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04「ウェアウルフの娘」

 不思議と負ける気がしない立ち合いだった。


 身の丈も重量も向こうのほうが圧倒的に有利であるがこの身に流れる熱い血が「やれ」と遺伝子レベルで命令してくる。


 ぶつかり際に頭を平手で張られた。


 無論、向こう側の掌にも凶悪過ぎる爪が生えそろっているはずだが、俺は軽く押された程度にしか感じず、阿呆みたいに大口を開けているコイツに頭突きをかましてやった。


 大岩がぶつかり合った轟音が鳴って、クロクマが吹っ飛ぶ。


 ぎょりり、と相手の顎の骨を確かに砕く感触に脳天が痺れるような快感を覚えた。


 クロクマは後ろ足で立つと、四本の腕を振り上げながら左右から猛烈なフックを豪雨のように撃ち下ろしてくるが、俺は冷静にその攻撃を拳で打ち払うと距離を詰めた。


 牙を噛み込みながら踏ん張って右ストレートを放った。


 鉄の砲丸同士がかち合ったような固い音が鳴った。

 顔上げる。そこには額を割って、血潮を噴き出せているクロクマ野郎の姿があった。


「だりゃっ」


 跳ねるように飛び上がってクロクマの顔面に右手の爪を叩き込んだ。


 斜めに流れるように落ちた斬撃はクロクマの顔半分を薙ぎ払って流血を強いた。


 俺はさっと後方に飛び退いて構えていたが、相手に続行の意思はなくなったのか、くるりと反転するとギャアギャア喚きながら暴風のように逃げ去っていった。


 荒くなった呼吸を整え、クロクマの逃げ去った方向をジッと見つめる。


 ぶ厚い毛皮と筋肉で痛みは微塵もないが精神的疲労感が半端ない。まじパない。


 誰かに会いたいとは思っていたけど、あんな相手なら御免だよ、もう……。


 お互い、別に闘争行為に執着しているわけではなく、出会い頭に顔を突き合わせたからこのような結果になってしまったのはよくわかっている。


 山でもクマよけにクマ鈴を鳴らしたり、大きな声で歌ったりしていれば臆病なクマは事前に人間の動きを察知して遠ざかって来るが出会い頭はいかんともし難いのだ。


 たぶん、このあたりはあいつの縄張りなんだろうな。しかしこうやって面と向かって戦い尾を丸めて逃げ出したからには、やつはここに二度と近づかないだろう。


 野生動物とは無意味に命を危険に晒すようなことはしないはずなんだよ。


 想定外に軽くバトったせいで心が荒ぶっている。


 俺は不意に山が見たくなり、今まで行かなかった森の奥へ奥へと導かれるように進んでいった。


「わあ。けっこういいトコロじゃん」


 開けた平野部に出ると今までよくわからなかった彼方にある山塊がよく見えた。


 荒んだ心が洗われていくようだ。

 草地に座り込んで脚を投げ出し目を細めた。


 詩心があればひとつ吟じてやりたいところだが、あいにくとそういう才はない。


 ぱたと、小さな物音が鳴って女の声がした。


「カミサマ、カミサマなのですね」


 おやと、思って振り向くと、そこには昨日別れたばかりの犬耳娘がミニマムサイズのお仲間を引き連れ茫然と立っていた。


「君は、昨日の……?」


 犬耳少女はよろばうように近づいてくると、ついにはその場に跪いてぼろぼろと涙をこぼしはじめた。彼女の妹たちだろうか。ちみっこい犬耳娘たちは姉に倣うようにして、今にも額を地べたにこすりつけんばかりの風情である。


「昨日は、お命を助けていただきロクに礼もせず、この罪は万死に値します。できますれば、この身を捧げますので、なにとぞ我が妹たちを守護神であらせられるカミサマのお力で末永くお守りくださいませ」


 いったいこの子はなにをいっているんだろうか?


 俺が無言のまま黙っていると、ちっちゃな子たちまでが「くだしゃいませー」と舌足らずな声で合唱する。


 うむ。まったく意味が分からない。


「な、なにか勘違いしていないか。俺はただの気のいいシロクマだ。君がいっている守護神とか、そういった大層なシロモノじゃないよ」


「カミサマ、ではございませんの?」


 犬耳少女は困惑したように黒真珠のような瞳をまん丸にして口元に手を当てている。


 昨日も思ったんだが、この姉妹、全員が類を見ないほど美形ぞろいだ。


 まだ四、五歳くらいの妹たちにいたるまでジュニアアイドルなんぞは束になってもかなわないほど、際立ってすぐれた容姿を備えている。おっと俺はロリじゃないぜ、念のため。


「あ、申し遅れました。私はウェアウルフのルルティナと申します」


「クマキチってケチなもんだ」


「クマキチさま……?」


 ルルティナは俺の名を口の中でもごもごと咀嚼させるとうっとりとした表情で目じりを下げた。


「不思議ですけど、クマキチさまにはお似合いの素晴らしいお名前ですね」


 ――一瞬、己がクマであることを忘れそうなほど素敵な笑顔だった。いや、忘れようが忘れまいがどうでもいいのだが。


「んん、まあ、なんだ。とりあえず、一連の状況を話してくれると大変助かる。このあたりのことが、ぜんぜんわからないんでな」


「やはり……! それはこの土地に顕現して間もないということですね。不肖ながら、このルルティナが全身全霊を持ってお答えさせていただきますっ」


「あー。だいたいでいいからな」


 俺はやけに力の入った犬耳少女を見ながらぽつりと答えた。


 どうやら最初の俺の推測通り、おそるおそるこちらを見ている娘たちはルルティナの妹たちで正解だった。


 上から順に、金髪が十三歳のリリティナ、赤毛が十歳のアルティナ、残りの三つ子――これは全員ルルティナと同じ黒髪だ――が、ララ、ラナ、ラロという名前らしい。親御さん、完全に最後で飽きたんじゃね? と勘繰られても仕方ない豪快な投げっぷりだ。


 ルルティナがいうにはこの地はロムレスという名で人間の王が治める広大な大陸らしい。


 んで、彼女たち一族はウェアウルフという、いわゆる獣を祖とした実にファンタジックな種族で、犬耳としっぽは祖先からの名残ということだった。


 彼女たちは、王都から離れた地域に暮らしていた少数民族であり、個々の武勇は人間よりも遥かにすぐれているが数には勝てず、ひと月前講和条約を破って攻め寄せてきた人間の軍隊によって再度壊滅させられ、父祖が暮らしていたこの森へと逃げ込んだらしかった。


「どうしましたか?」

「いや、なんでもないよ」


 ま、薄々感づいていたがやはりここは日本ではないらしい。そういった意味では、ロムレスでも辺境の果てに位置するこの森までは多勢の軍を差し向ける余裕はないらしい。


 昨日のように一番近い砦から、ときどき数十人の残党狩りが森を徘徊し、嫌がらせのように圧を強めるのが人間のやり方らしかった。


「昨日は、私も、妹たちも死を覚悟していました。両親と姉の仇であるニンゲンに汚されるくらいなら、舌を噛んで見事に死のうと……けど、クマキチさまがにっくきやつらに制裁を加えていただけて……ようやく少しだけ溜飲が下がりました。少しは先祖の霊も慰められます。ほら、みんなっ。クマキチさまにお礼をいって!」


 感極まったのかルルティナは狂ったようにしっぽを激しく振って礼を述べた。


 ぱっちりとした大きな瞳からは涙がはらはらとこぼれ、頬は興奮で紅に染まっている。


 姉妹たちが一同そろって「ありがとうございました」と叫んだ。


 うーん。こちらとしては、よくわかんないうちに勝利してしまったんだが……どっちにしろ彼女はあのままじゃあのゲス野郎どもに凌辱されて終わりだっただろうしねぇ。


「ほらほら、礼は受け取ったから顔は上げてくれよ。なんか背中がこそばゆくて仕方ねぇや」


 う。なんか、ちびっ子のひとりと目が合った。確か三つ子のうちのひとりだろうが、俺にはまだ見分けがつかない。彼女は座りながらちっちゃなしっぽをぴこぴこ左右に掃いている。


「クマキチしゃま。あたし、もふもふしていい?」


「こらっ、ララ! クマキチさまになんという失礼なことをッ!」


 ルルティナがカッと犬歯を剥き出しにして「がう」と吠えた。


 だが、ララはそんなことはおかまいなしに、好奇心いっぱいの瞳で俺のふわふわふした真っ白な体毛を見つめている。


「ああ、いいよ」

「やたーっ」

「あ、ずるいーっ。ラロもっ」

「ラナも、ラナもっ」


 三つ子のわんこ娘たちは俺の腹のあたりにダイブすると、おもっくそ全力で顔を擦りつけて来る。なんというか仔犬みたいでたいそうかわいらしい。ああ、なんか眠っていた父性がきゅんきゅんするような感じだ。


「ああもうっ。あなたたち、クマキチさまがお困りでしょう。離れなさいっ。この――!」


「やだー」

「やだやだー」


 三つ子わんこ姉妹たちは俺の身体を軽々とよじ登ると、引き剥がそうとするルルティナと追いかけっこになった。


 ふと気づくと赤毛のアルティナがぎゅっと無言でしがみついている。これは気にいられたと思っていいのだろうか?


「ふふっ。姉さんたち、はしゃぎ過ぎよ」


 金髪のリリティナがそういって上品そうに微笑む。

 この子が一番お嬢さまっぽい感じである。はじめは清楚な印象であったルルティナは、この妹たちを追いかけまわしているのが地に近いんだろうな。


「おや? 雨か」


 ふと鼻面を天に向けるとポツポツと小粒の雨が垂れ落ちてきた。ルルティナはなにかもじもじしていたが俺の視線を受けると、


「あのよろしければ、私たちの隠れ家、すぐそこなので雨宿りしませんか?」


 と誘ってきた。


 レディのお誘いを断るのはジェントルメンとは到底いえないのでありがたく申し出を受けてルルティナ宅を訪問することにした。というか今の俺は住所不定なのでね……。


「すみません。なにもお出しするものがなくて」


「ああ、いいよ。ちょっと見てみたかっただけだし」


 ルルティナたちが住んでいたのは斜面に空いていた天然の洞窟だった。どうにも


 ジメジメしていて空気も悪いし、暗くて狭い。巨体である俺が入るとぎゅうぎゅうになってしまう。


「ここね、ここね。ララのねるとこなのー」


「お、おう。いつも快眠できているのかな」


 ちびっ子のララが木の葉を敷き詰めてあった場所をポンポンと叩いてにひひといたずらそうに笑った。


 ルルティナは自分で案内して置いて、現実を直視したのかショックを受けている。


「姉さん。だからお呼びしないほうがいいって、合図したのに」


「それ、早くいってよ……」


 落ち込んだルルティナをリリティナが慰めている。


 ま、人を呼んでおいてあとでああすればよかったこうすればよかったと後悔することってあるから、しょうがいなよな。


「ちゃむいよー」

「ん。そっか。じゃ、ほらこっち来い」


 俺はぷるぷると震えていたラナを抱え上げた。天然のふかふかが気持ちいいのか、ラナはじんわりを頬をゆるめるとぴとっとくっついてきた。


「しかしさ。こういっちゃなんだが、早いとこもちっとマシな場所に移るほうがいいと思うぞ。俺みたいに体毛がある種族ならともかく、おまえたちにはこの寒さはこたえるだろう」


「ええ、そうしたいのは山々なのですが」


 と、話していると、ぐうっきゅるるーと豪快な腹の虫が鳴った。


「わ! 今の私じゃないっ、私じゃありませんからねっ」


 ルルティナが顔を真っ赤にして頭をぶんぶん振って否定する。音のした方向を向くと、赤毛のアルティナが不機嫌そうな顔でつぶやいた。


「おなかすいた」


「すみませんクマキチさま。実のところ、最近あまり獲物が取れなくてみなお腹を空かせているのですよ」


 そういえば、こうやってマジマジ見るとみな一様に青白い顔をしていた。肌艶もあまりいいとはいえないのは、常習的に飢餓状態へ片足を突っ込んでいるからだろう。ちびっ子たちがやたらと身体をくっつけているのも、食事が満足にとれないので上手く体温を上げることができないのだ。そうだな……特にやることもないし。


「はじめに食糧問題、それから住むところだな」

「え、あの。クマキチさま、どちらへ?」


 そんなの決まっている。まずは食糧問題解決の糸口だ。肉も食いたいしね。


 森に向かってずんずんと歩いてゆく。


 実のところ、この何日か俺は無目的に森の中をさまよっていたわけではない。


 獣の、しかも蹄からいって猪が通るであろう道筋をこっそり確かめておいたのだ。


 ふと気づけば、ルルティナたちは俺の背にぴったりとくっついて行動していた。


 どうやら、ウェアウルフという種族はなにごとも集団で行動する癖というか本能のようなものがあるらしい。


「随分とロクに食っていないみたいだが、村にいた頃は狩りとかしなかったのか」


「すみません。私はいつもほとんど家人任せでした。今になって恥じ入ります」


「まあ、いいさ。これから覚えていけば」


 俺の祖父はマタギだった。俺自身も秋田の出身だし、猟にはガキの頃からよくついていった。


 まったくの素人ではないが、見も知らぬ土地で獲物を取るということは並大抵のことじゃない。


 まるで不可能と思われる行為であるが、シロクマとして生まれ変わった俺にはそれらを補って余りある野生の超感覚というものが備わっていた。


 視線を巡らすと、ルルティナ、リリティナは大ぶりのナイフを。アルティナは山刀を抜き放って構えていた。ちびっ子たちも小さい歯を剥き出しにして目を爛々と輝かせている。


 俺は神経を集中させて、周囲の気配を毛筋一本も見落とさないように、五体から気を放射して大気の動きを注意深く探った。


 もっとも狩りとはほとんどが待つ時間を意味している。


 ぶっちゃけかなり飽きっぽい俺は自ずとすぐそばのルルティナに話しかける仕儀となった。


「ルルティナはこの森に来てなにを食べていたんだ?」


「え、あ、そうですね。私たちは食べられるキノコとか、木の実とかを探して食していました。それと、わずかですが砦から落ち延びる際に日持ちのするものを持ち合わせていたので、それをなんとか食い延ばして今日まで、なんとか……」


 話しているうちに絶望的な気分になってきたのか、彼女の口調があからさまにトーンダウンした。


「大丈夫だよ。今日はきっとどっさり獲物が取れるさ」

「クマキチさま……」


「ううっ、がるっ」


「あ、コラ! ラナ、ララっ。クマキチさまに噛みつくのはおやめなさいっ」


 絶え間なく続く緊張感に耐えきれなくなったのか、ちびっ子二名ほどが牙を立てて首筋に噛みついて来る。まったく甘噛みにもならない程度であるが。


「来たぞ。だいぶ近い。ルルティナたちは、東から大きく回って退路を断ってくれ」


「わかりました。リリ、アル」


 ルルティナはリリティナとアルティナを引き連れると、素早く俺の指示に従って近づいて来る獲物の背後へと回ってゆく。さて、ここからが本番だ。


 おちびちゃんたちはいい子にしてるんだぞ。


 そういった気持ちを込めて三つ子の頭を順繰りに撫でると、くふんきゅふんと甘ったれた鼻声を漏らす。


 さあ、狩りの時間だ――。



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