174「月下」
圧倒的な旧リーリカ軍の反乱によってルカッチ城は落ちた。
そして開戦前に行っていた工作が予想以上に効果を発揮したのか、それとも王都は政情不安でここまで手が回らなかったのかは知らないが――。
ママナ領は以前よりも税率が上がったが、かつてと同じくリーリカの温泉人魚一族が統治するということですべて不問とされた。
どうやらバルドー男爵は王国に納める税の相当な額を横領していたらしい。
ならばと、王太子派ではあっても誠実で善良な温泉人魚のほうがずっとマシであると判断されたのだ。
だが、それだけでここまで寛大な処置がされるとは思えない。
おそらく王国でも屈指の実力者である王宮魔道士マリンの力が働いたのだろうな。
と、まあそれなりにいろいろあったのだが。
とにもかくにも俺は傷の養生のために温泉に浸かっていた。
かぽーん、というお決まりの幻聴が聞こえてきそうなほど、この露天風呂の心地よさはえもいわれぬものであった。
誰が使っていたのかはわからないが、アヒルちゃんのオモチャも浮かんでいる。
「軽石かよ」
芸が細かいな。
いやいや、それにしてもユタリ姫とリーリカママの感激振りったらなかったな。
俺たち一同はママナ湖解放の英雄として持て囃され三日三晩と宴は続いた。
城にある天然温泉も入りたい放題なんてすばらし過ぎる。
俺は片手で天然温泉の湯を使い水鉄砲を飛ばしながらひとしきり童心に返った。
「そりゃ、そりゃ。ワハハ」
案外と楽しいな、コレ。
開放感もあるしね。
ジョシュアやレジスは地元民に絶大な人気で延々と続けられる酒宴から離脱することを許されず、今もなお昼からアホみたいに酒を浴び続けている。
一方俺はというと、ユタリ姫を救ったときの火傷が気を抜いた途端痛み出し、火傷に効くといわれる薬草風呂に日がな浸からされていた。
つっても、もうほとんど痛みはないんだけどね。
たっぷり食って寝てばっかいたら、ほとんど治っちゃったよ。
とはいえ、もう数日は念を入れて治療しておかないとこの先の旅に響くといわれたばっかだしなぁ。
ま、たまにはひとりの時間もいいもんだ。
特に俺はママナ湖を恐怖のズンドコに陥れていた魚人湖賊団の頭目であるアレクサンダーを倒しとあって特別扱いされていた。
湯も貸し切りだしね。
「はぁー、なんかここに永住したくなってしまうな」
「あら、でしたらずっといてくださって構わないと申していますのに」
「お母さま、また勝手なことを。クマキチさまはユタリの勇者さまですの!」
また来たよ……。
入口にはユタリ姫とリーリカ女王さまが風呂桶持参で乱入しようとしていた。
これでもう何度目だろうか。
このふたりはやる気に満ちあふれ過ぎている。
「あの、おふたりとも。入り口にクマキチ貸し切りと書いてあったでしょう? なぜ、そのように無体な真似をするのですか」
「ほほほ、そんな他人行儀な」
「そうですよクマキチさま。ユタリはクマキチさまとともにあります」
なんちゅーか、困ったようなうれしいような。
ここに来て俺の人生そものが確変に突入したらしく――。
ユタリ姫とリーリカ女王さまのおふたりに気に入られてしまったのだ。
モテ期ってやつだ。
けど、この身体でどーしろっちゅうんだ。
おいどんはシロクマやぞ。
相手も下半身はお魚なので間違いが起きるということはあり得ないけどね。
「てか、おふたりとも勝手に入って来ないでくれ。危険すぎるぞ」
「私たちは温泉人魚ですので、あたたかい湯はむしろ得意ですのよ」
「ユタリはクマキチさまとゆったりまろやかなお湯を楽しみたいです」
いや、そういう意味じゃないんだが。
ダメだ、言葉が通じねぇ。
「いいではないですか。それともクマキチさまは私たちがお嫌い?」
「ユタリはクマキチさま大好きです!」
約一名まったく会話にすらならない。
けどなぁ。
下半身はお魚さんとはいえ、このような美女と美少女のふたり同時に混浴をせがまれて断ることができる男がいるだろうか――。
いやいない。
ちょっとくらいは裸のスキンシップもいいかもな。
いや、その親睦を深めるという意味でだ。
俺は人知れず理論武装に成功した。
「仕方ありませんな。それじゃ百数えるまでですよ?」
ふと、脳天に突き刺さるような強烈な殺気を感じ、脱衣所のほうを振り返った。
ううむ。
いるな。
とんでもないのが一匹。
あの女……。
清野とおるの漫画に出てくるようなキチった真っ赤な顔で睨んでいる。
クローディアだ。
ササコマを抱いているのがポイントだ。
とりあえずあとが怖いので俺は限りなく紳士として振る舞うことを強要された。
涙ながらにふたりのレディにご退場願ったのはいうまでもない。
「だぁー、飲み過ぎた」
割り当てられた城内の部屋に戻るとジョシュアが赤い顔でベッドに大の字になりながら酔いを醒ましていた。
ジョシュアは両手両足をシャカシャカ動かしながら呻いている。
酔い過ぎじゃね?
「いくらなんでも、飲み過ぎだろ。適当に理由つけて抜けてこれないのか?」
「あのなぁクマキチよ。オレらはおまえの代わりに歓待という刑罰を受けてるんだぞ。だははっ。にしてもあの水棲族たちメチャクチャ飲みやがる。底なしだ」
「全然、刑罰に見えないんだが。レジスやローザは?」
「ローザはまだ絶好調で飲んでる。レジスは酌婦連中に無理やり連れてかれた。クローディアは……知らん」
「わたしはここに居ますよ」
ぬおっ。
暗がりに顔を向けるとササコマを抱っこしたクローディアが俺を見つめている。
「おおっ。そーいやクローディアよう。おまえもかなり酒勧められてたのにぜんっぜん平気みてぇじゃねぇか。スゲーな」
「わたしが飲んでいたのは水です」
そういうとクローディアは手真似で注がれた酒を盆に捨てる格好をして見せた。
確かに飲み過ぎは毒だもんよ。
今度は俺もそうしよっかな。
膵臓が悲鳴を上げると困るしね。
「しっかしよー。オレらやったんだよなぁ。なあ、オイ」
「いや、なにがよ?」
「ルカッチ城を落としたんだぜ! まさか生きてるうちにこんな日が来るとはな……」
「ジョシュアたちは頑張ったよな。俺はたいしたことしてないけど」
「クマキチがンなこといったらオレぁ立つ瀬がねぇぜ。……いや、城を落としたのどうのなんてどうでもいいんだ。オレがうれしいのはさ、こんなふうに誰かの役に立って、あんんなふうによ。手放しで褒められたのって……あんまなかったしよ」
ジョシュアはテンガロンハットを顔に被せると胸の前で両手を組んで静かになった。
「おい、もう寝たか? 水いるか?」
「ははは、ばーか。まだ起きてるよ。夜はこれからだぜェ」
完全に酔っぱらってるな。
明日は二日酔いに気をつけろよ。
けど確かに、俺たちがリーリカ女王やユタリ姫とともにルカッチ城を出たときの民衆の祝福ってのは凄かったな。
あんなふうに沿道に人がわんさと詰めかけてパレード状態で街を練り歩くってのは、これからたぶんもうないだろう。
そんくらい強烈な感動だった。
某アトラクションのパレードでキャストやダンサーが嬉々として働くのも、多数に注目される快感は病みつきになるからだということが理解できた。
自戒せねばならぬと決めていたのだが、いざその場で英雄に祭り上げられると誰でも我を失ってしまうのは仕方がないだろう。
あんなように平凡な人間が人生の主役として讃えられるの場ってのは、シロクマだった前の世界を思えば本人のための結婚式くらいだったろうな。
けど、それは作られた金ありきのもので、本物の悪党とされる人物をぶっ倒した人間が英雄として称賛される状況とはまったく違う。
あの多幸感のために命を懸ける英雄の気持ちってのが少しはわかったよ。
同時に物凄く怖いけどな。
尊敬と称賛の栄誉に浴するために人生を踏み外すってのは諸刃の剣だ。
心せねばならぬな。
「ジョシュアよ。ま、たまにはヒーロー気分になるのも悪くないよな。って?」
「ぐう」
ぽりりと顎を掻く。
ジョシュアは完全に夢の世界に入り込んでいた。
寝ゲロだけはするなよ。
「本当はわたしたちのような者が目立つのはよくないのでしょうが……」
ま、一応は隠密行だもんね。
この世界にSNSがあれば、俺たちの活躍や顔写真もあっという間に拡散されて居所を突き止められていただろう。
「けれど、わたしは努力した者が正当に評価されることは間違っていないと思います。できれば、このお方も生まれだけではなくて、なにを成したかで世間さまに認めてもらいたいのです」
ササコマは目を閉じてすうすうと寝入っていた。
「本当に、おかわいらしいこと」
思えばこの子は母の愛もロクに知らず、血筋だけでその命を狙われ続けている。
ママナ領の主であるリーリカに頼めばササコマもある程度の時間は平穏を得られるだろうが、結局のところそれは対処療法で根本的な解決に至らないだろう。
「あの、少し外の空気を吸いに出ませんか?」
ふと腕組みをしていると、クローディアが意を決したようにいった。
「ん、んん。ああ……」
気づけば俺は地図で見た大聖堂までの経路を頭の中に思い浮かべていた。
返答が素っ気なかったのが気に入らないのか、クローディアはムッとした顔で頻りに自分の髪をいじっていた。
「煮え切らない男ですね」
「なんかいったか?」
「なんでもないですよ」
さいですか。
もはや有名人なので城内を移動するだけでありとあらゆる人間にまとわりつかれる。
途中、宴会場の横を通ったのだがローザは赤い顔で上機嫌に踊っていた。
そっと覗き見る。
リーリカ女王もユタリ姫もドルフィン族の面々も笑いが絶えない。
おお、しかしローザのダンスはこうして見るとやはり扇情的だな。
「いだっ」
と、思っていたら耳をギュッと引っ張られた。
「なにをよそ見しているのですか。ありえないですよ、本当に」
なんだか、凄く理不尽だ。
ルカッチ城の中庭に出た。
空には冴え冴えと光る月と星々が目に眩しいほど輝いていた。
物見用なのか。
中庭には小さな塔が立っていた。
「あそこに上ろうぜ。きっとここよりもよく月が見える」
クローディアはちょっともじもじすると「仕方ないですね」と小さくつぶやく。
ハシゴをゆっくりと上る。
木製のそれは経年劣化してささくれが目立っている。
「気をつけろよ」
「そう思ったのならレディの手を引くのがエチケットですよ」
「んじゃ抱っこしてやる」
「きゃ」
このほうがずっと早いしな。
俺はクローディアを横抱きにしながら一気に駆け上がった。
「や、絶景かな絶景かな」
「なんですか、そのセリフは」
「俺の国ではよいものを見たあとは必ずこういうシキタリなんだ」
「なんだかアホらしいですね」
「だって嘘だもん」
あ、ムカッと来てるな。
クローディアは理知的に見えて意外と馬鹿々々しい嘘にコロッと引っかかってくれるから好きだ。
「けど、いいものが見れたから今夜に限って許してあげましょう」
「これはこれは寛大なお言葉。恐悦至極に存じます」
そろそろとクローディアが狭い空間を移動して俺の胸の中に収まる。
黙ったまま彼女はササコマを抱いていた。
そんな時間がゆるゆると流れる。
「……あと、もう少しで大聖堂ですね」
「だな」
不安がないわけじゃないが、口に出しても仕方ない。
どうせ人生なんて儚いもの。
永遠には続かないのだから。
「もう少しだけこのままで居ていいですか?」
「ああ」
言葉少なげに俺は答えた。
遠くから下手くそなリュートの調べが風に乗って運ばれて来た。
思わず吹き出して、クローディアに嫌な顔をされる。
こういうとこが決まらない男なんだよな。
どうしたらいいですかねと――。
こっそり胸の内で月に問いかけた。




