24「魔女っ娘エルフ現る」
雑食性であるクマや猪と違って鹿は完全な草食性――ベジタリアンである。
鹿は猪に比べて捕らえられたあと、肉は捨てられたり埋められることが多い。
それは猟師の基本的料理である単純に焼いたり煮たりする調理法に鹿肉が合わないからだ。
肥育された牛は焼いても充分にやわらかいが、山谷を駆けまわって筋肉を日々酷使する鹿の肉は赤身がたっぷりで、焼いただけでものすごく固くなるのだ。
俺は木々と草むらの影に身を伏せて、獲物が通りかかるのをジッと待った。
シロクマの肉球はぶ厚く、意識せず移動しても音を立てない効果がある。
もっとも雪がまだ降らないこの森では目立つ白毛は狩りのハンデでしかないのがツラい。
なぁに、目立つハンデはあり余る体力とスピードでカバーするさ。
今回は隠密行動を主とするので誰も連れずに森に入った。
この巨体、偽装するのは難しいので必然的に距離を取るしか方がない。
息をひそめ、森の一部になったつもりで待った。
先日、仕掛けていた括り罠が見事に破壊されていた。
この森で猟を行い続けてはじめての経験である。
獲物の足跡からそれが鹿だと理解できたのは、数秒を有した。
とてつもなく巨大な足跡なのだ。
場合によっては壮絶な格闘戦も想像しておかねばならない。
鹿の角は場合によっては鋭利な槍の穂先以上に驚異的だ。
これに貫かれて死んだ猟師の話はよく聞いている。
ぶっちゃけ鹿肉はそれほど好きではないが、この森には猪なんかよりもずっとたくさんいるのだ。
群れを養うためには殺生を厭うことはできない。
ここは平和な日本ではなく、欲しいものが好きなだけスーパーで並べられているわけではない。
自ら手を血に染めて命を繋ぐことが、どれほど労苦を伴い貴いことか。
とかなんとかいっているうちに、俺の狩場付近の草むらに獲物が姿を現わした。
デカい。
縮尺が狂ってるんじゃないかと思うほどの大物だ。
少なくともパッと見の体高は俺よりかデカい。
間違いなく三メートル近いだろう。
体長は四メートル半か。
下手したら五メートルに達してんじゃないだろうかというデカさだ。
ヘラジカに近い性質なのだろうか。
角は巨大だが、むしろ動きにくそうな印象がある。
大鹿は鈍重そうな動きで平然と草をもしゃもしゃやっている。
しめた。こっちにまったく気づいていない。
俺は慎重に低木の枝葉を揺らさぬよう、木々を縫って忍び寄ってゆく。
三〇メートル。
二〇メートル。
一五メートルほど接近したところでそれは起きた。
俺がひそむ反対方向の木々の合間から目もくらむような閃光がほとばしった。
カッと雷光のような赤い炎が大鹿のどてっ腹に突き立った。
もの凄い音が鳴って真っ赤な光が弾けて大鹿は横倒しになる。
あまりの急展開さに頭がついていかない。
「は! やったわね。このリコッタさまの魔術にかかれれば、アンタなんてちょちょいのちょいなんだからぁ」
その場に硬直した俺を嘲笑うかのように倒れた大鹿目がけてひとりの少女が草むらから飛び出した。
灰色のトンガリ帽子に灰色のマントを翻して現れたのは、まだ幼さが残る少女だった。
「へへんだっ。アタシの魔術はどんなもんよっ。これでお母さまもアタシが一人前だってこと認めざるを得ないんだからぁ」
おとぎばなしに出てくるようないでたちをした少女は、誰もが思い浮かべるような魔法少女っぽいカッコをのまま自分よりもおっきな杖を持ってぴょんぴょんとその場で跳ねている。
彼女はロングスカートの裾を手に持って大鹿の上に乗るとご満悦の表情で胸を反らしていた。
「あ、あらっ?」
もっとも少女の優位性が保てたのはそこまでだった。
「んきゃあっ!」
気絶していた大鹿は腹の上に乗っていた少女を振るい落とすと、疾風のような速さで一目散に駆け去っていった。
なんというか言葉も出ない。
俺は地に転がって目を回している少女にのそりと近づき上から見下ろした。
アルティナと同じくらいの年頃だろうか。
突如現れた魔女っ娘は、たぶん火の魔術を使ってあの大鹿を仕留めようとしたのだろう。
しかしあの逃げっぷりから見かけは派手であったがロクにダメージを与えていないことがわかった。
「お、おい。だいじょーぶか。怪我はないか」
かがみ込んで落ちていた木の枝でツンツンと突いた。
つーか、俺は狩りをこの見知らぬ魔女っ娘に邪魔されたんだよな。
野生動物としては怒りに打ち震えてこの娘を折檻したほうがいいのか悩むところだが。
「うぅん。……は!」
魔女っ娘は大の字に伸びていた状態から目を覚ます。それからひと呼吸置いて俺の存在に気づくと目をまん丸にして激しく震え出した。
「う、うううっ。来ないで。来ないでよっ。それ以上こっちに来たらアタシのハイパー魔術が大炸裂しちゃうんだからねっ」
魔女っ娘は涙目のまま俺から距離を取ろうと立ち上がりかけたが、どうにも腰を浮かすことができない。
完全に腰が抜けているのだ。無理もない。俺が人間だったとしても、目の前に二メートルを超えるシロクマが無言で座っていたら動くこともままならないだろう。
だが、猟を邪魔された鬱憤もあり、特に声をかけることなくそのままジッとしている。
魔女っ娘はみるみるうちに目元に涙を溜めると、うーうー低く呻き出した。
涙目になる謎の魔女っ娘幼女かわいい。
「えいっ。えいっ。なんで……! 火が出ないのっ?」
どうやらぶんぶん杖を振るっているのはさっきみたく火炎の魔術を使って俺を追い払おうという魂胆らしいのだが、精神が上手く集中できないせいか微塵も魔力が立ち昇る気配がない。
面白いからもう少し放っておこう。
涙目幼女かわいい。
おや……? 唸るロリ魔女の座る地面へほんのりと小さな池が広がりつつある。
シロクマの鋭敏な嗅覚を働かせなくても、彼女が恐怖の余りお漏らししてしまったのはすぐにわかった。
「ふえぇ。た、食べにゃいでぇ……! アタシまだ死にたくないよぉ」
「わーっ。悪かったって。な、泣くな。オジサンは悪いシロクマじゃないから!」
ひんひんと泣き出した幼女をすぐさま慰める俺。ちっちゃな子にはやさしくしないとね。
「ふ、ふんっ。悪いモンスターじゃないならさっさといいなさいよねっ。アタシが恥をかいちゃったじゃないのようっ」
ぺしんと腹の部分をはたかれた。
罪悪感が半端ないね。
「か、重ねてすみません。悪気があったわけじゃないんだよ」
理を尽して俺が人を食べるシロクマではないと説くと、魔女っ娘ロリ幼女はようやく落ち着きを取り戻し、そして恥をかかせた怒りを思うさまぶつけてきた。
蹴る蹴る蹴る。それはもう鬱憤を晴らすがごとく俺の脛を蹴る。足癖の悪いお嬢さんだ。
「俺はクマキチ。悪いモンスターじゃなくて、単なるこの森の住人だ」
「だったらアタシを怖がらせるんじゃないわよっ。アタシはこの森のずっと奥に住むリコッタ。誇り高きエルフの魔女なの。アタシを知らないなんて、あんたモグリってやつね」
なるほど。彼女はF世界では頻出するとされる伝説のエルフ族なのか。
ヨーゼフのようなダークエルフ族とは違って、リコッタの肌は雪のように白かった。
それに精巧なビスクドールのような冷たさを内包した美が伴っている。
銀色の髪と赤い瞳が印象的な娘だった。
「なに見てるのよ、このアホクマっ。あ、もしかしてアタシのこの豊満なカラダを目にしてよからぬことを考えているんじゃないでしょうねっ」
リコッタはささっとナイムネを両手で抱えて涙目になる。
「ははっ」
つい苦笑が漏れるのも仕方のないことであろう。
「なに笑ってるの! あんたレディをバカにしてんのっ?」
「うう。エルフのおちび魔女さんごめんなさい」
「で。このおとしまえ、どうつけてくれるつもりなの? アタシの女性としての尊厳は酷く傷つけられたわ。それ相応の代償を払ってもらうからねっ」
リコッタは半目のまま「ちちち」と舌を鳴らしつつ、俺の周囲をぐーるぐると歩き回っている。
非常に落ち着かないのだが。
代償か。そんなことをいわれたって。
クマとして生きる俺には持ち合わせとかないんで。
金銭面の賠償はすぐさま応じるわけにもいかないんだぞ。どうしよう。
「う――すまない。今は持ち合わせが。下着も汚させちゃったみたいだし」
「あんたはなにも見なかった!」
は?
「あんたはなにも見なかった! アタシにもなにも起こらなかった。以後蒸し返すのは禁止!」
リコッタは目を三角にして肩を激しく上下させながら吠えた。
はぁはぁはぁ。そうですよね。お漏らししたなんてとてもじゃないが、他人にいえないし自分も認められないよなぁ。そういうお年頃だしねぇ。
「だ、だいたい、嫁入り前の娘がこんなはしたない真似をいくらクマだからって殿方に見せるなんて……これは、もうちゃんと責任を取ってもらうわよ」
責任とはいったい。俺は権利は好きだが責任という言葉は嫌いなのだが……。
「ごめんなさい。なんとか俺にできることなら誠意をもってことにあたらせてもらうよ」
「なによ、その不満そうな顔は。嫁入り前の娘を辱めておいて。と、とーっても不本意だけど、あなたのような獣をアタシの婿にするだなんて、こっちだって嫌々なんだからねっ」
リコッタはそういうと頬をイチゴ大福のようにぷっと膨らませてそっぽを向いた。
え、えーと。
悪い。ホントに今現状でなにが起きているか把握しきれていないのだが。
「えっと、それは冗談かなにかかな」
「馬鹿いってないでとっととおんぶしなさいよね。アンタの凶悪な顔でアタシは動けなくなっちゃったんだからぁ」
「わ、わかったよ。おんぶすればいいんだろう」
俺はその場にかがむとリコッタに無防備な背を見せた。もふっと背中にリコッタが乗ってくる感触。ぶっちゃけ毛ほども重みを感じない。
「な、なによこれ……けっこう乗り心地いいじゃないの。褒めてあげるわ。ありがたく思ってねクマキチっ」
あーはいはい。ふと気づくとぼふっと背中の肩甲骨当たりになにかを押しつける感触が。
リコッタが顔を体毛の中に埋めているのだろう。ふ。所詮タダの娘よのう。
俺のもっふもふな毛皮の心地よさには本能が逆らえるわけもないだろうよ。
「も、もっふもふじゃない。クマキチ。あんたクマのくせにこんなの反則じゃないの」
「で。どこまで運べばいいんだ」
「そんなのあたしの家に決まっているでしょうっ。察しなさいよ、バカ」
ええぇ。そんな無体な……。




