169「願い」
「ところで折り入って話があるんだギョロン」
長老が長い白髭をニョロンと蠢かせ上目遣いで杯に酒精を注ぐ。
ついに来たか。
どうせこんなことだろうとは思ったが、想定の範囲内すぎて驚くのも馬鹿々々しい。
「おう、なんだァ! なんでも聞いてやるからいってみろや!」
「そうそう、あたしたちにまっかせなさーい!」
完全にできあがっているジョシュアとローザは椅子の上に立って気勢を上げていた。
ダメだ、こいつらは。
常ならば冷静であるはずのレジスもテーブルに突っ伏して呻いている。
シャルル長老はこの機を逃さずと一気に畳みかけてきた。
「ドルフィン族すべての願いだギョロン。あなたたちは義に厚く弱気を助ける士と見込んでの頼みだギョロン! ルカッチ城に囚われた我らが女王と姫を助けるのに協力して欲しいんだギョロン」
「ルカッチ城っつーのはママナ湖のそばに立ってるこの土地の領主の居城のことだよな。詳しく聞かせてくれ」
ジョシュアは焦点の合わない目で酒瓶を抱えながらシャルル長老に続きを促す。
完全に酔いが回っているのだ。
見れば、先ほどまで音楽や宴会芸を行っていたドルフィン族たちすべてが、俺たちの一挙手一投足に視線を注いでいる。
最初からわかっていたことだが、ここまでご馳走になってしまえば心情的にも話すら聞かないというとはできない状況だ。
「発端はロムレス王国で起こった王位継承戦争にあるんだギョロン」
その言葉が出た途端、押し黙っていたクローディアの表情が強張った。
どこまで罪深いのだ。
王位継承戦争というやつは。
「このママナ湖周辺は温泉人魚である女王リーリカさまとそれをお支えする我らや地域の種族に治められていたのだギョロン。湖畔に見えるルカッチ城も元々はリーリカさまのご一族が建てたお城だギョロン。王国にも既定の税は納めていたし、ニンゲン族である地域住民とも協力し合って幸せに暮らしていたのだギョロン。けれど、我らはひとつの選択肢を間違えてしまった、いいや選ばされてしまったギョロン」
それだけいうとシャルル長老はふーッと長く息を吐き出しテーブルの上の酒瓶を逆さまにして一気に呷った。
おい……。
てか、温泉人魚ってなんなんだよ。
初耳だぞ。
「ロムレスでは珍しい温泉の湯に浸かるのが好きな人魚族のことだギョロン。ママナの城下町では天然温泉が昔から湧き出ていて、いくさやそれに罹災した人たちにとっては密かなブームなんだギョロン」
さいですか。
話の腰を折ってしまってスマンな。
続けて。
「基本的にニンゲンたちの争いごとにはタッチしないスタンスであったワシらであったが、ある日、王太子ギデオン派を名乗る兵たちがルカッチ城に攻め込み女王さまに無理やり陣営に加わるよう武力を持って脅しをかけてきたんだギョロン。まだ、幼いユタリ姫を人質に取られてワシらドルフィン族やマーマン族たちは戦闘には加わらないものの、主には水路を使って軍需物資を運ぶ輜重輸送として働いたんだギョロン」
「結果はオクタヴィア王女の勝利ってか」
ジョシュアがとろんとした目つきでつぶやく。
「そのとおりだギョロン。無理やり協力させられたリーリカさまは王太子派が凋落したことによって、捕らえられてしまったんだギョロン。ルカッチ城も取り上げられて、今は幽閉の身。戦後、論功行賞でママナ湖周辺の領地を得た王女派のロムレス貴族バルドー男爵ってやつがまた酷い男だギョロン」
「どんなふうに酷いんだよ」
ジョシュアは座った目をしてドルフィン族一向に視線を向けようとしているが、どうも酔いすぎて定まらない様子だ。
「リーリカさまはお城に幽閉されてユタリ姫は城下町で晒し物にされているんだギョロン。ワシらはなんとしてもリーリカさまとユタリ姫をお助けしたいギョロン。それで、ご迷惑とは思いましたが、回りくどいのですが、こうしてささやかながら歓待させていただき、ご助力を仰ぎたいのだギョロン」
「ンがーっ」
かくんと首を折ってジョシュアは完全に夢の国へと旅立ってしまった。
だが、ドルフィン族一同は床にぴったり腹を着けたまま微動だにしない。
悲しいくらい鮮烈な気持ちに心が揺れ動かされそうになり、胸の動悸が高まった。
「なぜだ」
「はい?」
「なぜ俺たちなんだ」
「失礼ですがママナ湖でマーマンたちに襲われている弱き人々をお助けするのを拝見させていただきました。ワシたちが観察したところ、ママナ湖を行きかう渡し船には武芸の心得がありそうな人物は何人もいましたが、身を捨ててマーマンたちに立ち向かい賊と戦おうとする正義の心を持つ者はクマキチ殿たち以外おりませんでしたギョロン」
「買いかぶりすぎだ。それに俺たちはただの旅人だ。無用ないざこざに首を突っ込みたくないんだ……」
「わかりましただギョロン。お話を聞いていただいただけでもワシらはとってもうれしいギョロン」
長老はサッと顔を上げると俺が思った以上に晴れ晴れとした顔で笑っていた。
いいのかよ。
そんなに簡単にあきらめて。
「加勢を頼めなかったのは悲しいけれど、我らは予定通りにルカッチ城に攻め込み、返り忠をしてバルドー男爵に寝返った魚人湖賊団とアレクサンダーを討ち、必ずママナ湖に平和を取り戻して見せるんだギョロン」
「待ってくれ。それじゃああのマーマンたちは今の領主であるバルドー男爵とやらの命令でママナ湖を行きかう船を襲っているということなのか?」
「そうだギョロン。魚人湖賊団を名乗るアレクサンダーはも元はリーリカさまに仕える湖の戦士だったんだギョロン。それが王太子派の旗色が悪くなると、率先して王国の命で入植してきたバルドー男爵に鞍替えしてどんな命令にも従うようなクズに成り下がったんだギョロン。ママナ湖は美味しい魚が一杯取れて、元々は漁民の力が強い地域だったギョロン。それに地元の民は種族を問わず他国からやって来たバルドー男爵に心服などしていないギョロン。男爵はそれが気に入らなかったんだギョロンねぇ。ママナ湖畔を行き来する漁師ギルドに目の玉が飛び出るような税をかけて、従わなければ嫌がらせで湖賊を組織させて、渡し船を襲わせるギョロン」
なるほど。土佐に移封してきた山内侍と地元の長宗我部侍のような関係だな。
バルドー男爵は地元から連れてきた部下を寵愛して地元民を徹底的に弾圧しているという形か。
「長老がいう通りなら男爵の政治は上手くいっていないんじゃないか? その旨を王国に伝えればリコールなりなんなりできないのか?」
「――ダメだギョロン。ワシたちは王太子派に与した罪人だと思われてるギョロン。そもそも、よっぽど王宮にツテがない限り話も聞いてもらえないし、そもそも役人たちが要求する巨額の袖の下を何度も取られるだけ取られて成果はなにもないギョロン。こうなれば、ワシらは地元の漁民たちと力を合わせて一斉に蜂起して、せめてリーリカさまたちだけでも他国に落ち延びていただかなければ、家臣として死んでも死にきれないギョロン」
「そうか。ここまで聞いてなにもできないのは、本当に悪いんだが……」
「いいんだギョロン。ただひとつだけお願いがあるギョロン」
「なんだ?」
「もし、ワシらの義挙が敗れたとしても、クマキチ殿たちだけにはワシらのやったことの意味を覚えていて欲しいんだギョロン」
そういった長老の瞳には老いを感じさせない強烈な輝きが宿っており、俺は目を伏せるしかなかった。
結局のところ俺たちはドルフィン族の村で一夜を過ごすこととなった。
酔い潰れたジョシュアたちをベッドに放り込む。
ローザなんかは年頃の乙女とは思えないほどあられもない姿でゴロゴロするので目のやりどころが困るぜ。
「……」
は。しまった。クローディアがなにやら冷たい視線で俺の背中をジッと見つめている。
俺は手早く毛布をローザの身体にかけると、グッと二の腕で額を拭った。
「あの、今、いいですか?」
クローディアがササコマをおんぶしたまま、コテージの入り口で待っている。
そういや、あとで話があるとかないとかいってたよなぁ。
いつも乱れることのないレジスも今夜はよほど酔ったのだろうか、ベッドの上でガーゴーとイビキをかいて覚める様子がない。
「で、話ってのはなんだ?」
泊っているコテージからそれほど離れていない村のカエデの木の下に移動した。
湖畔から吹く風が肌に冷たいのかクローディアの唇がちょっと蒼ざめていた。
俺は彼女の身体が冷えないように背を守るように立つ。
それに気づいたクローディアがちょっとだけ意地悪そうに目を吊り上げる。
「ヤらしいですねえクマキチは。もしかして、そういうことを期待して紳士を気取っているのですか? 今ならちょっとだけ大事なところをサービスしますよ」
「てい」
「いたっ」
軽くチョップをするとクローディアは表情を変えず呻く。
「あのな。そんなこといいたくて耳打ちしたんじゃないだろ。寒いからとっとと話せよ」
「ですね」
ササコマは目を閉じたまま口からよだれを垂らして寝入っている。
ここだけ切り取れば特になんということのない日常なのだが、かつて現代日本人だった俺がシロクマに転生してイルカ亜人に反乱の手助けを懇願されているという人生をどうすれば想像しえるというのだ。
「レジスのことなのです。クマキチたちが魚人を討伐に船を空けたあと、彼はわたしたちを襲う賊を見事な腕前で斬り伏せました」
「ああ、聞いたよ。凄いじゃないか。あのレジスが、いやいや。人は見かけによらないもんだなぁ」
「そうじゃありません。あれは――異常です」
「異常?」
「あの鬼気迫る表情。ハッキリいってわたしは恐怖を覚えました。レジスは、もしかしたら、もしかしたら――」
「ロムレスの寄越した密かな追手とか? 考えすぎじゃね?」
「そう、でしょうか。でも、クマキチは見ていないからそういうことをいえるのです。あのときのレジスの腕前は、もしかしたらジョシュアと同等かそれ以上であるとわたしは感じました」
よほど思いつめていたのかクローディアの顔色はよろしくない。
てか、悪い。
そりゃいつなんどき敵に襲われるかもしれない旅を延々と続けているのだ。
肉体的にも精神的にも疲労が溜まっているだろう。
ドルフィン族に関する物騒な事柄は、一度そこで頭の中身をフラットにしてから考えればよろしい。
「よし、そんじゃあ行くか」
「あの、クマキチ? わたしの話聞いてますか? レジスの件は――」
「温泉だ」
「は?」
んで、翌日俺たちはドルフィン族の村をあとにするとルカッチ城のお膝元であるママナ温泉郷にやって来た。
「やった。あたしお風呂大好きなのよね。久々に綺麗綺麗できる。クローディア、部屋に荷物置いたら早速入りに行こうよ!」
「え、いや、ローザ。ちょっと待ってください」
ドルフィン族の村で散々脅かされていた割には、ママナ温泉郷は普通の観光地だ。
通りに並ぶ屋台に軒を連ねる温泉宿が無数に広がっている。
「ホラホラ、お面お面。これ変なお土産じゃない? あははっ」
ローザは終始テンションが高く、立ち止まってはどう考えてもいらないものを次々に買っている。
ジョシュアとレジスは昨晩の酒が尾を引き摺っているのか、温泉郷に入っても青い顔をしてゾンビのようなのろくさした動きしかない。
「うぇあー。気持ち悪ぅ。なんでクマキチは平気なんだよ」
「すみません、僕も、気持ち悪くて……うぷっ」
「とりあえず今はざぶっと風呂入ってからこれからのことを考えよう」
別段俺はクローディアの養生のために温泉郷に泊まることを提案したわけではない。
長老の話が本当ならば、この地を治めることとなったバルドー男爵のやり方にどこかほころびが見えるはずである。
ならばそれを実感できるのは、実際に現地現物で確かめたほうがいいと思っただけのことである。
「ママナ天然温泉の宿。ここにしようか」
俺たちは宿を決めると、素早く部屋に移動した。
「小ざっぱりしていますね」
クローディアが部屋に荷物を下ろしながら驚いたようにいった。
宿の主人に提示された値段もかなり強気の設定であったが、部屋は一流ホテル並みの清潔さと豪奢さがあった。
さすがに王侯貴族専用というほどのクオリティではないが、俺も森を出てから小さな宿場町の宿の酷さがどのようなものであったかは心得ている。
それこそダニ、ノミ、シラミ、南京虫のオンパレードで、寝具が汚れまくっており野宿のほうがよっぽど清潔だったような宿はいくらでもあった。
「しっかしこの宿は驕りすぎじゃね? あの料金じゃ泊まれない部屋のクラスだぞ、ここは……」
テンガロンハットを脱いだジョシュアが部屋に飾られた絵画の額縁を突きながらぼやく。
「部屋は男女別ではないにしろ、相当に質のよいものを使っていますね」
レジスは椅子を手で押しながら、なんとも玄妙な細工にひとり唸っていた。
「そんなのどーでもいいじゃん。早くお風呂入ろーよ。あたし先行ってるからね」
ベッドに腰かけぼよんぼよん跳ねていたローザはクローディアの手を取ると、この宿自慢の温泉へと直行した。
そんじゃあ俺らも温泉行くかね。