21「森の守護神」
願いをかなえるがごとく、その男はやってきた。
肥馬に跨りながらゆっくりと近づいて来る。
今まで戦ってきたロムレス兵とは段違いに身体も肉も存在そのものも大きかった。
あきらかに二メートルは超えている巨躯だ。
「ギヨームだ」
「鬼の突撃隊長……!」
争っていた兵たちが武器を止めてゆっくり近づくギヨームに見入っている。
兜も鎧も手にした大薙刀の柄も黒一色で染め抜いてあった。
目庇から覗くふたつの瞳がギラギラと赤く輝いている。
目が合った瞬間に、俺たちは求めていた相手にようやく出会ったかのように、ゆったりとした動きで向き直った。
「おまえが森の魔獣か。私はロムレスの騎士ギヨーム。人々に仇なす害獣を討ち果たすべく大命を受けてやってきた。潔く降参すれば苦しめず一太刀で息の根を止めてやろう」
「あいにくと、この首はそう易々と渡せないんだ。おまえを倒してこのバカ騒ぎに終止符を打ってやる」
ギヨームは俺の言葉を受けると、ふっと目を細めた。
望んでいるのは死力を尽くした一騎打ちしかないと互いにわかりきっている。
兵たちが俺とギヨームを囲むようにぐるりと散開した。
ふっふっと呼吸が短く荒くなってゆくのがわかった。
コイツは今まで戦ってきたやつらとはケタが違う。
あの六本脚のクロクマよりも、確実に強い――。
ギヨームは無言のまま肥馬を走らせて突っかかって来た。
びかり、と大薙刀が稲妻のようにほとばしって打ち下ろされた。
素早く横っ飛びでさけるが同時にギヨームの馬が前蹴りを放ってきた。
左肩をガツンと蹴り上げられ、呼吸が一瞬止まった。
転がりながら片足を突き体勢を立て直していると再び大薙刀が旋風のように唸りながら頭上を襲って来た――!
左腕を持ち上げ刃を真っ向から受け止めた。
切断されはしなかったにせよ、強烈無比な一撃だ。
ギヨームの動揺がわずかに瞳へと現れた。
まず邪魔な馬を倒す。俺はギヨームの左側に出ると無防備な馬の腹に左の爪を全力で叩き込んだ。
肥馬は棹立ちになっていななくとギヨームを振り落とした。
俺の一撃が馬の横っ腹を大きく抉ったのだ。
血飛沫が虚空に舞って馬の巨体がどうと地に倒れ込んだ。
ギヨームは身体の大きさに似合わず優雅に着地すると飛び上がって大薙刀を横合いからすべらせてきた。
軌道を読まなくても首を刎ね飛ばそうとしているのは明白だ。
腕を上げてガードする暇もない。
俺はガッと大口を開けて白々と光る刃を咥え込む。
「なっ――!」
ギヨームが両眼を見開きながら驚嘆の声を上げた。
俺は大薙刀の刃を牙で喰い止めると右手を伸ばして柄をがっしりと握り込んだ。
ガチンと硬質な音を立てて刃を噛み割った。同時に地を蹴って飛翔すると無防備なギヨームの胸へと正拳突きを叩き込んだ。
鎧の胴はべこりと見事にへ込んだ。ギヨームは後方に吹っ飛びながら刃の折れた大薙刀を手放し、すぐさま腰の長剣を引き抜いた。
「驚いたな。タダの畜生ではない。名を聞かせてもらおうか、森の武人よ」
「久間田熊吉だ」
「クマダよ。貴様の名必ずや墓碑に刻むことを誓おうぞ」
ギヨームは錆びた声でそういうと、なにがおかしいのかくつくつと楽しそうに笑った。
それからべこんとへ込んだ鎧を脱ぐと上着を破り取って、白い歯を見せた。
「こんなものを着ていると動きが鈍って仕方がない」
堂々とした体躯だった。鍛えに鍛え抜いた上半身はパンパンに膨れ上がった肉の鎧で覆われていた。これならば、鉄の防御自体が邪魔だと感じるのもうなずける。
もっともこちらは武器も防具もすべて天然の自前であるが。
「なにをやっているんだギヨーム。貴様を大枚はたいて雇ったのは、畜生風情と馴れ合わせるためではないぞ!」
どこかで聞いた覚えのある声。ハドウィンだ。彼は離れた場所で屈強な戦士に身を守らせぐるぐる巻きの包帯の下から神経質な声で喚いていた。
「と、上からの命令だ。そろそろ決着をつけさせてもらうぞ」
「まったく同意だな」
ギヨームが長剣を正眼に構えた。刃が毛皮を通さずとも、あれほど威力のある鉄棒を頭に喰らえば昏倒するだろう。いや、鉢が割られるのもあたりまえの破壊力だ。
潮合が極まった。
だん、と地を蹴ってギヨームが大上段から剣を打ち下ろして来た。
俺は両腕を頭上でクロスさせると真っ向から勝負に出た。
やつの剣速と破壊力が勝るか。
それとも俺の頑丈さが上なのか。
決着だ――!
鈍い輝きを帯びながら刃が凄まじい速度で振り下ろされた。
気合と根性とそれ以上のなにかで受けた。
両腕が消失したんじゃないかという衝撃で目の前が真っ白になった。
ごぎ、と硬いものが鳴る嫌な音が耳の奥で鋭く走った。
両腕の骨が粉砕されたのだ。
ギヨームの顔が勝利を手に入れた歓喜で満ちた。
が、俺はそのまま折れた両腕をカチ上げて長剣を見事に弾き返したのだ。
馬鹿な、という言葉がその顔にありありと描かれていた。
ちょうど万歳をする格好になったギヨームの喉首へと左右の爪を打ち下ろした。
骨は粉々に砕け腕はねじ曲がっている。
それでも気迫があらゆる世界の理に勝ったのだ。
刃よりも固く強靭な爪がギヨームの喉を交差して駆け違い通り抜けた。
ギヨームの顔に信じられないという表情が浮かんだ。
パッと朱線がバツ印に走り、一拍遅れて血飛沫がパッと激しく噴き出し乾いた地面を鋭く叩いた。
「さすがだ森の守護神よ。おまえの――勝ちだ」
ぐらりと前のめりに崩れながらギヨームが満足そうに笑った。
やつが手にしていた重たげな長剣は地面に投げ出され永遠に横たわった。
一瞬、深い静寂がその場に訪れ、それからロムレス兵たちは狂ったように泣き叫びながら我先にと逃げ出していった。
幾人かの指揮官たちが遁走しようとする兵たちを止めようとするが、命懸けで逃げようとするものたちが聞き入れるはずもない。
やがては巨大な波に呑まれていくかのように、残っていた数百人は潮が引くようにドッと一斉に崩れて潰走状態に陥った。
俺はバラバラに砕けた両腕を下げながら、右往左往する騎士たちの真ん中で凍りついているハドウィンへと歩み寄っていった。
周囲には逃げる兵に踏み潰されたハドウィンを守るべき少数の騎士たちが何人も横たわっている。
ハドウィンは茫然としながらその場にぺたんと座り込むと、嗚咽を漏らしながら涙を流して命乞いの言葉を唱えていた。
完全にすくみあがっている。俺は最後の力を振り絞ってハドウィンの頭に喰らいついた。
がりっと鈍い音がして血の味が口中に広がってゆく。
「マジィな」
ぶっと肉片を吐き出すと、顔の半分をなくしたハドウィンが細かく震えながら後方へとひっくり返って絶息した。
肩を上下させて荒く息を吐き出していると、静寂が再び戻り、ルルティナたちが転ぶようにして坂を下り寄って来た。
「クマキチさま……ああ、こんな。ひどい」
「たいしたことはないって……」
嘘だ。相当にキているがここで泣き叫ぶのはあまりにも情けなさ過ぎる。
リリティナとアルティナは折れて垂れ下がった両腕を見ながら、もう泣いていた。
三つ子たちもほぼ同時にわんわんと喚き出す。
どっしとあぐらをかいて深く息を吐き出す。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたルルティナが泣き笑いの表情で俺の投げ出した両脚をさすっていた。
勝ち残った。この先のことはわからないが、ただやり抜いたという充実感だけが胸をゆっくりと浸し、俺はようやく口元をゆるめた。
腕の添え木は半月ほどくらいで取れた。まったく野生の回復力とは信じられないほど強力だ。それともシロクマ化した俺は特別な生物とでもいうのだろうか。
「旦那。久方ぶりだな。腕のほうはもういいのかい」
「ああ。思ったほど長引かなかったよ。自分でも思うのだが丈夫な身体でよかった」
「はは。なんだい、そりゃ」
いつもの草地で会ったヨーゼフは手土産の焼き菓子をいっぱい詰めた袋を俺に押しつけるとさも楽しそうに笑った。
戦いは名うての騎士であるギヨームと総大将であるハドウィンを討ったことによって、一応は終止符を打った。
もっともこちらも堂々とロムレスの兵を撃退したのだ。
これからは、よりいっそう格上の軍隊を辺境伯が送って来るかと思って待ち構えていたが、俺たちを救ったのはまるで予期していなかった王都で起きた政変だった。
なんでも、王位継承権を巡ってこの国の王族同士が争いをはじめたのだそうな。
コールドリッジ辺境伯も緊急招集を受けて兵のほとんどを連れて旅だった。
よって、元々あってなかったような国境守備隊自体が周囲の村々の人々にゆだねられることとなり、事実上ヴァリアントの森における戦いは「白の守護神」である俺側の圧倒的勝利で幕を閉じたのだった。
「にしてもクマキチの旦那の名はここいらあたりじゃ知らぬ者はいないほど広がってるぜ。森には白い守護神がいるってね」
噂は尾ひれがつくものだと知ってはいたが、このわずかな間にヴァリアントには悪い人間を懲らしめる白い神がいるなどという戯言が付近一帯に広がってしまったのだ。
おかげで森の入り口にはよくわからない謎の祠が建立され、供え物が後を絶たない。
とはいっても、ほとんど付近で取れる農作物なので、ときどき様子を見にきて回収しているので大変助かってはいるのだが。
ヨーゼフがいうにはハドウィンはよほどあたりの村人をイジメにイジメ抜いていたらしく、森では白き守護神の怒りに触れて命を落としたということになっていた。
ただ、ハドウィンの守備隊が撤退したことで、森にはあちこちから逃げ出して来た無法者たちが逃げ込もうと多数やって来るので、そういった人々を丁重にお断りするのは中々骨が折れる。いいことばかりは続かないが、とりあえずは一安心して冬支度に備えられるってもんだね。
「にしても、ようやく旦那の家族にご対面かァ。自慢のカミさんに会えるのが待ち遠しいぜ」
俺たちは森の小道を歩きながらログキャビンに向かっていた。ようやくヨーゼフとの約束を果たすことができる日がやってきた。
今日は俺の腕の全快記念も兼ねているので、ささやかながらパーティーを開こうと思い友人であり今回の戦いで多大に尽力してくれたヨーゼフを招いたのだ。いわゆるホームパーティーってやつだね。
本来なら、ヨーゼフのギルド仲間も招待したかったのだが、まだルルティナたちの人間嫌いは払拭されていないので今回は遠慮してもらった。
そこいらあたりのことは時間をかけてゆっくりと彼女たちのトラウマを癒そうかと考えている最中なのだ。
「旦那の家族ってどんなんだろうかなぁ。旦那と同じくもふもふなのかなぁ」
ひとついっておくと、ヨーゼフの誤解はあえて解かなかった。
だって、コイツこともあろうにルルティナたちを俺と同じくモフモフした生き物だと思っている節があるんだもん。
あ、もんとかいっちゃった。
今日の俺マジキメェな……ま、いっか! 今日は特別な日だもんに。
サクサクとリズムよく緑を縫って歩く。森を移動するのは楽しい。
丸一日身体を動かさないと気持ち悪いのは人間のときと同じだ。思えば、休みの日は必ず山歩きをしていたのは、俺が本質的にコンクリートなんかより土と緑を愛していたからだろう。
「お。なんか見えてきたぞ。旦那の家ってあれか?」
まあ、そうだな。
今はゴチャゴチャ考えるのはよそう。
ルルティナたちを、この森の平穏をどうにか守れた。今はそれだけで満足するべきじゃないのか。
なだらかな傾斜の道を歩いてゆく。ヨーゼフがログキャビンの前に立っているルルティナたちを見ながら、阿呆みたいな顔をしていた。やったね。
凄まじくまばたきをしながら、さっきまでの威勢はどこへやら。
ボーっとした顔でその場から歩き出そうとしない。
うん、わかる。わかるよ。
俺の自慢のオオカミちゃんたちだ。
かわいい上にとっても強くて信頼できる――家族さ。
「おかえりなさいっ。クマキチさま」
俺は駆け寄るルルティナたちに手を振りながら突っ立つヨーゼフを小脇に抱え、勢いよく坂を駆け上がっていった。




