184「ある騎士の物語(後)」
「で、久々に詰所に顔を出した理由がそんなふざけたこと? あのね、アンタ、いくら寛容なアタシでもときには怒るよっ」
「もう怒っているじゃないスか」
数刻後。
ジョシュアは聖堂騎士団の詰所で上司であるレナエルに説教を受けていた。
レナエルは二十六歳にして聖堂騎士団第十八分隊の長になった女傑である。
とはいえ、貴族出身の彼女は腕自慢の筋肉ゴリラという容姿ではない。
ドレスさえ纏えば立派な貴婦人として通るレナエルであったが、長身のモデル体型である彼女は滅法剣の腕も立ち、そして気性は荒かった。
「ジョシュアねぇ。ついに小児趣味に鞍替えしたの? 神がお許しになってもアタシが許さないわよ」
「ンな趣味はねーっスよ」
少女はレナエルの手によって身体を洗われ、悪臭こそ放ってはいないが、腰まで届く手入れのされていないボーボーと生えた髪やぼろきれだけを纏った身の上を見れば「野良犬……」を想起しても仕方がない恰好であった。
「地回りからこの子を助けたのは本当みたいだけど。ねえ、お嬢ちゃん。お姉ちゃんにお名前教えてくれないかな?」
ニカッとレナエルが笑みを浮かべると少女は慌ててジョシュアの背後に隠れる。
「ダメっすよ、子供を虐めちゃ」
「アンタにいわれたくないっつーの」
「ぎ、ぎぎぎ、失言、でした」
ジョシュアはレナエルのアイアンクローを受けながら悶える。
だが、レナエルの暴挙はすぐさま止められた。
少女は唸りながらもジョシュアの顔面を鷲掴みにするレナエルの腰にタックルを仕掛けてきたのだ。
「アンタ、本当にこの子に好かれてるわね」
「だから迷惑なんですってば」
「とにかく。今夜は遅いから詰所に泊まってゆきなさい。夜は遅いし、この子を娼館に売り飛ばそうとして被害にあった地回りの方々がアンタを探しているかもしれないわ」
「ハン。やくざの一匹や二匹どうとでも」
「アンタはよくてもこの子が危険。ほら、そっちのベッドに毛布敷いたから寝る寝る。いっとくけど今夜はアタシが夜番だから万が一にも妙な気は起こすんじゃないわよ」
「だからオレはロリコンじゃないっての!」
「上司に減らず口を叩くんじゃないっ!」
「へぶっ」
こうしてジョシュアは身元も知れぬ少女と騎士団の詰所で一晩過ごすことになった。
(このガキ、ぜんぜん離しやがらねぇ)
ジョシュアは眠ったままギューッとしがみつく少女を寝床に放置すると、詰所の待機所に戻った。
夜番のレナエルと同輩たちが眠気覚ましに茶を飲んでいる。ジョシュアはロクに出勤しないくせに大きな態度でどっかと椅子に腰を下ろすと、小僧に命じて自分の分を持ってこさせた。
「あら、ご所望どおり美女との一夜を過ごさせてあげようと思ったのに」
「しつこいですよ、分隊長」
「眠れない?」
「見てのとおりですよ」
「ふーん、で結論からいうとアンタが連れてきたあの子は逃亡奴隷よ」
「はぁ?」
「脇腹のところにね。焼き印が押してあったの。とっくに確認済み。アンタは遠征もサボったし、ロクに巡回もしないから知らないだろうけど」
「……短い仲でしたね」
「本気でそう思ってる?」
レナエルの澄んだ眼差しで見つめられジョシュアは言葉に詰まった。教会は大聖堂の威を国中の隅々にまで広めるため、定期的に王国に逆らう亜人や異民族を『教化』と称して襲い、逃げ遅れた者をさらうことを当然としていた。
捕獲された異教徒たちは『教化』の一環として奴隷にされ、都市の労働力とされた。教会が手を焼く異民族とは交渉し、他部族を無理やり周辺に移住させて人口を増やすのは特に珍しいくもない。
だが、聖堂教会は逃亡者には厳しく、再度捕まった場合にその者が被る『教育』の悲惨さは騎士であるジョシュアがもっともよく知っていた。
「ここでアンタが見捨てればあの子は斬られる。それをわかってそういってるの?」
「なら、分隊長がなんとかしてくださいよ」
「あの子喋らないでしょ。ううん、そうじゃない。汎用ロムレス語がわからないのよ。かなり東方から連れてきたみたいで、たぶん言葉が違うの。あの子を救うのは難しくはないけど、そんな言葉がわからない子ができる仕事なんてこの大聖堂でなにがあると思う? 結局は娼婦になって、運がよければアンタともう一度くらい路地裏で会えるかもね」
「どーすりゃいいんスか」
「分隊長命令よ。騎士ジョシュア。あの異民族の娘を『教化』し立派なロムレス市民に育て上げなさい」
パチンとレナエルがウインクを飛ばす。
「は……?」
それが妙にかわいらしくてジョシュアは手にしたカップを無様にも落とした。
膝にかかった茶がジョシュアの膝を急速に焼き、ツキがないことを確認した夜だった。
「なーにが『教化』だよ。ただのお荷物じゃねぇか」
翌日、騎士団の詰所を逃げるように去ったジョシュアの背には、昨晩心ならずも救い出した少女がぴったりとくっついていた。
「離れろっ。オレが子持ちだと世間さまに噂されたらどーすんだっ」
だが、少女はジョシュアが身体を振っても、粘着力の強い膏薬のように張りついて離れない。
「クソ。そういやおまえの名前は……ってか言葉も通じないんだってな。これだから異民族の異教徒ってのは始末に悪い。言葉、少しはわからねーか? なあ、おい」
少女はぼさぼさの髪の間から真ん丸な目をキラキラさせてジョシュアをまっすぐ見つめている。
無論、ジョシュアは口は悪いがもともとがロムレス教の教えを幼いころから父母に受け、貴族としての精神を養ってきた素地があり、弱者にはやさしいところがあった。
「オレはジョシュアってんだ。なーまーえ。ジョシュア、ジョーシューア、だ」
でなければ、ならず者と同格とされている下級騎士の男が負債ともいえるような、異教徒の面倒を見ろといわれて、わざわざ自分の家にまで連れてくる道理がない。
金に困っているジョシュアの同輩ならばレナエルの言葉に「はいはい」とうなずいておいて、帰り際に娼館に叩き売っておき「逃げました」と報告してもなんら自らの良心に呵責はないだろう。
「ミラ!」
少女は自分の顔を指差すとニコッと笑った。
「そか。ミラってえのか。悪くない名前だな」
「ジョシュア!」
「そーだよ。チッ、そうやってりゃあちったあ見れるじゃねぇか」
ミラはニコニコと笑うとジョシュアの首っ玉に抱きつき、人馴れした犬のように鼻をスンスンと鳴らした。
「うおいっ。ったく、仕方がねーガキンチョだぜ。上役の命令だから、暇潰しにしばらく飼ってやるか。恩に着ろよ、ミラ」
――それからジョシュアとミラの奇妙な共同生活がはじまった。
ジョシュアはミラにまずロムレスの言葉を教えるため、今までの生活を改めつきっきりで教育をはじめた。
(はたして、こんな異民族のガキが言葉を覚えるのにどんだけかかんのかね)
そういうジョシュアも王都よりはるかに離れた地方の出身であり、大聖堂に来た当初は訛りが酷く、込み入った話になると聞き取りもできずに四苦八苦するほどこの世界の言語は地域性が強かった。
「さーら。これが皿だ。わかるか?」
「さ、ら?」
ジョシュアは幼児に教えるような気持ちでミラにつきっきりで、言語を噛んで含めるように教え込んでいった。
「さる、さる!」
「ちげーよ。さらだっての。さるじゃねー」
だが、ジョシュアの案に相違してミラの知能はずば抜けて高かった。最初こそは、ジョシュアは不安で一杯になるほど意思疎通ができなかった。だが、ミラは一旦集中すると真綿が水を吸い込むごとくロムレス語を習得していった。
ひと月も経つころには、ミラは話せなかったことが夢だったと思えるくらいに流暢に言葉を喋れるようになり、ジョシュアは近所の家から幼児用の絵本を借りる必要もなくなっていた。
「もう親父ごっこもおしまいだな」
「もういいの? あたしんち、ほかにもたくさんあるからかしたげるよー」
「いんや、バーバラ。うちのミラにこいつは必要ねーんだ。今までありがとな」
「うん。けど、やくそくはまもってね。ちゃんとあたしがおとなになったらおよめさんにしてね」
「へいへい」
ジョシュアは近所の幼女に婚姻を強要されながらも絵本を返すと、首を左右にコキコキ鳴らしながら、家の玄関を開けた。
だが、帰りをおとなしく待っていたはずのミラは白い三角巾で前髪をまとめながら、腰に手を当てて目を吊り上げていた。
「むーっ」
「あんだよ。いきなりおかんむりだな。あるじさまのご帰宅だぞ」
「ジョシュアの浮気者変態ロリコン騎士! わたしというものがありながら、なーんで隣のバーバラにちょっかいかけるかな!」
「おいちょっと待て。誰がロリコン騎士だ。ンなこと吹き込むのはひとりっきゃ思いつかねーが」
「レナエルさまがおっしゃっていらしたわ! ジョシュアは若い子を見ると誰彼構わず引きずり込むから、よーっく見張っておきなさいって!」
「あのな、バーバラはまだよっつだぞ。ガキオブガキだし。だいたい、おまえだってガキじゃねーか」
「あのね。わたしは十四歳よ。立派なレディです! ガキっていわないでよ!」
「……はぁ? ちょっと待て。十四? うっそだろ。とても十四には見えないぞ。おまえ、数の数え方間違ってんじゃないか?」
「むーっ。ジョシュアはわたしのこと幾つに見てたのよ」
「その貧相な身体つきじゃ、よくて十二、三かなと」
「むーっ。ひどーいっ!」
「わ、ちょっと待って。鍋を投げるな。それはオレの昼飯だろうがっ!」
「レディをばかにするジョシュアになんかお昼ごはん食べさせてあげないんだからねっ」
「わー、わーかったって。わかったから、壺を投げるな。その壺はよいものでな――」
「ばかーっ」
季節はあっという間に過ぎ去ってゆく。
ジョシュアがミラに出会ってから、冬が過ぎ、春が来て、初夏の足音が聞こえるようになったとき――。
「ねえ、本当に行っちゃうの?」
「ああ。今回ばかりは、従軍を拒否できそうもない」
鎧兜に身を包んだジョシュアは大聖堂が発した大規模遠征の軍に聖堂騎士団の一員として加わることとなった。
このころのジョシュアは女遊びの一切を止めミラの養育に力を注いでおり、その結果、今まで貢がせていた年上の女たちからの小遣い銭がまったく供給されることがなくなったので、騎士としての本分に身を入れざるを得ない状況に陥っていた。
「まあ、それほど深く考えるな。オレはおまえに心配されるようなほど弱くはねーよ。必ず蛮族どもチャチャッと片して帰ってくるって」
「――本当に」
きゅっとなんら恥じらいを見せることなくミラが正面から抱きついてくる。
(こうするのも久々だな)
出会ったときは違い、身綺麗にしているミラからは石鹸と少女特有の甘ったるい体臭がないまぜになって立ち昇り、ジョシュアは軽く動揺していた。
年が変わり十五歳になったミラはぐんと背が伸び、そろそろ人前で堂々とスキンシップを取ることにジョシュアはためらいを覚えるようになっていた。
(コイツ、こんなデカかったかな)
ジョシュアは無理に不敵な笑みを浮かべて見せるとミラの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。
「ん……」
だが、その武骨な手つきがミラは心地よいのか、目をつむりながらフルフルと目蓋を震わせていた。
「絶対に無事で帰ってきて」
「ああ、約束するよ」
――こんな目をするのか。
ジョシュアはミラの中に今までまったく感じたことのなかった女を見つけてしまい、胸が奇妙に熱くなるのを止められなかった。
定刻の時間になりジョシュアは騎乗の人になると隊伍を組んで、街の人々に見送られながら、今までには感じたことのない奇妙な高揚感に包まれていた。
道一杯に広がった見送りの人々の中に小柄なミラが飛び上がるようにして手を振っているのがわかり、目蓋が熱くなる。
(そういえば、ひとりの女とこんなに続いたこたぁなかったな)
無論、ジョシュアとミラは男女の関係ではない。年少の女奴隷を引き取る騎士は、当然夜の世話もさせることが前提であったがジョシュアはそんな気を起こしたことは一度もなかった。
――だが、今日のはヤバかった。
それくらいに、まだまだ子供であると思っていたミラの成長具合は危険であった。
(なにをバカなこと考えてやがるジョシュア。くだらんことに気ィ取られてると、真っ先におっちぬぞ)
ジョシュアは腰の二剣をそっと撫でさすると額に流れた汗を手甲で拭い、これから先に待ち受ける地獄に思いを馳せた。
冬には終わるはずの遠征は予想外に長引いた。
旅だった騎士団の戦いは、夏が終わり、秋が来て、春が来ても収束せず――。
ジョシュアたちが大聖堂に戻ったのは、再びやって来た夏が終わりそうになるころであった。
一年を超す大遠征は費用をかけた割には成果の出ない大聖堂の恥部として記録されることとなる。
このころのロムレス王国は各地で大貴族の反乱が相次ぎ、比較的無事なのは南部の海沿い地帯であるアンドリュー州くらいであった。
そして、騎士団の損失も乏しい成果に見合わない大損害であった。
兵士の消耗率は三割を超えており、これは軍事的には全滅とされる酷さである。
ジョシュアは生き残った。
それがすべてだった。
レナエルの率いる第十八分隊に所属するジョシュアは戦闘では後方に配置され、主に糧食を守っていたのが功を奏したのか、死亡した騎士や従兵はわずかであったが、終盤には激戦に追い込まれた。
輜重隊を執拗に襲撃するウェアウルフやオークの亜人部隊は手強く、剣の達人であったジョシュアの力戦がなければ部隊の全滅もありえたほどだった。
レナエルは大聖堂に帰隊の報告を告げると悄然と上層部の指示に従った。
「なぜ、なぜオレたちが罪に問われなければならないンすか!」
「仕方がない。司教たちは此度の遠征の失敗を殉教者の数でごまかそうとしているのよ。あたしたち後方部隊の被害は前衛に比べて少な過ぎたわ」
レナエルは詰所で兜を脱ぐと、長い髪をなびかせてフーッとため息を吐く。二十七歳と小娘扱いされても、この一年の遠征で苦慮し続けた彼女の思いを知っていたジョシュアは激しい義憤に駆られていた。
同時に憂い顔で窓の外の青空を見つめるレナエルの姿は戦場で指揮を執っていた凛々しさは微塵もなく、やせ細って青白くなったその面は儚くさえあった。
「分隊長……」
ジョシュアがそっと近づいて手を伸ばすとレナエルは泣き出しそうな目をして自分の顔を手のひらで覆った。
「ダメ、ダメよ。あなたが抱きしめる相手は違うわ。早く家に帰って。あの子もあなたを待っているのよ」
強がっているが、レナエルが怯えているのはわかった。
自分の失敗を隠すことに躍起になっている上層部は今回の失敗を誰に、どのようにしてかぶせるかわからないのだ。
そして、その罪はほぼ無傷で戻った第十八分隊を率いていたレナエルに白羽の矢が立ったとしてもおかしくない。
「失礼します」
ジョシュアはようやくそれだけいうと詰所を去って、ミラが待つ自宅へと向かった。
――やはり弱い者虐めになど意味はなかった。
剣の腕さえ上げれば世直しができると考えていた自分の幼さが腹立たしい。
若く強靭な肉体を持つジョシュアでさえ、一年に及ぶ戦いの傷は深く、自宅が近づくにつれ疲労が重くのしかかってくる。
目の前が霞む。
鎧の下に巻いた包帯に血が滲んでいるのがわかった。
ジワリと湯が漏れたように腹のあたりが熱い。
ミラ――。
いつしかジョシュアはミラの姿を求めていた。
我が家が見えるはずの最後の小路を曲がったところで、自分でもわからなかった傷のダメージで目が暗くなった。
「ミラ、よう……」
ぐらりと、視界がたわんで足元がおぼつかなくる。
遠くで、懐かしい声が聞こえた。
視界の端に駆け寄る白い姿が映ったとき、ジョシュアはその場に頽れて意識を失った。




