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01「狩りの季節」

 森は晩秋の影を色濃く見せはじめていた。


 ロムレス王国首都から北西に位置し遠く離れたヴァリアントの森に、その姉妹は肩を寄せ合うようにして暮らしていた。


「さ、ララもラナも喧嘩しないで。早くキノコを集めないと日が暮れてしまうわ」


 この国には亜人という獣を祖先とした種族が多岐に渡って分布していた。


 年の離れた妹たちがじゃれあうのを引き離した少女の名はルルティナ。


 今年で十六になるウェアウルフの少女だった。

 ウェアウルフとは狼の特質を身体のあちこちに備えた亜人の一種である。


 パッと見てわかるのは頭上に直立した犬と似通った耳。


 それに臀部から生えているしっぽだ。


 ルルティナは五人の妹を連れて、来るべき冬に備え食料を集めていた。


 十三歳のリリティナ

 十歳のアルティナ

 五歳の三つ子、ララ、ラナ、ラロ


 ルルティナ本人を含めて六人が家族を構成する人員である。


 日差しがほとんど入らない樹木の下を這うようにして探す。


 かれこれ半日近くキノコ狩りを行っていたが、姉妹が携えた袋に詰められた山の幸は六人の胃袋を満たすには到底充分とはいえない量だった。


「姉さん。思ったより食べられるキノコが少ないわ」


 リリティナが困ったように眉を八の字にしながら尾をくるりんと丸めていた。


「困ったわね。思ったほど木の実も少ないし」


 ルルティナは膝に乗りたがる三つ子たちをあやしながらふうとため息を吐いた。


 姉妹たちの血色はあまりよくない。それもそのはずである。


 この森に逃げ込んでひと月ほどになるが、一度たりとも腹いっぱい食事をとることができなかったのだ。


 ルルティナたちは亜人といえど長い間平野で農耕と牧畜を主に行って暮らしていた。


 よって、この父祖の地である森に逃げ込んでも生き抜く術である狩りの技術が稚拙すぎてほとんど獲物を捕獲することができなかった。


(ダメよルルティナ。不安な顔を見せちゃ。この子たちが心配するわ)


 彼女たちが両親と別れてこの森に逃げ込んだ理由は人間たちとのいくさに破れたからであった。


 この大陸に長らく覇を唱えていた王国をロムレスという。ルルティナたちはかの王国から見れば辺境で蟠踞する土人に過ぎない。


 いさかいは天地ができてから綿々と続き、そして近年決定的ないくさが起こった。


 本来、ウェアウルフという種族は人間など比べものにならないほど剽悍で武勇にすぐれた一族である。


 彼女たちは生まれつき、人間の数十倍の腕力を持ち合わせ、耐久力や瞬発力にすぐれており個々に置いては俎上に載せることが馬鹿々々しいほどの戦力比があった。


 だが、集団戦や武器の創造力、圧倒的な物資を誇るロムレス軍と長期的に戦えば結果は目に見えていた。

 数に勝る人間の兵たちはウェアウルフに奸計を用いた。


 すなわち、一旦講和を結ぶと見せかけておきながらその酒宴の席に招いたウェアウルフ族における長老のほとんどを毒殺したのだ。


 これにはルルティナの姉を賠償奴隷として差し出していた父もとうとう堪忍袋の緒が切れて、決然と最後の決戦を行ったのち、そのほとんどを平らげられた。


 聞くところによると、残ったウェアウルフの和戦派はロムレス側に服従することで一族の絶滅を免れたらしい。


 が、ルルティナは族長の娘の矜持があった。戦時の混乱に乗じて砦から逃げ出し、西へ西へと向かい、ようやく祖先が暮らしていたという森にたどり着いたのだ。


(お父さま、お母さま。ルルティナは負けません。なんとしても、この子たちを立派に育て上げて見せますゆえ……だから、どうか力をお貸しください)


 ルルティナは所詮はお嬢さま育ちであった。長ずるまで、姫さまお嬢さまと育てられてきた彼女だ。裁縫や料理など人並みの花嫁修業は行ってきたが、いざ原始そのものといった森に放り出されればどうやって生きてゆくかはわからない。そこに少女の悲しみがあった。


「ねぇさま。おなかちゅいたよう」

「ララもー」

「ラロもー」


「ごめんねあなたたち。でも私たちのことは森の守護神が見守ってくれているわ。だから、きっと仕掛けておいた罠に獲物がかかっているはずよ」


 ルルティナはひもじいのかギュッとしがみついて来る年少の妹たちをやさしく抱きしめると、無理をしてニッコリ笑って見せた。ルルティナの記憶にある母はどれほど追いつめられた状況でも微笑みを絶やさず自分たちを安心させてくれた。


 必ず、なにがあっても生き延びなくてはならない。そして、この娘たちをひとりも欠けることなく大人にまで育てなければ――。 


 抱え上げたララのあまりの軽さにルルティナはゾッとした。かつてはあれほどぷくぷくしておまんじゅうのようだった妹の頬が痩せこけている。


「う。おなかいちゃいよう」


 ラロが目をギュッとつむってその場に座り込んだ。お腹を押さえている。素早く気を利かせたアルティナがラロを抱え上げると茂みに連れて行った。


 もう、何日もラロはお腹が下っている。


 ロクに食べ物を口にしていないので体力がほとんど残っていないのだ。


 森には冬の気配がチラホラ見えかけている。


 ようやく人間たちの魔手から逃れられたというのに、この森では憩う場所すらないのだ。


 だから、なんとしても今日こそ獲物を……。

 手にしたナイフは手入れを怠っていない。


 罠を仕掛けてから数日経った。

 お願いします。今度こそと、ルルティナは祈るように油を薄く塗った光沢のあるナイフを構えながら、落とし穴のほうへと近づいていった。


 期待を込めて落とし穴を覗き込む。

 戦果は――ゼロだった。


「いないねー」

「いないよー」


 ララとラロががっかりした声をあからさまに出した。ルルティナはよろめくようにして、すぐそばの木に手を突くと薄い唇を震わせて小さくあえいだ。


 そこまで過剰に期待していたわけではない。もしかしたら、小さなウサギくらいはかかっているのではないかと思っていたのだが、苦労して掘った穴の底には寒々しい暗渠が広がっているだけだった。


「これ以上ここにいたら日が暮れてしまうわ」

「そうね。残念だけど、戻りましょう」


 リリティナが平時と変わらない口調で帰宅を促してくる。


 とはいっても、森に逃げ込んだ彼女たちには定住している家など存在しない。


 運よく見つけた坑道の入り口付近で寝起きするのが精一杯だった。雨風をようやくしのげる。


 さいわいにも、ここのところ天気が崩れないおかげでなんとか暮らしていられるが、冬はもうそこまで迫っているのだ。


 ルルティナも森を抜けて人里に降りてみることも考えなかったわけではない。


 だが、依然としてここはロムレスの領地である。特に辺境伯であるコールドリッジは蛇のように執念深い。ふもとの村まで追っ手を出していないとはいい切れない。


 重たげな足どりで坂を登りはじめたとき、ルルティナの頭上に生えた犬耳が遠くから聞こえて来る確かな異音をハッキリと感じ取った。


「リリ、アル! 三人を連れて逃げて!」

「姉さん――?」


 遅れてリリティナがハッと顔を歪めた。嫌というほど聞き慣れた軍馬の蹄。ロムレスが誇る騎馬兵の足音だ。


「そんなことできるわけないでしょうっ。姉さんひとりを置いてなんていけないわ!」


「私は大丈夫だから。ニンゲンたちを撒いたら昨日見つけた小川の傍で落ち合いましょう」


 逡巡している暇はない。


 無口なアルティナがちょっと怒ったような顔でリリティナの袖を引っ張った。


 捕まった亜人の娘がどうなるかなど身に染みてわかっている。現に姉はそうしてロムレスの奴隷に落とされ、今は生きているかどうかすらわからない。


 ルルティナにいえることは、父母のいなくなった今、姉である自分が身を捨ててでも姉妹たちを守らなければならないということだった。


「お願いリリティナ……! 姉さんを困らせないでちょうだい」


「ねぇさぁん……」


 リリティナが顔をくしゃくしゃにして涙目になった。しかし、今はそうしている数秒すら惜しいと悟ったのか。リリティナはアルティナと協力して三つ子たちを抱えると、脱兎の勢いで斜面を駆けあがっていった。


 そうしている間にも軍馬のいななきは間近に迫っていた。ルルティナの鋭敏な嗅覚が濃い土と木々の香りを縫って、鉄と血臭の混じった悪意を嗅ぎ当てる。


 ウェアウルフは勇敢な一族だ。たとえ女の身であっても無抵抗のままやられるわけにはいかない。


 ルルティナは腰に提げていた山刀――大きく湾曲した唯一の武器――を抜き放つとさっと地面に耳をくっつけた。


 六騎――いや七騎だろうか。


 これくらいの数ならばなんとかなるかも知れない。


 ルルティナは触り程度であるがまったく武技を知らぬわけではない。生活術に劣っていても、部族のお家芸である刀術程度は納めているのだ。


 姉と違って自分は戦場に出たことは一度たりともない。できれば戦闘などさけたかったが、このまま彼らを森の中に引き入れてしまえば、遠からず自分たちが暮らした足跡を見つけ出されてしまうだろう。


(みんな……それにお父さまお母さま。そして森の神よ。ルルティナに悪鬼と戦う加護をお与えください)


 心気は定まった。ならば、あとは思い残すことなく戦うのみ。


 少女はしっぽをぴんと逆立てると、勇躍軍馬の蹄が響く位置へと自ら距離を詰めてゆく。


 藪を突っ切って身を低くして進む。間もなく木立の途切れた場所に、紺色の軍装で身を固めた騎士たちと遅れてやって来た十を超える歩兵を見た。


「本当にこのあたりに亜人の残党がいるという情報は確かなのか?」


「へえ。村の猟師がちらりとそれらしきものを見たといっていやした」


 四十年配の騎士がごわごわとした口髭を触りながら、案内人の猟師をジロリと睨みつけている。


 いくさの常道からいって、馬上の騎士さえ倒してしまえば農民を無理やり徴兵して作った歩兵は雲を霞と逃げ去ってしまうだろう。


 狙うは馬上の大将首のみ。


 歯の根がガチガチと細かくなった。ルルティナはスカートを翻しながら、ほとんど破れかぶれで雄たけびを上げると口髭の男に襲いかかった。


 だんっと力強く大地を蹴って飛翔した。


「あ?」


 呆けたような男の顔が一気に近くなって――消えた。


 ルルティナは馬上の騎士の横を素早く動くと、見事に素っ首を掻き落としたのだ。


 騎士の顔が驚愕の表情でぐるりと反転する。

 どたっと地を打った鈍い音が鳴って、馬が棹立ちでいなないた。


「て、敵襲――!」


 殺し合いがはじまった。







 男は剣を手にしたまま口元からあぶくのようなよだれを垂れ流していた。


 茂みからウェアウルフの娘が飛び出して一刀のもとに部隊長を斬り捨てたときには驚愕した。


 だが、一旦勢いを削がれて追いつめられてしまえば、娘の剣技は酷く拙く、とても脅威とは呼べない代物だった。


「おうおうゲオルグ。なにやってんだよ、まだ捕まえらんねーのか?」


「そんなんじゃ初物はオレがもらっちまうぞ」


「うるせえっ。テメーらも見てねェでちっとは手伝ったらどうなんでぇ」


 なるほど。はじめはあの戦乱から逃げ延びたウェアウルフの一族というからどれほどのバケモノかと思いきや、目の前で座り込んだまま震えているのはただの小娘にしか過ぎなかった。


 いいや。ただのというのはいかにも語弊がある。こんな僻地では、いいや王都の娼館にだって早々いそうもないとびきりの上玉だ。


 ゲオルグはこの辺境で警備の任に着いて三年になる。土地の田舎臭い女は抱き飽きていたが、目の前で健気に抵抗を続ける少女は妖精かと見紛うほどの美貌の持ち主だった。戦闘中に右足首を捻ったのか立ち上がれないまま、後方に這いずっている。


「おい小娘。ロムレス語――わかるか? あ? 怖がらなくてもいいんだぜ? こんな山ン中じゃロクな男もいねぇだろう。高名な騎士である俺が直々にかわいがってやろうってんだ。本当はよう。欲しいんだろう、これが。期待でぐっしょり濡れ濡れだろう。ひ、ひひひ。ちょっとその邪魔なものをめくってくれやぁ。なあ。うん?」


「無礼者――っ。それ以上近づいたら許しませんっ」


 声もいい。もはや娘を脅威と認めていない仲間たちは観戦モードに入っている。


 結局のところ、殺されたのは最初に首を落とされたサザーギン部隊長ただひとり。


 いや小娘もよくよく頑張ったほうである。なにせ騎馬乗りの騎士と歩兵を合わせて七人も傷つけたのだが、抵抗はそこまでだった。


 いいや、むしろ自分からいわせてみれば、ことあるごとに僻地コンプレックスをぶつけて来る傲慢な礼というものをまるで知らぬ田舎育ちのサザーギンを綺麗に殺ってくれたということは、こちらとしても感謝の念しかない。


「来ないで、来ないくださいっ」


 悲鳴を上げながら手にしたナイフをぶんぶんと振る少女。長い裾が捲れて、輝くような白い脚がチラリと見えた。


 もう、たまらぬ。


 ゲオルグとしては娘を連れ帰って念入りに調教してやりたいくらいだった。彼女も今は尾羽打ち枯らした粗末な格好だが、街でそれなりに誂えてやればさぞ映えるだろう。


 獣人娘は締まりが格別いいと聞く。豪奢なドレスを着させて、羽毛の入ったベッドで組み敷くのも悪くはないが、ものごとははじめが肝心だ。こうして草生す野山で徹底的に姦してやれば従順な気持ちにならざるを得ないだろう。


 それが大国ロムレスに逆らった亜人風情の辿るべき運命と千年前から決まっている。


「その黒髪と黒目、たまらねぇ。たまらねぇぜ。汚し甲斐があるってもんよ」


 ぐひひと目を血走らせてずいと近づくと、娘がムチャクチャにナイフを振り回し出した。


 厄介な山刀はすでにこちらの手の中にある。少女には万が一の奇跡も起きない。


「カミサマ」


 馬鹿な娘だ。祈っても無駄だということを未だ知らないご様子ときた。ゲオルグは、今まで何度もこうやっていくさに破れた辺境の娘たちを力で蹂躙してきた。


 今後もそうするつもりであるし、ロムレスの騎士である自分には惰弱で愚かしい人間未満なケモノたちを従え導く責務がある。


「安心しろ、今日から俺こそがおまえの神だ」


 飛びかかる瞬間を狙ってずいと前に進み出たとき。

 男は突如として大気を割って轟いた神の雄叫びを耳にした。



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