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41「天使の贈りもの」

 俺が家の中に突入すると予想通りではあったがデジレとロビオラさんが床の上で揉み合いになっていた。


 ほとんどレイプ現場である。両者を分けようとリコッタとラロがデジレの裾を懸命に引っ張っているが蟷螂の斧である。


 無防備な小柄な男など俺にとっては木の葉のようなものだ。がっしりと腰を掴んで引っぺがすと壁に叩きつける。


「クマキチしゃまっ」

「遅いのよ、もおおっ」


 俺はリコッタとラロをくっつけながらすぐさまロビオラさんを抱き起こした。


「その女に触るなっ」


 額からすうと一筋の血を流しながらデジレが叫ぶ。彼の顔は狂相そのものだ。


 しかしなんだな。そのいい方じゃまるで俺が襲ってるみたいじゃないか。


 非常に不条理である。


「叔父さま。どうしてこんな酷いことをなさるの?」

「うっ」


 そういえばリコッタからすればデジレは叔父にあたるんだよな。


 無垢な姪っ子の瞳にはさすがに良心が痛むのか、デジレも胸を抑えて低く呻いた。


「火事場泥棒みたいな真似しやがって。そこまでしてロビオラさんを連れ帰らなきゃ保てねぇ面子なんてゴミ箱に叩き込んじまえよ」


「……うるさい。おまえに私のなにがわかる」


 苦しそうにつぶやいていたデジレが顔を上げざま、瞳を怒り一色に染め上げ一瞬で真っ赤に血走らせた。


 俺の腰のあたりにロビオラさんがすがりついているのだ。なんともわかりやすい嫉妬の表しようにため息が出そうだぜ。


「デジレ。お願いよ。もうこれ以上わたしたちの生活を脅かさないでちょうだい」


「そうもいかない。あなたには戻ってもらわねばならないんだ」


「なんで……? わたしたちはただこの森で静かに暮らしたいだけなの。誰にも迷惑をかけていないわ」


「こんな鳥も通わぬ蛮地であなたは一生を過ごすつもりか。人は隠者になど早々なれやしない。結界が張ってあるようだが、この地方の冬はこれからだとこの土地の者に聞いた。


 草原育ちのあなたは雪が人の高さより積もる土地で暮らすことなどできようはずもない。私はあなたに苦労をさせたくないだけなのだ。私と夫婦になることがあなたのしあわせになるはず。頼むからわかってくれ……」


「――さっきから横で聞いてりゃいいたい放題いいやがって。ロビオラさんがしあわせかどうかは彼女自身が決める。ここまでやりゃあアンタも満足しただろう。もういいかげんに男らしくすっぱりあきらめたらどうなんだ?」


 あくまで忠告というようにいったつもりだったのだが、デジレの瞳はいっそう深く澱むと恨めしそうに俺を睨んで来た。ったく年長者の意見は尊重するもんなのによう。


 女を挟んで睨み合いってのもとんだ愁嘆場だ。

 相手がシロクマってのは笑えるけどな。


「もう、やめて……これ以上わたしを追い詰めないでよ」


 ロビオラさんの声が不意に沈んだかと思うと、彼女は俺の脇をするりと抜けて素早く裏口へと駆け出してゆく。


「ロビオラ!」

「どこ行くんだロビオラさんっ」


 こいつはマズったぜ! 俺は慌てて彼女を追っかけてってたがバランスを崩して裏の戸口でスっ転んだ。情けないぜ。アイタタタ……。


「ちょっ、どけっ。なにやってるんだ!」


 横倒しになって出口をふさいでしまったせいか、続いてデジレも俺に躓きひとっ塊に絡まってしまう。


「お母さまっ」

「ラロもゆくよっ」


 肉団子となった俺らをリコッタとラロが軽々と飛び越えてロビオラさんを追ってゆく。


 ちょ、デジレ。俺の肉を掴んでもにょもにょするな。気持ち悪いだろうがっ。


「くそ、こんなことをしている場合じゃないのに……」


 そりゃこっちのセリフだよ。今はお互いにやり合ってる場合じゃない。とにかく逃げ出したロビオラさんを追わねばなるまいて。そらーっ。


 屋外は刺すような寒気と折から吹き荒んでいた豪風でまともに目を開けていられない。


 結界を張ってあった外に出たのだろう。


 間もなくすると前方から女たちの悲鳴と絶叫が折り重なって聞こえてきた。


「いったい何があったんだ?」


 並走するデジレがとまどいながら問うてきた。

 俺が知るかよ。

 焦燥感が半端ない。


 そうしていると闇の中に血と腐敗臭の混合したものが漂ってきた。


 木々をへし折りながらさらにスピードを上げる。

 間もなく前方の叫び声がさらに大きくなった。


 枯葉を蹴散らかして開けた平野に出ると、大樹すら霞んで見えるような巌のような怪物がロビオラさん目がけて腕を伸ばしているのが目に入った。


 ヴラドレンだ――! あいつまだ生きていやがったのか?


 肥大化を繰り返したせいか全長はすでに一〇メートルに達しているだろう。


 灰色のウロコに覆われた首なし巨人は醜悪な竜の首だけを胸から突き出して、奇妙な吠え声を上げながらロビオラさんを襲っていた。


「あ、ああ……」


 恐怖に怯えてその場に固まっていた彼女だったが、俺たちが到着するのに気づくと抱えていたリコッタとラロを素早くこちらに向かって突き放した。ラロがころころと転がって灌木の陰に落ちる。


 リコッタは素早く体勢を立て直すと、再びロビオラさんの元へと駆けてゆき――躓いた。


「きゃあっ」


 石に尻でもぶつけたのだろうか、リコッタが甲高い声を上げるとヴラドレンが反応して巨大な竜の口を開く。


 赤い炎が弾け、火球が凄まじい速度で繰り出された。


 俺が反応するよりも早くデジレが風の魔術を使ってヴラドレンの火炎弾を横合いから弾き飛ばす――。


 ナイスだデジレ。


 腹の中で喝采しながらロビオラさんの救出に向かった。


 蹴った。

 地を蹴って転がるように駆けてゆく。


 よほど彼女に執着しているのかヴラドレンはほとんど俺のことを意に介さず巨木のような腕をひたすら伸ばす。


 もう一発。


 デジレが印を結んで風の魔術を放った。巨大な空気の鎌が竜獣魔の手首をぷっつりと斬り落とした。


 が、それで魔力を使い果たしてしまったのか。デジレがリコッタを抱えながらずるずると地べたに腰を落とすのを視界の端に捉えた。


 あと五メートル。

 あと三メートル。


 頭上のヴラドレンが今度はロビオラさんに目標を変えて、巨大な顎をぱっかりと開いた。


 獣の喉奥に灼熱の気が満ちる。

 全身の毛がゾワッと直立した。


 絶対に間に合わせてみせる――!


 紅蓮の炎が凄まじい熱量を伴って吐き出された。


 俺は火球からロビオラさんを守るようにして抱え込み伏せた。


 形容し難い火の塊が背中を焼いた。

 胸に抱えたやわらかな肉が悲鳴を上げ続けている。


 このまま焼かれて死んでゆくのも美女といっしょならばそう悪くないかもな。


 弱音の虫が本音をチロチロと見せはじめたとき、後方から大気を割るような音を立て銀色の閃光が奔流となって駆けた。


 反射的に首を傾け頭上の怪物を仰ぎ見た。

 どずん、と。


 肉を割って巨大な鉄塊が竜獣魔の顔面に突き立っていた。


「クマダよ――! オレの剣を使うんだ」


 ドラホミールだ。虎の毛皮をかぶった豪傑が樹々から躍り出ると仁王立ちになって叫んでいた。


 ようし。やってやろうじゃないか。


 俺は最後に残ったひとしずくの力を振り絞ると、胸の中に吸い込んだ空気をありったけの力で雄叫びに変え、立った。


 竜化したヴラドレンは残った左腕でなんとか顔に突き立った大剣を引き抜こうと苦心している。


 俺は素早く駆け出して無防備なヴラドレンの右足を渾身の力を持って薙いだ。


 鋭く尖った爪が強靭なウロコを破砕し足首を断ち切った。


 ぐらりと、ヴラドレンの巨体が自重を支えきれなくなってゆっくりと倒れてゆく。


 息を深く吸い込むと両手を両脚を広げてヴラドレンの真正面に立った。


 だんっと地を蹴って宙を飛んだ。

 届く。

 今度は必ず到達する。


 俺は竜の鼻先にひらりと降り立つとドラホミールの大剣に両手をかけ、全力で押し込んだ。


 ずぶずぶと肉の繊維が千切れて大剣は柄まで埋没する。


「だっ」


 両腕にぎゅうぎゅうと力を込めて刃を下方へとすべらせてゆく。


 肩の筋肉がもりもりと膨れ上がってゆくのがわかった。


 ぎちぎち、みちみち、と。

 肉が引き裂かれてゆく音が聞こえる。


 俺の怒号とヴラドレンの断末魔がまじわって野を圧した。


 唐竹割りだ。


 俺が地に立って大剣を地上にまで到達させると、目の前には顔面を額から鼻面まで半割りされて動かなくなった巨大な獣が横たわっていた。


 ――限界だ。


 竜獣魔と化したヴラドレンを葬った俺は血と汗と泥に塗れたまま、死んだように樹木に背を預け座っていた。


 膝の上にはラロとリコッタが涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらぎゅっとしがみついている。


 ロビオラさんはさっきから俺の焼けた爛れた背中に一生懸命軟膏を塗ってくれていた。


 ううっ。染みるなぁ……。


 楽しげな笑みを浮かべたドラホミールは大剣を肩に担いだまま目を細めていた。


 にしても、あれほど血反吐を吐き散らかして伸びていたというのに、今やそんなことはなかったかのようにケロッとしている。


 途方もない臓器の強さとタフネスぶりだ。さっき勝てたのは運がよかったとしか思えない。コイツとはもう二度とやり合うのは御免だな。


 ふと、気になってドラホミールに問いかけた。


「なんで助けてくれたんだ」


 少なくともこの男はデジレに雇われていたはずだ。

 俺たちを助ける理由などなかったはずだが。


 が、ドラホミールはさっぱりした風呂上がりのような顔で当然のようにいい放った。


「いや、なに。このオレへと初黒星をつけた男に手を貸してやるのもそれほど悪い気分じゃないかなと思っただけさ」


「なんだよ、それは」

「気にするな。一方的なオレの自己満足さ」


 ドラホミールはそれだけいうと、もう振り返りもせずにその場を去っていった。


 あ、お礼いいわすれたけど……ま、いっか。

 アイツとはまたどこかで会いそうな気がする。


「クマキチさま。どうしてわたしのような女のためにここまで」


 ロビオラさんがもう何度目かわからないほどの謝罪を口にして軟膏をぺたぺたと焦げ焦げになった背にすり込み続けている。俺は頬を指先で掻きながら目の前に立ったデジレの顔をジッと見た。


 彼は二〇を超える配下のエルフ兵を引き連れ消え入りそうな声を出した。


「クマダといったな。私は――」


 待った。俺はデジレがうつむきながら絞り出した声を無慈悲に止めて、ほんのちょっぴり顔を反らした。


「なあ、デジレ。もうここまでにしないか。見ろ、ロビオラさんを。また泣いている」


「それは――」

「泣いているんだよ、デジレ」


 デジレは顔をくしゃくしゃにすると小さく呻いて眉間にシワを寄せた。それは小さな男の子が泣き出すのを必死で我慢しているように思えた。


 俺は座ったまま身じろぎもせずデジレをまっすぐ見据えた。


 彼には最初に会った頃の狂相がすっかり剥げ落ちていた。黙ったまま、数秒間見つめ合う。長らく別れていた恋人が久々に再開したかのように。


「あなたは、なんという瞳をするのだ……」


 手のひらでデジレは自分の顔面を覆ってその場に蹲った。


 ロビオラは膏薬の入った貝殻をリコッタに手渡すと、デジレの前に膝をついて彼の手を取った。デジレが涙にぬれた顔を上げ、義理の姉だった女の顔を見た。


 言葉はない。

 言葉はいらない。


 姉弟は見つめ合ったまま数えきれないほどの言葉を交わしたのだろうか。そっと互いの手を離して立ち上がった。デジレの顔。憑き物が落ちたように綺麗さっぱりしていた。


「帰ります。私が間違っておりました」

「デジレ、あなた」


「義姉さん。ヴラドレンのようなならず者をけしかけるようなことになってしまったのもすべて私の責任です。死をもって償えばいいのでしょうが、それはお許しください。卑怯といわれようとも、私は族長としてみなを率いていかなければなりませんから。詫びはいずれ、必ず」


 肩を落としてデジレが去ってゆく。思えば彼もまだ十代の少年だ。突然自分に背負わされた荷物を、かつて思ったロビオラさんを手に入れることで生きてゆく励みにしたかったのだろうか。


「それと、あなたにも侘びなければなりません」


 ん。なんのことだ?

 俺は目の前に立ったデジレの黒々とした瞳を見た。


「なんのためらいもなく、義姉さんをかばって業火に身を晒したあなたの勇気はとうてい私の及ぶところではなかった。


 正直なところ、私はあの怪物を見たとき、身が竦んでしまった。こんなことでは、とてもではないがあなたから彼女を奪う勇気はない。今日、私は、本当の愛を見た心地がする。義姉をよろしくお願いします」


 ――なんだか途方もない勘違いをしているようだが、俺としてはデジレがロビオラさんを追っかけまわさないというのであれば、初期目的は達成しているのだ。


 今は静かに身を休めたい気持ちでいっぱいだった。


「叔父さま、あのっ。アタシ、あのっ」


 リコッタがデジレの前に駆け寄ってなにかをいいたそうにしていた。


 デジレははじめて穏やかな笑みを浮かべると、リコッタの頭をひとつ撫で悲しそうな目をし沈黙を守る。


 そこには血の繋がった者同士でしかわからない悲しみが込められていた。


「デジレ!」


 ロビオラさんが最後に大きく彼の名を呼んだが、それでも振り返らなかった。


 純粋に偉いと思う。

 甘いといわれようとも、俺は強く同情を覚えていた。


 誰だってそれほど強くない。

 逃げ出したり、追ってみたり。


 少なくとも俺は、デジレの行動を一方的に咎められるほど立派な人間じゃないってことだ。


 あ、今はシロクマなんだけどね。


 軟膏が利いて来たのか、ひりひりとした痛みが和らいでゆくにつれ、徐々に眠気が全身を包んでゆく。


 ぺろぺろと鼻面舐められ片目を開けると、ラロが俺の胸に攀じ登ってちっちゃなしっぽを左右にふりふりしていた。


 伸ばした膝の上に重みを感じ視線を巡らす。リコッタが乗っかっている。満ち足りた笑みを浮かべていた。


 ロビオラさんが憔悴しきった顔で俺の足元に跪いた。


 それを見たラロが駆け寄ると、自分の首にしていた猪の首飾りを取ると、地に両手をついてうなだれているロビオラさんの首にかけた。そして次の言葉を聞いて、俺は両目を見開いた。


「あげゆ!」

「え……でも、これって。いけないわ、そんな」

「ロビオラ、げんきだして」


 あれほど駄々をこねて欲しがっていた首飾りなのに……!


 執着心などカケラもない。

 善意の根源というものは、ここにあったのだ。


 ロビオラさんは、押し抱くようにしてラロから牙の首飾りを受け取ると泣き笑いのような表情で笑って見せた。


「ね、クマキチしゃま」


 ラロが元気よく俺の名を呼んだ。


 俺は時折思い出したように背を刺す痛みすら忘れ、この小さな天使の偉業をルルティナたちにどう伝えようかと自分の鼻先をこすりながら考え込んだ。



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