はい」
アルティナは釣り竿でヨーゼフの後頭部をグイグイ押して河に移動していった。意外とあのふたりカップルになったら面白いかもな。
遅れてふたり続いて歩き出す。
じゃ、ちょっと頑張ってみっかな。
「マジでいっぱい釣れたな」
爆釣である。
夕方まで三人して粘り、用意した魚籠一杯に釣ることができた。
「へへ。このロムレスマスは脂が乗っててめっちゃくちゃうめーんだ。そのへんの肉なんかよりずっと滋養と脂があって王都じゃ高級品の部類なんだぜ」
ヨーゼフはアルティナを肩車しながら魚籠を両手に持って、しきりに河とテン場を往復していた。チト情けないぞ。
「クマキチさまは火の用意を。わたしとコレは搬送を続ける」
アルティナは今や完全にヨーゼフを操縦しながらきりりとし表情で竿を放ってきた。
あい。
俺は彼女の竿を受け取るとテントに戻って薪を集め火の準備を行った。
みな、昼食に軽くビスケットをつまんだ程度でしっかりした食事はずっととっていないのだ。
特にアルティナは時間が経過するにつれ刻々と表情が獣のように厳しく変化していった。
うーん、危険なテイストですねぇ。
さあ、腹ペコジャッカルが戻ってくるまでに下ごしらえをしておくか。
ヨーゼフがロムレスマスとかいってた謎な魚だ。
基本色が黄色でビビッドブルーの斑点が浮かんでる南国産みたいな魚は通常ならとても口にする気はせんが、味は大層いいらしい。
なにをキチったこといってるかと思うがここでは地球の常識は捨ててかかったほうがいい。
マスの腸を掻っ捌いてにゅるりんこと内臓を引っぺがす。
よーっく塩を振りーの木枝にぶっさして焼くと、じゅうじゅうとそれはもうよだれが垂れ落ちそうなほど脂が滴り香ばしい匂いがあたりに漂う。
おっと。ヨーゼフの首っ玉から跳躍して駆け寄ってくるアルティナの姿が遠景に見える。
酒もそろそろ解禁だろうし、今夜は思う存分酔いしれることにしようかな。
がつがつ、はふっはふむはふっ……!
というような擬音が聞こえてきそうな勢いで俺たちは釣ったマスを残らず貪り食った。
うーん。まさかさすがにほとんど食い切ってしまうとは思わなかったな。
アルティナなんか腹が妊婦のようにぷっくり膨らんでるし。いいのかコレ。
すでにくうくうと寝息を立てているアルティナをテントの中に運び込むと、ついさっきまで饒舌に喋り倒していたヨーゼフはうつ伏せに突っ伏して寝こけていた。
コイツ、そんなに酒強くないのに俺と張り合おうとするから……。
俺はおかんみたいな気持ちになるとヨーゼフを抱き上げ追加として放り込む。
風邪も引かないように毛布をかけてあげるシロクマのやさしさに惚れんなよ。
この身体ははっきりいってザル同然だが、それでも居並ぶ空き瓶が槍衾のようになるほど酒精を飲めば少しは火照る。
「にしてもこの謎マス美味かったよなぁ」
傍らには塩漬けにして木箱に入れたものがまだ十数尾残っている。特大ザックに入れて持って帰ればいいお土産になるよね。
「それにしても、うるるっ。かなり気温が下がってきたかな」
激しい尿意を感じて俺は木陰に移動した。
じょわらばばばっ。
と勢いよく音を立て琥珀色の液体が尿道から滝のように放射される。
うむ。木々を枯らしそうな勢いだな。
勘弁しちくりぃ。
これも自然のひとつってことで。
用便をすませたのち、酔い覚ましに河の風に当たりに行った。
頭の上にはまーるいお月さまが青白い光をまぶしいほどに放っている。
あちこちにゴロゴロ転がる石を踏みながらゆっくりと歩いた。
河の流れは速くないが、俺の胸くらいまでは深さがあるので要注意だ。
ここはさすがの異世界だからな。ちょっとでも気を抜くと謎のモンスターとエンカウントする可能性がゼロじゃないところがちょっち怖いぜ。
「ん。なんだ、アレ」
そんなことを考えながら鼻腔をヒクヒクさせているとカーブの部分に昼にはなかった木材がバラバラに散らばっているのを発見した。
俺は破砕した木材の中央に黒い毛皮を持った巨大な物体があることを鼻と目で感じ取って咄嗟に身構えた。
クマだ。
……いや、俺もシロクマなんだけどさ。
どう見てもあそこでぶっ倒れてるのはオーソドックス的にノーマルグマなんだよなぁ。
大きさからいってヒグマくらいだろうか。
背も重量も自分とあまり変わらないってのは結構な恐怖だぞ。
クマって河原で寝る生き物だっけ、と思いながら慎重に近づいてゆくとそこにはかなり若いクマの男がぐったりとした様子で気絶していた。
でもなんで若いとか男とかわかるんだろうか。
俺がシロクマだからなのかな?
「おい。どうした。生きてんのか。今からそっちに行くけど攻撃しないでね」
軽く呼びかけながら歩み寄る。体毛は漆黒。図鑑で見たようなまるきりのクマであるが装飾品として貝殻を繋いだ首飾りをしているところを見れば、野生動物ではない……ような気もする。
サッと散らばった丸太や櫂のようなものが落ちているところを思えばコヤツがイカダに乗って河を下ってきたと思うのが妥当だろう。
「おーい。もしもーし。生きてるなら返事しろー」
ゆさゆさと若グマを揺すると、
ぐぎゅるるるるっ
と凄い腹の虫の音が聞こえてきた。
「う、ううう。オラ、腹減って動けねぇだ……」
意外と力のある返答に俺はやや腰砕けになりながらも安堵の息を吐き出していた。




