新顔の始まり
「あんた俺らに何したんだよ」
動揺から震える声で質問すれば、小豆洗いは「はて?」と言わんばかりな顔をする。
「鏡はまだ見てないのか?」
小豆洗いは手に持っていたバインダーで部屋の鏡を示す。
「見たよ!見たから聞いてるんだろ!」
苛立って怒鳴ると、小豆洗いは「まぁ、そう大声を出すな」とうるさそうに耳を押さえた。俺の傍らで根汎の奴は呆然としている。俺がしっかりしなくては何も解決しない。そもそも解決できることなのかどうかは自信がないが。
「ほら、絆創膏だ」
何のつもりか、小豆洗いは俺と根汎に一枚ずつ絆創膏を寄越した。
「点滴を乱暴に抜いたな?血が出ているし、菌が入ったら大変だ」
「わぁ〜、ご親切にドウモ」
根汎は礼を言いながら嬉々として受け取った。俺は白目をむきそうになりながらもなんとか耐え、根汎のデコを叩いた。
「あでっ」と痛がる根汎の声とほぼ同時に、
「顔はやめろ!」
と小豆洗いが初めて大声を出した。それにさすがの俺も驚き、根汎は叩かれた側なのに「す、すんません!」と反射的に謝った。
「顔はやめろ。これから顔はお前たちの大事な商売道具だと思え」
まるでこれからホストにでもなるようなアドバイスだなと呑気に考えそうになったが、それだったらどれだけマシだったかと後に思うことになる。
小豆洗いは
「長々と説明するのは億劫だから端的に説明する。お前たちの身に何が起こったかの説明ではなく、仕事の話だ。その方が効率がいい」
と淡々と言った。
「お前たちの仕事を一言で表せば『身代わり』だ。今のお前たちの顔は、ただ単に貧相な顔を端正な顔に変えたのではない。ちゃんとモデルがいる」
「もでる?」
根汎が全く理解不能と言わんばかりに間抜けな発音で聞き返した。
「この二人だ」
小豆洗いはバインダーに挟んでいた紙の中から二枚の写真を取り出し、俺たちに寄越した。隣で根汎がはっと息を呑む。二枚の写真にはそれぞれ一人の男がまるで証明写真のようにわかりやすく写っており、まさに今の俺と根汎に瓜二つだった。一人は金髪で青い目のハーフらしきイケメン。根汎のモデルだろう。もう一人は黒髪で目の下に薄っすらとクマがある陰鬱な雰囲気の美形。俺のモデルか。しかし、いくらそっくりに整形しているとはいえ偽物の俺たちなんか足元に及ばぬほど、俺たちのモデルは文句無しの美形だった。二人ともどんなに高く見積もっても20代前半くらいにしか見えない、芸能人かホストかと思うほどそこら辺にいそうもないレベルの男だ。
「プロの殺し屋だ」
「はあ?!」
モデル、俳優、アイドル、ホスト…あらゆる外見勝ち組の職業を想像していたのに、それを打ち砕く小豆洗いの言葉に驚きを隠せない。
「殺し屋って本当にいるんだ」
何の疑いもなくしみじみと言う根汎を羨ましく思う。
「金髪はシーザー。見た目からもわかるようにハーフで、多国語を操るため国内外で暗躍している。派手に殺すより暗殺が得意だ。ターゲット本人が殺されたのに気づかないくらい速く巧く片付ける」
もうどこからツッコんでいいのかわからない俺は黙って小豆洗いの話を聞いていた。
「黒髪はアルカリ」
小豆洗いは俺を見た。俺のモデルだと言いたいんだろう。
「アルカリもかなり巧いが、優等生タイプのシーザーとは違って少々快楽主義的なところがある。拷問趣味があるために場を汚すことが多い。注意すべきは、シーザーは常にメンタルは安定しているがアルカリは不安定気味だ。もし会う機会があったら扱いには気をつけろ」
殺し屋に優等生もクソもあるのか、メンタルの安定不安定もあるのか、会う機会以前に会いたくねぇよ。言いたいことはたくさんあったし、既に頭がパンクしそうだった。
「率直に言う。君たちはシーザーとアルカリ二人の身代わりだ。二人はその筋にはかなり有名で命を狙われているくらいのやり手の殺し屋なんだ。今二人はどうしても失敗できないデカいヤマを片付けている。その間に邪魔が入ってほしくないと何か策を欲しがった。それがお前たち、身代わりという存在なわけだ。お前たちに求める仕事の成果は三種類に分類される。一つ、シーザーとアルカリのヤマが終わるまで生き残ること。二つ、可能な限り生き残り、敵の目の前で敵に殺されて死ぬこと。三つ、生き残ることに自信がなければ早々に敵に大人しく殺されること」
「ええー!」
根汎が間抜けな声をあげた。
「今『死ね』的なこと言いませんでした⁈」
「『死ね』とは言っていない。ただの選択肢の一つだ。自信がなかったりもう無理だと思ったりしたら死を選べ、とは言った」
「なんで!なんで死ななきゃいけないんすか!」
やっと状況に焦り出した根汎を、しかし小豆洗いは冷めた目で見据える。
「身代わりとしての仕事内容だからだ。身代わりの存在意義として、本物のシーザーとアルカリが仕事をしている間に偽物のお前たちが動き回ることで敵を混乱させたり、お前たちを本物と誤解して手を回すことによりシーザーたちが仕事をしやすくなる。そして運良く、じゃなかった、運悪く偽物のお前たちが殺されたとしても、シーザーとアルカリが死んだという噂が広まってしばらくは安泰というわけだ」
「今思いっきり『運良く』とか言いやがっただろ、小豆洗いのおっさん」
思わず口をついて出てしまった個人的おっさんのあだ名に一瞬ヤベッと思ったが、小豆洗いは眉一つ動かさなかった。
「私は小豆洗いではない。林ラートだ。勿論シーザーたち同様偽名だから名前に大した意味はない。呼んだら振り向く程度に思っておけ。ちなみに面倒なときは呼んでも振り向かないがな」
このおっさん、いろいろこじらせてる反抗期の中学生より扱いづらいかもしれねぇ。
「林が苗字で、ラートが名前すか?それとも林ラートで一つ?変わった名前すね。あんたもハーフなんすか?日本人にしか見えねぇけど」
俺はむしろ妖怪かマッドサイエンティストにしか見えない、と呑気な根汎の言葉を聞いて思った。
「偽名ゆえに名前に深い意味はないと言っただろう。次にくだらない質問をしたら今すぐ外に放り出すからな」
林ラートは、表情はピクリとも変わらなかったが、根汎の野暮な質問には確実に苛立ったようだった。根汎はぎこちない笑みを浮かべ、高速で首を縦に振った。
ちなみに俺も「これ、なんのドッキリ?」といい加減聞きたかったのだが、林ラートのただならぬ雰囲気にとても言う気にはなれなかった。ドッキリだとしたら顔は特殊メイクで済んでるはずだもんな。マジで整形する過激なドッキリがあってたまるか。しかし、今すぐにでも林ラートが「ドッキリ大成功!」のボードを掲げてくれたら、どんなに幸せか。
「募集の貼り紙にも記載があった通り、日給は10万だ。つまりお前たちが一日生き残るごとに10万受け取ることになる」
「あの、何日間くらいで終わるんすかね?これ」
根汎の質問に、林ラートは「私が知ると思うか」とスパッと答えた。
「さっきも言ったがシーザーとアルカリはデカいヤマを片付けている。本人たちもどれくらいかかるかわからないと言っていたくらい手強いヤマだ。だから何とも言えんが、長く生き残るに越したことはない。むしろお前たちだって死にたくはないだろう?」
「当たり前だろ!死にたくないから期間は短い方がいいって話だよ!」
俺の発言に、林ラートは合点がいったのか成る程と頷いた。
「まぁ、それはシーザーとアルカリのヤマが早く片付くよう祈る他ない」
理不尽な状況とたくさんの情報に頭がパンクしそうだ。いや、もう既にしている。
「さっきから敵って言ってるけど、具体的にはどういう人に狙われることになるんすかね?ヤクザ的な人っすか?」
「それもあるが、大きく分類すれば裏社会の人間だな。シーザーやアルカリが恨みを買っている者は勿論、同業者もあるだろう」
林ラートの答えに根汎は顔を歪ませる。
「同業者?殺し屋ってことっすか?」
「そうだ。むしろ相手は殺し屋がほとんどだろうな。シーザーたちのお得意様が敵対関係にある組織に雇われている殺し屋。それに、シーザーたちのように優秀な殺し屋には依頼が殺到する。シーザーたちを始末して自分の名をあげようとする殺し屋もいるだろうな」
根汎はいよいよ顔色が悪くなった。
「あんた、俺たちが生き残れると思ってんのか?」
林ラートは俺の顔をじっと見る。
「いや、半日でも生き残れば幸運すぎるくらいだ」
「『どなたにでもできる簡単なお仕事です』だと?ふざけんなよ」
俺の言葉に、林ラートは溜息を吐いた。
「身代わりだけだったら誰にでもできるだろう。お前たちみたいなしがない学生でもな」
「結局『死ね』ってことかよ」
「いや、できるだけ死に物狂いで生き残ってもらわねば困る。シーザーとアルカリにしては弱すぎたら、偽物だとバレて策も何もなくなるからな」
滅茶苦茶言いやがる。無理に決まってるだろうが。こちとらスポーツも平均レベルな平凡学生だっつうのに、プロの殺し屋相手に生き残れだと?
「無理だっつうんだよ!」
俺の大声に、隣にいた根汎が肩を揺らした。
「あんたはただ中継ぎなだけだろ?」
「そうだ。お前たちの雇い主はシーザーとアルカリだ。お前たちの整形の費用も後からシーザーたちから私に支払われる。日給もシーザーたちからお前たちに払われる。私は仕事自体には無関係だ」
「今すぐ雇い主と話をさせろ」
林ラートも根汎も目を見開いた。
「親切心から忠告してやる。それはお勧めしない。私からシーザーたちに電話を繋いでやることはできるが、まず電話に出るかわからない上に、タイミングが悪ければ二人の機嫌を損ねかねん」
「こっちは完全にキレてんだよ!」
林ラートはゆっくりと瞬きをした。
「お前がキレてもその程度で済むが、殺し屋の機嫌を損ねたらどうなるかの説明も必要か?最悪、ただお前たちがシーザーとアルカリに殺されるかもしれないぞ」
根汎が「ヒエッ」と声を漏らした。
絶望的だ。ハナから選択肢なんてあったもんじゃない。林ラートの事務所に入った時点から、なるようにしかならない状況になっていたんじゃないか。
「お前たちが私のところに訪ねてきてから一週間ほど経っている」
林ラートの言葉に俺も根汎もギョッとした。体がやたら重かったり、頭がぼうっとする感じがしたりするのに納得がいった。点滴も食事しない分の栄養補給だったわけだ。寝て起きたら勝手に整形されていた上に、一週間後か。浦島太郎もびっくりだな。
「お前たちの顔をシーザーたちそっくりに整形するのにはかなりの時間と労力が必要だったんだ。なにせ直す箇所が多かったからな」
「すんませんね、残念な顔で」
俺が皮肉を言えば、横で根汎は「俺ってそんなに粗末な顔かな」と唸り出した。今のお前と比べれば元の顔は随分粗末だったよ。
「二週間猶予をやる。体調を元に戻し、心の準備もしろ。残念ながら手術跡は二週間やそこらでは消えないからしばらくはメイクで隠すしかない。できるだけナチュラルにな」
小豆洗いの顔でメイクアップアーティストみたいなことを言われると思わず笑いそうになったが我慢した。あんたこそ整形したらよかったんだ。
「二週間の猶予ったって、一歩外に出たら狙われるんじゃねぇのか?猶予もクソもあるかよ」
「安心しろ。ここで匿ってやる。ただし、きっちり二週間後には外で役目を果たせ」
林ラートはバインダーに挟んであるメモを俺たちに見える程度に掲げた。
「お前たちの携帯の番号は控えた。こちらから連絡しない限り、お前たちから私に連絡することやここに戻ってくることを禁ずる」
つまり林ラートも自分の命は惜しいってことか。勝手言いやがる。なんとかして巻き込んでやる方法を考えなくては。
「あまりこの世の終わりみたいな顔をするな。瀕死の重傷以外なら私が治療してやる」
林ラートの言葉に、根汎はぱあっと顔を輝かせた。感覚がマヒしているのだ。そんなに優しいことを言われたわけじゃないのに。
「もっとも、プロの殺し屋相手に軽傷で済むわけはないと思うがな」
ほら、案の定林ラートは一言も二言も多かった。
-続-