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高射砲の森 琥珀の花 第一部  作者: がらんどう
7/10

バラック・酒保・手紙

   琥珀の花 7 バラック・酒保・手紙



 アルバートとセロニアスは途中何度か寄り道をしながらもようやくバラックに着いた。彼らの生活の場、いや、単なる寝床といったほうがふさわしいだろう。それほどに、軍隊において個人に割り当てられる空間というのは必要最低限のスペースでしかない。ベッドと、それと同じぐらいの大きさで、ベッドの下部のスペースに収められる収納と、人の背丈より少し高く、肩幅程度の幅の個人ロッカーが各々に割り当てられていた。

 セロニアスとアルバートの寝床は少し離れている。セロニアスのほうがより入り口に近い。アルバートはセロニアスと別れた後、ずんずんと自分の寝床まで進み、ふうと息をつきながらベッドに腰掛けた。ぎしりとベットが鳴る。

 煙草を吸おうと小物入れの中を探すが、ない。切らしていたようだ。ポケットに入れていた手持ちも既に無いので全くの煙草不足である。仕方が無いのでバラックの隣にある酒保に買いに出ることにした。

 入り口に向かう途中でセロニアスと目が合う。帰ってきたばっかりだというのにまた出ていくアルバートを不思議がっている眼だ。

「あー………煙草を切らしたんで酒保に行ってくるんだよ」

 セロニアスの疑問を察してアルバートが聞かれる前に答えた。

 ああなるほど。行ってらっしゃい。あ、ついでに手紙が来てるか見てきてくれないか?あーべつにいいぜ。

 そんなやり取りをして、アルバートは酒保に向かった。


   ◆


 不覚だ。煙草を切らしていたことに気づかなかったとは。

 俺は自分の不手際にがっくりしながら酒保に煙草を買いに出た。せっかく寝床でゆっくり一息つこうと思ったのにこれである。一旦座ったベッドから立ち上がるのにも気力がいった。

 しかし、ベッドに寝転びながら煙草を吹かすのは俺の習慣なのだ。これが俺のリラックス方法である以上、煙草のない休息は休息ではない。どうして煙草が必要なのだ。何故あの時、エリック・ドルフィー曹長が煙草を吸っていた時に気づかなかったのか………何故食堂を出てからふらふらと滑走路まで出て、チャールスと話している時に気づかなかったのか………煙草のことを考える契機は何度もあったはずなのに。

 まあ、そもそも俺はそれほどヘビースモーカーという訳ではない。なので、豆に煙草を買い置きしておく習慣はない。それが言い訳に鳴るとも思えないが………まあ仕方ない。ぼーっとしすぎていたのだ。平和ボケだ。いや、我が国は未だ戦争中ではあるが、少なくともこの基地で働き、過ごしている分には平和すぎるほどに平和だった。

 主に、マセロ大佐と敵国のグランツ大佐の共謀によってもたらされたこの基地が受け持つ戦闘範囲での非公式な休戦協定は、それ程に強固に平和を保っている。勿論、この二人が重要人物であることは間違いないのだが、裏では大規模な情報組織がこの自体を維持するのに一役買っているという噂がある。所詮、俺はこの事態のおこぼれに預っている末端の人間なので、詳しいことはわからないが、どうやら、国と民間の合同出資企業である〈ベラム郵便運送サービス〉が関わっているとの噂がある。

 この企業はベラム国において全ての郵便と一部の運送事業を担っている。その規模故にその情報ネットワークは国中を網羅し、物流ルートすら持つこの企業は、このマセロ大佐とグランツ大佐の仕掛けた軍事行動の放棄と商取引の隠蔽工作と商業ルートの基盤づくりに一役買っていると言われている。

 勿論、ベラム郵便運送サービス事態がこの件に直接関わっているわけではない。その実働部隊として、私設情報機関が組織されていると専らの噂だ。

 この件については誰も深くは触れようとはしない。何しろその組織は軍内部にもシンパを持ち(マセロ大佐達が利用しているのだから当たり前かもしれないが)また、周辺国の軍の兵站部とも関係を持っていると言われているからだ。下手にこの件に突っ込んだが最後、その命の保証はないと噂されている。

 ーーーそれは、この地域の外部に秘匿された平和状況がそれほどの後ろ暗い何かがなければ維持できない異様な状況であることを示している。

 この基地において戦争時においても平和を享受している自分たちにとってはあまりその背景にある嫌な現実的な工作などはあまり気にしたくはないのだがたまにはそういったことに思いを馳せることもある。


    自分たちのこの状況を維持するにあたって、裏ではどれだけの凄惨な陰湿な出来事が起こっているのだろうか?と。

 

 そんなこともこの基地での旨い飯を食い、酒と煙草をやり、特別任務で懐が暖かくなれば頭の隅の方へ追いやられてしまう。今は煙草がないからこのようなことをぼんやりと考えてしまっているのだ。

 気まぐれだ。考えた所で意味が無い。噂にすぎないし、実際事実を知った所で自分に何が出来ると言うわけでもない。上層部に告発する?いや、それはない。仲間を売ることになるし、そもそも自分もそれに加担し続けているのだから自分の首を締めることになる。

 それに今は戦時中であるし、どこの部署もそれなりに忙しく、最前線に派兵している部隊のことで手一杯であるから、この辺境の大して重要でなく、戦闘も膠着状態にある(と報告上そうなっている)部隊に気を留める者もいないだろう   それ故に隠蔽し続けていられるという部分もあるのだが。

 とにかくだ、そんなことは考えても仕方がないことなのだ。今俺に必要なのは煙草だ。煙草を買ってベッドで一服するんだ。ああ、セロニアスに手紙について頼まれていたっけな。俺宛の手紙もあるだろうか………ふらふらと考えを巡らしているうちに俺は酒保に到達していた。


   ◆


 酒保には大概のものが揃っているとはいえ、その品数は陸軍第二十二爆撃飛行隊が有する非正規の酒保と比べると非常に少ないと言わざるを得ない。しかしながら、普通に軍隊生活を過ごすには十分な物資が揃っており、非正規の酒保がある状況であっても、この正規の酒保の需要がなくなるということはなかった。

 それに、非正規の酒保の利用が増えることによって、正規の酒保の売上が落ちてしまえば上層部に疑問を持たれる可能性もあることから、各々できる限り正規の酒保を使うようにとの基地司令マセロ大佐直々のお達しも出ている。

「煙草。一カートン」

 アルバートは酒保にいる店員に声をかける。あいよ、これね。と差し出されたのはいつもの銘柄だ。いや、そもそもこの部隊の酒保においてある煙草の銘柄は何故かひとつしかない。しかもこの基地に配属されるまで聞いたことのない銘柄だ。なにやら特別製であるらしく、この基地の名物といっても過言ではない代物らしい。他の部隊の基地でも見かけないそうだ。

 配属された直後に店員に聞いた話だと、これもマセロ大佐とグランツ大佐の仕掛けているこの特別任務に関する取引に関することらしい。色々と色んなパワーバランスといったものがこういうところにもあるのだなあとアルバートは思った。商売を続け、その状況を隠匿するための手段のひとつなのだろう。やはり色々背後ではアルバート達末端の人間が知る由もない、知る必要もない陰謀めいた取引が跋扈しているようだ。

 それはともかく、煙草を買うという目的を果たしたアルバートはセロニアスの頼まれごとの遂行に移行する。手紙の受け取りだ。酒保の隣に郵便運送関係のボックスがあり、そこで問い合わせをしてもらう。ついでに自分宛の手紙も来ていないか調べてもらう。

「セロニアス・モンクとアルバート・アイラー宛ね。チョット待ち下さい………えー………ああお二人とも手紙を受領してます。サインをお願いします。」

 アルバートはサラサラと受領確認書にサインをする。ついでにセロニアスのサインもしてしまう。この担当者とも大分顔なじみだから受領のサインが本人のものでなくても文句など言わない。その程度の規律の緩さは、この部隊を象徴する風景と言っても過言ではない。その程度なのだ。軍都は程遠いむしろ民間企業の慣習による業態のような………。

 アルバートは手紙を受け取り、バラックに戻っていった。


   ◆


 セロニアス宛と自分宛の手紙を受け取り、俺はバラックに戻った。さっさとセロニアスに手紙を渡し自分のベッドに寝そべりながら煙草を吸おう………そう思っていたのだが、手紙の宛名を見たセロニアスに引き止められた。

「おおおおい!アルバート!見てくれよ!兄さんだよ!兄さんからの手紙だよ!」

「兄さんからの?へえ、それはそれは」

 特に二の句が告げられるような話題でもあるまい。アルバートは適当に返事をしたがセロニアスは興奮した様子で言った。

「へえ、じゃねえよアルバート!ほら!前にお前にも話した兄さんだよ!俺のすぐ上の兄さんからだよ!筆不精でちっとも手紙をよこさないあの兄さんからの手紙なんだよ!信じられない!ヒャッハー!」

 セロニアスのすぐ上の兄は、都会に出たっきりほぼ音信不通であると聞かされていた。手紙が返送されてこないことから手紙を受け取っていることは確かなのだが全く返信をしないという話をしてたっけ。

「おおーそりゃそりゃ珍しいこともあるもんだなあ。おめでとさん」

「ああ!ホント嘘みたいだよ!でもこれは兄さんの筆跡に間違いないし!ミミズの這ったような字だからすぐわかるんだ!」

 セロニアスは笑いながらそう言い、手紙を開け始めた。俺はなんとなく自分のベッドに戻りづらい雰囲気を感じたのでセロニアスの相手を少ししてから煙草をゆっくり吸おうと思った。   しばしの我慢だ。至福の煙草タイムまで少しの辛抱だ。

 セロニアスはざっと手紙に目を通し、俺にペラペラと内容を話してくれた。元気でやっているか?筆不精ですまん。色々忙しかったんだ。などなど………そして、一番驚かされたのは近況とこの手紙をセロニアスに出すことになった経緯だった。

「まっさかなあ!俺たちの部隊と取引がしたいだなんて!兄さんが酒保商人をやってるなんて今の今まで知らなかったけどこういう形で俺とつながるなんてなあ!やっぱ軍隊に入ってこの部隊に入ってからツイてるわ!はっは!」

 セロニアスは喜色満面と言った様子でひたすらに喜んでいた。今度、この基地にも顔を出すそうだ。その際に是非セロニアスからマセロ大佐や特別任務の主要人物に紹介してくれとの話だった。

 ひとしきり俺に手紙の内容を話して満足したのか、セロニアスはバラックの外に走って出ていった。手紙について色々仕事仲間に紹介する準備でもするのだろう。


   ………


 ようやくセロニアスから解放された俺は心なしか早足て自分のベッドまで歩き、どかっとベッドに座り、煙草をふかした。

 最高だ。肺に広がる多幸感。ふうと煙を吐く。ふわりと浮かび、自分のいるスペースが煙に包まれる………。

 ようやく吸えた煙草にすこしうっとりしながら俺は横になって先ほど受け取ってきた手紙に目を通した。差出人は俺の大学の同期、コールからのものだった。

 手紙に目を通すーーーコールは自国内での軍務ではなく、前線での他の国の軍隊との合同軍に派兵されているそうだ。コールからの手紙によると、前線はやはり凄惨な状況で、次々と自分の部隊にいる者が死亡したり病院に送られたりなどするので、同じ部隊にいても名前と顔が一致しない奴がいると書いていた。コール自身は軽いけがをする程度で広報送りになることもなく何とかやっているそうだ。

 俺の所属する陸軍航空部第二十二爆撃飛行隊の状況と違いすぎて、別の世界の出来事のように思える。

 同じ国に生まれ、同じ国で育ち、机を並べた友人がいるのは戦場だ。対して、俺がいるのは戦場ではない………いや、戦場ではあるのだが不正規の休戦条約を取り付け、上層部に報告せず未だ戦闘は継続中と嘘をつき、補給物資を本出に商売をしている戦場紛いの何か………。

 色々な思いが頭の中を巡る。しかし、煙草の心地よさとベッドのふかふかのマットと清潔なシーツに見をくるんでいるうちにそんなことは気にならなくなった。

 俺達が起こした戦争ではない。ちょっとした契機から大国同士が介入して大陸全土に飛び火させた他人の戦争だ。それに無理やり引きずり込まれているだけなのだ。俺はその中でも運がいい方であるというだけで、最前線で戦っているコールに対して罪悪感を持つ必要なんてないさ………そうさ、俺の考える事じゃあない。

 俺は惰眠をむさぼることにした。モヤモヤした気持ちは寝て忘れてしまおう。煙草を灰皿になじり、シーツにくるまった。眠りに落ちる前の現実と夢のぼんやりとした不思議な状態のまましばらく俺はまどろんでいた。頭に浮かぶのは何故か高射砲の森だ。昔、爺さんが語っていた異質の森。

 先の大戦では所属不明部隊による高射砲による航空機の攻撃が盛んになされた謎の森………その事件以来その上空を飛ぶ航空機もないし、戦間期の調査によると高射砲は既に撤去しており跡形もなかったという話もある。

 その情報を根拠にして輸送ルートにしたがったんだろうなチャールスは………。それでも今は友軍と敵軍が高射砲の森を中点としてお互いに牽制しあっている状態であると聞いた。敵軍も友軍も高射砲や臼砲を設置しているそうで………高射砲の森の名前にふさわしい状況になっているそうだ。しかし、お互い不可侵の領域で睨み合って何をしているのやら………


   ◆


 と、高射砲の森について考えているうちにアルバートの意識は完全に夢の中へ連れ去られていった。満腹から来る眠気なのか?それとも特別製の煙草の効能のひとつなのか?

 それは誰にもわかりようがなかった。ーーーわかった所でなにが変わるというわけでもないであろうし。


 煙草から紫煙が立ち上っていく。やがて、天井に備え付けられた扇風機の風に絡め取られバラック中に広がっていった。

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