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144「貴種」

「そのまま帰してくれるとは思わなかったな」


 王太子の遺児。 


 すなわち貴種である珠はこちらにあるというのに――。


 ディディエはあっさりと俺たちを解放した。


 彼らは無断(別に俺の土地じゃないけど)でログキャビンから離れた場所を野営地と定め陣を張っていた。


 五〇名を超えるとなれば結構な規模である。

 高地に立って遊撃隊の野営地を見ればさながらお祭り騒ぎだ。


 暖を取る薪ひとつとっても調達するのに苦労したろうに。


 しかし、いまいちアイツのいってることはよくわからん。


 いや、こうして無事に帰しておいて強襲をかけるとかそういう作戦もあるだろう。


「なあヴィオレット。もしかしてさっきのオジサンのことなんか知ってる?」


「それほど詳しくは。ただ、元は南部出身の商人だったと聞いております。それもかなりの山師で。王位継承戦争では軍需物資の調達に功あって爵位を与えられたとか」


「そんじゃあ育成云々はフカシかよ」


「すべて嘘というわけではないのでは。昨今商人といえど私兵を蓄えているのはあたりまえですから。フィンというロムレスの騎士を除けばディディエの子飼いを遊撃隊に引き上げたと考えるのが自然かと」


「それだ。あのフィンってやつは相当にできるな。ホラ、たったひと振りで俺の毛皮を斬っちまった」


 げ。よく見りゃ二の腕ンところもスパッと斬れてる。

 舌を出してペロペロやっているとヴィオレットは慌てて抱きついて来た。


「重傷なのか?」

「いや、かすり傷だ。けど、相当に使うな」

「思い出した。あの男は“一撃”のフィンだ!」


 なんだそれ、おっかねぇ。


「先の戦争でかなり活躍したらしいが。勲功を認められて爵位を引き上げられたとは聞かなかった」


 ま、人生山あり谷ありですな。

 ホラ、うっかり滑落してシロクマに生まれ変わっちゃうリーマンもいることだしね。


「けれどクマキチ殿。あのメイドたちが抱えていた赤ン坊。どちらがディディエたちが探していた貴種なのだろうか」


 そーいや、そうだな。

 ふたりいるのはおかしい。

 もしや双子とか?


「いや、あの長い会話で一度もそのことに触れないのはむしろおかしい。どちらにせよ、心情的にも政治的にも今回私はメイドたちの力にはなれそうもない」


「そなの?」


「悪く取らないで欲しいが。ともかく私が知る限り王女と覇を競ったギデオン王太子は芳しい噂は一度も聞いたことがない。母親は好色で知られる前ロムレス王が孕ませた市井の身分が低い女であっただけではなく、王太子が都に上った折りは共に昇殿し放埓の限りを尽くした。ギデオン王太子もこの母親に負けず劣らず王都で自儘に振る舞った。街に出て見目麗しい女性を見つけてこれを狩り、豪奢な宮殿を作るため税を引き上げ、聖職者を嬲り高名な僧を幾人も殺害した。今は頑是ない赤子に見えても成長したのちはどんな災いを招くか計り知れない」


「……でも親のやったことを赤ちゃんにまで引き継がせるのはやり過ぎだ」


「私も血統の意味などそれほど信じているわけではないが、この国ではそれが重要視される。とにかく王太子は勝っているうちはよかったのだが落ち目になればかばう人もほとんどいないのが現状だ」


「そっか」


「特に反政府軍は名士層に嫌われているのがネックだな。この国では一部の貴族が隠然たる権力を持っている。けれど革命という心地よい響きの破城槌によってロムレスの地盤は目も当てられないほど打ち砕かれてしまった……」


「いや、なんかごめん」

「クマキチ殿が謝られることではない」


「でもさ、ホントはヴィオレットさ、戦争のこと思い出しくなかったんだろ。無理させてすまなかったな」


「なんの。私が知っていることは街の童だって知っていることだ」


「なんか、困ったな」


「いや、視点を変えてみるだけだ。今、現実的に国を統治するオクタヴィア王女さまは実に心根の優しく聡明な女性だ。あちこちをうろついていても、腐っても私は王家の臣だ。王女さまがお困りになられるとわかっていることに手を貸すことは……」


 ううむ、しかしなぁ。

 とりあえず猶予を与えてもらったわけだし、一旦家に戻ろう。


 ぶっちゃけ、あのメイドと赤ちゃんたちをどうすればいいものやら。


 この期に及んで新キャラ続出でシロクマの脳のキャパはオーバー気味だ。


「大丈夫なのかクマキチ殿」


 ヴィオレットに心配されてしまった。

 悩むぜ。







 ディディエは天幕の間から冷たい森の樹々を覗き見た。


 朝はまだ遠い。


 覚悟はしていたつもりだが辺境の寒さはさすがに骨身に染みた。


「だいぶ冷えるねえ。ジョゼ。悪いのだけれど紅茶をもう一杯くれないか」


「隊長。それほど冷えるのであれば御酒を召されては」


 赤毛の女隊員は白い息を吐き出しながら不満そうに唇を歪める。


 天幕の中は火を焚いていても異常なほどに冷え切っている。


「酒はダメダメ。私はそれで失敗している人間を数え切れないほど見ているからね」


 ディディエはそういうと再び中に戻って自分用の椅子にドッカと尻を下ろす。


 目の前のフィンは外套を脱いでいるので薄着である。


(彼は寒さを感じないタイプなのかな)


「隊長、なぜここまであの亜人に猶予を与えるのですか。命あらば私が正々堂々名乗りを上げて、今度こそ一騎打ちで討ち取って――」


「ダメだよ。第一、あのエルムの実力は尋常一様じゃない」


 フィンが眦を決して立ち上がった。


 濛々と立つような闘気にジョゼは手にした茶器を取り落としそうになる。


 ――いやはや、鬼人といわれるほどの武人でありロムレス有数の騎士だ。


 惚れ惚れするような威圧感にディディエは八方手を回して、わざわざフィンを自隊に組み入れたことを間違いではなかったと確信していた。


「別にフィン将軍の武勇を疑うわけではないが、彼は、あの白のエルム――森の守護神と呼ばれる存在は一軍をもってしても討ち取ることは難しい」


「そんなことはありませんっ。私はライオスやオークなどの怪物と呼ばれる亜人の中でも名の知れた豪傑をこの手で屠ってきた」


 フィンは手にした長剣を鞘ごと地に打ちつけ吠えた。


「自負はあるのですよ。ロムレス最強という自負が」


「だがあのエルムは“鉄壁”の二つ名を持つギヨームをこの地で討っている。フィン将軍、あなたほどの騎士でも御前試合では引き分けだったはず」


「ギヨームがこの地で?」


 フィンは椅子を倒して立ち上がるとグッと手のひらを握ったり閉じたりした。


「……そうか。あのエルムならば納得できる」


「別に私たちの第一目的は平和な森に住む住民たちを脅かすことではない」


「ならばなおさらでしょう隊長。私たちの義はあの悪鬼である偽王太子の呪われた血を粛清することにある。現にそのような命を受けて王都を離れはるばるこの極寒の北までやって来たのでは?」


「別に王女さまからそのような命令は受けていないのですがねぇ。私が知る限りでは、遊撃隊に与えられた命は故王太子の側妾クリステルが産んだ遺児を探し出せ、ということだけです」


「隊長、側妾の名はサンドリーヌです」


 見かねてジョゼがいった。


「おや、そうでしたっけ」

「一文字たりとも合ってないじゃないですか」


「気にしないでください。ここで重要なのは側妾の名ではなくいかにして王太子の遺児を探し出すかということです」


「……また無理くり話を元に戻した」


「遺児を連れ出したメイドは側妾に忖度しただけだと聞いていますが、よくぞここまで離れた場所まで逃げ延びれたものです。根性ものですね」


「ならばなおのこと、この案件には早さが求められるのではないですか」


「将軍。ものごとにはなんでも表と裏があります。私たちが必死こいて王都を離れたのはそれなりに理由があるのですよ。少なくともこの辺境の地ならば魑魅魍魎どもの足の引っ張り合いに巻き込まれずに済む」


「少し身体を動かしたいので失礼する」


 外套を着込むとフィンはさっさと天幕を出て行った。

 ディディエは片眉を上げると傍らのジョゼをすがるように見た。


「なんですか。私はなにもできませんよ」

「固いね、彼は」

「だから知りませんてば」


「ジョゼ。私たちはすでに死に体だ。王女が勝つと決めて賭けた。そして賭けには勝ったが、まだ投資した分を私は回収していない。このままでは“くれ”損だ。だから、断じて身を守らなければならないのだよ。私と、この隊をね」


 ディディエは私財を投じてオクタヴィア王女を盛り立てたが、想像以上に王宮の政治は混沌としていた。


「予想以上に取っ散らかっている状態なんだよ。素人が下手に手を出せば、文字通りに火に油を注ぎかねない状況だ」


「だったら当初の計画通り、真面目に交渉でもなんでもしてあのエルムから王太子の忘れ形見を取り戻せばいいじゃないですか」


「それだよ。切り札は――どちらにとっても必要だ。私たちは、どちらからも狙われるハメになる」


 王太子の遺児は王女側にとっては勝利のトロフィーであり、未だ反乱を起こしている残党からは錦の御旗となる。


「それに不安材料はそれだけじゃない。私たちのあとを追って“道士”もこの森に向かっている」


「本当、ですか」


 ジョゼの表情が強張った。


「ああ。本来ならば王都を離れるはずがないほどの重鎮だ。その重鎮も王宮政治のゴタゴタを嫌って外に出ることを望んだ。普通ならば王女の依頼であっても断るべき人間が断らなかった。いろんなものが透けて見えて来るだろう」


 ディディエはもはやジョゼに語りかけていなかった。

 自分の内にあるものを整理するために腹のものを吐き出しているのだ。


 両掌を組み合わせたままひとしきり考えごとをまとめると、ジョゼの視線に気づき「いやあ」とばかりに自分の頭を掻く。


「まだ、私は迷っているんだよ。それに遺児が紛うことなき貴種ならば、諸刃の剣を咥え込むことになるかもしれない」


 ディディエはティースプーンを剣に見立ててあんぐりと丸呑みする振りをした。


「――この貴種、手に入れるも手に入れないのも危険。時間を食い過ぎてもいけないし早すぎてもダメ」


「それじゃあ、隊長はなにをしたいんですかね」

「さしあたってだ――」

「さしあたって?」

「森のカミサマには供物を捧げてみようと思う」






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