平和の森公園01
翌朝、僕は渋谷駅前へ向かった。ハチ公という犬の銅像前が祥子さんとの待ち合わせ場所だ。
外気で冷たくなった両手をすり合わせ、息を吐きかけながら仰ぎ見る。空は青々としていた。ぷかぷか浮いているパンのような雲は美味そうに見える。秋終盤らしい肌寒さはあるが、薄手のコートを着込んでマフラーをしていれば充分耐えられた。朝でこのぐらいの冷えだから昼ごろにはコートが邪魔になるかもしれない。
さて、ハチ公はこの辺のはずだけれど。僕は左右に首を振る。見つけて、あ、もういる。と口の中で呟いた。
昨夜までの雨の名残で周辺の石畳が湿っていた。銅像の後ろにある鉄パイプらしきアーチ型の腰掛けには、雨滴が残っているみたいで腰掛けている人は誰もいない。
ハチ公の真ん前で温かい陽光を浴びている祥子さんが、僕に気づいて瞳を上げた。首を傾けてにこりと微笑む。今日の彼女は長い髪を可愛らしくポニーテールにしていた。
僕は駆け寄って腕時計を確認した。まだ待ち合わせの五分前だった。
「待たせてすみません」
「いえ、私が早く来過ぎちゃっただけだから」
「どのくらい早く着いちゃったんですか」
「十五分前くらいです」
そんなに早く、と僕はぼんやり呟いた。祥子さんはもこもこの白いマフラーを首に寄せる。ピンクの艶を放つ指先がしもやけのように赤い。
「待つのは苦痛じゃなかったです」
言って、表情をころころ変える。
「結城さんまだかな? あっ来た。あれ? なんだ違う人――って一喜一憂してましたから」
僕は祥子さんを一喜一憂させたようだ。そんなに今日を楽しみにしてくれていたのだろうか。なんともいじらしい。にわかに嬉しく思ったが、どう反応したものか。僕は後頭部を撫でつけた。
「とりあえず、行きましょうか」
駅のほうへ足を向ける。
「どこへ行くんですか」
「どこか行きたいところはありますか」
「私が決めていいんですか?」
「特に考えてなかったので、行きたいところがあれば。差し当たり渋谷は出たいんですが。ごちゃごちゃした雰囲気は苦手で」
計画性がない。自分で誘ったくせに我ながらやる気がなくて呆れる。
僕の無精さに機嫌を損ねることなく、祥子さんはぱあっと笑った。外の明るさの下では彼女の顔色も多少健康的に見える。
「そんな気がしてました。夜のうちに行きたいところを調べておいてよかった」
祥子さんは小さめのショルダーバッグを開いた。そして折り畳まれた用紙を僕に差し出す。
開いてみると、彼女が行きたい場所、平和の森公園への交通アクセスがプリントされていた。思わずふっと一笑する。
事前準備は抜かりなく。僕の気質を見抜かれていたみたいだった。