31「母娘でチョロい」
ほんのりとインターバルを置いて。
食後はなにごともなかったかのように、ロビオラさんの淹れてくれたお茶を飲んで過ごした。
なにげに膝の上にリコッタが乗って来るのはいいとして、その熱っぽい上目遣いはどうよ。
またもや、ロビオラさんの危険探査機が発動しちゃったじゃないのさ。
シロクマはロリじゃないよー人畜無害だよー。ちなみに繁殖期は夏くらいなので至極安全なり。
ま、クマはクマなんだけどさ。まだ、前世の人間感覚が薄れていないっていうか。
ぶっちゃけていうと、ロビオラさんの胸の谷間にチラチラ目が行くんだよね!
ロビオラさんは大人だから、知ってか知らずか、わざとクマのそばで「あら、こんなところに……」とかいってゴミを拾い上げるフリ(またはサービス)をしてくれるんで、ややもするとここの子になっちゃおうかなぁ、とか思っちゃいます。
ただ、茶菓子を食っているだけでも、アレなんで……ってことで三人でカードゲームもやってしまった。
日本のものとは札の種類とかルールが違って、最初は上手く呑み込めなかったんだけど、リコッタが意外に説明上手で頭がポンコツなクマにもテーブルゲームは楽しめました。
「って、もしかして相当に遅くなっちゃったっ?」
俺が膝の上ですうすうと寝こけているリコッタに目を落とすと、その事実に愕然とした。
やばい、ルルティナ子ちゃんとその一党にシバかれる。
リコッタを送って来るだけなら、夜にでも帰れる的な雰囲気だったし。
いや、彼女たちはやさしいから怒ったりはしないだろうが、あれだけのこといっておいて無断外泊はマズい。
「あら、クマキチさま。どちらへゆかれるのですか? ただいま寝所の用意をしますので、しばしお待ちくださいませ」
俺がリコッタを居間のソファに寝かせて身支度を整えていると――といっても腰袋を通したベルトを巻く程度――ロビオラさんが不思議そうな顔をしていた。
どうやら俺がこの時間に帰るなどとは微塵も思っていないらしかった。
「いや、すっかり世話になっちゃったけど。そろそろお暇させてもらいますよ。今日はいろいろご馳走になっちゃってすみません」
「そんなぁ。こんな夜遅くに森歩きは危ないですよ。朝まで待って帰られたほうが、安全に決まっていますし――それに」
「それに?」
「その、泊まっていっていただければ……クマキチさまと、朝食もごいっしょできますし」
フオオオッ! ロビオラさんは恥ずかし気にそっと頬に手をやって恥ずかしげに視線を逸らし、わずかに身をよじっていた。
美貌のエルフ未亡人にここまで懇願されて断れるほど俺は木石ではなかった――。
許せ、ルルティナたちよ。今日は黙って一泊しちゃうんだもんね。
「じゃ。じゃあお言葉に甘えて」
「あ、わたしが運びますから」
俺がひょいとリコッタを持ち上げるとロビオラさんが慌てて寄ってきた。
彼女はバランスを崩して躓くと俺の胸に飛び込んで来る形となったが、もふもふの毛皮で受け止めるよ!
「きゃっ」
おっと意外にかわいい声だ。ま、本来なら大学生くらいの歳だからな。おっちゃん、自分の加齢をしみじみ感じてしまうぜ。
「あ、あの。すみません。クマキチさま」
ロビオラさんは、申し訳なさそうにつぶやいて俺の厚い胸板に手を置くが、いくらか逡巡して離れるのを躊躇している。なんぞや?
俺がリコッタをひょいと抱え上げていると、ロビオラはそのまま真っ白な自家製もふもふの中に顔を埋めジッとしている。
ちょ。恋人同士でもないのにこの距離は恥ずいぞ。
ルルティナさんたちのような、未成熟な少女とはまるっきし違う大人な女性なのでシロクマといえどちょっと意識してしまう。
「少しだけ、このままでいいでしょうか?」
「あ、はい」
こっちとしては特に断る理由もないもんね。
彼女はぬいぐるみに頬ずりをするように、俺のふかふかさに抱かれたまま、そのままずいぶんと長いことそうやってジッとしていた。
これで艶っぽい流れにならないのがシロクマである存在なんだよなぁ。
しばらくすると、彼女は俺の胸からそっと顔を離して上目遣いでいった。
「泊まっていってください……」
今度は断ることができなかった。
与えられた一室のベッドで横になる。
野生動物なので仰向けに寝るということはあまりしないが、久々にやわらかな寝具に横たわった快感で意識はすとんと落ちた。
家の作りは相当にしっかりしている。完全に寝入ったわけではないが、とろとろとまどろんでいるとすぐに朝がやって来た。
屋外に出て離れのトイレで用を足した。いかなる技術を用いているかはわからないが、水路の流れに建っているらしい。
久々に文化の香りに触れた気分で外に出ると、昨晩ではわからなかった周囲の情景が一望できた。
ロビオラさんとリコッタの家は極めて抑制の利いた茶系統の色合いで統一されていた。
周囲には木々がぐるりと植わっており、外界からの侵入を暗に拒絶している。
昨晩振る舞われた料理の主を成していた家庭菜園の畑が家のすぐ脇にちんまりとあった。
「まるで、童話の箱庭みたいな家だな」
もはや冬だというのに、まったくもって寒気を感じない。
たぶん、この一帯の空調はなんらかの魔術的要素によって一定に保たれているのだろう。
足元には短い芝が綺麗に刈りそろえられて生えており、一種ゴルフ場を思わせた。
視線を巡らせば庭の端から鶏糞の臭いが漂ってきた。
幾つかの家畜小屋を除けば山羊や羊に馬も多数飼っている。
当然ながら彼らは俺の気配を感じ取るなり狂ったように暴れ出してしまう。
まあ、クマだししょうがないよね。
「おはようございます、クマキチさま。お早いのですね。もう少しゆっくりなさってもよろしかったのに」
「ああ、ロビオラさん。おはよう」
畑で育っている野菜たちを眺めていると、家の裏手から桶を持ったロビオラさんがニコニコしながら寄って来た。
う。なんとなく昨日のことを思い出すと気恥ずかしくもあるな。
俺が柄にもなくもじもじしていると、彼女も俺のもじもじが伝染したかのように、サッと頬をやわらかな朱で染めた。
「あ、あの。昨日のことは、その、忘れてください……すぐ朝食にしますのでっ」
ちょっと待った。桶は重いだろうに。女性に力仕事をさせちゃ悪いもんな。タダ飯くらいも気が引けるし、水運びくらい俺がやるとしようか。うんうん。
「あ、すごい力持ち」
水桶をひょいと取ると手のひらの上に乗せた。シロクマの膂力なら軽い軽い。
「それじゃ、お言葉に甘えて水汲み頼んでしまってもいいでしょうか?」
ロビオラさんは、ぺろっと小さく舌を出すと悪戯げにまた上目遣いだ。
たまらんですよ。
これ意図的にやってるのかなぁ。小悪魔的な雰囲気もあり、俺の中ではGJである。
「おはよーっ。クマキチー!」
「どわっ」
家の扉をガチャコと開けたら椅子に座って足をぶらぶらさせていたリコッタが飛びついてきた。
とはいえ軽量級なのでシロクマの巨体は動じるものでもないのだ。ふはは。余裕で受け止めると、空いた手のほうで頭をよしよししてやった。
「おはようさん。リコッタ。でも、いきなり人に飛びついちゃ危ないからダメだぞ」
「だって起きたらクマキチもお母さまもいないんだもんっ。クマキチが悪いんだからね」
「こらっ、リコッタ。クマキチさまはわたしに代わって水汲みしてくださってるのですよ。いきなり飛びついちゃダメでしょ。めっ」
「きゃー。お母さまがいじめるのぉ」
「もお」
リコッタはロビオラさんから逃げるようなフリをすると、俺の毛皮に顔を埋め込んでもふもふしはじめた。
今日もとってももっふもふだぜ。
んふふ。
羽毛布団よりやらかいだろ。
ちっちゃな魔女っ娘は俺の腹のあたりに、顔をぼふぼふ埋め込ませてきゃっきゃっと黄色い声を上げていた。ほとんどぬいぐるみの扱いだな、こりゃ。
そっと背後のロビオラさんを盗み見ると、人差し指を咥えてなんだかうらやましそうな表情をしているのだ。はは。まさかな。
「あれ? もしかしてお母さまも、クマキチでもふもふなさりたいのかしら?」
「ば、ばかなこといっちゃダメでしょ。いくらなんでも、クマキチさまにそんな失礼過ぎることを……」
と、いいつつもロビオラさんは、超チラチラ俺の顔を媚びるような瞳で見てくるのだ。
兄貴ィ! コイツはとんだ雌犬の顔してやがんぜぇ……!
と、心の中に飼っている邪悪な舎弟一号くんが俺を煽ってくる。
来るかね?
ロビオラくん、君もこれが欲しいのかね?
ふふふ。そんなにもの欲しそうな顔をしてしまって……無理はしないほうがいい。
身体は正直なのだからな。
ふふふ。いやらしい子だ。
それほどまでに、このもっふもふが欲しいとな?
「ああっ。たまりませんわ、クマキチさま。わたしにも、このわたしにもリコッタと同じくあなたのものを味わわせてくださいませ……!」
だから、しょうがないのでくれてやったさ。この毛皮にもふるという至高の快楽をな!
「はぁー。すっごいです。すっごいいやされます、クマキチさまぁ」
「でしょ、でしょ! お母さまぁ、アタシもこれ一日に最低一回しないとダメかも」
ふははは。本当にどうしようもない雌豚の母娘だなぁ。
俺の身体なしには生きてはいけないように、たーっぷりと骨の髄まで染み込ませてやるぜ。
……いや、ただ毛皮でもふもふ遊ばせてるだけですけどね。
真実、親子丼を実現したのはしようがない。俺ってば罪作りな身体だぜ。
クマの毛は本来山ダニがつかないくらい固いはずなのだが、俺のものはふわっふわな上に打撃や斬撃すら吸収するおおらかさがあるのだ。
この寛容さはやさしさを忘れてしまった世間の大人たちに是非とも見習ってほしいものだ。
ロビオラさんの料理上手は昨晩の手並みを見てもわかるように、非の打ちどころのないものだった。
焼き立ての白パンや自家製のマーマレードジャム。
それにシャキシャキお野菜のサラダにあと口の爽やかなコンソメスープ。
一流ホテルの朝食をいただいているようで、自然とスプーンを口に運ぶたび、背筋を正さずにはいられなくなってしまうのが罪だね。
さて。腹もくちくなったところで、いい加減マジでお暇しないとシロクマ的にもウェアウルフのお嬢さま方に申し訳ねェのだ。
結局、情に押し流されて泊まってしまったが、これが男のサガってやつか……。
チェーンソーでまっぷたつにぶった切られませんようにと、家を出てゆく準備をしていると、洗い物のすんだロビオラさんに笑顔で問われた。
「クマキチさま。昼食はなににいたしましょうか? あ、そうだ。今日は天気もよろしいので、三人で森を散策しましょうか。うふ。我ながらよき考えです」
まぶしい。ロビオラさんの無垢な笑顔がまぶしすぎるよ。
どうやら彼女の中では、俺がいっしょにいることはあたりまえのことらしい。
おやおやおやぁ……? ちょっと思い出してみようか。
あ、明確に帰るっていってないかも!
「あの、ちょっといいかなロビオラさん」
「はい。なんでしょうかクマキチさま」
う。初見のときに八つ裂き光輪を放った同一人物とはまるで思えない心の許しよう。
だが、情に棹差している場合ではない。
今こそ、なんとしても帰宅しなければ、脈々と築いてきたシロクマの地位も危ういのだ。
「朝食まで馳走になって悪かったけんども、そろそろお暇しようかなと……」
げ。ロビオラさんは両眼をカッと見開くと白昼に麒麟が降臨したのを目撃したかのような、もの凄い表情になった。ぶっちゃけ怖いぞ。
「そんな……信じてたのに」
おいおい。そんな夫の不貞を見つけた妻のような口ぶりはやめてもらいてぇんですが。
でないと謎の罪悪感で身動き取れなくなってしまうがです。
「今日こそは、今日こそは家族三人でいっしょにおでかけできると思ったのに」
「な! ちょ、ンなこといきなりいわれたって」
ロビオラさんは両手で顔を覆うとメソメソし出した。
――ま、あきらかに嘘泣きだってわかってるけど、こうまで引き留められちゃ俺の豆腐よりもやらかいメンタルじゃ耐えきれないぜ。
「無理いわないで聞き分けてくれよう。家の者も心配してるだろうし……さ」
「あ、それなら大丈夫ですよ。わたしが使い魔を送って、クマキチさまの帰宅が遅れる旨を伝えておきますから」
ロビオラさんはさっと立ち上がると、口元の前で人差し指を細かく動かした。
ほどなくして、どこからともなく現れた小鳥が俺たちのすぐそばをぐるーりぐるーりとゆるいスピードで旋回する。
「なんじゃこりゃ?」
「わたしの使い魔です。伝言程度ならば、クマキチさまの足取りをたどって家まで届けることができますよ」
なんとも便利なもんだが。さすがファンタジーだ。
「さ、クマキチさま。家の方にことづてを」
え、ええと。この小鳥に向かって喋ればいいのかな?
電話もメールもないって不便だな。
「え、えっと。俺だ、クマキチだ。ワケあって帰るのいくらか遅れるけど、俺は元気ですから、あまり気にしないで待っていてください。それと戸棚にあるおやつはアルティナにあげてください。日持ちがしない菓子なので」
使い魔の小鳥は、ぴぴっと鋭く鳴くと彼方の青空へ消えていった。大丈夫かな。
あ、ハゲタカみたいなのが、強烈に追尾しているぅ。
小鳥さんの運命やいかに!
これ、ホントにダイジョブなのォ?
ロビオラさんはあきらかに見なかったふりをしていた。おいおい。
「じゃ、これで心置きなくいっしょに過ごせますね」
どうやらロビオラさんは、当初の俺が思っていたよりもずっとお茶目な人だったみたいだ。
俺は観念してもうしばらくこの母娘につき合うことにした。




