13「シロマダラの最期」
――こんなものもらえない。
そういおうと思ったが、あまりに悲壮な顔をする青年の真っ直ぐな目を見ると突っ返すのもなにか違うような気がした。
そっと手のひらで受け取ってヨーゼフを見た。
情況は絶望的なはず。少なくとも彼はいかなる手をもってしても約定を履行しなければならないのに、どこかスッキリした顔をしていた。
「ひとりでやるつもりなのか……?」
「ああ。やれるだけやってみるさ。そうじゃなきゃ、みんなに顔向けできねぇ。旦那。俺はさ、亜人なんだよ。群れからはぐれたみじめったらしいさ。こんな辺境じゃ、王都みたいな都会と違ってまだまだ亜人である俺たちにゃ偏見がある。そんな俺を仲間だっていってくれた……家族なんだよ。あいつらは。五年前の借りをどうしても返したいんだ。たとえ刺し違えても、シロマダラはやる。それだけが俺に残された責務なんだ」
こいつ、どうしようもないバカだ。
よく見ればヨーゼフ自身が滅法な手負いだ。かばっているが、右足を負傷しているのだろう。かばいながら、ひょこひょこ引きずっている。
あれではとっさのときには打ち合えもしないし、そもそも機敏に動くことは不可能だろう。
それでも引けないと、自分を鼓舞して立ち向かってゆく。
もっとも俺はこういうバカ野郎が嫌いじゃなかった。
「どこを探すつもりだ。闇雲に追ってもあのクロクマを探すのは不可能だ。おまけに、もう日が落ちる。深い森の中じゃ、クマ以外にも危険な生き物はゾロゾロいるぜ」
「じゃあ、どうしろってんだ――!」
「勝負を捨てるな。おまえが覚悟を決めれば、やつを倒すことは不可能じゃない」
「旦那……?」
「俺が手伝ってやるよ。おまえの依頼ってやつをな」
ヨーゼフは長い耳をぴこぴこ動かしながら女のように美しい顔つきを一変させ、頬を朱に染めた。
ちなみにいっとくが俺はそっちの気はないからな。念のため。
そういい切った時点で作戦がないわけじゃない。俺はまずヨーゼフを連れ回ってあたりの森を徘徊した。
「クロクマ――シロマダラを見つけたのは偶然だったのか?」
「ヴァリアントの森は広大なんだ。俺はダークエルフで街衆よりもずっと野山には詳しいけど、このあたりすべてを見知ってるほどじゃない。村人や、土地の猟師に話を聞き回って、うろつきそうな動線を順番に潰していっただけだよ」
「ふむ……」
俺は周囲を観察しながら鋭敏な鼻を蠢かせた。
――そして予想通り目当てのものを発見した。
「クマキチの旦那。そりゃあ、いったい……」
「糞だ。シロマダラの落とし物さ」
俺は堂々と落ちていたシロマダラの糞を落ちていた木枝で突き回しながら顔をしかめる。
糞の中には、黒々としたちっちゃな破片が大量に混じっていた。
「なんか、黒いボツボツが入ってる」
「蟻だよ。クマは蟻が大好物なんだ」
「アリ、だって……?」
よくよくあたりに倒れ伏している朽木を見れば、半壊しているものが多いのに気づけるはずだ。
蟻はクマがもっとも愛好し頻繁に食する昆虫のひとつである。
特にヒグマなどはムネアカオオアリ、アカヤマアリ、クロヤマアリ、トビイロケアリ、キイロケアリ、アメイロケアリ、クロクサアリ、エゾアカヤマアリなどを好んで飽食する。
子供の頃、いたずらで蟻をぷちっと噛んでみたことがあるだろうか。異様な苦さというか酸っぱさがある。
クマ類は蟻の体内にある蟻酸の酸っぱさを好む傾向がある。俺は食わんけどね。
蟻は森林地、草地、砂礫地などありとあらゆる環境に住んでいるのでクマとしても捕食しやすいのだ。
俺が見聞したところ、ここいらあたりは蟻たちのベストプレイスなのだろうか、朽木や土中に多数存在が確認できた。
ある研究家が北海道のヒグマを捕殺し解体したところ、胃の中には一キロ近い蟻と木片がどっさり詰まっていたらしい。
これはあきらかに倒木に住んでいた蟻を多量に喰らっていたという証拠だ。
シロマダラの糞の中に多量に蟻のカラが混じっていたのは、蟻の外骨格がカニやエビのカラと同じであるキチン質であったため消化できなかったのだろう。
俺はヨーゼフを説き伏せると、ある冒涜的な行為を承認させ、罠を張ってシロマダラの来襲を待ち受けることにした。
マシューの墓の近くにあった草むらに伏せながら闇が濃くなるのをジッと待った。
腹這いになっているので寒気が厳しいだろうに、ヨーゼフは弱音ひとつ吐かない。
――待つこと数時間。やつは舞い戻って来た。
シロマダラは闇の向こうでぬっと立ち上がると、ふうふう生臭い息を吐き出しながら周囲の様子を探っている。安全かどうか確認しているのだ。
「旦那のいうとおりホントに戻って来やがったぜ」
「し。黙ってろ。かなり近い」
俺が命じた冒涜的行為とは、深く埋めたはずのマシューをあえて空気に触れさせるほどの浅さに埋め直させたことだった。
シロマダラは戦闘中にもかかわらず、マシューの腸の半ばを貪り続けていた。
これはあらゆるクマに見られる獲物に対する強い執着心のなせる業だ。
クマというものは、一旦口をつけた獲物を絶対にあきらめない。
日本の北海道三毛別で七人の死者を出したヒグマ事件のときも、食い残しである遺骸に異様なまでに執着している。
――来い。おまえをやる算段は、とうについているのだ。
ふーっふーっと荒い息を響かせながら、黒々とした巌のような魔獣はついにこらえかねたように、走り出し――そして罠に落ちた。
ごおおおっ
と、途方もない咆哮が響き渡り、次いでシロマダラが落とし穴に落ちた地響きを感じて立ち上がった。
「やったっ」
「いや、まだだ」
苦労して墓穴の前に掘った深さ三メートルほどの大穴は難儀であったが、シロマダラの巨体を沈めるほどの深さではない。
だが、こちらも大汗をかいて仕掛けたのだ。穴の底にはトリカブトの猛毒をたっぷり塗った竹槍を潜ませている。
あの固い毛皮にどれほど有効かはわからないが、少なくともギョッとさせる程度の隙が生まれればいい。
「火っ」
「応よ!」
俺の命にヨーゼフはすぐさま応じると、縄を引っかけた油壷を素早く旋回させ右往左往するシロマダラに放り投げた。
近い上にあの巨体だ。はずしようもない。壺の口にねじ入れてあった手拭いを丸めた火口が濡れそぼったシロマダラの身体に炎を走らせた。
たちまち真っ赤な火が身体中に回ってシロマダラは混乱に陥った。
やつは巨体の上に素早い。そう何度も逃がせば、あいつは恐れて身を隠す可能性が高い。
今夜は必ず決着を着ける。今までの小細工は、シロマダラの足を鈍らせるお遊びのようなもの。
俺は草むら向かってダッシュするシロマダラの前に立ちはだかると、両腕を天に突き上げて雄たけびを上げた。
火達磨になったやつも必死だ。逃げきれないとわかれば、野生の本能として戦うことを決めるだろう。
めらめらと炎を身体中から燃え立たせながら、シロマダラは転がるようにして真正面から突っ込んで来た。
ヨーゼフの手持ちの油量は少なかった。火の回りは致命傷にはならないだろう。
俺は車輪のように振り回されるシロマダラの必殺の爪攻撃を華麗にさばいた。
同時に右脇腹にやつの頭を抱え込み、回した右腕の掌を左手でガッチリとホールドした。
これで真正面からやつの巨大な首を捉えたこととなる。
ギロチンチョークと呼ばれるこの技は俺とシロマダラが雌雄を決するに相応しいものだった。
満身の力を込める。コイツが身を低くして突っ込んできてくれたことがさいわいした。
体格が生物として違い過ぎるのだ。
二メートルを超える俺の巨体もシロマダラに比べれば半分程度でしかない。
ならば残りを埋めるのは気迫と折れない魂だけだ。
奥歯を噛み込んで身体を突っ張らせた。
万力で締めつけるイメージ。
自分が一個の機械となったイメージ。
無論、シロマダラも四本の腕を振り回して必死の抵抗を見せた。
ガツガツと、ところ構わずシロマダラのぶん回した強靭な爪が抉ってくる。
筆舌に尽くし難い痛みに耐えて、耐えて、耐え抜いて、一気に腕を絞り上げる。
上体を反らしながら両脚を地に踏ん張って首を引っこ抜く勢いで全力を動員した。
シロマダラは俺を引き剥がそうと必死に肉という肉を震わせ、喚き、哭いた。
自分の両腕が千切れるんじゃないかと思うほど、引いて引いて、引き絞った。
不意に、シロマダラの抵抗が止んだ。
みちみちめりめり、と肉が最期の断末魔を上げてか細く終わりを告げたのだ。
「や、やったか」
長々とシロマダラが地に伸びていた。逆立っていた体毛が寝ている。
それはこの魔獣の完全なる死を意味していた。
「スゲェ。旦那、やった……アンタ、やってくれた。やってくれたんだな!」
ヨーゼフが、固唾を呑んで見守っていた冒険者たちが、わらわらと草むらから這い出て駆け寄って来た。
シロマダラとの戦いでロクに動けぬ重傷者であった彼らは、せめても戦いの結末を見届けようと、里に下りず息をひそめて隠れていたのだ。いや……病院行けよ。
あちー。それにしても苦しい戦いだったな。
そっと背中に手をやると強烈な日焼けのようにあちこちがヒリヒリする。
デカグマの引っ掻き攻撃をモロに喰らった後遺症だ。だけど、俺の毛皮は超絶特注性なのか、切り傷ひとつなかった。さすがだなシロクマは!
「こんなバケモノを俺たちが……」
弓使いのギルが手にした松明で草地に長くなったシロマダラを照らしながら、気の抜けた声でいった。いや、君はなんもしてないからね。
ヨーゼフは山刀でシロマダラの巨大な首を斬り落とし、袋に詰めた。頭だけでも相当に巨大だ。
ジッと見つめていると、白い歯をニッと剥き出し照れ臭そうに笑った。
「こりゃほとんど旦那が斃したもんだ。後金の五〇万ポンドル。換金したら必ず持ってくるよ」
「いや、いらないよ。おまえたちで好きにしてくれ」
「ええっ! ンなわけにはいかないよっ。俺ら世間じゃつまはじきにされてる冒険者だけど恩人から報奨金をかすめ取るほど落ちちゃいねー!」
「そうだ」
「そうだよ、シロクマの旦那」
やいのやいのと周囲が騒ぎ出す。どうやらカッコだけというわけではない。
ヨーゼフをはじめとした男たちは、俺が思っているよりずっと義理堅く魂の熱い連中だったみたいだ。
「けど、この森で金なんてもらっても使い道がないよ」
「それは……」
「おまえたちだって、治療費やクマ狩りに金をつぎ込んだんだろ。その冒険者ってのはどんな仕事かよくわからないけど、人間たちには金がいくらあったって悪かないはずだ。森のクマには金は必要ないよ。金貨をもらっても食べられるわけじゃないしな」
「けど……けどっ。それじゃあ、俺たちの気持ちが収まらねぇよ」
「ヨーゼフ。ここは旦那のいうとおり気持ちよく受け取っておいたらどうだ? ロイの妹の病が治ったって、その間借りた借金もあるしな。借りはほかのことで返せばいい」
ギルがヨーゼフの肩をポンポンと叩き、渋く決めた。
おう、そうだ。
おまえはたいして役に立ってないけどな。
「ま、そういうことだ。その代わりといっちゃアレだが、おまえさんたちにちょっと頼みたいことがあるんだ」
「頼み?」
ヨーゼフが目玉をまん丸くして素っ頓狂な声を出した。
俺は片目をつむると、爪の伸びた指を突き出しぐふふと低い声で笑い舌を出した。
「わ! わわわっ。すごいです、これ。砂糖に、塩に反物に、医薬品……おっきな鏡やお野菜がいっぱいですっ。油や調味料とか……! クマキチさま、これってどうしたんですか」
「え、ええと。親切な人に分けてもらったんだよ」
「ええっ」
ルルティナが俺の曳いて来た箱車の中身を見て飛び上がった。
そうなのだ。
俺は報奨金の代わりにヨーゼフたちに頼んで街から必要な物資を買いつけてもらうことにしたのだった。
後金の五〇万ポンドルは、とりあえず半分こということにした。
というわけで俺の取り分は、半分の二十五万ポンドルだ。
この世界の貨幣価値はよくわからんが……ヨーゼフに幾つか問い質して、だいたい日本円にならして二五〇万円くらいだということがわかった。
とりあえずの物資を購入しても、五〇〇〇ポンドルに満たなかった。
「あ、おかしだー」
「おかしすきー」
「たべたーい」
長らく甘いものに飢えていたのか、三つ子たちは菓子袋を見ると尻に火がついたようにあたりを駆けだした。
気も狂わんばかりといったところだ。
もちろんのこと、小麦もたっぷりあるのでパンも焼き放題なのだ。
これで肉一色だった食生活に彩りが出るだろう。
「だ、ダメだってっ。これはぜんぶクマキチさまのものなんですから。なにか特別な日じゃないと食べちゃダメなんですっ」
ルルティナがたしなめると、ちっちゃな子たちは地面にひっくり返ってひゃんひゃん泣き出した。
しっぽがくりくり地を掃いているところがなんともかわいい。
隙を突いてアルティナが砂糖壺を持ち上げようとしたところを見つけられ、リリティナに頭をぺしんとやられていた。
だが、リリティナもイチゴジャムの入った瓶を激しくガン見していた。うんうんわかるわかる。女の子は甘いもん好きだからねー。わかるよっ。
「ダークエルフの旅商人と知り合ったんだ。これからは月イチでこっそり届けてくれることになったんだ。数だって少ないし、ここがバレるようなこともないだろう。だから――」
「クマキチさまぁ」
「今日が特別な日だ」
「……はいっ」
ルルティナは瞳の縁に盛り上がった涙を人差し指で払うと、妹たちに向かって向き直り微笑んだ。
「じゃ、今日はお姉ちゃんが頑張っておいっしいパンを焼いてあげるぞー! お菓子も解禁しちゃいますっ。ね、クマキチさま」
「ははっ」
俺は太陽のように微笑むルルティナと見つめ合った。それから箱車に群がるウェアウルフの姉妹たちのよく動くしっぽに目を細めた。




