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39「執着するもの」

 折からの豪雨でびちょ濡れになった俺はやや緊張しながらもロビオラさんの家を訪ねた。


「クマキチさま……どうして」


 彼女はそれだけいうと、やや青ざめた表情で戸口に呆然と立ちすくんでいた。


 気まずい。なんか、この上なく気まずいんですけど。


「クマキチっ。来てくれたのねっ」


 ロビオラさんの背に隠れていたリコッタは小リスのような素早さで飛びついて来た。


 当然、ぐしょ濡れなのでリコッタの衣服は冷たくなった雨でびちゃびちゃになる。


「つめたっ。どこでなにやってたのよ。もおっ」


 リコッタは文句をいいながらも俺から離れようとはしない。先ほどまで激しい格闘をしていたせいか、身体中の肉に溜まった熱気で俺自身それほど寒さを感じてはいない。


「うううっ」


 担いでいた袋の中からラロが飛び出した。彼女は床の上で四つん這いになると、濡れた犬がやるように全身をぶるうっと震わせて余分な水分を弾き飛ばす。ロビオラさんは口元に手をやって瞳をまん丸にした。


「あんた、なにやってんのよ。早く拭かないと風邪引いちゃうでしょう」


「リコッタ! ラロだよっ」


 ラロ薄い胸を反り返してなぜか自慢げに鼻息荒く腰に手を当てていた。


「知ってるわよ! てか、ちょっとそこでおとなしくしていないさよね。タオル持ってきてあげるから。これだから子供はしょーがないのよね。まったく。ふんとに、もう」


 リコッタはラロに指を突きつけると急いで部屋のなかに戻ってゆく。


 おやおや。親切なことだねぇ。


「うゆ?」


 俺が体毛に残った水気を切っているとロビオラさんがラロを抱き上げいとおしそうな目をしていた。


「はじめまして、ウェアウルフのお嬢さん。わたしはロビオラよ」


「ラロはラロだよっ」


 ラロが眉をキリッとさせて元気よく両腕をぐーっと頭の上に突き出し答えた。


 ロビオラさんは小首をかしげ、ちょっととまどったように俺を見る。


「ちょっとした理由があっていっしょに暮しているんだよ。どうも、俺のことが心配で勝手に着いて来ちゃったんだ」


「そう、ですか……」


 ――うん。わかってたけどさぁ。暗い。暗いよ!


 あれ? カッコよくシロクマヒーロー登場って感じで推参したんだけど、なにげに鬱陶しがられてね? これじゃあ、さすがにメンタル厚揚げの俺もたはは、って感じだ。


「ロビオラっ」

「ん。なにかしら、ラロちゃん?」


 おお。いいぞ。ここに来て小動物キャラのラロがはじめて機能している。


 ラロはちっちゃな手でロビオラさんの頬をぺちぺち叩きながら、むふーっと鼻息を荒くし自信満々に牙を剥いて吠えた。


「クマキチしゃまがついてるからだいじょーぶだよっ。だからないちゃダメ!」


「……そうね」


 えっ? おいおいおい。ロビオラさん、いきなりうずくまっちゃったよ! なにげにラロさんがとんでもない地雷を踏んでしまったとか。


 ロビオラさんはラロを抱きしめたまましくしくと静かに泣いていた。


 しゃくりあげるその姿は、とても小さく俺には小さな子共同士が抱き合っているように見えた。


 俺は意気消沈したロビオラさんに手を貸すと、正式に家の中へ招き入れられた。


 とはいえ、そこはかとない気まずさが漂っているのも事実。


 けれどもさっきよりはロビオラさんの表情に明るさが戻っていることが救いといっちゃ救いかもしれないね。


 リコッタはお姉さんぶって床の上に座っているラロの身体をタオルで拭いてあげていた。


「もおっ。動かないでよお。ホントに子供はワガママで困るんだからぁ」


「ううう。ラロあかちゃんじゃないもおん」

「取り乱して失礼しました」


 いえいえ。勝手に押しかけたのはこちらなのでお気になさらず。俺はロビオラさんが淹れてくれたお茶に手もつけず、彼女の瞳をまっすぐ見た。


「――ロビオラさん。悪いけど、あのあとエルフ兵を捕まえてだいたいの事情を聞いた」


 彼女はわずかに顔を強張らせると、合わせていた視線をそっとはずして、腰まである砂色の髪を神経質そうに弄びはじめた。


「そう、ですか。知ってしまわれたのですね」

「うん。ごめんね」


「いいえ。クマキチさまが謝られる必要はありません。巻き込んでおきながら、なにひとつ事情を説明しようとしなかったわたしが悪いのですから……」


 俺は自分の真っ黒な鼻先を指先でゴシゴシやりながら彼女の次の言葉を待った。


「どこまで、お知りに……?」


「君が一族の慣習として、デジレっていう男に望まぬ再婚を迫られているってことだ」


「望まぬ、望まないの話ではありません。わたしたちステップエルフの女は、そもそも財産のひとつのようなものです。偉大なる大王の姫君ですら引き出物や外交交渉の産物としてニンゲンに送られているのですよ。わたしごときが、しきたりに逆らって婚姻を拒否することなんて、最初から許されるような行為ではなかったのです」


 ロビオラさんはまた泣いていた。


 大きな瞳から大粒の涙が流れて、彼女のカップに垂れた。


 あのような外道な傭兵をやとうような男だ。


 ここで彼女を黙って引き渡すようなことは、男として死んでもできない。


「お母さま、泣かないで。泣かないでよ……」


 リコッタも母親に釣られて赤くなった瞳の縁を押さえている。ラロが、悲しそうにきゅーんと鼻声で鳴きリコッタの頬をぺろぺろと舐めていた。


「すみません、いい年をして。取り乱してしまいました」


 俺は席を立つと彼女の前に立ってカップをもぎ取ると、一息に空けた。


 やさしいはずの紅茶の味は、酷く、苦いものだった。


「あなたは悪くない」

「え……」


「もういい。コソコソ逃げる必要なんてない。あなたはなにひとつ悪くないんだ」


 美人は涙と鼻でぐしょぐしょになっても、やはり美人ではあるな。


 俺がロビオラさんをそっと抱きしめると彼女は堰を切ったようにしゃくり上げ、やがて号泣した。


 沸々と込み上げてくるマグマのような熱い闘志が腸の中でうねりにうねり出した。






 なにがあっても絶対に家の中にいろと三人にいい聞かせて外に出た。


 ゲリラ豪雨だったのだろか。

 雨はもう上がっていた。


 転生前、俺は既婚者ではなかったので、そういった色恋沙汰は疎い。


 特定の女がいなかったわけではないが、あまりに山に執着し過ぎたせいで愛想を尽かされ逃げられたことなど、幾度もある俺にとってそこまで執着するのは不可解だ。


 ――ひとつだけいえることがあるとすれば、この孤立無援な母娘を見捨てては置けないという強烈な義侠心からだとしかいえなかった。


 今俺はシロクマなのだ。人間の心が残っているとはいえ、性の執着というものは修行を突き詰めて煩悩を取り払った禅僧のように「ゆるい」のである。


 ロビオラさんが美しいということはわかるが、そういった意味での感情はたぶん人間のときより遥かに薄いといえるだろう。


 空を見上げれば、黒く厚ぼったい雨雲はとうに駆け去っていて白々とした美しい月が上がっていた。


 神経を集中させる。森の奥の奥まで。針一本落とした音まで聞き逃さないように。


 間もなく、多数の人馬が結界をおおっぴらに破壊して近づいて来た。


 接近を隠そうともしない、実に堂々とした進軍だ。

 騎馬の数はざっと二十。


 先頭には白い馬に乗った若い男が美しい切れ長の目を光らせ乗っていた。


「アンタがデジレか」

「ロビオラはどこだ」


 想像していたよりもずっと若かった。

 十五、六だろうか。


 年齢からいえば、少年に過ぎないのだろうが前回騎馬を率いて襲いかかって来た傭兵風情にはない重みが確かにあった。


 真っ赤な整った唇は少女のように整っている。反面、乾き切った口調は異様に落ち着き払っていた。


 うん――。

 なんか弱そう。


 あれじゃね? 正直かなりカッコつけてでてきて、これまたとんでもない超絶ムキムキマッチョエルフがご登場してくるかと思っていたら、そんなことなかった。


 ぜんぜんなかったわ。


 どっちかっていうと、この少年技巧派キャラだわ。

 俺との相性は最高といえよう。


 なにせこのシロクマ、少々の小細工はパワーとノリでブチ斃すアメリカンナイズされた気迫が籠っている。


 ワンパン余裕だわ。


 草原の勇者とかなんとかいっておられても、しょせんそのような軽口が通用するのは街中だけだと思われよ。


「ロビオラはどこだ! じゃないよ。小僧。ちょっと来るとこ間違えてるみてーだな。ここはなにを隠そう地獄の一丁目さ。ぬるい草地に住んでるエルフちゃんのロジックはカケラも通用せんよ」


 俺は首を傾けながら世紀末戦士のように指の関節をパキポキ鳴らして歩み寄ってゆく。


 草原を軽くディスってるのは真実嫌いなわけじゃなくて、クマ的戦略なので悪しからず。


「おまえが前衛隊がいっていたエルムの男だな。ロビオラはどこだ」


 むぬう。


 わざと悪ぶってゆさぶりをかけてるのに、微塵も動揺を見せないやつだ。


「閻魔に地獄で聞いてみろや――ッ!」


 ぐん、と一気に間合いを詰めて突っ込んだ。


「ぬ!」


 いきなり有無をいわさず殴りかかって来るとは思っていなかったのだろうか。


 俺はデジレが手綱を引くよりも早く、五メートルの距離をゼロにすると白馬の胸のあたりに爪を叩き込んだ。


 どおん、と野砲が炸裂するような轟音が響いて馬が吹っ飛ぶ。


 ぶっちゃけ馬体重の四、五〇〇キロ程度といっても俺とは筋肉量と密度がまるで違う。


 白馬は後方の集団を丸ごと巻き込んで弾けた。


 苛烈ないななきと呆気にとられたエルフたちの悲鳴と怒号が錯綜する。


 が――。


 さすがにデジレは身軽である。

 ひらりと白馬から飛び降りざま矢を放ってきた。

 的確に俺の目を狙っていたのでよける必要もない。


 平手で軽々と受け止め、握り潰したのを見て、ようやくデジレは眉をひそめた。


「こんなへろへ矢が俺に通用すると思ったのか。さっさと帰って羊の放牧にいそしみな」


「そうもいかない理由がある」


 デジレは矢壺からまとめて五本ほど引き抜くと、長弓を構えてひょおと射た。


 ざっと矢尻が冷たい夜気を割って迫って来た。

 だが、幾度やろうとも結果は変わらない。


 平手を振って残らず弾き落とすと、デジレはたいしたショックも受けず腰の剣を抜いた。


「面白いな」


 獣が嗤うような声がした。


「どこを見ている。白いエルムよ。おまえの相手はこの私だ」


 デジレがイキって吠えかかって来るが、もう雑音くらいにしか聞こえない。


 どうでもいい。

 この際雑魚はどうでもいいのだ。


 それよりもだ――。


 俺は未だ後方で肥馬に跨ったまま微動だにしない大男のほうが気になった。


 虎の巨大な毛皮を頭からかぶり、革製の鎧をつけ静かに口髭を動かしている。


 山で戦ったギヨームというロムレスの武人を遥かに凌駕する熱量が内に籠っている。


 そうだ。


 あのヴラドレンがいっていたドラミホールという竜族の武人は間違いなくこの男に相違ない。


 俺は容易ならざるさらなる強敵の出現にどこか強い愉悦を感じ、足の裏から脳天まで突き抜けてゆく太い電流のような熱で踊り出したい気分になっていた。



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