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15「さらわれたルルティナ」

 目前の大仕事であるログキャビン作りが終わってしまったことで、気が抜けていたのだろうか。


 俺はついついルルティナが三つ子を連れてキノコ狩りに行くことをたいした警戒心もなく許可してしまった。


 すぐ戻る。そういって出かけて行った彼女であったが、昼どきを過ぎても帰ってくる気配がない。


 場所は俺も行ったことがある、歩いて三十分もかからない場所なのだ。


「姉さん、遅いですね」


「うん。ま、そのうち戻って来るだろう。遊んでるんだよ、きっと」


 思えばそのときにはすでにことが終わっていたのだろう。


 三時のおやつどきになっても気配すら見せないことに業を煮やし、丸太の上から浮かせかけたとき、ララ、ラナ、ラロの三人娘たちが転がるように木々の中から泣きながら駆け寄って来たのだ。


「おい、どうした! ルルティナはどこだっ」


 膝にしがみついてくるララを抱き上げた。強い恐怖にあったせいか、しっぽを内股にくるりと巻き込んでいた。


 激しくしゃくり上げている。ロクに口も利けないようだった。あきらめて足元を見回すと、ラナとラロは怯えながらもなにかを伝えようとしていた。


「あなたたちっ。姉さんがどうしたっていうのっ」


 リリティナが青い顔で跪いた。ラナとラロはリリティナにわっと抱きつくと、涙と鼻で顔をくしゃくしゃにした。


「おねーちゃが、おねーちゃがっ」

「わるいニンゲンにつれてかれたぁ!」


 瞬間、全身の体毛が残らず逆立っているのを感じた。


 リリティナが泣きじゃくる三つ子たちからなんとか情報を聞き出そうと苦慮したが、唯一わかったのは剣や槍などを持った多勢の兵隊であるということだけだった。


「おねーちゃ、うじゅっ。あたしたちに、にげろって……」


「ずっと、いなくなるまで、ずっとかくれてなさいって……」


 ルルティナはとっさに三つ子を逃がして兵たちが引き上げるまで繁みに隠れているよう指示したらしい。


 そのせいで、三つ子たちが戻ってくるまで時間が経過してしまった。


 連れ去られたというのなら、これはもう間違いなくはじめてルルティナと出会ったときに見たロムレスの兵たちだろう。


「リリティナ。万が一ってことがある。みんなを連れて、ここからずっと離れた森の奥に避難しててくれ」


「クマキチさま……?」


「ルルティナはどんなことがあっても必ず無事に連れて戻る。任せたぞ」


「はい。リリティナは、クマキチさまを信じていますから」


 冷静になれと念じてみても、早鐘を打つような胸の鼓動は激しさを増すばかりだった。


 まず、ルルティナたちがキノコ狩りを行っていた地点にたどり着くと、俺は四つん這いになって臭いを嗅ぎ出した。


 クマの嗅覚は犬と同等にすぐれている。俺は馴染のあるルルティナのふわりとした匂いと鉄や血と入り混じった男たちの臭いを拾い出した。


 もう、長いこと雨が降っていないので空気が乾燥している。


 樹木の生い茂った枝葉で天は隠されているが、たぶんあと数日間は雨は降らないだろうと、本能で感じ取ることができる。


 すぐさま臭跡を追って歩き出した。湿った落ち葉や土に兵隊たちの軍靴や槍の石杖をついた独特のものまで嗅ぎ取ることができた。


 ほとんど争わなかったのだろう。案じていた血の臭いはない。


 となれば、兵隊たちの目的はルルティナの身柄の確保にあったのだ。


 進むにつれて、ドンドンと里の匂いが濃くなってゆく。


 人家らしきものの影が見えたところで、脚を止めた。


 どうすればいいのだ。自分は見た目通りシロクマである。


 人語こそ操れるものの、日頃没交渉であった村人にこの姿かたちで語りかけたところでまともに取り合ってもらえるとは思えない。


 こうなればシロクマラッキー人類さよならといっていた頃の自分が恨めしかった。


 貧すれば鈍するという。ついに俺の智も底を突きかけ、いっそ夜半に村へと忍び込んで誰ぞを拉致し、無理無体にでも情報を根こそぎ集めさせるかというトンデモな考えに至ったとき、背後の藪から聞いたことのある声が飛び出た。


「旦那? 旦那だよな。こんな里まで下りてきて、なにをやっているんだ」


「ヨーゼフ。なんでおまえがこんなとこに……」


「なんでって……あ、そうそう。シロマダラ退治のお礼にこのあたりの村人たちから砂糖菓子をもらったんだ。旦那、ちっちゃい子供がいるんだろ? へへ。おすそ分けに、と思っていつもの場所に行ったんだけど、さ」


 別に約束なんてしたなかっただろ。


 ヨーゼフを疑うわけではないが、ルルティナたちのことを思えば存在は秘匿しておいたほうがいいはずだ。俺たちは、月の初日に最初に出会った草地で会うこと以外は取り決めをしていなかった。


 それに、俺やルルティナたちが住んでいる家は、かなりぐるぐるとわかりにく森の道を通らねばたどり着けない場所にある。


「い、いや、そりゃ約束なんてしてなかったけどよ。俺が勝手に待ってたんだから、さ。もし会えたらいいなっ、てくらいで。この菓子、ケッコー美味いんだ。旦那の子供たちもよろこぶと思ってよ……」


 ヨーゼフはそういうと恥ずかしそうに頬を赤くして、いたずらの見つかった少年のような仕草で長い耳の裏を掻いた。


 こんな純粋な青年を疑った自分が恥ずかしいぜ――。


 俺はルルティナたちとの共生生活を上手くいいあらわすことができず、家族と曖昧に答えていたのだが、ヨーゼフはそれを文字通り受け取ってルルティナを俺の女房、三つ子たちを俺の子であると認識しているようだった。


「実は、是非ともおまえに頼みたいことがあるんだ」


「なんだ。いってくれよ。俺にできることならなんだって力になるぜ」


 俺はヨーゼフが投げた紙袋から真っ白な砂糖菓子を取り出すと丈夫な歯でがりがりっと噛み砕いた。


 なるほど。これはいい砂糖を使っている。ほのかで上品な甘さがじわりと脳に染み込んでゆく。


 頭の中身はスッと冷えたが胸の心臓だけはカッカッと炎が燃えたぎっている。


「ルルティナがロムレスの兵隊に捕まったらしいんだ。なにかそれらしいやつらの情報を知らないだろうか?」


「兵隊――だとすると、そいつはひとつっきゃねえぜ、旦那。今日の夕方頃、ギルドには砦の兵士たちがなにか大物を捕まえたっていう情報が入ってきてた。狩りをするとは聞いていたんだが。……そうか! やつら、今まで引っ込んでたのはシロマダラを恐れていたせいなんだ。俺らが、アレをぶっ殺したから、こんだァ安心して獲物を捕まえに森に入ってたってことかよ、チキショウ!」


 そうか。俺たちが村々の恐れていた魔獣シロマダラという怪物グマを仕留めたせいで、それがフィルターになっていたウェアウルフ狩りを再開したんだな……!


 なんてこった。これじゃあ俺はルルティナの首を絞めるために、ロムレス兵たちの障害を取り除いてやったようなもんじゃないか。


「エルム族ってのもわりかし珍しいらしいし、あいつら」


 いや、俺たちはそのエルムってやつではないんだが。


「たぶん、旦那のカミさんが捕らえられてるのはこっから西に二〇里ほど離れたイノコ砦に間違いない。村の酒屋が無理やり祝い酒を供出させられたってぼやいてた」


 よし。そんだけの情報があれば、たぶん間違いないな。


 もし、違ったときは砦の守備隊長でも人質に取って無理やりルルティナを探させちゃる。そのくらいの腹は決めてここまで下りて来たんだ。


「って、旦那! どこ行くんだよ。もしかしてひとりで乗っ込むつもりじゃねーだろなっ」


 そのまさかなんだよ、ヨーゼフ。


 俺はクマの中のクマ。シロクマだ。獲物と家族にゃ誰よりも執着する男だぜ。


「砦の兵は一〇〇を超えてるはず。幾ら辺境のヘボ騎士ぞろいとはいえ、旦那ひとりじゃ無茶ってもんだよ」


 止めてくれるなよ。いや、いろいろと世話になったな。


 俺がそういって、カッコよく人差し指を頭の上にかざし、ビッとやって立ち去ろうとしたらしっぽを掴まれた。


 んだよもぉ。カッコよさが薄れるじゃんか。


「俺も行く。ギルたちも呼びたいとこだが、あいつらはこの前の後遺症で戦力にならねぇ。なら、俺があいつらの分まで旦那の力にならにゃあ、義理が立たねぇ」


「ヨーゼフ。そこまでする必要はない。おまえまで追われるハメになるかも知れんぞ」


「嫌だ。旦那に俺たちゃ命を救われたんだ。それに旦那のカミさんなら俺たちにとって姉さんみたいなもんだ。見捨ててなんかいられねぇよ!」


 このイケメンダークエルフさんめ……! くそ。俺が女だったら今ので確実に抱かれてたね。それくらいヨーゼフの啖呵はバッチリ決まっていた。


「それにイノコ砦の主将ハドウィンはここいら周辺でも大の鼻つまみもんだ。辺境伯の妾の子だかなんだか知らねぇが、勝手に臨時税を徴収するわ、街衆や村衆の若い女を手あたり次第とっ捕まえて慰みものにし、飽きたら淫売宿に叩き売って私腹を肥やしてるありさまだ。


 コイツは世直しってもんだ。旦那もカミさんが心配……あ、いや、なんだぁ。とにかくだ、そうと決まればとっとと砦に攻め入って旦那のカミさんを助けなきゃな!」


 おーい、なぜ今口籠ったんだ。


 さては俺のカミさんだからクマだ! とでも思ったのか。いいじゃないか、たとえクマであったとしても。

 とってももっふもふだぞ。女性として愛せるかどうかはわからないけどな。


 そもそも発情の時期じゃないせいか、なにを見てもそういう気持ちには一切ならないがな。


 俺はルルティナが自分と同じく、黒い毛でもっふもふに覆われた画を脳裏にそっと描いてみた。


 ――クマキチさま、と緑の草にしどけなく寝ころびころころした腕をそっと差し伸ばす彼女の姿。


 あれ? これって相当イケるんじゃね? 


 ダメだ、自分というものがわからなくなってきた。


 とにかく今はルルティナの救出に全力を尽くすのみだ! 行くぜ、シロクマパワーだ。えいえいおーっ。






 手こずらせやがってこのバカ女がっ。手酷く棒きれで打ち据えられたルルティナはがっくりと首を前に折ってうなだれた。


 手鎖で絡めとられた両腕をぴんと上に張ったまま、それでも誇りだけは失わないようにと強く下唇を噛んで、雨のように振りかかって来る罵言に耐えた。


 あきらかに警戒不足だった。幼い三つ子の妹たちを逃がすのが精一杯で、気づいたときは右足首を矢で著しく傷つけられていた。


 前回、接近戦で手痛い目に遭ったことがよほど骨身に染みたのか、三十人ほどのロムレス兵は遠巻きにして幾重もの網を打ちかけると、ほとんど抵抗もできなくなったルルティナをこん棒でこれでもかというほど打ち据え、意識を失うほど叩きのめした。


「へ。さすがウェアウルフの娘っ子だ。普通なら、あれほど殴りゃあ大の男だって泣きごとのひとつくらい漏らすってのに。さすが、族長さまの娘は違うねぇ」


 太り肉の男が上半身を肌脱ぎになって興奮した面持ちで手にした棒を舐めたくった。



 すでに衣服は根こそぎ剥がれ、下着だけになっている。


 もうひとりの皮のマスクをかぶった長身の男はルルティナの汗と血が滲んだ肌を嘗め回すように眺めていた。


 ここにいたって無傷ですむと思うほどルルティナは世間知らずではなかった。


「キヒヒ。ったくなんてェいーい身体してやがんだぁ。コイツを好き放題できねぇってのは、とんだ生殺しだぜ」


「ザックス。おれたちが許されてんのはあくまで、このアマっ子を痛めつけるだけだ。下手に突っ込んでみろ。亜人好きのハドウィンさまにどのようなお咎めを受けるかわからねーぞ」


「ケッ。デケェ図体しやがってからに、おまえはそういう臆病なとこがいけねぇ。ふん。ハドウィンさまは、先に攫ってきた村娘で二、三発お楽しみになっていなさる。この亜人娘を楽しむのはどーせ明日以降だ。それまでなら、軽くおれらが味見をしたって誰にもわかりゃしねぇよ」


「それ以上近づいてみなさい。タダではすみませんよ」


 ザックスがそろりと手を伸ばしたところをルルティナが毅然とした態度で牽制した。


「はっ。なにをいってやがんだ。ここは砦の地下牢だ。おまえが喚こうがなにしようが、誰も気にしねー。第一、施錠されてんだぜ。ま、従順に奉仕するっていうなら、こわーい道具は使わないでおいてやってもいいんだぜ」


 ザックスは先端が異様に湾曲したかなてこをルルティナに突きつけると、再び気味の悪い笑い声をひっひっと漏らす。


 ルルティナは赤黒く染まったかなてこの割れ目から目を背けると、小さく呻いた。


「前にコイツをうしろに突っ込んだ女は泣きながら許してくださいザックスさまと何度も何度も懇願したがおれは許さなかった。わかるか? 服従するなら最初からしろと、そういうことなんだよ。中途半端は許されない。ああ? わかるかっ」


 ザックスが無理やり顎先をつまんでぐいと視線を合わせてくる。


 ルルティナは込み上げてくる恐怖と惨めさを押し殺しながらなおも必死に睨み返した。


「父上が無事ならば……こんな砦の兵などひと捻りなのにっ」


「ははっ。バーカ。確かにウェアウルフの兵は強い。そいつは、戦ったことのあるおれがよーく知ってる。この身をもって、よーく味わってんだ」


 地から響いて来そうな声。怨讐と憤怒に満ちた瞳をめらめらと燃え立たせながら、ザックスはつけていた仮面をずるりと脱いだ。


「ひっ――」


 そこには縦横無尽に切り刻まれた醜い切り傷があった。


「一騎打ちだった。確かにベルベーラ族の戦士は剽悍な上勇猛だったが、やつらは神に祈っても許されない罪を犯したんだ。わかるか! おまえたちはおれにトドメを刺さなかった。刺さなかったんだよ! 


 このツラを見やがれっ。いくら勇士と呼ばれようが、それは戦闘が続いている間だけなんだ。いくさが終わって家に帰ってみりゃ女房は、いくらもしないうちにおれの部下とできやがってガキを連れて出ていきやがった。


 その捨てゼリフが聞いて呆れるぜ。アンタのようなバケモンといっしょになった覚えはないっていうから驚きじゃねぇか! こっちだって好き好んで亜人狩りなんざやったわけじゃねぇ。コールドリッジの殿さまがいうように、おれは清く正しいロムレス教徒のひとりとして戦っただけなのに、それがどうだ! 今じゃ、住む場所もねぇ上、外にだってまともに出しちゃもらえねぇ……」


 気づけばルルティナの中からふつふつと湧いていた怒りが消えうせていた。


 この男もいうなればいくさの犠牲者であり、自分と同じなのだ。


 やさしすぎるのがルルティナの欠点というのであれば、これはもうどうするこもできない。


「おい、おまえ……! 今、俺を憐れんだな。憐れみやがったなっ」


「そんな、私はそんなつもりじゃ」


「冗談じゃねぇ。よし、決めた。おまえは徹底的にいたぶってやる。それこそ、明日の朝にはおれのこと以外考えられんくらいに、本物の痛みというものを刻み込んでやる。ひ、ひひ。覚悟しろよォ。こうなったらおれは止まらんぞぉ。止まらねぇからなぁ……」


「おい、いいかげんにしろよザックス。第一おれたちが命じられたのは、この小娘に残りの家族の居場所を吐かせることであって、ぶっ壊すことじゃねえっ。あのお方のお楽しみを壊すような真似をしてみろ。どんな罰を受けるか、わかってんだろうな」


「やかましいやいっ」


「ぎゃひっ」


 ザックスは手にしたかなてこの先端を近寄って来た相棒の無防備な禿頭頭に手加減なしに叩き込んだ。


 ざしっと鈍い肉の打つ音が鳴って、血が激しく石畳を汚した。続けて落ちたかなてこがカランと金属音を鳴らした。


「お、おれに指図すんじゃねぇ。傷が、疼くんだよぉ。亜人を壊せってなぁ」


 ザックスは手にした大き目のペンチを開閉しながら、ひたひたとルルティナに歩み寄る。


 ルルティナがギュッと両目をつぶってクマキチの顔を思い浮かべたとき、ずおんと大地を揺るがすような音が鳴ってぱららと細かな埃が額に降った。




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― 新着の感想 ―
[一言] うむ、ハンパはダメだぜ(・ω・) かのヴラド3世を見習って少数の正視に堪えない地獄を作って大きな悲劇を防ぐんだよ。さあスプラッタのお時間です。既に一度やってるから倫理観もお仕事しないよね?
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