狙撃手リリー・マルレーン
琥珀の花 8 狙撃手リリー・マルレーン
高射砲の森はベラム国と敵国の国境近くにある。今現在、敵軍は高射砲の森付近にまで進軍してきており、着々と陣地を形成している。しかしながら、高射砲や臼砲といった装備が目立ち、歩兵を中心としてベラム国軍側に進軍してくる様子はない。
そもそも、高射砲の森の南側には川が流れており、ベラム国軍はその川向うに陣地を廃しており、近くには端が渡されていたが既に破壊されており、安々とは川向こうのベラム国軍側に進軍できないという理由もあるのだが。
高射砲の森の噂は、ベラム国だけでなく周辺諸国にも知られた忌避すべき場所なのである。まるで、ルーマニアのブラド公から連想される吸血鬼伝説の如くに怪談めいた、伝承めいたものになりつつある高射砲の森は、まるで吸血鬼ドラキュラの根城のモデルとなったノイシュヴァンシュタイン城の如くにその異質な存在感を両軍に向かって放っていた。
敵軍は陣地を敷設し、時折臼砲を撃ってくる以外には何もしてこない。その代わりに、高射砲の森を探索させているとの情報がある。不気味さだけでなく何か人を惹きつける魅力が高射砲の森にはある。どういった理由で、何を求めて高射砲の森を調査しようとしているのかはわからないが敵軍は戦争そのものよりも高射砲の森の腸の方を優先しているように思われる。
未だ高射砲の森の中心具であるとされる他の土地よりも盛り上がった丘のようになっている部分にはあまり侵入をしていないらしいが子細は不明だ。
とにかく、敵軍は戦争よりも高射砲の森の方に興味があるらしい事は確かだと言えるだろう。
一方、ベラム国軍側としては、相手が何もしてこない以上は動きようがない。そのため、敵国同様高射砲と臼砲を設置し、加えて狙撃兵を配置して高射砲の森を監視させている。
ベラム国軍にとっても高射砲の森は昔から忌避すべきものであり、地元住民や、森を訪れるものが度々行方不明になったり、何者かに殺害される事件が散発していた。
ベラム国側の噂では人狼が出るのではないか?などといったこの大陸におきまりの怪物の噂が広待っている。それを信じているのか否かはわからないが、高射砲の森の川を挟んだ南側に陣地を敷くベラム国軍はある命令を狙撃兵に出していた。それは………
『高射砲の森の中心部分において動くものあらば何者であってもそれを撃て』
と言うものだった。それがたとえ、どんなに無害なものと思われてもそれを撃て………その命令は高射砲の森が長年にわたってこの土地に与えてきた負の影響であるのだ。
そのベラム国軍において、優秀な狙撃手として名を馳せている女性がいる。
その名を、リリー・マルレーンという。
リリー・マルレーンは銃と共に育った。ベラム共和国の中でも山深い所に属している彼女の家系は漁師であった。先祖から代々受け継がれた遺伝子がそうさせたのか?彼女の置かれた環境がそうさせたのか?彼女の祖父と父親の教育の賜物であったのかはわからないが、十歳をすぎる時には立派なハンターとして成長していた。
彼女は十五歳になると田舎を出て都会の学校に通うことになった。
その間、銃を撃つ機会は減ってしまったが、長期休暇のたびに地元へ戻ってきては、親の、自分の一族の稼業である猟師の仕事を手伝っていた。
彼女の両親は、娘の熱意にはとても心を打たれはしていたのだけれども、これからの時代は学がなければやってはいけないだろうとの親心もあり、稼業である猟師の仕事に嬉々として従事する娘には複雑な思いを持っていた。
そんな両親の気持ちを彼女が感じ取ったのか否かは定かではないが、彼女はなんとなく自分自身がこの先猟師として生活し、家族を養っていくという展望が持てないと感じていた。都会での経験が彼女にそういった時代の移りゆく、転換期という気配を感じていたのだろう。
これから来るであろう新時代にうまく適応し、その流れに置いていかれないようにするためには学の有無というものがかなりの因子と鳴ることはわかっていた。
とはいえ、仮にいい大学に進学し、学校を卒業したとしても、今の時代と同様、女性が男性同様の社会的地位を認められるということは全く期待できなかった。
そこで彼女はひとつの選択をした。男女関係なく実力のみが評価される組織………しかも自分が誰にも負けない自信がある分野で勝負できる場所………。
ーーー軍隊だ。そこしかない。
彼女は即決した。十八歳になり、高校を卒業すると同時に彼女は軍隊に入隊した。国民の義務としての軍務従事のそれではない。正式な軍人として、就職先として、自分が性差を乗り越えて活躍できる場所である軍人となったのだ。
入隊直後は、女性ということでかなりのひどい扱いも受けた。侮蔑は慣れっこになってしまった。しかし彼女はめげることなく、一般の男性の軍人以上に訓練をし、日々研鑽した結果、ようやく一目置かれる存在にまでなった。
ーーー狙撃手のリリーの誕生である。
彼女は途中、軍警察に出向し、暴動やテロまがいの事件での特殊部隊員として活躍するまでになった。しかし、それでも、戦争が始まると、女性だからという理由で、前線に派遣される事はなかった。
彼女自身は何度も連合軍に参加して前線で自分の仕事をしたいと嘆願したが叶わなかった。彼女は何度も嘆願書を出し上司も彼女の処遇にほとほと困り果てていた時、高射砲の森付近に敵軍が来たとの報が届いた。
そして彼女にようやく任務が与えられた。
狙撃手としての高射砲の森の監視業務であった。
命令はひとつ。
『高射砲の森の中心部分において動くものあらば何者であってもそれを撃て』
である。
◆
ハァイ?皆サーン。あたしが噂の女狙撃手リリー・マルレーンよ。
今日は軽くウォッカを煽って上気分なの?チョット付き合いなさいよそこのア・ナ・タ(はぁと)
ーーーというのは嘘だ。今さっき聞いた最近の私に付けられたキャラクターがそれらしい。
「所詮は女だろうが」とか「女だてらに………」と、軍に入隊した時には散々言われ、それでもこなくそー!と力に変えて軍の中で一目置かれる存在にまでのし上がれたのはいいとしても、その代償として、噂が噂を呼び、私の知らない私が軍の中でどんどん形作られている。
ある時は寡黙な眼光だけで人を殺せる人物だとか(アタシはメデューサか!と思わずツッコんでしまった)実はリリー・マルレーンなんて軍人は存在せず、それは軍が繊維を高揚させるために創りだした架空の人物であるとか、数え上げたらキリがない。
慣れているとはいえ最新のソレは、あまりにもひどすぎる。苦笑せざるを得ない………。さすがにそんな悪女キャラというのは勘弁願いたいところだ。でもこの私に与えられた最新のキャラクターもすぐに別のキャラクターに取って代わるのだろう………。でも変わらないものもある。
それは、私がベラム国軍屈指の狙撃手であるということだ。
銃の取扱いについては、父と祖父に教わった。私の家系は猟師の家系で、物心ついた頃には既に小口径の拳銃で並べた缶を撃って遊んでいた。
そして、体が大きくなり銃床をきちんと肩に当てて構えられるようになると小口径のライフル銃を持って、祖父とウサギ狩りに行くようになった。
………
「あっ!いた!」
私はウサギを発見し思わず声を上げた。射撃体制に入ろうとした時には既にウサギは視界から消えていた。
その後も何度か狩猟のチャンスはあったのだけども、ウサギはとても臆病ですばしっこく、なかなか捉えることが出来なかった。缶を打っている時とは違ってじっくり狙うことができない。今までの射撃経験とは全く違う狩猟という行為。結局、始めての狩りは収穫がゼロという形で終わった。
帰り道、私は悔しくて悔しくてたまらなくて泣いた。そんな私を祖父がそっと抱きしめてくれた。あの時の感触は今でも覚えている。自愛に満ちた、とても暖かい抱擁だった。
二回目のウサギ狩り。私は茂みの中を祖父と一緒にゆっくりと移動しながらすぐに射撃体制に入れる準備をしていた。一回目の狩りで祖父から教わったことは、まず、自分自身の気配を消すことだった。
「動物は殺気に敏感だ。だからまず、狩ろうという意思を心の奥底に閉じ込めて置かなければならない。そして、いざ獲物を発見した瞬間、一気にそれを縦断と一緒に解き放ちなさい」
「狩りををするのに狩りをする気持ちを出さないってこと?変なの」
「ははは、確かにおかしいかもしれないがそうでもしないと相手は殺気に気づいて何らかの行動を起こしてしまうのだよ。多くは逃走だね。近づいてこなくなる。動物の本能さ」祖父はそう言って笑い続ける。「でもね、私たちは人間だ。動物と違って理性がある。理性とは感情をコントロールできるものさ。それが人間の動物に対する有利な面なんだよ。少し難しい話かもしれないけどね。とにかく、深呼吸して自分自身を後ろから見るもう一人の自分がいることを想像してご覧?そして自分を冷静に客観的に見るんだ。」
「もう一人の自分………?自分自身の後ろから自分を見ている自分?うーん?難しいなあ」
祖父が難しいことを言うので私はちんぷんかんぷんでうーん?と首を捻った。
「まあ、少し難しい話をしてしまったかもしれないね。まあとにかく、自分自身をただのものと看做して自然に溶け込ませるんだ。そこいらに生えている草木のようにね。」
結局、二回目の狩りの収穫もゼロだった。祖父の言っていた事を実践出来なかったからだ。
………
祖父は当時子供だった私にとってはとても理解が難しい話をしていた。今なら意味がよくわかる。
自分自身を見つめるもう一人の自分………それは神の視点に他ならない。その視点に感情領域を置くことで、自分は限りなくただの自然物と変わらないものに近づいていく………。そうすることで、感情によって起こる周辺への空気感への干渉と、技術を最大限に発揮する際に邪魔になる不確定要素としてのそれを限りなくゼロに近づけることができるのだ。
それを実践し、体感できるようになったからこそ、今の自分がある。狙撃手のリリー。出所が不明な様々な伝説が囁かれるぐらいの存在にはなった。困ったこともあるけれど、まあそれも有名税として割り切っている。
そんな私は今、川向こうに高射砲の森を望む陣地に配属され、狙撃手として監視任務に就いている。何度も大戦の最前線に行かせてもらおうと志願をしたのだけど、結局、自国の防衛任務に回されてしまった。
確かに、この高射砲の森の向こうには敵軍がいる。時折、臼砲を撃ってくることもあるけれども、てんで被害を被ったことはない。こちらも同様で反撃といっても同じように臼砲を少し打ち込む程度。決定的な、わかりやすい戦闘は全く起こっていない。
狩猟をする気もないのに銃を担いで森の中をふらついているようなものだ。殺気がないから双方とも会敵しても特に攻撃衝動に見舞われることもない。
ーーーのどかなものだ。戦場だというのに。
森という行軍に支障をきたす要素と川を挟んでいるという要素を含む地形上、敵軍も簡単には進軍できないことはわかっている。こちらも防衛が主要任務である以上は特に積極的に攻撃に移れないこともわかっている。
ーーーそれでもしかし………この戦場は異質すぎる。
世界は大戦で続々と死傷者が出ているのにこの周辺の死傷率と言ったら異常なほどに低い。交通事故のほうが多いんじゃあないか?といったレベルだ。異質な状況を作っているのはなんなのか………やはりこの〈高射砲の森〉が持つ異質な影響力のなせる技なのだろうか………?
私はお守りにしているライフル弾を改造したネックレスをぎゅうっと握りしめた。その薬莢は既に消費された空薬莢だけど、後から銃弾を取り付けて、リム部分にチェーンを通してもらったシロモノだ。
銃弾は銀。吸血鬼を、人狼を、化物を滅すると言われる魔法の銃弾。
雷管も火薬も入ってないので実際に使うことはできないけども、高射砲の森に日々向き合う自分にとってその銃弾はとても心強い存在になっている。
異質の場所における異質な戦争。
このような場所で軍務に就くにはそれなりにおとぎ話にも身を寄せたくなるものだ。そろそろ任務の時間だ。私は準備をするために自分のバラックへ戻った。