タイムマシンの隠し場所
死刑囚のヴァルフンは2%という理不尽な確率をつかみとり、一日前にタイムスリップした。無駄に広い研究室から出て、急いで自らがこの施設から脱出することに成功した。
そんな彼に難題が押し寄せた。
過去にきたことが、バレないようにしなければ身の安全が危ないと考えたのだ。
つまり、タイムマシンを人目から隠そうと思案したのである。
「それにしても。外に出たのはひさびさで気持ちがいいな」
牢獄生活が長かったせいだろう。彼は今、幸福をかみしめ、気持ち良さそうに自然の風を肌に感じている。
出入り口の門の前で【秘密粒子研究所】と横文字で彫られたプレートの看板に目を通し「タイムマシンのことはあとでじっくりと考えればいい」と言い残し路面に歩行を進めた。
彼がこの施設を出たのは、恐怖心からだった。死刑囚の身柄なので、むやみに見つかると独房に入れられるかもしれない、と考えたのだ。明日の実験は過去のヴァルフンが被験者だ。それまでは未来からきたヴァルフンは見つかることのないように身を潜めてなければならない。
あと明日までの辛抱だ。それが過ぎれば、死刑囚としての罪を消し去ることができる。
希望に胸を高鳴らせながら彼は二十分ほど歩き、たまたま目に入った公園のベンチでひと休みした。
風がふき髪をゆらす。
太陽が真上にある。
「キュぅーっ」
お腹の鳴る音がした。
安心が空腹を誘ったようだ。自分が死ぬかもしれない緊張状態の中、施設の食事がのどを通らなかったのだろう。彼の頬は痩せ細っていた。
公園には幼い子供が砂場で遊んでいる。
「おや。一人で遊んでいるのかい?」
子供は一回、首を縦にふった。
「おじさん、今、空腹で死にそうなんだ。なにか食べ物を持ってないかな?」
子供はさっきと同じように、首を縦にふった。
ポケットの中から飴玉を二つ取り出し、彼にゆずった。飴玉の袋には土がこびりついていたが、中身は無事だ。ヴァルフンは子供に「ありがとう」と感謝の意を伝えた。
舌で飴玉をコロコロと転がしながら舐めた。糖分補給はなんとか間に合ったようだ。
二つ目の飴玉の袋をやぶりながら彼は思考した。
こんなにのんびりとしていてよいのか?
自分は一日前のこの世界をちゃんと生き抜けるのか?
自身の保全を考えてしまうのだろう。置いてきたタイムマシンを誰かに見つかったら、ヴァルフンはこれからの生活を生きづらくなる。未来から来たってだけで周囲から変な目で見られるにちがいない。
「ぼうや。名前はなんていうんだい?」
「……ケント」
彼は砂場から子供を見下ろし、もう一つ質問をした。
「家族は?」
「…」
沈黙だった。砂いじりに夢中で聞こえなかったのかもしれないと思い、
「お母さんとお父さんはどこにいるの?」
と聞いた。すると言葉を返してきた。
「ママは知らない男の家いった。パパはお仕事」
ぶっきらぼうでハッキリとした口調だった。知らない男とは愛人だろうか? パパはそれを知っているのだろうか? ヴァルフンの脳裏で惨めな、ぼうやの家庭環境が目に浮かんだ。ただの思い込みかもしれないので、あまり深く考えないことにした。
「タイムマシンて知ってる?」
質問ばかりでくどいかもしれないな、と思いながらヴァルフンは尋ねる
「タイムマシン?」
「そうさ。時空を超えて、未来や過去にいける機械なのだよ。それに乗ってつい先ほど私はこの世界にやってきたのさ」
なにかがかすれる音がした。
その音が鼻をすする音だと気づくのに、少々時間を有した。
「泣いているのかい?」
顔をうつむかせながら、しずくがポタリと落ちたのをヴァルフンは見逃さなかった。ぼうやの顔の高さまで腰をおろした。
空は晴天でこんなにも清々しいのに、この砂場だけ不穏に満ちていた。彼は、やさしく問いかけた。
「どうしたんだい? 急に泣かれちゃあ、私もどうしたら良いかわからないよ…」
「…ママをとりかえしたい」
「なにを?」
ぼうやは逡巡することなく、力強いまなざしでこう言う。
「過去いって、ママをあの男から取り返したいんだぁ‼」
土を握りしめていた手がふるえていた。まるでやり場のない怒りを押し殺しているかのような挙動だった。手の隙間から少量の砂粒が落ちる。それが砂時計の残量時間のように徐々に落下していた。
「なあぼうや。君はタイムマシンに乗りたいのかい?」
目を真っ赤に泣きはらした彼は、静かにコクリと頷いた。
「じゃあいこう!」
ヴァルフンは無責任な一言で、ぼうやを元気づけた。たった2%というハイリスクの確率を忘れたわけでもあるまい。
••••••
彼は【秘密粒子研究所】にケントをつれてきた。タイムマシンのある研究室まで誰にも見つからずに到着した。
「おじちゃん、運いいね」
「ああ、ほんとだな」
ケントの小さな手を握り、タイムマシンの室内に入った。二人が入ると中はとてもせまい。ヴァルフンは「これじゃあ、二人は入りきらないな」と残念がり、搭乗口から外へでた。出る間際に、
「一人でやれるかい? そこの起動スイッチを押すんだよ」
と問いかけたら、
「大丈夫。一人でできるよぅ‼」
元気な返事が聞こえた。
タイムマシンから離れ、数十分すると、
ズゥ…バン‼ ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド‼
轟音が聞こえ火花と稲妻が周囲に巻き起こったあと、タイムマシンがなくなっていた。
ケントは2%の勝利をつかみとったのである。
彼は急いで【秘密粒子研究所】の建物から脱出した。息を切らしながら、住宅が建ち並ぶ道路の脇で右腕を振り上げた。
「ハア。ハア。これで、タイムマシンを他のだれにも見つからずに証拠隠滅できたっ。よっし‼」
その握りこぶしは力強く、太陽に向かってまっすぐに伸びていた。
タイムマシンの隠し場所は[過去][未来]どちらだったのか。そんなことはケント以外の人物が知る由もなかった。