19「討伐隊」
そして運命のときは来た。
森と山の要塞化をはじめてから数えてちょうど十八日めにハドウィン率いる「魔獣討伐隊」なる五四〇の兵が森の入り口に姿を見せたのだ。
ヨーゼフの調査によれば辺境守備隊の編成は五日も前に終わっていたのだが、ハドウィンの傷が熱を持っていっときは討伐自体中止になりかけたらしかった。
そのまま死んでくれれば世話はないのにと思うよ。
「で、旦那のカミさんたちはどうだい?」
「山に籠ってもらってる。あそこまでひきつけてからが勝負だ」
「へぇー。ま、このいくさが無事に終わったら自慢のカミさんにぜひ会わせてもらいたいもんだ。結局なんやかやといろいろあって顔を拝んでなかったしな」
「ああ。髪も目も美しい黒さ。びっくりするぞ」
「あ、あはは。ま、エルム族のよさはわからないけど、旦那が嫁にするほどならよっぽど毛並みがいい女性に違いないだろうしな!」
思うにヨーゼフはなにかルルティナのことを勘違いしているらしい。
けど、今はそんな無駄話をしている暇もない。俺は地べたに木の枝で配置図を書くと、ヨーゼフと最後の打ち合わせに入った。
「とにかくヨーゼフに頼みたいのは、やつらの鼻面を思う存分に引っ張り回すことだ。土地の猟師が数人ついているという話だけど、まずそいつらを最初に仕留めておきたい。道に不案内で夜になるまでが最初の山場だと思う」
「ああ。ハドウィンのやつ、なにを恐れているか知らないが、とにかく旦那の首を討って砦を燃やした失敗を帳消しにしたいらしい」
「ホントにあいつらはこの森に火を使わないのだろうか」
「そのあたりは心配ないさ。なんせ、この森と山は王領や他都市の貴族領が入り混じっていて下手に火を使えばハドウィンの親玉のコールドリッジ伯爵ですら首が飛びかねない複雑な土地なんだ。やつらは、兵を五つに分けて徐々に包囲網を狭めようとする作戦を取っているみたいだ」
なるほどな。ただの猛獣狩りならそれで間違いないだろうが、俺はタダのシロクマじゃない。
人の知恵を持ったシロクマなんだぜ。伝説の傭兵ではないが、この森で好き勝手はさせやしないぞ。
俺はヨーゼフを後方の樹上に隠すと、ひとり鼻孔を蠢かせながら意気揚々と蛮声を上げて近づく一隊に向かった。
この森はご存知の通り人の通わぬ魔境のようなものだ。
杣人が使う道が終われば、一列しか通れない場所が幾つもある。
俺はまず手はじめとして、周囲を警戒しながら先頭を歩く弓を持った道案内の猟師に襲いかかった。
通常のヒグマならば咆哮を上げて飛びかかるのだろうが、俺はできうる限り物音を消して忍び寄ると、横合いから不意を突いて襲いかかった。
「ひ――?」
飛び出した白い巨体に硬直したのだろうか。猟師の驚愕した顔へと情け容赦なく牙を突き立てた。
ばしゃっと赤い血が飛び散って、たちまち隊は怒声と絶叫で埋め尽くされた。
当初の予想通り、一〇〇程度でまとまっているらしい。
ひとりが仲間を呼び寄せる合図の角笛を吹き鳴らそうとしたとき、樹上で狙いをつけていたヨーゼフが見事なまで素早さで射殺した。
「て、敵襲だ! 隣の隊に、連絡をはや――」
男がいい終わるまでに次の矢が首を刺し貫いた。俺はこの数秒間に前進を続けて、十五人ほどを片づけた。
まったくもって人間の身体というものは脆い。俺が生まれつき備えている爪の一振りでちゃちな革鎧ごと切り裂かれ吹っ飛んでゆく。
また、一列になっているのが格好の的だった。
槍を向けて立ち向かおうとする者もいないではないが、相互の連携をとれないまま首を献上しているに過ぎない。
首筋に爪を刺す。やわな頭を兜ごと噛み切る。
肩で吹っ飛ばして木に叩きつける。
紙切れのように胴を断ち割って腸を引っ張り出し、蹴り飛ばし、引っこ抜き、無人の野をゆくがごとく突進する。
思うさま三十人ほど片づけたところで、開けた場所に出た。
どうやら隣隊から増援を呼んだようで、しゃがんだまま弓を構えている射手が一列に勢ぞろいしていた。
いつの間にか仲間を呼びやがって、このっ。
「放て――!」
いて。あいちちち。いていて。
こうまでひゅんひゅん矢が飛んでくると、さすがの俺も退かざるを得ない。
俺の毛皮は特別製であるが目にでも入ったら潰れないとはいい切れないのだ。
「魔獣が逃げたぞっ。第一部隊、第二部隊。槍、出せっ」
このキンキン声は指揮官かな。ちきしょう、調子に乗りやがって。
俺はほうほうのていで逃げるふりをして、敵軍をある地点にまで引き寄せた。
三人ほどが並んで駆けれるやや広めの道に出た。俺は気づかれないよう、横の茂みに入っては道に戻り、道を走っては繁みに戻ったりして怯えて混乱しているふりをアピールした。
「見よ、あのケダモノを。我らが軍威に恐れ入って惑乱しておるわ!」
バカなやつだ。おまえらを吊るためにスピードを弱めていたのがわからないのか。
茂みをずーっと突っ切って、部隊からかなり離れた場所で道に戻ってやった。
ロムレス兵は五〇人近い槍兵を前に出して、そのうしろを騎馬で督戦しながら押し出して来た。
破滅はあっという間だった。
たっぷりと時間をかけて堀に掘った落とし穴に、槍兵が残らず落下したのだ。五メートル近く掘ったのでまず簡単には這い上がれない。
おまけに穴の底には毒を縫った逆茂木を無数に立てている。
阿鼻叫喚の地獄が穴の底で繰り広げられた。怒号と絶叫がうずまく中、勢いのついた騎馬兵が二〇人ほどまとめて落下してゆく。
「こ、こらっ。押すな! お、落ちる――ッ」
勢いがついた馬は止まることができないのだ。騎兵に随伴していた歩兵も一〇人近くまとめて落下してゆく。
俺はこの隙を突いて敵兵の後方に回ると、まだ残っている三〇人近い兵に向かって電車道を敢行した。
かなり上級の指揮官が何人かいたのだろうか。歩兵たちがまとまって守ろうとするが、クマキチさまの前では屁でもない。
身体を丸めて突っ込めば、力士数人分の体重と筋力量のあるシロクマの勢いを止めることができるはずもない。
一番偉そうな三十そこそこの騎士を兜ごと引っぱたいて頭を胴体に埋め込んでやった。
指揮官らしい騎士はガクッと膝を折って前のめりに倒れ込んだ。
「あひ、あひ、あひぃ」
従騎士らしい二十代前半の男は妙な言葉を発しながら剣を無茶苦茶に振り回している。
危ないからそういうやつはポンだ。
俺は爪を振るって男の顔面へと斜めに切り目を入れてやった。
落ちていた槍を拾って抵抗を続ける兵隊の頭に叩きつける。
柄の途中が折れて穂先が明後日の方向へと勢いよく飛んでいった。
第一部隊、第二部隊をほどよく撃破したのち、俺たちはわざと退却した。
実際問題動き続けて身体の筋肉がふやけた綿みたくふにゃふにゃになっていたのだ。
木々を駆け抜けながら、時折振り返って反転し、追いすがる数人を撃殺してまた逃げる。
これを繰り返していくうちに、日が落ちていった。
ぜいぜいと息を切らして座り込んでいると、ヨーゼフが桶に水を汲んで戻って来た。
受け取ったまま数リットルはある小川の水を喉を鳴らして嚥下した。
ふう。生き返った。
「旦那、いいペースだな。やつらかなり参ってやがる」
「けどさすがにロムレス兵も夜は行軍を止めたらしいな」
「ハドウィンがかなり報奨金の値を吊り上げたらしい。旦那の首には五〇万ポンドルの懸賞金をつけたらしいぜ」
「そいつは大人気だな」
こうして俺が休んでいる間にもヨーゼフは概算で敵の死者数を計測してくれたらしい。
今回は完全に戦闘のサポートへと回ってもらっているが、彼は本来こういったことのほうが向いているのかもしれない。
「格好ばかりは立派だがハドウィンの兵のほとんどは出自もよくわからない傭兵やゴロツキばかりだ。あれは、本来のロムレス兵の強さとは違うぜ」
「そいつはラッキーだったな」
それが証拠にはハドウィンの軍は遺棄死体や怪我人をほとんど収容せず野晒しにしているらしい。ヨーゼフが数えたところ、討ち取った数は少なくとも一六〇を越えている。
だが、今日のような戦いぶりは明日以降は続けられないだろう。
兵たちは包囲網を敷くのをあきらめ、一塊になったらしい。
三〇〇を超える軍隊に単騎で乗り込むのはさすがに自殺行為だ。
「疲れてるところあまりいい知らせじゃないんだが、ハドウィンのやつ魔術師で一個小隊を編成したらしい。コイツはさすがに旦那も手を焼くかもしれない」
魔術師。これまたファンタジックな名称が飛び出したもんだ。
いくら俺のフィジカルが化け物でもわけのわからん術を使われたらあっさりやられるかもしれないぞ……。
「え? いや、たぶん旦那が予想しているほど高位の術者ではないみたいだ。そんな高名な魔術師がこの辺境にいるはずもないしな。ただ、やつらは見たところ水属性の術を使うらしい。俺の経験からいえば魔術師は遠距離戦を得意としている。囲まれたりすれば、やばいかもな」
「具体的には?」
「やつらは水を矢にして撃ち出したり、術をかけて敵を凍結させたりする。とにかく的を絞らせないよう細かく動くことを念頭に入れて戦わないと」
ふむふむ。ま、知っているのと知らないのではまったくもって心構えが違うだろう。
「あ、それともうひとつ。ハドウィン自体はどってことのない男だが、ひとり凄い男が助っ人に雇ったって聞いたんだ」
なんぞや、そいつは?
「コールドリッジ辺境伯第一の名将にヴェルトリンって大将がいてな。なんでも、そこで突撃隊長を務めていたギヨームって豪傑が今回に限ってハドウィンを助ているらしい。
ギヨームはロムレス西方でも名の知られた騎士だが性、粗暴につき上官を半殺しにして隊を出されたらしい。指揮能力は今ひとつらしいが、虎を素手で縊り殺したことがあるほどの男なんだ。なんでもほとんど身体的形質は現れていないが、いくらかはライオスの血が混じってるらしい。旦那でも一筋縄じゃいかねぇと思う」
ふうむ。ヨーゼフがそこまでいうのであれば、ギヨームという騎士は今回で一番気をつけなければならない男みたいだな。
「ところでライオスってなに?」
「ああ。旦那は知らないかもな。ライオスは獅子を祖とする亜人の一族で、顔はまんま獅子なんだが膂力はオークとタメを張るほど強い。主に南の平野部に多くいる部族で寒さにはあまり強くないってのを聞いたかな」
俺は頭の中でライオンちゃんの顔を持つ、幼児アニメに出てきそうな半人半獣を思い浮かべた。難しいな。実際に見たらシュールどころではなく、普通に怖いかもしれんが。
にしてもヨーゼフは博識だな。俺の知らないことドンドン教えてくれるから心強いぞ。
そう思って「君は賢い」と告げると、ヨーゼフは真っ赤になって否定した。
「は! あはは、違う。違うって。俺なんてぜんぜん物知らずだし。ただの聞きかじりだからンなに褒めんなって。ったく旦那といると調子狂うぜ!」
ま、男同士であまりイチャイチャスルのは気持ちが悪いのでほどほどにしておこう。
敵とはかなり離れた位置にいるが、念のために火を使わないで取れる夕食にした。
燻製の猪肉と今朝ルルティナに焼いてもらったパンだ。
これにチーズを挟んで食べると実に美味だ。
「旦那のカミさん料理うめーな。この燻製肉、味が深いわ」
いや、それは俺が作った燻製なんだけどね。
ヨーゼフはもっちゃもっちゃ口を動かしながらご満悦のご様子。
ときどき、カミさんの手でパン捏ねるのって難しくね? とか、やっぱ子供たちも旦那似なのか? と勘違いした質問をしてきたのであえて放置した。
ふふ。あとでルルティナたちに会わせるのがちょっと楽しみになってきたな。
「んじゃあ、本日の後半戦スタートゆきますかァ」
俺は手のひらをぺろぺろぺろりと舐めると、巨体を揺すって歩き出した。
ヨーゼフが無言で続く。
ほどなくして、ロムレス兵たちの野営地にたどり着いた。
やつら、赤々と火を焚いてしきりに周囲の警戒を行っている。
昼間の敗戦がよほど手痛かったのか、兵たちに弛緩した様子は微塵もない。
彼らも本音では森から出た場所で野営したいのであろうが、メンツや経費の問題もあって早々にしっぽを丸めて逃げ出すことはできないのだろう。
俺は意地悪そうににひと笑うと手にした銅鑼を力いっぱい撥で打った。
「て、敵襲――ッ! 起きろおおっ。敵襲だああっ」
よほど昼間で懲りたのか、音のする俺たちの方向には容易に飛び込んで来ない。
陣営は途端に蜂の巣を突いたような騒ぎになったが、数十が密集体形を取るとかがり火の前で身を寄せ合って亀のように首を引っ込めているだけだ。
なんどか繰り返してやると、とうとう業を煮やしたのか、幾つかの塊が団子となって深い木々の中へと押し入って来る。
俺は手にした銅鑼をヨーゼフに手渡すと口元に微笑を張りつかせたまま、ゆっくりと繁みを大股で進み、網の中に飛び込む雑魚たちの運命を思った。




