03「犬耳娘を救え」
幾つもの繁みを掻き分けて、こちらの匂いがあちらさんへと届かぬ地点に陣取った。
木の間をすかして窺うと、そこにはなにやら鎧武者のような恰好をした人間たちが隊伍を組んで移動しはじめていた。
山梨では春になれば信玄公祭りを毎年行っているが、こんなまるで人気のない場所でパレードの練習をするとは思えない。
俺は機転を利かせて風下に回ると、男たちがよく見える位置でさらに観察を深めた。
騎馬武者ではあるが、なにかおかしかった。日本の武士のそれではない。むしろ西洋騎士のような佇まいがあり、コスプレをしている人たちはどうやらすべて白人ばかりである。
軽く混乱しながら男たちの隊列を追っていった。飛び出して話しかけてみたい。
ここがどこであるだとか、今は何月何日であるとか。
ま、要するに俺は他者との会話に飢えていたのかもしれない。
だが、間もなく俺は彼らについていったことに後悔する。
男たちの会話の意味はあまり聞き取れなかったが、どうやら狩りを行っていた最中だった。
惨劇はすぐさま起きた。森の中を行進していた先頭の隊長が繁みから飛び出して来たなにものかによって、すぱんと首を斬られたからだ。
強烈な血臭がパッと広まった。あろうことか俺はその匂いに、恐怖よりも食欲を強く感じていたのだ。
貧すれば鈍するというが、まさか人間の肉を食べたい思うなんて……!
だが、戦闘はほどなく終結点を迎えようとしていた。
途切れ途切れに聞こえてきた情報によると、少女はウェアウルフという部族で男たちはこの地を統べる領主が遣わした軍勢らしい。
ここまで聞けば、世界が日本ではないということは鈍い俺でもわかってしまった。男たちの使っている単語を拾い集めると、為政者側はロムレスといい、少女は地方の少数民族らしい。
ぶっちゃけ人が刃物を使って斬り合いするのを見るのははじめてだったが、どう見ても男たちのほうが悪者だとしか思えない。
そう断じてしまうほど、追いつめられていた少女は美しく可憐ではかなげだった。また、少女が黒髪で黒目であったことも俺が一方的に肩入れしたくなる理由のひとつだった。
俺にはひと回り年の離れた女子高生の妹がいる。山バカだった俺はよく近場の低山にハイキングに連れて行ったことを思い出し、じんわりと胸にあたたかいものが広がっていった。
少女は善戦したが衆寡敵せずといったところか。
十九対一なら、俺が加勢してやっても問題はないだろう。
気が大きくなっていたのか、それともこの巨体はこのようなときのために天から授けられたのか――。
俺はまったく無防備だった男たちの後方に跳び出すと、腹の底から満身の気合を込めて雄たけびを上げた。
山砲が巌を砕くような激烈な咆哮だ。
「怪物――!」
「クマ? 白い悪魔だ――ッ!」
騎士たちが乗っていた馬たちは俺の殺気に気づくとたちまち恐慌に陥った。
残っていた四頭の馬は乗り手を振り落として、四方へと遁走する。
「あ、あ、あ……」
槍を手にしていた兵たちはその場にへたり込むと、茫然とした表情でその場に失禁し出している。濃いアンモニアの臭気で嫌でもわかった。
頼む。このままその子を置いて立ち去ってくれ――!
「ば、バカな……たかがクマ一匹、なにをやっていやがる! 斬り殺せぇえええっ!」
少女を襲っていた男が剣を振り回しながら残っていた仲間の士気を鼓舞した。
ええっ! ここは逃げるべきでしょうがっ。
俺だったら逃げてるよ、こんなバケモン目にしたらさぁ。
ぶっちゃけ世界観とかまったくつかめていないまま、俺は生まれてはじめて他人と命のやり取りをすることになった。ひえええんっ。怖いっ。
だが泣きごとをいっていても相手は手加減をしてくれそうにもない。オロオロしているうちに、一番近くにいた歩兵が鋭い槍を突き出して来た。
こんなもんに刺されたら千年目だ!
俺は怯えながら槍の穂先を爪を振るって思いきり叩いた――同時にタックルだ。
ほとんどやぶれかぶれである。身体になにかがチクッと来たような気がしたが目をつぶって一気に駆け抜けた。ええい、ままよって感じだ。
とにかくシロクマであり糞重いこの身体だ。真っ直ぐぶつかっていけばなんとかなると無理やり思い込んで突進突進、また突進だ。
気分的には隊列のど真ん中を突っ切ってある程度のところで反転し、いわゆる電車道をとことん愚直に、それはもう馬鹿のひとつ覚えのように繰り返した。
絶叫と悲鳴と怒号が繰り返され、やがて深い静寂が満ちた頃には身にちくちくするような攻撃がようやく止んだ。
深い安堵とともに吐息を吐き出した。
「カミサマ、森の守護神さま」
ほえ? 少女のささやくような声で目蓋を開けた。
黒髪の少女は目元に涙を浮かべたままくたりと気を失った。
あ、おいっ。怪我はない――みたいだな。うん、よかった。
それからおそるそる背後を振り返ると、そこには大型ダンプでも通ったような凄惨極まる轢死体があちこちに転がっていた。
「げ! スプラッタ!」
今どきロメロ監督の映画でもなきゃ見られないグロさだ。気分は俺の肉で窒息しちゃいなさいよね! っていう感じだ。なぜツンデレっぽいのかは謎だ。
ええと、ええと。俺戦ったつもりはないんだよね。
ただ、勢いでタックルかましただけなんだが。え? なにこの無双過ぎる光景。
まさしく「体重+スピード=強さ」を体現した勝利の方程式である。
落ちていた血塗れの甲冑を拾い上げ爪で弾くとカチンカチンと硬い音が鳴る。
うん。間違いなくちゃんとした鋼だが、このホワイティボディの前では紙装甲だな。
あまり勝利した気分にはなれない。むしろ弱っちい羽虫をプチプチ潰したような、イヤーな感覚だ。
にしても美少女だなぁ。俺は気絶中の美少女ちゃんをしげしげと眺めながらおかしなことに気づいた。
アレ……? なんか、妙なもの頭から生えてない?
むむむ、と考察する。こういうコスが流行っているのかもしれないが、ボヤボヤしていると殺人クマとして街衆から山狩りに合う恐れがある。
「その前にちょっとだけ」
美少女ちゃんの頭上に生えた犬耳をぽよぽよと触ってみた。うん。昔飼っていたレトリーバーのような感触で、ちょっと楽しい。てか、これって本物の犬耳だろうか。
「ん……あふ」
犬耳少女ちゃんは妙に色っぽい声を出すのでドキッとした。
冷静に考えると二十八にもなるオッサンが少女の身体を触るって性犯罪事案だよなぁ。
だがこのまま犬耳ちゃんをこの場に放置するのも気が引ける。
悪者部隊の援軍が到着して無防備美少女ちゃんが攫われたら仏作って魂入れずだもんよ。
俺は失神状態の犬耳ちゃんを抱えると速やかにその場から充分離れた場所まで移動し、なるべく虫とかに刺されない位置を選んでリリースした。
グッバイ、犬耳ちゃん。強く生きるんだよ。
で。さてさて。今回情報こそ入らなかったが、俺ことシロクマが斃した敵からゲッツした荷物からは色々お役立ちしそうなナイスアイテムを手に入れることができたのは僥倖だった。
なんと彼らは武器や医薬品、それに乾燥肉やビスケットといった携帯食料のほかにも、今の俺に必要なアレを持っていたのだ。
火打石と油である。
もうこれさえあれば火をつけるのに困らないぜベイベー。
いや、時間さえあれば木と木をこすり合わせるいわゆる「弓切り式発火装置」原始人が摩擦熱で火を熾すアレを作ることも考えなくはなかったんですが、実際簡易胃的な火打石のほうがぜんぜん楽だし……。
まず乾燥肉とビスケットを残らず喰らった。もう、それはむしゃむしゃと。
俺の胃袋は宇宙だ! 残っていたチーズとかもう、バランスとか考えずに咀嚼して文化の味に舌鼓を打ったのち、リベンジとして川魚を焼くことに再び挑戦した。
前回と同じくガチ漁で川魚を確保(今度は四十匹もとれた!)すると乾燥した木切れを集めて、周りを小石で囲みその上に調理台となる平たい石を置いたのだ。ふーははっ。
んでんで、石をじゅっくじゅくに熱したのち魚を順番に置いてしまえば宴がはじまるんだぜ、ひゃっほー!
酒がないのがちょっと悲しいがシロクマさんの初BBQだ。大地も祝ってくれているだろう。
こんがりと焼けた川魚に兵隊さんから奪った塩をぱらぱらりしてかぶりつくともう、ほっぺが落ちるほどおいしーぃの!
「うまっ、これめっちゃうまっ! はふはふっはもふっ」
冷静に考えると晩秋の河原で魚の石焼きをひとり楽しむ孤高のシロクマってシュール過ぎてほとんど怪談のたぐいのような気が……ま、まあ細かいことは気にしない。
でも、マジウィスキーとか飲みたいっス。
今回特にありがたかったのは塩気だ。
山中では塩が貴重品である。猟師は適当な場所に小をして土をかけて置き、それを舐めに来たタヌキやキツネなどの野生動物を取ったという。小便壺の塩を猟師小屋までわざわざこっそりぺろぺろしに来る野犬も珍しくはない。塩は自然の中では岩塩などが存在しない地域では金と同価値なのだ。
俺はパチパチと弾ける火の粉を見ながら、そっと自分の手のひらをかざしてみた。
クマなんだけど、意外に器用な動きができるなぁ。
厳密にいうと、指の一本一本の長さも野生のそれとはちがって細かな動きができるようになっている。
ホント、これってなんなんだろうなぁ、と思いながらも夜は更けてゆく。
「うるるっ」
朝だ。
クマ職人の朝は早い。というか、昨日は河原でたき火したまま寝てしまったのでさすがに寒気が強かったが、このたっぷりした毛の前ではどうということもないぜ!
しばらく細かな石の上でごーろごーろする。腹さえくちくなってしまえば、特にやらなければならないこともないんだよなぁ。
とりあえず勤勉な俺は再びガチ漁に励むことにした。うむ。お魚さんがバカなのか、それともすなどられるとい意味を理解していないのか、アホみたいによっく取れる。
朝飯も取った魚を石焼きにして食した。食後のデザートはそのへんで適当に摘んだ山ぶどうとか、ちょっとよくわからないピンク色の木の実だ。名前もわからないものを喰らうのは怖いが、ゼリーみたいで軽く弾力があって美味いのだ。やめられないとまらない。
天気は快晴だ。
なんとなく身体が不潔のような気がして水浴びを積極的に行うことにした。
寒さはあんまり感じない。ゆっくりゆっくり瀬に入って、ある程度のところで身体を浸した。うむ、たいそう気持ちがよく爽快なり。
身を清くしたあとは、河原に上がってぶるんぶるんと水分を吹き飛ばした。
犬がよくやる気持ちがわかるな。これってかなり楽しいぞ。
るんるん気分で森に戻った。ぴちぴちぱちぱちと小鳥たちが歌いざわめく。
昨日の戦いは幾つかのサジェスチョンを俺に与えてくれた。
触らぬ神に祟りなし、だ。
本来野生動物は己が生きるため以外には殺生を行わないはずだ。
そういった点からいえば、シロクマビギナーである俺の行動はどこかはずれていた。
左右をきょろりきょろりと見渡し安全を確保しながら移動を続ける。
それでも俺はそいつの接近を許してしまった。
「え、えと……こ、こんにちは」
なんというか同じクマなのであるがあきらかに違う種といわざるをえないデカさだった。
俺の身体は確実に二メートルを超えているのだが、そいつは少なめに見て倍はあった。
全身から発している殺気がこうして向かい合っているだけでもビンビンと腹に響く。
黒い山がうねっているように、そいつは四つん這いのままこっちを睨んでいた。
赤く輝く瞳はこちらを完全にエサであると決めつけているのか、親愛のカケラも感じさせないものだ。
胸から左肩にかけて走っている白い体毛はまるで死神の鎌のように見えた。
「こいつ……マジでクマかよッ」
そもそも脚が六本もある。巨木のような腕がのしりのしりと動く。全身の毛が逆立った。
気づけば俺は両手を構えて低く唸っていた。そうせずにはいられない相手なのだ。
――どうやらはじめて会った同種とは仲よくできなさそうだ。
俺たちは互いの中間地点に舞った木の葉が地に触れたとき同時に地を蹴ってぶつかった。




