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悪夢の始まり

痛い痛い。脇腹が痛い。

今まで脇腹が痛いといえば筋肉痛や笑いすぎしか経験したことない俺には、耐えがたいほどの痛みが襲う。

「まだ死ぬなよ」

冷徹な声と共に、今しがた掻き切られた脇腹を踏みつけられた。

「にえっ」

自分の口から信じ難いほど情けない声が漏れ、同時に脇腹に生温かいものが伝う。内臓じゃないことを祈る。いや、血だってたくさん流しゃいずれ死ぬんだ。どっちだって変わらん。ただ、見ただけでショック死しそうな内臓よりは血の方がずっとマシかも。

緊張と恐怖から浅い呼吸を繰り返す。今日こそ死ぬかも。いや、長生きした方じゃないか。俺みたいな一介の大学生がプロの裏稼業の奴ら相手によく三日も生き延びたよ。奇跡だぜ。

これが所謂”走馬灯”というやつなのか、ぼんやりとお袋の顔が浮かぶ。こんなときでもお袋に言いたいことが思いつかず、ただお袋がよく弁当に入れてくれた大して美味くもねぇ玉子焼きの味を思い出した。美味くもねぇのに、あれがやたらと好きだった。ちくしょう、涙が出てきやがった。

「死に際の更に際なのに今更泣くなよ。手遅れだ」

俺の脇腹を踏みつけたままの大男、というかデブは、肉切り包丁を器用にクルクルと回して言った。俺の血で汚れたそれは鈍く光っていたが、瀕死の表情の俺が映っていた。

今日こそ死ぬ。俺は悟った。

「楽には殺さねぇ。じっくりいたぶ」

デブの言葉が不自然に途切れた。見上げるよりも先に、俺に真っ赤なシャワーが降り注ぐ。デブの首をバーベキューのときに使うような鉄の串が貫いていた。そこから噴水のように血が溢れている。

「死んでたまるか!今日生き延びたたら合計30万だ!万駄等!」

デブの背後から聞き慣れた声。親友の根汎だ。俺の名前を呼んでいる。

「死ぬなよ万駄等!ドクターのところ行こうぜ!」

「…ああ、うん、死ぬかも」

声を絞り出したが、思ったよりは掠れていた。根汎は俺の頰を張り飛ばす。いてぇ!この野郎!

「大丈夫だ、死なねぇ!お前が思ってるほど傷は深くねぇ!」

根汎は俺を担ぎ上げた。奴も怪我をしていたから、その足取りは心許ない。

「今日生き延びたら30万だから!な?」

根汎は血が滲む唇をにっと釣り上げて笑った。

これはバイトだ。命懸けのバイト。こんなバイト受けなければこんな目に遭わずに済んだのに、馬鹿で中途半端に友達想いな俺は根汎の頼みを聞いてしまった。

体に力が入らず首ががくんと下がる。根汎に引きずられている俺の脚と、歩き続ける根汎の脚が見えた。その脚の間のアスファルトに、俺の血が点々と落ちている。ヘンゼルとグレーテルが落としたパンのように。


ことの始まりは3週間ほど前に遡る。

「カネがない」

根汎のストレートな発言を聞いたのはアパートの俺の部屋でだった。「今から行く」という根汎からの電話の約5秒後には俺の部屋のチャイムが鳴った。着いてから電話したらしい。

「割りと真面目な話がある」

「すぐ済むならここで話せよ。部屋汚ねぇんだ」

「女じゃあるまいし、お前の部屋に清潔さを求めてねぇよ」

俺の制止を物ともせず、根汎は靴を脱ぎ強引に部屋に入った。俺だって部屋が汚いくらいで男友達を部屋に入れないなんてことはしない。ただ言外に「今日は一人でいたいから帰れ」と伝えたつもりだったが、コイツには伝わらなかったらしい。相変わらず空気を読むことができねぇ野郎だ。

「真面目な話って何だよ。レポートはもう写させねぇぞ。この前バレて危うく不合格になるところだったからな。あれだけそのまま写すなって言ったのに」

自分の座る場所を整えていた根汎は一瞬きょとんとしたがすぐにニッと笑う。根汎の笑い方は狐に似ている。傷んだ金髪と、笑うと糸目になる両目が特徴的だった。これで油揚げが好きだったらキツネというあだ名で呼んでやろうと思っていたが、「油揚げ?油をまた油で揚げるってことか?なんだか頭痛が痛いみたいな表現だな」と返事が来た瞬間に諦めた。

「ちゃんとそのまま写さず文章いじくったぜ。お前のはデスマス調だったけど、俺のはタメ口に変えた」

「変えた内に入んねぇんだよ、それじゃ」

根汎の的はずれな発言や発想は今に始まったことじゃない。そろそろ慣れてもいい頃かもしれないが、俺は未だに体力を削られてしまう。

「それで話なんだけどよ」

よほど早く話したかったのか、根汎はさっさと自分の話題に戻した。

「カネがねぇんだ」

あまりにもストレートな発言に、俺は自分の眉がピクリと動いたのを感じた。

「バイト代は?仕送りは?」

「そういうカネはあんだよ」

今現在、根汎がやっている清掃のバイトや親からの仕送りを考慮すればよほど豪遊しない限り金欠になるはずはない。それくらい俺や根汎を含めたこの辺りの大学生は質素な生活をしている。早い話が遊び場がないレベルには田舎ということ。車で一時間半ほどかっ飛ばせば都会じみた場所には出るが、車が無ければ意味がない。

「そういうカネ?どういう意味だよ。まさか借金でも作ったのか?パチンコか?」

「ちげーよ!ヤチカがさ」

”ヤチカ”という名前が出た瞬間、俺はなんとなく全てを察した。ヤチカとは最近根汎が付き合いだした彼女の名だ。

「ブランド物のバッグが欲しいって言われたんだな?俺が知るかよ!さっさと帰れ!」

根汎のケツの下から座布団を奪い取り強引に出ていかせようと試みたが、奴は食い下がる。

「待ってくれ最後まで聞けよ!バッグならまだ可愛いぜ。車が欲しいって言われたんだ」

「この辺りじゃ車が欲しくなって当たり前だよな。たかるような女と付き合ったお前が悪い。帰れ」

「”たかる”なんて言うなよ。付き合ってから初めての我が儘だぜ」

「初段の割には図太い女だな」

「お前、最初はヤチカのこと俺には勿体無いくらい優しくて可愛い子だって褒めてたじゃねぇか」

それからもしばらくは根汎の彼女について問答があったが、あまり記憶にないので省略する。

「それで車をたかられたことで俺にどうしろっつうんだよ。カネは貸さねぇからな」

最初に釘を刺しておこうと思い言った言葉に、根汎はとんでもないと言わんばかりに首を振った。

「そうじゃなくて、一緒にやってほしいバイトがあんだよ」

「はぁ?バイトって、今やってんのとは別の?」

根汎は俺の発言に顔を歪ませた。

「馬鹿か!あんな清掃のバイトで車買うとなりゃあ何年かかるかわかんねぇだろ!」

馬鹿に馬鹿と言われるのは納得がいかなかったが、俺は根汎の話に黙って耳を傾けた。

「この前路地裏ですげぇ貼り紙見つけたんだよ」

コイツまたあの怪しいDVD屋にコソコソ行きやがったなと思いながら、根汎がコートのポケットからくしゃくしゃの紙を取り出すのを見ていた。貼り紙なのに破り取ってきたらしい。迷惑な奴だ。

「これだよ、これ!」

根汎は興奮気味に紙をテーブルに叩きつけ、見やすいように引き伸ばした。

普通の白いコピー用紙に、ワードで作成したのか素っ気ない黒い明朝体が並んでいた。

『バイト募集

・20〜25歳の男性2名以上

・未経験可

・身長170〜175センチ優遇

まずはこちらにお電話をーー』

と、最後に電話番号が書いてあった。

一番不審だったのは、

『・日給10万。どなたにでもできる簡単なお仕事です。』

の部分。

「根汎」

俺の呼び掛けに、根汎は「ん?」と首を傾げた。

「これ、絶対やばい仕事だ。日給10万なんて聞いたことねぇよ。臓器売るとかやばい薬運ぶとかじゃねぇのか。絶対に電話すんなよ」

「え」

根汎はきょとんとした。なんだその嫌な予感がする声と表情は。一気に冷や汗が額に噴き出す。

「電話、したのか?」

「もうしたよ。普通そうなおっさんが出たから大丈夫じゃね?」

このときに根汎を殴り飛ばしていたら全て解決したかもしれないのに、俺ときたらその翌日には古ぼけたビルの前にいた。

「そんな心配そうな顔すんなよ。こういうヤバそうなのが意外と割のいい仕事だったりすんだから」

待ち合わせに指定された住所をメモった紙をポケットに押し込みながら根汎は言った。俺はただ睨み返した。

錆び付いた鉄製の階段を上がり、二階のドアの前に辿り着いた。表札も看板も何もない、ますます怪しい事務所という佇まい。根汎を突き飛ばしてさっさと帰りたかった。

呼び鈴も何もないので、根汎はドアを叩く。

「すんませーん!電話した者ですけどー!」

礼儀も何もあったものではないが、ドアの奥から出てくる相手に必要かは甚だ疑問だ。

しん、と静まり返る俺たちとドアの向こう。少し離れた場所では賑やかな商店街がいつも通り営業しているのに。

やがて、カチャと小さな音を立てて開いたドアの5センチほどの隙間から、50代くらいの男が顔を覗かせた。まるでそういう妖怪のようで、俺も根汎も小さく叫んだ。

「5分早いな。遅刻よりはいい。ようこそ。入ってくれ」

俺と根汎は吃りながら何とか返事をして中に入った。


「長くなるからお茶でも飲みながらくつろいでくれ」

男は紅茶らしき液体が入ったティーカップを俺と根汎の前にあるテーブルにそれぞれ置いた。革張りのソファーに腰掛けている俺たちの向かいのソファーに男も腰を下ろす。中に入って男の全身を見た今だからわかったが、男はくたびれたスーツの上に白衣を着ていた。妖怪小豆洗いみたいな容貌と相まって、男の怪しさを際立たせている。

俺は紅茶なんか飲む気にならず、緊張で唾を何度も飲み込んでいた。しかし、そんな俺とは対照的に隣の根汎は呑気にカップに口をつけた。この馬鹿!と止める隙もなく、男が口を開く。

「電話をくれたのは金髪の君かね?」

と根汎を見る。

根汎は笑顔で頷いた。

「そうっす!俺っす!俺たちでできる仕事ならぜひお願いしたいんですけど」

「勿論、ぜひお願いしたい。悲しいことになかなか応募が来なくてな。よほど怪しまれていたらしい」

当たり前だろ!と俺は内心ツッコんだ。あんな怪しいバイトに応募するようなアホは、俺の隣にいる根汎以外いないはずだ。

「条件さえ満たせば誰にでもできる簡単な仕事なのに」

男は残念そうに言い、一転して明るい調子で

「そんなときに君から電話がきた。本当に助かった」

と言った。

「紅茶のお代わりを淹れようか」

男は立ち上がった。見ると、根汎のカップが空になっていた。どこまで呑気なんだ。

「ありがとうございまーす」

男が視界から消えた瞬間、呑気に礼まで言った根汎の襟を引っつかんだ。

「おい、やっぱり逃げようぜ」

声を潜めて言うと、根汎は何故?と言いたげに眉根を寄せた。この馬鹿は何も察していないらしい。

「どう考えても怪しいだろ。もっと普通のバイトでいいじゃねぇか」

「無理だよ。普通のバイトじゃ時間かかっちまう。それにこれだって割のいい以外は普通の、」

根汎の首ががくんと落ちた。

俺は慌てて奴の襟から手を放す。

「わりぃ!そんなに強く引っ張ったか?」

「いや、違、う…なんか、眠いしきもちわりぃ…」

根汎は目を擦りながらソファーに沈みこんだ。俺はすぐにはっとした。やっぱり紅茶に何か入っていたんじゃないか。こんな古典的な方法に引っかかるなんて、予想通りすぎて予想外だった。俺は自分の一口も飲んでいないカップに鼻を近づけてみたが、素人にわかるわけがなかった。ただ良い紅茶なのだろう、芳醇な香りがするだけだ。

「くそっ…おい根汎!寝るなよ!」

既に完全に目を閉じている根汎の体を叩く。しかし、根汎は眠そうに唸るのみ。

「黒髪の君は紅茶が嫌いか?高い紅茶なのに」

背後で男の声がした。全身総毛立ち、慌てて振り向こうとしたが、それよりも早く首に鋭い痛みが走った。がくんと膝が折れ、俺は床に転がる。

「不満そうな顔だな。仕事をしたいと訪ねてきたのは君たちだ」

今しがた俺の首にぶっ刺したのだろう注射器片手に、男は俺を見下ろしていた。

仕事したがってたのは根汎だけだ!という正当だが場違いなツッコミは痺れ始めた口では発言できないし、そもそも手遅れだった。

瞼が重くなり、視界が真っ暗になる。意識が海を漂っているかのように不安定だ。


目が覚めて最初に目に入ったのは灰色の天井。病院みたいな匂いがする。体が重いし、顔が熱い。何が起こったんだ。なんとかベッドから上半身だけ起こすと、右腕に点滴されていた。マジで病院か?あの怪しいおっさんに眠らされ、無事病院に来たってか?それはあり得ないだろう。俺以外の呻き声が聞こえそちらを見ると、隣にも俺と同じベッドがあり、そこで金髪の男が横たわっていた。腕には同じく点滴。すぐに根汎だとわかり、俺は声をかけた。

「根汎!おい、起きろ!」

根汎はだるそうに呻いてから、ゴロンと俺の方に寝返りを打った。

「うるせぇな。そんな大声出さなくても呼べば起きるって、」

目が合った瞬間、根汎も俺も息を呑む。

「誰?」

お互いを見つめ、お互いに質問した。

「あ、すんません。つい、声でダチの万駄等だと思って」

急に根汎だと思った金髪の男は他人行儀に謝った。

「いやいや、俺の方こそ根汎だと…」

つられて謝ってしまったが、待てよなんだかオカシイ。

「根汎、か?」

「万駄等?」

お互いを怪訝な顔で覗きこむ。

違う。だが、確かにそうだ。目の前にいる根汎には似ても似つかない金髪の美形は確かに根汎だ。毎日飽きるほど会っているのに、今更間違うはずがない。根汎であって根汎でないその男と俺は、その部屋の壁に備え付けてある鏡の前に行くために点滴の針を強引に抜いた。「いてっ」と金髪が声をあげる。やはりこの声も間違いなく根汎だ。

鏡の前に立ち、自分の姿にまた驚愕する。俺であって俺でない。一部の女子はキャーキャー言いそうな翳りのある美形が目の前に映っていた。隣の根汎も同様に鏡を凝視し、自分の顔をペタペタ触っていた。

自虐のようだが、俺も根汎も決してイケメンではない。あまりにも普通、どこにでもいる顔すぎて女子の印象に残りづらいタイプだ。それが今や芸能人に匹敵するような顔面偏差値となっている。

「お、俺たちってこんなにイケメンだったっけ?」

「んなわけないだろ」

根汎の問いを即否定する。動揺するのはわかるが、この状況での冗談は笑えない。

「整形だ」

鏡を凝視し顔を触り続けわかったが、顔に手術跡がある。あの小豆洗いに手術されたに違いない。

「本当だ。縫い跡がある」

根汎もやっと気付き、自分の顔の手術跡を触る。

「と、とりあえずラッキー?」

もう我慢ならず、どこまでも呑気な根汎の頭を殴った。

「いって!なんだよ。バイトでイケメンに整形させてもらえるなんてラッキーじゃねぇか」

「オカシイと思わねぇのか!絶対何かあるに決まってるだろ!こっちの意志も聞かずに勝手に整形して、更に日給10万!」

最早俺の精神状態は極限に達しそうだった。少し怒鳴っただけで息が切れてしまい、俺はその場に座り込んだ。根汎が心配そうに俺の背中をさすった。

「俺たちこれからどうなるんだよ」

自分でもびっくりするくらい情けない声で呟くと、

「これから仕事の説明をするからよく聞きなさい」

という声がした。声がした方に顔を向けると、ドアからあの小豆洗いが入ってきていた。


-続-








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