32「草原の掟」
ち、ちちちとホオジロの仲間が楽しそうに囀っている。
家の周囲を覆っている結界の外に出ると気候が一変して冬を感じさせる鋭いものであることが思い知らされた。
この季節にしては陽光が強く、樹々の陰に入らなければ十二分にあたたかである。
落葉で積み上げられた自然の絨毯をサクサクと鳴らしながら歩いてゆく。
前をゆくロビオラさんとリコッタは仲よく手を繋ぎ、ときどき俺をちらと振り返り一部の隙も無い親子愛を見せつけてくれた。
細い道は、彼女たちが幾度も通行したのだろう。満遍なく踏み固められていて、国有の遊歩道のように歩きやすかった。
ロビオラさんはクリーム色のゆったりとしたローブ。リコッタはトンガリ帽子に黒のドレスを着て、首には暖色のストールを羽織っていた。
「クマキチ。そんな歩きかたじゃ日が暮れちゃうわよ」
リコッタは鈍重とも取れる俺の歩調に業を煮やしたのか、くるりと反転してとてとてと駆け寄ると、ちっちゃな手でぐいぐい俺を引っ張ろうとする。
しかし体重が違い過ぎるのでびくともしないんだよなぁ。
そのうちにリコッタは「わーい」とはしゃぎながら俺の腕にぶら下がってふざけだした。
仕方ないので引きずって歩くとロビオラさんが助け舟を出す……かに見えて空いていた左に自分の腕を絡めてきた。
「リコッタはしょうがない子ね。じゃ、お母さんはこっちをいただいちゃうから」
キュッと身体を寄せてくるので豊満なふたつの膨らみが……いいね!
かくして俺は両手に花を地で行く様相でふたりのレディを携え獣道をゆく。
目指していた丘は正味一時間ほどの距離であった。
無風である。春のように緑が美しいわけではないが、こういった日当たりのいい日であるならば、外でランチをいただくほうが開放的で美味いのは共感できた。
俺は背負っていたムシロを敷くと、両脚を投げ出してどっかと座った。
「待っててくださいね。今すぐ、準備しちゃいますから」
ロビオラさんがすぐに簡易的なカマドを拵えるとヤカンに火をかけはじめた。
得意の茶でも馳走してくれるのであろう。アイボリーの茶器が色彩の乏しい秋の風景の中で一際光彩を放って見えた。
妙にリコッタが静かだと思ったら、彼女は草に這いながら目の前のバッタを捕まえようと苦慮していた。
片目を閉じつつそっと華奢な腕を伸ばしている。
私見ではあるが、バッタというものはどこか鋭角な姿をしており、人工的な造形美を感じてならない。
角ばった胴は近未来的な機械を思わせるし、四肢の曲がり具合つき具合もどこか工学的要素をふんだんに保っている。
「やたー。つかまえたわよっ」
あらあら。トンガリ帽子の魔女さんはそのようなものを捕まえてどのように致すおつもりなのでしょうかね。
俺が鼻をフンフン蠢かせながら漂って来るロビオラ紅茶の香りを楽しんでいると、リコッタは捕まえたバッタを口元へと近づけてくる。なんと面妖な……なにがしたいねん。
「食べる?」
「……いらないよ」
「ふーん。つまんないのっ」
いったいこの子は俺のことをなんだと思っているのか。
リコッタはととっと離れると草むらにバッタさんを返してあげたみたいだ。
それにしても子供ってのは平気で虫に触れるよな。
俺もガキの頃はなんの躊躇もなくあらゆる昆虫さんを素手で捕まえていたのだが、長ずるにあたってなんだか苦手になってしまった。
この現象はどういう意味を持つのだろうか。今はシロクマだが、虫さんはやは苦手なのだよ。動物を捕らえて捌くのは平気なんですけどね。
「さ、昼食にしましょう。リコッタは、ちゃんと手を洗うのよ」
「はーい、お母さま」
そうこうしているうちに準備が整ったのか。
俺たちはロビオラさんの手料理を囲んで、お待ちかねのランチタイムに突入した。
基本はサンドイッチで、中身は新鮮な野菜やハムにチーズが挟んである。
おお、なんというか現代回帰した思いがあるな。
庭のニワトリさんを〆てくれたのか骨付き肉さんのお出ましだ。
ぶっちゃけ身は少なめのなのだが味わいはどこまでも上品なのである。
「ふふっ」
カップを両手で持っていたロビオラさんが俺を見て不意に笑った。
なんだろうか。なにか、このクマが不作法でもしでかしたのだろうか。心配になってしまうのだが、明るい笑いなので問題はないのだろう。
「すみません。ただ、クマキチさまがカップを持つと、なにかオモチャみたいで」
ま、身体のサイズがまるで違うからな。俺が人並みのサイズで食事をすると、どこが戯画的な部分があってそれがロビオラさんのツボに入ったのだろう。
だいたいマグカップですらお猪口のように見えるもんな。
「お母さま。人のお食事を見て笑うのはいかにも不作法ですよわよ」
リコッタが巨大なバケットと格闘しつつ実母を嗜めていた。
「はーい。リコッタ、お母さんが悪かったわ。すみません、クマキチさま。ついつい」
いやいや。気にしないでくださいよ。俺がそういうとロビオラさんは片目をつむってペロッと赤い舌を出す。かわえぇな。
おおらかな母性と童女のような無垢さが同居しているロビオラさんにはなにをされても許さなければいけないという不文律がこのシロクマめに生まれはじめている。
それにしても森の生活はとてもよいものだなとあらためてしみじみ思うものだ。
あらゆることがらが明快に純化されている。
食って寝て遊ぶ。
老子が「功を絶ち利を棄つ」といったように、人はものを作る技術を棄て商業行為をやめ不必要な根源的欲望を廃絶することによって心の安寧を得られるとした思想に今は深く共感できそうな気がしてならない。
腹が満ちたことで、喉から「くあっ」と勝手にあくびが漏れた。
――平穏を打ち破ったのは彼方から響いて来るわずかな馬蹄だった。
「どういたしました?」
俺の表情が一変したことに気づいたのか、ロビオラさんが怪訝そうに眉をひそめた。
聞こえる。犬と同等以上の鋭い聴覚を持つ俺にだけ聞こえる不穏な音だ。
エルフである彼女らも常人よりかは音に関してすぐれているのだろうが、クマほどではない。
俺が耳をそばだてていることに気づいたのか、リコッテも母親を真似して特徴的な長耳をぴくぴくと蠢かせていた。
「来るぞ――」
俺はのっそりと立ち上がるとふたりをかばうように仁王立ちになった。
もう誤魔化すことはできぬほどの野山を駆ける巨大な生物たちの動きが目の前までやって来ていた。
林の木々を割って飛び出して来たのは騎乗したエルフの男たちだった。
一様に美形である。白い肌に動きやすい胡服を着た男たちは手に手に武器を持ってたちまち俺たちを逃がさぬよう扇状に広がった。
隙が無い。森で戦ったロムレスの兵たちよりも、その強い生物としての存在感は向かい合っているだけで匂い立つようだった。
型で切り取って作ったように精巧な顔立ちをどいつもこいつもしていた。
蝋人形のように精巧で一般的には美男子なのだろうが親しみやすさは微塵もないのだ。
俺からいわせれば洋犬のような凶暴さのある悪意を形にしたとしか思えない。
数は全部で十五騎。訓練が施されているのだろう。
クマである俺を前にしてもたじろぎひとつしない馬たちの練度は相当に高い。
男たちにしてもそうだ。二メートルを超えるシロクマが二本足で立っているのだ。
圧力を感じていないはずはないのに、彼らは俺程度の獲物など珍しくもないといった顔つきで淡々と手にした武器を持ち狙いを定めていた。
「ロビオラだな。我らのことはいわずともわかっているようだが」
馬首を進めた白馬に乗った男が冷え切った口調で淡々と問うた。事実を確認しているという意味合い程度しか読み取れない音の乾きだ。
「あなたたちは。デジレの手のものですね。本当に執念深い」
「お察しの通り仕事なんでね。悪く思うなよ。勝ち馬に乗れなかった俺たちが食っていくには仕方がないことだ。あのお方に近かったほど冷遇されている。それはアンタにも理解できるはずだ」
男が剣を鞘ごとはずして空に突き出した。見たことのない不可思議な文様だ。
だが、ロビオラさんには見覚えのあるものだったのだろう。噛みつくように大声を出した。
「情けないとは思わないのですか。元同僚の妻を猟犬のような扱いで追わされて……」
「敗者は勝者に従う。それが草原の掟だ。これ以上は語る口を持たない」
語る口を持たないといっているのにもかかわらずけっこう喋っている……!
いや違うそうじゃない。問題はそこにない。
一番重要なのは、この俺がいることをまったく無視して話が進んでいっているということが問題なのだ。
クマはけっこうさびしがり屋だぞ。
「ちょっと待ってくれ。ロビオラさんも、そこの男も。だいたいに人の食事中にいきなり割り込んできて不穏な雰囲気を展開させないでくれ。
あ、そうだ。アンタたちも腹減ってるんだろ。まだ、食事は残ってるからさ。いっしょにサンドイッチなぞはどうですかね」
そっと手にしたカップを前に出す。有無をいわせず後方のひとりが矢を放って俺の手からアイボリーのカップを叩き落した。
にゃろう。
こっちが歩み寄ってるのに全力で拒絶かよ。
「クマキチさま、この男たちの話はあなたには関係のないことです。どうか、席をおはずしください」
ロビオラさんが痛々しい目で俺を見た。
くそ。こいつらのせいでかかなくてもいい恥をかいてしまったぞ。
どうしてくれようか。
「白いエルムの男よ。おまえとこの女がどういう関係かは知らぬが危険そうなことには不用意に立ち入らぬことだ。そうすれば、長生きというものができる。ケモノにはそれが一番大切だろう」
大切だろうといわれても、まるきりそれが男のいうとおりとは思えないのだ。
ちらと横目で蒼白のまま棒立ちになるか弱き夫人を目にする。
「なにが大切か、そうでないかはアンタになんぞ決めて欲しくはない」
「クマキチさま、おやめください!」
右足を半歩前に出して身体を斜めにする。
右拳をゆるく握って側頭に置きつ左手の肘を軽く曲げたまま左脇にぴたりと着けた。
「さがっていてくれ。ロビオラさん。話はあとで聞くよ」
いい終わらないうちに半包囲していた男たちが矢を放った。
「風よ――!」
ロビオラさんが激しく叫んで風の魔術を詠唱する。
吹き荒れた烈風が男たちと俺の間に出現してたちまち放たれた矢を絡め取った。
男たちは臆することなく二の矢を装填すると矢継ぎ早に放った。
狙いは彼女たちではなくあくまでも俺。
構えを解かずにいる俺の急所を狙って撃ち出された矢は再び彼女が解き放った風で打ち消されるが、彼らは射撃を止めようとしない。
「お母さまっ」
幾度かの攻防ののちロビオラさんの貧弱な魔力は底を突いたのか、激しく咳き込みながら両膝を突いてしまう。リコッタが狼狽しながら駆け寄ってすがった。




