136「超アウトドア派」
「わかったよ。君が超アウトドア派でこんな雪の降る真冬に野営するのはご勝手だが、そのくらいにして里に下りたらどうだ?」
「ふん。勝手知ったる我が森というわけですか。ですが、この森の所有権は領主の下にあるはずです。あなたが自儘にしていいという根拠はないはずですが?」
なんか見かけに似合わずものっそい好戦的だな。
今までにないタイプだわ。
と、俺が腕組みしながら困っているとメイドさんはへっぷちとかわいらしいクシャミをした。
「ほら、そんくらいにしてアルムガルドのお屋敷に帰ったらどうだ。今なら人家近くまでシロクマが送るという特別無料キャンペーン実施中だぜ」
「だから大きなお世話です。わたしたちのことは放っておいてください」
いや、めっちゃガタガタ震えてるやん。
自分、そういうのあかんねん。
ほっとけんやん。
「さ、すぐにあたたかいものをご用意いたしますからね」
メイドさんはそういって金髪の赤ちゃんをいとおしそうに見つめている。
赤ちゃんはふかふかのおくるみに包まれているが、どう考えてもこの厳寒の森で長くもつとは思えないのだ。
「里には下りられない事情があるのか?」
「関係ありません。話がそれだけでしたらとっとと消えてください」
むう、取りつく島もないとはこのことだな。
「わかった、深く事情は聞かない。けどアンタは素人だな。その洞じゃ明日までもたないぜ。この寒気だ。ここいらあたりは今晩には俺の胸くらいまで積もる。そうなったらアウトだ」
「そ、そんな。嘘ですよ。昨夜だって降り続けていたけど、それほどまでには。街だってそんなに積もっていなかったし」
「街とヤマじゃ寒さは比べようもない。そもそもアンタが寒さに耐えられてもそっちの赤ちゃんは無理だ。自分だってそのくらい理解しているんだろう」
「じゃあどうすればいいんですか」
「ま、ここで会ったのもなにかの縁。このシロクマさんのおうちにご招待しようっていうんだ。ものは試し。茶くらい出すぜ」
「いえ、洞穴にご招待されても」
「ちゃんとしたおうちですからね!」
冷暖房完全完備とはいえないが。
火を燃せば結構あったかいんだよ。
「仕方ありませんね。ここで押し問答していてもあなたは嫌がらせのようにわたしにまとわりつくでしょう。このような可憐な身に生まれつくというのも不幸です。さ、まいりましょう」
うむ、この娘は自分の容姿の価値を完全に理解している。
そういう子はおぢさん好きだ。
それにしてもなんともかわゆい赤ン坊だ。
髪はくるくるした短い金髪に緑の瞳がきらきら輝いている。
なんか甘いミルクみたいなにおいがするよー。
近くで覗き込もうと寄ったが槍の穂先で牽制された。
「それ以上近づかないでください。この子がクマ臭くなります」
「酷い。クマ差別だ」
「差別ではありません、厳然たる区別です」
おやおや、人権屋が発狂しながら抗議しそうな物言いだな。
「どっちにしろこの棒っきれは置いていきな。長くて邪魔だよ」
人差し指と親指で摘み根元からポキリと折る。
ナイフは普通に使えるから取っておけばいいよね。
と思ってメイドさんを見ると表情がすぐれない。
「バケモノ……」
あらー。
シロクマ基準で考えるとこの程度の棒切れは小枝程度なのだが華奢な彼女にはさぞかし怪力に見えたのだろう。
マズったな、無駄に怯えさせちゃった。
「これ、返すね」
そっとナイフを摘まんで渡すがメイドさんは腰が引けて受け取らない。
仕方ないのでそっと雪の上に置くと俺が離れたところで彼女はナイフを拾い上げた。
「あの、俺ンちこっちだから」
それでも寒さはやはり我慢できなかったのかメイドさんは不承不承ついてきた。
うーん、あとでルルティナたちに俺が危険じゃないって説明してもらえればいいかな。
サクサクと雪を踏んで歩く。
背後が気になるな。
いや、白状する。
赤ちゃんがすごく気になるんだ。
ぷにぷにしたマシュマロのようなかわいらしさにシロクマはうずうずが止められない。
「ね、ねえ。ちょっとだけその子抱っこさせてもらえないかな」
「嫌です」
にべもなく切って捨てられた。
なぜだ。
俺ってば実はすっごく子供が好きなんだよね。
危ない意味じゃなくて子煩悩的な部分で。
「ね、そこをなんとか」
「あなたは……森で出会ったばかりのクマに乳飲み子を託す女がどこの世界にいると思うのですか?」
確かに正論である。
シロクマに赤ちゃん渡せといわれて「はいどうぞ」と渡す女がいれば鬼畜認定必死だ。
でも、さわりたいなー。
チラチラと背後を振り返りながら親指を咥えてメイドさんに目で訴える。
「あなたのその行動は腹をすかせたケダモノがおつまみ感覚で赤子をパクッとしたいとアピールしているようにしか見えません」
「つれないなー」
「怖いので寄らないでください」
「うう、そんなに嫌わなくてもいいじゃないかよー」
シロクマ的にはゆっくりめに歩ているのだが、徐々にメイドさんは遅れだした。
ううむ、ルルティナたちと歩くときよりもはるかにペースを落としているんだが。
やはり亜人と普通の人間では基礎体力が天と地ほど違うのだろうか。
それよりも、彼女は赤ちゃんを抱っこしながらかなり大荷物を背負っている。
「ずいぶんとおっきな荷物だね。よければ持ってあげようか」
「近づかないで」
相当に疲れが溜まりはじめているのだろう。
最初にあった皮肉的な言葉遊びみたいなものも彼女から消え去った。
「少し休もうか」
なにかまた文句をいうかと思ったが、彼女はホッとした様子で視線を地に落とした。
メイドさんの吐き出す呼気が真っ白な煙となって森に散ってゆく。
マズいな、このペースじゃ日が暮れてしまう。
首を左右に振ってコキコキ鳴らしていると彼女がふーッと息を吐き出すのがわかった。
「詮索されたくないのはわかったが、ホントにその大荷物はなんだい?」
「……山ごもり用の毛皮と毛布とか、あとは食料です。もっとも森の寒さを甘く見ていたのはわたし自身の軽率さです」
もっとも気温が低くなるであろうこの季節に普通の人間――それもどう見てもサバイバル技術を身に着けていないようであるメイドさんが赤子を連れて入るなど自殺行為ほかならない。
背負っていた荷物を雪の上に置き、ひと息つこうとしていたメイドさんの背景が崩れ去ったように見えた。
いや、幻覚じゃない。
雪と氷に包まれていわゆるスノーモンスターと呼ばれる巨大な樹氷が砕け散り、そこからバタバタと激しい羽音を轟かせて無数のなにかが飛び立ったのだ。
「やああっ」
メイドさんの声。
やけにかわいいらしいな、と思うのも束の間、俺は彼女が抱いていた赤ちゃんが飛び立った真っ白なモンスターに掻っ攫われたのを見て瞬間的に地を蹴って跳ねた。
怒号を発しながら逃げてゆく白いものに爪を浴びせた。
白い塊は真っ二つに裂けて真っ赤な血が雪面を彩った。
あんなじゃこりゃ。
コイツはデカいコウモリだ。
もうもうと割かれた腸から湯気を出して転がっているモンスターに二度びっくりした。
亜熱帯に住むフィリピンオオコウモリは翼を広げると二メートル近くになるといわれているが、コイツはそれよりもひと回り大きい。
なによりも驚いたのは全身の色が白なのだ。
なるほど。
これならば雪に擬態して獲物を待ち伏せるのには好都合というわけだ。
俺の姿を知覚してすぐに逃げたのはそれなりに知恵が回るからであろうか。
今まで一度も出会わなかったのは、コイツら本能的に俺の存在を恐れていたのだろう。
「ササコマさまが! ササコマさまが!」
マズったぜ。
あの赤ン坊の名前がわかったと同時にピンチがやって来た。
「あ――あ――あ」
メイドさんはあれほど強気で俺に対しては接していたのだが、あのような無数のモンスターの大群を目にしたことと赤ちゃんを連れ去られたことで気が動転したのだろう。
その場に腰を落としたままオオコウモリが消え去った方向をずっと見つめてガクガクと激しく震えている。
「おい、おいちょっと」
「そんなそんなそんなこんはずじゃササコマさまがササコマさまが」
ひゅーっひゅーっと彼女の息が細かくなる。
マジぃな。
下手すりゃ過呼吸になりかねんぜ。
やむを得ん。
「あっ」
俺はサッと手を振ると彼女の右頬を打った。
ぱしん、と音が鳴って彼女の瞳に正気が宿る。
「落ち着け。アンタの名前は」
「エリカ――です」
「そうか。じゃあいいかエリカ。あの子はバケモンコウモリに連れ去られたがまだすべて終わったわけじゃない。今から超特急で追いかけて連れ戻す。なんの問題もない。いいな? わかったら返事だ」
「は――はい」
「ようし落ち着け。まずは深呼吸だ。大きく吸って――吐く、吸って――吐く。繰り返して。よし、その調子だ」
「す、すみません。いささか取り乱しました。けれど、探す当てはあるのですか?」
「なぁに任せとけって。あのオオコウモリの一匹は俺が傷つけた。だから臭いを辿ることができる」
さっきジャンプ攻撃したときに幾匹かのデカコウモリ――ここは便宜上白バットと呼ぼうか――に血を流させたのだ。
雪塗れで余計なニオイがない今の季節なら血の臭気は濃厚に香っている。
なんせシロクマは集中すればワンコ以上に鼻が利く。
ま、見てなせえって。
このトレーサーは森においては結構有能なんだってばよ。
一瞬、あれだけ大見得切って探せなかったらどうしようかなと思ったが白バットの行方はすぐに見つけることができた。
「こんなとこに洞窟があったのか」
どうやら白バットはメイドさんの大切な赤ちゃんを連れ去って自分たちの巣穴に連れ帰ってしまったらしい。
「本当に、この先にササコマさまがおられるのですか」
「間違いないな。さ、エリカさんはここで待っていてくれ。坊やは俺がキチンと連れて帰って来る――って?」
見ればエリカはダンジョンアタックする気満々で俺の先に洞窟へと飛び込もうとしていた。
「いやいや絶対アブナイって。この先にゃなにがいるかわからないんだぞ」
「ならばなおのことわたしがここで指を咥えて待っているわけにはいきません。ササコマさまはこの身に代えても必ずお連れせねばならないのです」
「だからさぁ」
「第一、わたしはまだあなたのことを信用したわけじゃありません」
ええー、ちと傷つくなあ。
「ササコマさまが美味しそうだったので横取りされた獲物を取り返そうとしているだけかもしれないですしね」
「そんなぁ」
「グズグズしている暇はありません。ササコマさまをお助けしたいのであらば早く急ぎなさい」
「あ、はい?」
なんか納得いかない急かされ方をしているが、俺はエリカの肩が小刻みに震えているのを目にし抗弁する気力をなくしてしまった。
寒さから身体が起こすシバリングじゃないといいなあ。
ともかくも俺たちは白バットを追って謎の洞窟に乗り込むことにした。
今は真昼間であるが空は雲が垂れこめており非常に暗い。
うう、気分も陰鬱になるってもんだ。
その上暗くて怖そうな真っ暗闇に入るなんて気が進まない。
ふと視線を下げるとエリカは棒切れに布を巻きつけ即席の松明を作ろうとしていた。
俺の視線に気づいたのか、どこか冷たい目で俺を見上げて鼻を鳴らす。
「これは松明ですよ。暗い場所でササコマさまを探すのであらば明かりは不可欠でしょう。ん、んんん、火がつきにくいですね」
カチカチとエリカは火打石を鳴らして松明に火をつけようとしているが上手くいかないらしい。
「こういうときにはですね。こうやって、ポケットの中から小さな糸くずとかホコリを取り出して、それに火花を散らすと火が――ん、えいっえいっ」
エリカのやっていることは間違いないのだが、たぶんこの雪で湿っていたのでホコリも火がつきにくいのだろう。
俺は体毛の奥底に隠してあるほぐした麻ひもを松明に結びつけ着火した。
もちろん、火がつきやすいよう油に浸したあとで乾かしてある。
油の独特な香りが漂ったのかエリカが呆然とした表情のまま鼻をヒクつかせた。
それから猛烈な羞恥心に襲われたのか真っ赤な顔で俺を睨んだ。
「あなたは本当に――」
最後までいわず、彼女は松明を俺から奪うと洞穴に下りてゆく。
ごめんなさい、どうせならその先をいってください。
俺が悪かったよう。
「暗い、ですね」
つむじを曲げて無言の行を続けるかと思いきや、ことのほかエリカは多弁だった。
さもあらん。
この迫る暗闇のずっしりとした重さの恐怖といったらもう。
にしても、森の中にこんな場所があったなどとはシロクマ知らなかったよ。
入口はなんとか通れる程度の洞穴であったが進むに連れて明らかに人の手が入った階段らしきものが下へ下へと螺旋状に続いている。
「ササコマさまはご無事でしょうか……」
洞窟の中は思った以上にあたたかだった。
外気を完全に遮断しているのだろう。
そのせいで、おおよそではあるが室温は一〇度程度は保持されている。
松明の明かりをかざすと岩や土を削って作った石階段の存在が余計に恐怖を煽る。
「なんで先ほどから返事をしないのですか。クマキチ、わたしに対する嫌がらせなのですか?」
「ああ、悪い。ちょっともの思いに耽ってしまってね」
「こんな状況で悠長なことを。しっかりしてください。こうしている間にもササコマさまの御身には危険が迫っているのですよ」
ぷりぷり怒りながらもエリカは及び腰でずっと俺の背中の毛皮を掴んでいる。
よほどに緊張しているのか。
エリカの手汗で自分の背がわずかに濡れているのがわかった。
彼女は下りる階層が進むごとに掴む力が強まっている。
「見てくれ。この壁を」
「壁がどうというのですか?」
「最初はササコマをさらった白オオコウモリのただの住処だと思っていたんだが、どうやらここはなにか人の手が入った迷宮かなにかだったらしい。ホラ、壁にはだいぶ読みにくいが絵や文字が刻まれていた痕跡がある」
「ああ、そういわれてみれば」
エリカはきょときょと視線をあたりにさ迷わせ、幼い声音を出す。
無理もない。
焦ったり心が落ち着かない状況では近視眼的になりがちだ。
そういった場合は回り見渡す余裕などまずなくなってしまう。
もっとそれだけ彼女にとってはあの赤ちゃんが大事であるということなのだ。
「けれど、ササコマさまをさらったコウモリがここを住処にしていることとどういった関係があるというのですか?」
「君が想像している以上に森の生物たちはしたたかだ。骨まで凍る空気で冷え切った森よりも誰が作ったかわからないであろう人工物に住むほうがよっぽど居心地がいいということさ。つまり、ここにはあの赤ちゃんをさらったコウモリ以外のものがいてもおかしくはない。むしろいる可能性が高い」
想像したのだろうかエリカは乏しい松明の明かりでわかるほどに表情を変えた。
いや、怖がらせるつもりはなかったんだが。
心構えはいつだって重要なのだ。
「こうして聞く意味がないのかもしれないが、君にとってあの赤ちゃんはよっぽど大事なんだな」
「ええ」
ひたひたこつこつ。
俺の肉球と彼女の靴が鳴らす音だけが洞窟に響く。
奥へ奥へと足音だけが大きく聞こえた。




