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34「迷い道」

「で、聞きたいことはすべて聞き終わったからオレを始末するつもりかい」


 男は自分でも喋っているうちに俺への恐怖が薄れたのだろうか。


 騎馬で乗りつけ出会った頃のふてぶてしさを取り戻していた。


「まさか。俺は約束は守る男でね。きちんと森の入り口まで送り届けてやるよ」


「そりゃどうも。で、エルムの兄さん。ひとつ後学に聞きたいのだが、いいかね?」


「なんだ」

「ロビオラの具合はどうだったんだ」


 男の顔には卑しさやからかいの色がなかった。あくまで道具の機能を確かめるような、平然とした顔つきだった。


 けれど、こんな聞き方をされて黙っていられるほど俺も人間ができちゃいなかった。


 わざと骨折した両脚に配慮しない担ぎ方で男を肩に乗せ、地響きを鳴らして駆けた。


 男はもう恥も外聞もなく泣き喚いたが俺に躊躇はなかった。






 森の入り口からログキャビンを目指して歩く。

 重い。


 腹に鉛の袋をどっさり詰め込んだように――重かった。


 エルフの男がいうには、デジレはロビオラのことをまるであきらめていないらしいそうだ。


 今日現れたのはほんの斥候で、大部隊は近場の街で着々と準備を進めているらしい。


 本日は十五騎であった。

 心配がないわけではない。


 だが、エルフの一部族長が雇える兵の数などたかが知れているだろう。


 今日の夜には見逃した男たちが街にたどり着いても、即出発というような果断な動きは考えられない。


 俺という存在がロビオラさんのバックについていることがわかれば、少しは躊躇し森に乗り込む準備を入念に整えるだろう。


 少なくとも。明日一日くらいは猶予はあるはずだ。


 デジレがそこそこ腕の立つ戦士であろうとも、俺に負ける要素はない。


 だが乞われていないにもかかわらず、仮にも彼女の義弟だった男を傷つけるのはどうかな、と思うのだ。


「そうだ。それに、そのデジレってやつはリコッタの叔父にあたるんだよな……」


 考えれば聞かなくてもいい他人の事情に首を突っ込んでしまった。


 それに、万が一の可能性であるがロビオラさんがデジレってやつの元に帰りたがっている可能性だって捨てきれない。


 女って生き物はとかくもったいつけることばかりが多い。


 好きであっても、一度は誘いを断らなければ気がすまない、あるいはポーズとして躊躇する癖がある。


 三年もの間、手を出さなかったデジレはむしろヘタレであり、ロビオラさんは文字通りの草食系エルフの押しを待っていた可能性も捨てきれない。


 となると、彼女が俺をあの場から遠ざけたがった意味もわからなくもない。


 うあああっ。


 頼ってくれ「キリッ」なんてこっぱずかしいことをなんとまぁドヤ顔でいっちゃうなんて、俺ってば阿呆の極みである。


 俺はムチャクチャに頬がカッと熱くなって、そこいらじゅうに転げまわりあたりの樹木へとガンガン頭を打ちつけ、身体中を掻きまくって悶え苦しんだ。


 そうだよ! あんな美人が俺のようなクマを相手にするわけないじゃんかよぉ。


 ちょっと娘が気に入った動物さんを暇に飽かせて招いてみただけだったはずなのにぃ。


 激しいフラッシュバックが脳裏を次々によぎってゆく。


 ああ。それを思えば、ルルティナたちも俺のことをもしかしたらうとましく感じていたのではないのだろうか。


 自慢げに家を作って見せたりドヤ顔で鹿とかを取ってみせても内心では「クマうぜー。コイツいつ森に帰んの?」とか思っちゃったりなんかしちゃったりしてたかも。


 今では、帰って来なくてせいせいしたわー、シロクマさんマジでうざかったわーとか姉妹でいい合っているのかも。


 ごめんね三つ子ちゃんたちごめんね。


 思えばもふもふ行為も押しつけがましかったかもしれんし。


 ララたちも外面を取り繕ってはいたけど、本心では「シロクマくっさ……でも気を使ってクンカクンカしとこっ」とか姉妹でいい合ってたのかも。


 いい出しにくい雰囲気勝手に作ってごめんね。

 どうしよう。なんか鬱オーラが全開になってきたわ。


 シロクマになってストレスフリーでも今日も元気だ酒が美味いガハハとか思ってたけど、今は懐かしのログキャビンが魔境に思えてくるよ。


「いかん。なんでこんなマイナス思考になってるんだ。変な電波攻撃受けてるとしか思えんぞ」


 俺は超自然に帰って邪悪な想念を払拭するため、ざぶざぶと川に入って身を清めた。


 シロクマ熱量が凄いので冬に近い季節でも水に漬かってもダイジョブなのだ。


「ううう、うるるっ」


 バシャバシャと身体から水気を切って、落ち葉の上で結跏趺坐を組もうとしてあきらめ、それっぽい形で座って精神を統一する。


 木の葉の音、鳥の声、虫の鳴き声、虫の鳴き声、虫の鳴き声……って後半虫ばっかじゃんか!


「うっざ……! 虫、うっざ!」


 俺は秋の虫たちにいわれのない悪罵を投げつけることで精神の均衡性を保持した。


 それにしても偽とはいえ近親婚は複雑だろうな。


 ロビオラさんの気持ちに自分をシフトしていって再び鬱状態になりそうだったのでやめた。


「それよりも今は、家のことだよ」


 この前は鹿を追っかけて行って帰るのを忘れちゃったとかいっちゃったから、今度はどうやって取り繕おうか。


 釣りに行って川に落ちて記憶を失った……どこの若人あきらだよ!


 ダメだ。自分で自分の行動がよくわからんくなってきた。


 あのことづてを頼んだ使い魔もハゲタカくんにゲットされたっぽいしな。伝言が伝わってない可能性は大だ。


 そろそろとあたりを見回しながらログキャビンに灯ったわずかな明かりが今は憎い。


 起きてらっしゃりますのね。そうですね。


 時計もスマホもないので今がなんどきかはわかりにくい。


 体感的には夜の九時くらいかなー。

 よい子もわるい子も寝る時間なんよ、ぷんぷん。

 もうこうなったら全力で謝るしかないな。


 そうだね。そもそも「アンタ誰やねんな」っていわれる可能性が高いのだが。


 怒られたくない責められたくないという気持ちが、かつてなく高まっている。


 他人にどうこういわれようとどうも思わないが、身内に責められるのはちょっと……。


 俺は意を決して坂を超速で登りはじめた。

 奇襲だ。先手を打つには奇襲しか手はないもんね。


 丸太小屋からガサゴソと動く気配と音が聞こえて来る。鋭敏な聴覚にことのきばかりは感謝していいのか悪いのとんと見当もつかない。


 どりゃあ、とばかりに扉を開くと呆気にとられた表情のルルティナたちが凍りついたように固まっていた。


「ただいま!」


 結局のところ思考が凍結した俺の口から出た言葉は、なんてことのない普通のあいさつだった。


 ルルティナは夕飯の途中だったのか、手にした椀をごとりと落とした。


 ときが止まったように全員がその場を動かない。


 軽い怯えでケツ穴がきゅるるという前にルルティナの可憐な唇がもごもごと動いた。


 ものをいわない。

 いいや、ショックが強すぎて口が利けないのだ。


 ルルティナの瞳へとみるみるうちに涙が盛り上がってゆくのを見て、酷く、後悔した。






 私、今度こそ本当になにか間違ったことをしでかしたのかと思ってしまいました――。


 ルルティナは俺の腹に抱きつきながら途切れ途切れにつぶやいた。


 ほかの姉妹たちも同様である。

 たかだか一日程度離れたと思うなかれ。


 俺の中には帰宅するまでの妙な不安感は見事なまでに弾け飛び、奇妙なほど切迫する使命感と父性愛に似たものが湧き上がっていた。


 まるで幼児のようにすがりついてくる彼女たちは一様に赤子みたくひーんひーんと低く鳴いているのだ。


 病的なまでの依存心であるが、これらを咎めることはできなかった。


 彼女たちの心をそのように仕向けたのは俺の中に確かにあった。


 彼女たちには大切なものを失いたくないという気持ちが強すぎるのだ。


 俺という個人がその枠組みに入っているのはいささか面映ゆいが、よろこびと不安さの両面を見せつけられる思いだった。


 聞けば、帰宅が遅れるという使い魔の伝言を聞いていても思慕は止めどなく、どこへゆくともせず一日中家に籠って過ごしていたという。


 自分は女性を束縛するタイプではないのだが、ここまで思われれば背徳的な考えがゾクゾクと背筋の一端を攀じ登るのも無理はないだろう。


 雄というものは元来自分勝手な生き物だ。進歩的を謳ってみてはしても、その実、自分に隷属する存在に征服感を覚えずにはいられない。


 また、細かく彼女たちを観察するにウェアウルフという種族にはそういった習性が強くあることもわかった。


 いうまでもなく、誰かに従っていたいのだ。同性間では力の綱引きはあるものの、究極的には群れのリーダーに従うことを強く求めている。それが読み取れた。


 ロビオラさんという喫緊に迫った事情もあるのだが、当然のことながら家族であるルルティナたちの精神をこれ以上ぐらぁりぐらぁりと揺らすわけにもいかない。


 それに押しかけ用心棒をして、本当に彼女たちのためになるのかわからない。


 支配するものとされるもの。どちらが楽かは比べるまでもなかった。






「もう、勝手にどこかへ行ってしまってはダメですよ」

「はい」


 ルルティナが囲炉裏の前に座っていた俺の背中の毛を梳かしながら、母親のようなやわらかい声で諭すようにいった。



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