17「クマキチ、怒る」
「旦那。カミさんは地下室だ。急ぎましょうやっ」
「それよりもだ君たち。ほかに捕らえられている娘はどの部屋にいる?」
「隣です。お願いです、森の勇者さま。隣には母と姉たちがまだ――!」
俺が知性ある獣だとわかったのか、金髪の娘が毛皮にひっしとしがみつき懇願してきた。
「ヨーゼフ。この子と隣にいる娘たちを連れて先に逃げていてくれないか」
「け、けどよう。それじゃ、旦那のほうが――」
「俺ならもうひとりで大丈夫だ。それよりも、この子たちを放っておけば狂った砦の兵たちになにをされるかわからない。頼むよ。彼女たちを守ってやれるのはおまえしかいないんだ」
「ちぇ。そうまでいわれちゃ旦那に無理はいえねぇや。無事にカミさんを助け出せたら例の場所で落ち合おうぜっ。そのときにゃ、みんなで一献傾けようや!」
ああ。そのときを楽しみにしている。
ヨーゼフはきらりと白い歯を光らせながら、俊敏な動きで隣の部屋へ移動していった。
概算であるが、すでに一〇〇人のうち半分くらいは斃している。
ほとんどが酔いが回っていたせいか、たいして手強いとは感じなかった。
一気に親玉がいる最上階まで到達してしまったが、ルルティナは地下室にいるらしい。
さあ登ったからにゃ、降りねばならない。
おりゃおりゃおりゃとかけ声をかけながら、どすどすと足音を立て駆け下りる。
散発的にまだやる気のある兵隊たちが三々五々集結して立ち向かって来るが、右のフックをかますと鎧ごと弾けて壁のシミとなります。
十五人ほど新たに屠ったところで、最下層にたどり着いた。
と、思ったらなにかキナ臭い。
おい。もしかして誰かが火を放ったのか?
俺がまだ脱出していないのを知っているヨーゼフが無謀な真似をするわきゃない。
だが、このような混乱でなにが起きても不思議ではない。
嗅覚をフルに活用してルルティナのカケラを探し続け、ついにはそれらしきものをようやく探し当てたときはホッとひと息といったところか。
黴臭い地下室の前に到達すると、ふたりほどの番兵が怯えきった顔で立ち尽くしていた。
えーい、めんどくさい。こういうやつはガブリで。
俺は交互に男たちの頭をかじると頭蓋を割って絶命させた。もっとカルシウムとれよ。
扉は生意気にも鉄製だった。なんでこんな場所に予算かけるのかねぇ。
そう思いながらくたばってまだ痙攣している男のどちらかがカギを持っていないかまさぐる。まさぐるが、なぜか見つからない。
俺は癇癪を起して扉にタックルを叩き込むと三発目であっさりと吹っ飛んだ。
「は……」
その光景を目にして頭が真っ白になった。
半裸に剥かれたルルティナ。
幼児が捏ねたような粘土細工顔の男に胸をまさぐられていた。
全身の体毛がワッと逆立った。
しゅうしゅうと腹の奥から怒りの炎が呼気となって立ち昇ってゆくのがわかった。
俺は世界に現存する怒りを体現するかのように、激しく咆哮した。
室内の石壁がびりびりと震えている。俺に睨まれた粘土細工顔は小ウサギのようにぷるぷると震えながら、手を止め怯えきった瞳で許しを請うような視線を作った。
「テメー。人生終わったぜ」
粘土細工がルルティナから離れかけたとき、素早く突進して腕を捩じり上げた。
これか。この汚らしい手で俺のルルティナに触れたというのか。
ギッと力を込めて絞り上げた。男の右腕はみちみちと妙な音を立てて、まるで雑巾のように捩じり上げられ、やがてぷつりと切れた。
あああっ、と男の口から凄まじい絶叫がほとばしった。
黙れ。おまえは俺のルルティナになにをした。
爪の先を男の口に引っかけて斜めに振った。
男の唇が綺麗に裂けてドッと真っ赤な血が流れ出した。
いけない。そう簡単に壊してたまるか。
もっとだ。
こんなもの、ルルティナが味わった恐怖のまだ数万分の一程度でしかないんだ。
「おまえには、生まれてきたことを後悔してもらわなきゃいけない」
残った左腕を同じようにねじねじして雑巾のように絞り上げた。
予想通りいい音色を聞かせてくれた。
男は絶叫しながら石の床に両膝を突き、絞った雑巾のように捻じれた自分の両腕を見て狂ったように叫び続けた。
ざけんな。誰が勝手に壊れる許可を出したんだ。
俺は男を壁際に蹴り飛ばすと前のめりに倒れ伏す直前を狙って、両の爪を胸と腹に幾度幾度も打ち込んだ。ひ弱な人間の身体など豆腐とあまり違わない。
ざくざくざくざく、と。
男の腸を細かく刻んで挽き肉にする。
朱色の血が勢いよくほとばしって俺の真っ白な毛皮を濡らした。
恐怖によって男の肛門からひり出された糞便の激烈な臭気で我に返った。
なにをやっているんだ、俺は。
――ああ。なんというか、もう嫌になってきた。
男は息の絶え絶えに惨めったらしい目で許してくれと哀願している。
だがな。
「赦すわきゃねーだろがっ」
ガッと大口を開けて男の頭に牙を突き立てた。
それは想像していたよりもずっとやわらかくて脆かった。
がきがきっと骨が砕け肉が飛び散る感触を口内で感じ、実に気分が悪くなった。
牙と牙を噛み合わせると男の額から顎のあたりは完全に消失した。
痰を吐き出すように口中の肉片をべッと吐き出した。
俺は首と両腕を失ったでき損ないの人形もどきを放り捨てると、呻き声を上げながら座り込んでいる男に目を向けた。
この時点で怒りは相当に淡くなっていたのだが、コイツもどうぜルルティナをいじめていた輩だ。
赦すことはできないので、両拳を握り合わせて頭頂部を垂直に打った。
ぼぐん、と。
鈍い肉を打つ音とともに男の顔面は半分ほど身体に埋没して脳漿を撒き散らした。
「ルルティナ、待ってろ。今、解いてやるからっ」
俺は爪を振るって彼女を戒めていた鎖をあっさり断ち切ると、手首の部分の枷は噛み切ってやった。
「ああ、こんなに痣が……! ごめんな、ルルティナ。もっと早く助けに来てやれれば」
「……さま」
「ルルティナ?」
「あああーっ。クマキチさまぁーっ!」
ふるふると涙を浮かべたルルティナが胸の中に飛び込んで来た。もう先ほどまであった胸の中に燃えたぎる怒りは雲散霧消していた。
涙が熱い。パッと見、間一髪というところだったが、天は俺たちに味方したのだ。
今、この瞬間、俺はシロクマに生まれ変わったことを感謝していた。
普通の人間に転生していたら、とうていルルティナを助け出すことはできなかったであろうし、その前に俺自身があきらめていただろう。
胸元で泣きじゃくるルルティナの涙の熱さが今はいとおしかった。
「帰ろう。俺たちの家に」
ルルティナは涙を拭おうともせず、安心しきった顔で赤ん坊に戻ったかのように顔をこすりつけて来た。
砦を抜け出したのは間一髪だった。
ルルティナを抱えたまま後方を振り返った。
四階建ての砦が真っ赤な炎に炙られ、ガラガラと崩れ落ちていく。
傲慢なる悪鬼の砦はゴーゴーと唸り声をあげて天にも届けとばかりに荒れ狂っている。
夜半の風に激しく煽られ火の粉がパチパチと無数の蛍火のように闇の中を舞っていた。
真っ直ぐ森まで続いている砂利道を歩きながら、周囲の草むらから人の気配を感じた。
周辺の村人たちであろう。苛政に苦しめられた善良な人々の気持ちは痛いほどわかった。
ハドウィンの代わりにどんな代官がやってきてももう少しマシになるだろう。
だから覚悟を決めた。
ここまでやってのけて、逃げ隠れすることはできない。
ならばこちらは堂々とこのような守備隊長を送った領主の非を鳴らし、たとえ万余の敵を送られようとも真っ向から四つに組んで戦ってやる。
「そこで見ている善良な村人たちよ。領主の兵に訊ねられたらこう答えるがいい。森の守護神がいつでも相手になってやると!」
木々の影に隠れていた人々がぞろぞろと這い出して来た。
彼らは胸を張って歩く俺の姿を見ると、膝を折って地面に額をこすりつけ拝み出した。
ある者は啜り泣き、ある者は感謝の言葉を述べ、ある者は俺を讃えるような言葉を吐いた。
「クマキチさま……」
気づいていたのか。
俺は胸の中で静かにしていたルルティナが予想以上にしっかりした声を出したことに驚きを隠せなかった。
「覚悟が決まっていなかったのは、私のほうでしたね。安穏と生きられればいいと……そう願うばかりに、ウェアウルフとしての誇りを見失っていたようです。私は、もう逃げたりしません。そのときが至れば、父祖の名に恥じぬよう敵たちと勇敢に戦って見せます。だから、だから。どうか――私が逃げ出さないよう、そばで見張っていてくれませんか?」
「ルルティナ。俺はなにがあろうと最後の瞬間まできっといっしょにいるよ」
そうだ。きっとそのために俺は生まれ変わったのだ。
天が、神が、そうだと認めなくても、俺はそのように信じる。
信じることが生きる力なんだ。
俺はあまりに軽すぎるルルティナの身体をしっかり抱きかかえながら、我が子に対する父のような胸まで焼け焦げそうないとおしさを感じ、緑の濃い森に分け入っていった。
――三日が経過した。いつもの場所である草地で再会したヨーゼフは、ついていたのかつていなかったのか判断のつきにくい情報を持ってきてくれた。
まず第一に、イノコ砦の大将であるハドウィンはあの大怪我を負いながらも命を永らえたらしい。
彼は、砦が燃え落ちたことを失火と辺境伯に報告したらしい。これは、蛮族に攻め入られ、あまつさえ一〇〇人近い手勢を持っていながら、首ひとつ取れず敗れ去った恥辱を糊塗するためでもある。
特に一度虜としたルルティナを奪い返されたという失点が政治的にも大きすぎる。
未だ、ルルティナの一族にも領主の威光を屁とも思わず反抗作戦を続けている勢力は少なからず存在する。
そこで、たとえ噂であってもウェアウルフの祖が眠るといわれる森に「守護神」と呼ばれるような大物が現れたなどとは毛ほども広まってはまずいと危惧しているのだ。
「だがよ、旦那。領主の本軍は動かないにせよ、ハドウィンはこのところ手勢を誰彼構わず掻き集めている。もう、すでに元の一〇〇近くは数が戻っているらしい。俺が見るところ、五〇〇かそこいらは集まったら、周囲の山狩りをはじめるはずだ。
そうなれば、土地の猟師を片っ端から徴集するだろう。金次第で旦那が住んでいる場所まで道筋をつける外道な案内人なんていくらだって出てくるはずだ。とてもじゃないが、今までのように数日で村まで出て行ける場所には住み続けられねぇぜ」
「ヨーゼフ。ハドウィンはおおよそどのくらいで募兵を終えて攻め寄せるか見当はつくか」
「そうだな。旦那とアマっ子たちが半死半生に手負わせた。ハドウィンの怪我の具合によるが、思ったほど重症じゃあないらしい。本人の痛みが治まるまで七日。軍需物資を掻き集めるるのに七日。合わせて半月はかかるだろうな。
逆をいえば、それだけやつらが周到に準備を整えるとなると、森の奥まで逃げるのにどれだけ距離を引き離せるか」
「ヨーゼフ。俺はやつらから逃げるつもりはないよ」
「旦那……」
「森の後方にあるクドピック山。ここ数日で様子を見てきたが、ロムレス兵たちを迎え撃つにゃ、いい塩梅の場所だ。あすこを半月の間に要塞化すれば、俺ひとりで五、六〇〇の兵を斃す自信はある。あるが――」
「クマキチの旦那。水クセェこといわないでくれよ。アンタがやるなら俺もやるぜ。旦那ほどの豪傑っぷりにゃ及びもつかんが、森や山で戦うならダークエルフの一匹くれぇいたって邪魔にゃなんねーはずだよ」
「おまえなぁ。俺のケツなんか追っかけてたら間違いなく真っ先にくたばるぞ。それに、ちゃんとシロマダラを狩って冒険者ギルドに残留できたじゃないか。こいつは元はといえば俺が売った喧嘩だ。俺のアホにつきあって命を捨てる必要なんてない」
「だからそれが水クセェってんだっ。命をうんぬんするくれーなら、砦へといっしょにカチ込んだりしねえってのっ。俺は旦那の男っぷりに惚れたんだ! わかってくれよ。男が男に惚れたら、こりゃあもう命を賭けるしかねぇでしょうが!」
ヨーゼフは俺の胸を腹ただしげにどすんと打つと、女と見紛うような長いまつ毛をしばたかせて目尻に涙を盛り上がらせていた。縁が真っ赤に染まっている。
まあ、再認識する必要もなかったのだが、ヨーゼフはこういう男なのだ。
命の恩人と思い込んでいる俺を見捨てることなど絶対にできないと頭から信じ込んでいる。
そしてその妄信のために、純な魂を燃やし尽くしていつでも死ねると言葉だけではなく行動で示そうとしているのだ。
「惚れた惚れたといってくれんなや。気恥ずかしくてたまらない。それに、もし俺がケツを貸せっていったらどうするつもりなんだ」
「へっ。こんなきたねぇケツでよけりゃいつでも貸しやすぜ」
ヨーゼフはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、くりるとうしろを向いて、引き締まった自分の尻を平手でぱんっと威勢よく叩いた。
「あは。そいつは勘弁だな」
バカなやつだな。俺は涙脆いんだ。
こんなふうに慕われて感情が揺さぶられないはずがない。
「はは、旦那がベソかいてら」
「おまえだって、似たようなツラだぜ」
ヨーゼフはダークエルフという亜人であっても所詮は耳がちょっぴり長いだけの人間にしか見えない。
対する毛むくじゃらなこの俺は純度一〇〇パーセントのシロクマ野郎なのだ。丸くてぽわぽわした耳に真っ黒な瞳と突き出した口吻。
カッと口を開けばびっくりするほどデカい牙が生えているし、そもそもこの発声器官でどうやって人に通じる音を出しているかもよくわからない珍妙な生き物だ。
そんな俺を信じてくれる。命を賭けていいといってくれる男が目の前にいる。
感無量だった。
「ヨーゼフ。今からいうものを調達して欲しい」
「任せてくれって。俺は商人じゃねぇけどギルドのツテを使ってなんだってそろえてみせるぜ。ドンと来いだ!」
大きく出やがって、コイツ。俺は興奮のあまりピクピク長耳の先端を揺り動かすヨーゼフを見ながら、再び込み上げてきそうな涙を隠すためあくびを漏らすふりをした。




