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20「クドピック山の戦い」

 歓声を上げながら闇の中を幾つもの光点が追随する。


 こちらが攻撃に出ないことで怯えて逃げたとでも思い込んだのか、追い足は速かった。


 元々夜目が利くこの身体。周囲でまぶしいくらいに光っている松明があれば尚更だ。


 クマは決して鈍重な生き物ではない。その証拠に誰にも俺にはついて来ないではないか。


 木々の感覚が狭まって地面が見づらくなった地点で敵は担いでいた岩を投げはじめた。


 なるほど。

 さすがに二の足は踏まないぞというわけか。


 どすどすと重たげな岩が土を打つ音を聞き、ようやく安心したのか一隊がさらに俺を追う。


 地は崩れないにしても、異変が起こったのはそのときだった。


 数十の兵たちの喚き声や怒声があたりに反響し、怯えの臭気が濃く広がった。


「罠だッ」


 気づくのが遅すぎる。不用意に足元ばかりを気にしていたロムレス兵たちは、枝から無数に垂れ下がった釣り針に引っかかったのだ。


 解したテグスに針を仕掛けて先端に即効性の毒を塗った。


 トリカブトの根を乾燥させて塗布した極めつけのものだ。


 衣服や顔や露出していた二の腕などに尖って湾曲した針が突き刺さり阿鼻叫喚の絵図が再現された。


 こうなればロムレス兵たちは蜘蛛の巣にかかった憐れな羽虫のようなもの。


 待ってましたとばかりに樹上にいたヨーゼフが弓を腕も千切れんばかりに乱射した。


 マリアナの七面鳥撃ちってやつだ。


 兵たちは、毒にあるいは解き放たれた矢によってバタバタと面白いように倒れてゆく。


 ここで、二、三〇は兵を討ち取ったが敵の指揮官は深入りをさけて隊を後退させた。


 こちらもおろかにつけ入って攻撃などしない。


 その代わり、野営地付近の森を飛び回って断続的に銅鑼を打ち鳴らした。


 これはヨーゼフと交代で休み、代わる代わる朝まで行った。


 敵はそのたびに慌てて飛び起きて来るが、こちらは陣を構えて防備を厚くした陣営に飛び込んでいくほど頭を熱くしていない。


 神経戦を終えたのち、俺たちは朝もやとともに背後にそびえるクドピック山に退去した。






 かくして激戦の二日目がはじまった。

 朗報は続く。


 ハドウィン率いるロムレス討伐隊は、烏合の衆の悲しさか夜明けとともに一〇〇人近くが陣を抜け脱走したらしい。


「へ。ハドウィンの野郎。ゆでだこみたいに真っ赤な顔で怒鳴り散らしてやがったぜ」


 寄せ集めの雑兵がほとんどだ。劣勢になればある程度見切りをつけて数は減るだろうと思っていたが、効果が一日にして現れるとは――。


 けれど、重要な情報を仕入れてきてくれたにしては、ヨーゼフの顔色は悪かった。


 パッと見てもわかるとおり左腕をかばうようにしている。


「ちょっと待った旦那。こんなもんはほんのかすり傷だよ。どってことねぇ。どってことねぇから」


 うるさい。相棒のおまえがそんなんじゃ、こっちも気になって敵殲滅に全力を尽くせないじゃんか。無理やりぐいと腕を引っ張るとヨーゼフは切なそうに整った顔を歪ませた。


「なんだよ、これ。普通に大怪我じゃないか。いつこんな傷を」


「ワリ……自分でいっといてアレなんだが、今朝の偵察で魔術師小隊ってのに、さ。あ、でもこのくれーどってことないぜ。右手さえあれば、剣は使える」


 ヨーゼフは青い顔で腰からナイフを引き出すと構えて見せたが、痛みをこらえるのが精一杯という感じだった。


 なにか鋭利な刃物で切り刻まれたかのように、ヨーゼフの左腕はズタズタに肉が抉れており、ところどころ青黒く染まっていた。


「ヨーゼフ。今すぐ山を下りて治療を受けるんだ。この腕じゃ、どうしたって戦うことはできない」


「だけど……!」


 俺たちは三〇分ほど押し問答をしていたが、もはや気力で身体を支えられる程度の痛みではないのか「うっ」と呻くと左腕を押さえて脂汗を垂れ流している。


「ヨーゼフ。俺はおまえを邪魔者扱いしてるわけじゃない。敵はあと二〇〇もいない。知ってるだろ、俺がイノコ砦を無傷で落としたことを。それにクドピック山は森以上に防備を固めてあるし、罠の数もケタ違いだ。ハッキリいってロムレスの正規兵が数千で攻めてきても持ちこたえる自信はある。


 今のおまえは、俺たちが勝ち終わってからのことを考えて行動してほしいんだ。もし、ハドウィンの兵を打ち滅ぼしても、第二第三の敵軍がやって来ることは充分考えられる。そのときに物資調達を頼んで、またいっしょに戦ってくれるのはおましかいないんだよ」


「旦那ァ、俺ぁ今日ほどテメーがついてねぇことを後悔した日はねぇや」


「逆に考えて、このくらいの怪我ですんだと思うえばいい。怪我を治し生き延びてさ。また俺を助けてくれよ」


 ヨーゼフにとっては苦渋の決断だったろう。もし俺が逆の立場で先に落ち延びろといわれれば、あるいは左腕を噛み切っても戦場に残るといい張る自信があった。


 さあ、山に戻ってヨーゼフの仇を討ってやるとするか!


 俺は意欲を新たにして、ルルティナたちが待つ山の中腹へと向かった。






「クマキチさま。ご無事でございますかっ」


 ルルティナたちは斜面に掘った隠れ家からワッと飛び出すと首っ玉にむしゃぶりついて来た。


 俺は彼女たちをひとりずつ抱き上げて頬ずりをすると、ささやかな久闊を叙した。


「俺は無事だよ。ただヨーゼフのやつが戦線離脱した」


「確か、ともに戦ってくれているクマキチさまの朋友の方でございますね」


 リリティナが整った眉をひそめて、長く細い人差し指を唇にあてていた。


「命にかかわる怪我じゃないが。これ以上の継続は無理だと判断して下がってもらった」


「ならば、ここからは私たちウェアウルフが血を流して戦ってくれた同胞のために命を賭けねばなりません」


 ルルティナたちの戦意は怯むどころか燃え盛る炎のように身体から立ち昇っていた。


「ああ、だが必ず俺たちは勝つ。その道筋はキチンとつけてある。誰ひとり欠けることなく、ロムレス兵たちをこの森から追い出してやろうじゃないか。俺たちみんなの力で」


 拳を握り締めて傍らの大樹を強く打った。

 どだん、と大砲を撃ち込んだような腹の底に響く音が鳴って枝がしなりわさわさとカエデの葉が落ちてあたりが真っ赤に染まった。


 戦いはこれより最終局面に突入する。


 俺はルルティナたちに命じて当初の作戦通りの位置に布陣させると、及び腰の敵を釣るために真っ向から挑発にかかった。


 相当数の被害が出ている部隊はこちらの姿が見えても容易に攻めようとはせず細かく索敵を行うという常識的な結論にようやく達したようだった。


 クドピック山は裾が広く初手から急登ではない。


 網を絞るようにジリジリと追いつめられれば仕掛けた罠が無駄になる確率が高いのだ。


 あくまで敵には冷静さを失ってもらわなければならない。


 俺は一旦頭の中のスイッチを切って野獣の精神だけを剥き出しにすると、相手の兵数など関係ないという猪突猛進さで強襲を開始した。


 二〇〇を超える兵たちが開けた場所で展開し、槍衾を作って待ちかまえ、射手が弓を引き絞るど真ん中に突っ込むのは蛮勇だけでは片づけられない。極めつけの狂気が必要だ。


 損害を考えずに跳んだ。身体中へと敵の放った矢が驟雨のように降りかかる。


 吠えながら右に左に細かく跳ねる。的を絞らせないようにして強襲をかけた。


 ――そして激烈な戦闘がはじまった。


 鼻を突き合わせるような接近戦になればこちらとて細かいことは考えられなくなる。


 突き出される槍の穂先を噛み折って両腕の爪を立てあたるをさいわいに薙ぎ倒す。


 俺の毛皮はどうも特別製のようで簡単に刃を通さないが、これだけ近距離で打ち合えば手負わないはずもない。


 一〇、二〇、三〇とロムレス兵を打ち倒すしてゆくにつれ、白い体毛は水をかぶったように朱で染まっていった。


 決して敵だけの血ではない。あちこちを切り裂かれさすがの俺も息切れがしてくる。


 やばいと思ったのは黒いローブを纏った集団が杖を掲げてごにょごにょと不思議な呪文を唱えだしたときだ。


 本能的に近くで争っていた敵兵を盾にした。


 肉を穿つ鈍い音が鳴って兵たちの鎧を貫き氷柱が胸に突き立った。


 そうか、これがヨーゼフがいっていた魔術か!


 掛け値なしの危険域に埋没したことを知った俺は奥歯をがちりと噛み込みながら、ここを先途と思い降り来る氷の刃をものともせずまっしぐらに魔術師たちへと突っ込んだ。


 顔や額を飛び来る氷の弾丸がかすめて飛んでゆくが構うものか。


 今、現在もっとも危険なやつらをすぐさまこの戦場から排除する――!


 ぐわん、と目がくらむような一撃が額に入った。


 氷の矢が必中の狙いを定めてひょうと撃ち込まれたのだ。


 だが、クマの頭蓋骨の堅牢さを舐めている。銃弾ですらときに弾き返す石頭だ。


「角度が悪かったな」


 俺は身体を躍らせて魔術師の小隊に飛びかかると振り上げた右腕の爪を縦横無尽に走らせた。


 スイカが地に落ちたような音を立て魔術師たちの首がどっどっと草地を転がった。


 俺は逃げようと腰を抜かして後退りする魔術師の顔面を覆面ごと噛み千切った。


 一番の脅威を取り除いたことで心に余裕が生まれたが、その間にも敵兵はひしひしと俺の周囲を取り囲んでいた。遠巻きにしてしつこいくらいに矢を射かけてくる。


 頃合いだな。実際問題、体力は疲弊しつつあった。


 このままでは遠からず無敵の俺も動けなくなってしまう。そのときに網でもかけられればお陀仏だ。


 体力が残っていうるちに次の段階へと進むべし。


 俺はわざとらしく「がうっ」と吠えると、元来た山道に向かってそれらしく見えるよう遁走をはじめた。


 後退はないと。向かってくると思い込んでいた魔獣が喧嘩に負けた犬のようにしっぽを巻いて逃げてゆくのだ。


 心情として兵たちは追わざるを得ない。ほどほどに傷つけられ弱ったふりをしたのが利いているのか、敵は歓声を上げながら幻想の勝利を目前として追撃をかけて来た。


「見よ。あのケダモノは息も絶え絶えだ。討ち取ってなめして敷物にしてやれ」


 白い兜がよく目立つ指揮官がサーベルを振り上げて、兵たちを鼓舞した。


 ほうほうのていで逃げるふりをすればするほど嵩にかかって追いすがる。


 いいぞ、もっとだ。

 もっと追いかけて来い。

 そこがおまえたちの死に場所になる。


 このときほどシロクマに生まれ変わってよかったと思ったことはないね。


 なにせ、敵の返り血をたっぷり浴びた俺は死にかけたケダモノにしか見えないだろう。


 チラチラと振り返りながら敵がついて来るのを確認する。


 それが一際気弱げに映ったのだろうか、敵の追い足はいっそう強まった。


 いくさとは指揮官の優劣によって決定するのがよくわかった。


 兵たちも整然と隊伍を組んで追撃しているわけではない。


 今までの借りを返そうと遮二無二駆けて我先にと団子状態だ。


 やがて斜面は両手を使ってへばりつかなければ登れないキツさに差しかかった。


 こういうときは四足ほど安定していて登りやすいものはないね。


 振り返って、ほどよく獲物が釣れたのを見計らって、ハイマツの繁みに飛び込んだ。


 直線状にいた獲物が不意に横合いへと逃げたのだ。後方から動揺の声が予想通り上がった。


 同時に急坂の終わり部分が奇妙までに盛り上がった。


 板塀に乗せて土をかけ偽装させた丸太のツルをルルティナたちが指示どおり切って落としたのだ。


 ごろんごろんと。


 瀑布のような勢いで無数の丸太が急坂をすべり落ちてゆく。


 団子状態であちこちに固まっている敵兵はいかなる回避行動も取ることができない。


 七、八〇名近くが転がり落ちた丸太の餌食となった。


 さあ、ここからが本番だ。


 俺は頭から落ちるようにして逆落としを行った。


 クマの身体は柔軟で崖から落ちても怪我をしないように出ている。


 半トン近い巨体が右往左往している集団へと突っ込むのだ。


 再び血飛沫があちこちで舞い上がり、怒声や悲鳴や喚き声が山野に満ちた。


 俺は喉元から怒りの声をほとばしらせながら落ちていた丸太を抱えて、メチャクチャにそれこそ狙いもつけず力の限り振り回した。


 重さも太さも段違いな武器だ。人間たちの持っている数打ちの剣は丸太が触れるたびに吹っ飛び、あるいは折れて涼やかな音を立て飛んでゆく。


 呼吸が苦しい。

 全身の節々に鉛が詰まったように重たい。


 今すぐにでも座り込んでしまいたい強烈な欲求が込み上げて来る。


 だがやらなければならない。


「があっ」


 吠えながら目の前の男の頭部を引っぱたいた。

 兜ごと前頭部が潰れてぺしゃんこになる。


 腰のあたりを蹴りつけると、そのうしろで茫然としていた男たちを巻き込んで将棋倒しになった。


 ルルティナたちが弓矢を乱射しながら坂を駆け下りて来た。


 有利な場所を保持して身を守りつつ最大限に能力を発揮している。ウェアウルフの娘たちはいずれも目がいい。弓の名手である。


 リリティナも普段のおっとりとした態度とは似ても似つかぬ決死の形相で矢をつがえていた。


 アルティナは三つ子に指示をしながら、投石具で石打ちを続けていた。


 勝負は徐々にであるが終極点に向かいつつある。

 決定的な、なにかが欲しい――。



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