セロニアス・モンク
琥珀の花 6 セロニアス・モンク
アルバートとセロニアスはバラックへ向かいつつも、基地内をふらふらとうろついている。特に何か目新しい物があるというわけではない。だが、バラックに直行した所でなにか早急に処理しなければならない問題があるわけでもない。なんとはなしに足の進む方へ二人はふらふらとゆっくりと歩いている。
二人は滑走路まで来た。この滑走路の向こうは整備関係の施設があり、爆撃機の格納コンテナがいくつも並んでいる。数十人の整備兵がアルバートたちの爆撃機を整備している姿が見えた。おーいと手を振る。整備兵は気づかない。没頭しているのだろうか?
「おーいおーい!」
セロニアスが声をより張り上げてピョンピョン飛び跳ね、腕を体の側面で大きく上下に振りながら言った。
その大きな声が聞こえたのか、それともオーバーな動きが目の端に映ったからかはわからないが、整備兵はこちらに気づき帽子を手にとってこちらに向かって振って応えた。
「俺たちの爆撃機を頼むぜー!」アルバートとセロニアスが大きな声で呼びかける。
「おーう!新品同様の仕上げをしてやるぜ!はっは!」
整備兵達は工具をくるくる手の内で弄びながら応えた。
のどかな風景だ。まるで爆撃機を整備しているようには見えない。ーーーいや、整備という点では爆撃機であろうが民間機であろうが、仕事の質は変わらないのだからその原因は彼らの勤務態度というわけではない。
この基地全体に漂う戦時中とは思えない異様にのどかな空気がそうさせているのだ。
戦争中にあって、軍隊の最もその存在を示す事ができる仕事である戦闘行為を一切しない軍隊………その代わりに、商売に精を出し、利益を上げ続ける営利組織………彼らの軍隊はもはや軍隊ではなく民間企業のような様相を呈していた。商取引をその主要業務とし。たまに軍隊の真似事をするといった有様だ。
おおよそ戦争中とは思えないのどかな雰囲気が漂う中、遠くから双発機のエンジン音が聞こえてきた。
アルバートは一瞬、任務を終えた爆撃機の編隊が帰投してきたのかと思ったがそうではないらしい。複数機体のエンジン音ではない単機だ。アルバートとセロニアスは音の聞こえる方向の空を見上げる。飛行機が一機見える。爆撃機ではないようだ。
次第に大きくなってくる影をよく見ると、軍用機ではあるが武装をしていない機 チャールス伍長が取引の足に使っている機体のようだ。
飛行機はフラップを下ろして減速。車輪がゆっくりとせり出す。高度をぐうっと下げて華麗にタッチダウン。キュキュっと小気味良いタイヤの音が響く。減速をしつつ機体はアルバートとセロニアスの前を通過していく。飛行機が起こした風が埃を巻き上げる。二人は腕で顔を覆いつつ、飛行機の動きを目で追う。
と、セロニアスが、腕で口を塞ぎつつ、
「このままバラックに戻るのもなんだし、曹長が言っていた件についてチャールスに聞いてみようぜ」とアルバートを促す。
「それもそうだな、どうせ暇だしなあ」
アルバートは同意する。
そして二人はだだっ広い滑走路を横断し、誘導路に入った飛行機の元へ向かっていった。
◆
俺が軍隊に入ったのはまだ戦争が始まる前のことだった。当時は大陸の北西のほうで色々政治的な動きがあり、戦争の機運が高まっていたとは聞いてはいたのだけども、俺の国は平和なものだった。確かに、前の大戦とその後の紛争で、全く戦争とは無縁な国だったとは言えなかったけど、少なくとも俺の子供時代は平和そのものだった。
俺は五人兄弟の末っ子で、貧乏子沢山といった家庭で育った。父さんと母さんはとても良くしてくれたけど、どうにもお金には縁がない家庭だったので、兄さん姉さん達は子供の頃から仕事をしていた。
新聞配達から稼業の農業の手伝いといった仕事をこなし、なんとか中等教育までは受けることはできたけど、さすがに高等教育を受けるのは難しかった。
中学まで終わった一番上の兄さんは鉄工所で、二番目の姉さんは食堂のウェイトレスとして、ひたすらに働いて、三番目の一番出来のよかった兄さんを何とか高校にまで入れることができた。三番目の兄さんは優秀で奨学金を得て大学院まで行き、今は研究室で理化学の実験に没頭しているらしい。鳶が鷹を生んだって俺の父さんは大喜びだった。
俺のすぐ上の四番目の兄さんは高校まで行った後、地元から大分離れた都会に一人出て行ったまま帰ってこない。手紙は送り続けているのだけど、返信が合った試しがない。手紙は返送されてこないからきちんと届いているみたいなのだけども。元々筆不精で風来坊な兄さんだったので特に心配はしてないけど、たまには返事をよこして欲しい。
そして末っ子の俺である。兄さんと姉さんが必死に働いてくれていたので、俺が中学の頃には既に家計を助けるための仕事もしなくて済むようになっていた。
なんとはなしに中学に通って普通に学生生活を送る日々。つつがなく卒業。その後、特にやりたいことがあるわけでもなく、無目的にだらだらと過ごして一年が経ったある日、突然父さんに呼び出された。
説教である。それも、怒号を伴った。
「セロニアス!お前は何を呆けているんだ!お前の兄さんと姉さんの苦労がわからんでもないだろうが!」
第一声がそれだった。いや、まあ確かに呆けてはいるけど………後、兄さん姉さんの苦労ってのは別の話じゃあないか?そもそも父さんが稼げる人だったら兄さん姉さんも苦労しなかったんじゃあ………などと思ったけどまあそれは仕方のないことだ。父さんが悪いわけではないし………などと思いながら上の空で聞いていた。その後もクドクドと説教が続き、時折怒鳴りながらーーーセロニアス!聞いているのか!?はい聞いてます。ーーー父さんは最後にこう言った。
「軍隊へ入れセロニアス!その性根を鍛え直してこい!」
俺はその一言で我に返った。え?今なんて?軍隊?ええー?
俺の国では原則として十八歳から二十五歳の間に一年間軍務に就くことが義務付けられている。とはいえ、大抵は軍にお金を払って一年の兵役免除してもらい二週間の軍事訓練に振り替えてもらうのが通例になっている。まともに一年の軍務に就くのはそのまま軍人になりたい者や警察、消防士などを目指していて経歴に箔をつけたい者、奨学金目当ての者(俺の友人アルバートがそれに当たる)くらいだ。しかもその義務としての兵役でなく普通に入隊しろと言ってきている。
「ちょ、ちょっと待ってよ父さん!」
俺は抵抗した。でも取り付く島もない。父さんは既に軍にいる友人に連絡を取っていたらしく、必要な書類を揃えて俺の前に叩きつけた。
「観念しろ、セロニアス。既に話はつけてあるんだ。それに特にやりたいこともないのなら軍隊に入って探してみたらどうだ?軍隊には色んな仕事がある。一兵卒から入ればいろんな世界が見えるぞ。俺も先の大戦では一兵卒として色んな世界を見てきた。悪い話ってわけでもなかろうがお前の今後を考えての決断なのだよ」
父さんは先ほどと打って変わってニヤニヤしながらそう言った。
やられた。俺が一年間呆けている間に父は俺の今後の身の振り方について考えており、大戦時代の戦友に連絡し、既に全ての手続を終えていたのだ。既に俺の意向は関係ないところにまで話が付いている………お手上げだ
「わかったよ父さん………軍隊に入るよ俺………」
俺は白旗を上げた。十六歳の春だった。
こうして軍隊に入った俺は厳しい訓練に辟易し、何度も逃亡を夢見ながらも、どうにか新兵訓練を終え、兵站部隊に所属することとなった。この時、直属の上司だったのがエリック・ドルフィー曹長であり、その部隊を指揮していたのがマセロ大佐であり………(当時は二人とも一階級違ったけども)そのつながりで、今、この陸軍航空部第二十二爆撃飛行隊に所属している。
最初に、この部隊に配属され、その部隊ぐるみのあらゆる軍事行動のサボタージュと商取引というビジネスの展開というのを聞かされた時は大分戸惑ったけどすぐさま自分はなんて幸運なんだと思うようになった。衣食住が揃っているのは軍隊だから言うまでもないが、商取引で儲けているのでその質が他の部隊より格段に良かったし、何より戦争中なのに戦争をしないで済むといった事が一番気が楽になった部分だった。
人の死は見たくないしそれに加担もしたくない。でも軍隊にいる以上は割けられないと思っていたことが全てクリアできるなんて!
そして今日も軍隊にいながら軍人らしいことは何もせず、友と語らい旨い飯を食いふらふらと散歩している。こんなに気楽な軍隊生活なら一生でもいいや。なんてこと思うくらいには俺はこの生活を満喫している。
さて、チャールスに会って新しい仕事の話でも聞いてみるか。
俺はアルバートを促して一緒にチャールスのところへ向かった。
◆
アルバートとセロニアスが飛行機の停止場所についた時、チャールス伍長はタラップの前で迎えのジープを待っていた。
チャールスはタラップの縁にもたれかかり、煙草を吸っている。その姿は軍服ではない。スリーピースのスーツに身を包み、アタッシェケースを携え、ボーラーハットを被ったその姿はどこから見ても軍人ではなくビジネスマンだ。
ぷかぁと紫煙を輪っか状に漂わせて暇を弄んでいる所にアルバートとセロニアスがやってきた。
「よう!チャールス。調子はどうよぉ?」
「上々だね、セロニアス。商談に忙しくて飛び回る毎日だよ」
チャールスは、ハハハッと笑いながら答える。
軍隊の階級ではセロニアス軍曹よりも下であるチャールス伍長ではあるが、階級差など関係ないといった様子で喋る。それが許されるだけのことをしているのだ。
この、陸軍航空部第二十二爆撃飛行隊の〈特別任務〉において、優秀な営業成績を収める彼は、こと、そのビジネスマンとしての象徴であるスーツ姿の時においては軍属の身分など関係なく、部隊全体の商取引を統括する筆頭ビジネスマンとして活躍しているのだ。 故に、彼の〈通常任務〉すなわち軍務はほとんど免除され、〈特別任務〉に専従しているという珍しい立場にある。
それ程に、彼の商才はこの部隊の〈特別任務〉の遂行及び繁栄に欠かせない才能なのだ。
「調子は上々か。そういえば聞きたいことがあるんだチャールス。」
「なんだい?アルバート?ジープがそろそろ迎えに来るから長い話はできないよ?」
「長い話じゃないさ。新しく取り扱おうとしている仕事についてだよ。さっき、ドルフィー曹長から聞いたんだけども………」
「ああ〈アレ〉のことね」そう言うとチャールスはふうと紫煙を吐いて灰をトントンと指ではたいて落とし、吸殻を機体壁面に詰って消した。「んー………まあ、反対するのはわかるのよ。重々承知よ。なんつったってあの〈高射砲の森〉の一帯を輸送ルートにするって言うんだから色々反対意見が出るのはね………」
「あの一帯。気味悪いんだよなあ」セロニアスが言う。「戦時中の噂、すげえんだよなアレ。前の大戦の時、敵味方関係なく森の上空を通る飛行機を撃ち落としてたっつう………それ以来、あの上空を通る飛行機もないって言うぜ?上空だけでなく地上もやばいみたいだし………」
「そう。ウチの爺さんも言ってたよ。あの森は危険だってね」アルバートが続ける。「子細は話してくれなかったけどさ、あの森に入った時、相当不思議な体験をしたらしい。戦間期の頃だよ。それを考えると今でも大分危険なんじゃあないかと心配なんだが………」
アルバートとセロニアスの言葉を聞きながら、チャールスは二本目の煙草に火をつけ、口を開く。
「まあ、その話についてはさ、どうもお流れになりそうだから安心してくれよ。どうも最近敵軍が高射砲の森の周辺に陣地を敷くみたいでさあ………それに前から高射砲の森の南側に常駐して監視してる俺らのお仲間も、色々と警戒を強めてて、無理目になったんだわ。残念なんだけどなあ………未開拓ルートだったのにさ」
チャールスは、ちぇっと唇を鳴らし煙草をふかす。
「ああ、でもそのかわりと言っちゃあ何だけど、もう一つの商売案は通りそうだよ。人員移送の件な」
「その件についてもドルフィー曹長から聞いているよ。でも人員移送って言っても俺たちの爆撃機じゃあそうそう人数が載せられないだろ?どうすんのさ?」アルバートが聞いた。
「んまあその辺についてはおいおいだな。ウチの基地には大がrたの機体は少ないし………俺が使っている機もそっちに回してもいいんだけれどもそうすると代わりの足がな………既に協力地帯では人員移送請負について宣伝も始めているよ。チラシをな、いつもの物資輸送コンテナに一緒に入れてるんだ。あとはまあ、機体のコンテナ部分を客室に改造するって案も出てる。予備タンクに使っているモジュールを改造すればなんとかなりそうだしなあ………あ、あとはなんだ、荷物の輸送に関して立会人を乗せて欲しいって要望があったんだよ。まあ体の良い監視人だな。嘆かわしいことだが配送物資の量をごまかして実際に注文した量と違うっていうクレームが数件あってね。そのごまかしを防止するために積み込みから輸送、引渡しまで立会人を一緒に載せて欲しいそうなんだ。まあ飛行機が離着陸できる地点に限られるわけではあるんだが………まあそんな話が出てるから、大規模な人員移送ビジネスを始める前に、そういった立会人を乗せる案件が増えると思うよ。そこで色々と後に始める人員移送ビジネスにフィードバックすればいいかなあと考えている。そうだ、その最初の案件については君たちの隊に頼みたいんだ。貴重のテイラー大尉は温厚で真面目でクレームもないと来ている。テストケースを任せるにたる隊だよ君たちの隊は。いいかな?まあ曹長には既に話してはいるんだけどね」
承認も何も、自分たちの隊の渉外担当であるエリック・ドルフィー曹長が了解しているのなら何も言うことはあるまい。アルバートとセロニアスは戸惑いながらも頷いた。
「で?他には何か聞きたいことでもあったかい?」
チャールスの質問に二人は首を横に振る。聞きたいことは高射砲の森付近を輸送ルートにすることだけだったのだが、それ以上にチャールスはペラペラと話してくれた。十分すぎるというよりも余計な話まで聞かされた気分た。
と、その時、ジープのエンジン音が近づいてくるのが聞こえた。ガタガタと上下に車体を揺らしながら近づいてきて、彼らの目の前で停車した。迎えのジープらしい。
「さあ迎えのジープが来たからここでお開きだ。じゃあなまだまだ詰めなければいけない案件があるものでね。今度は基地周辺の村々を回らないと行けなくてね………まったく忙しいったらありゃしない………」
チャールスはブツクサと愚痴を言いつつジープに乗り込み基地の外に向かって走り去っていった。
「人員移送ねえ………」
立会人を乗せる。いささか面倒くさいな。アルバートはそんなことを思いながら呟いた。旅客機じゃないんだぜ?純然たる戦争のための純粋で最低限の機能しかない居住性、快適性なんて無視した爆撃機なんだぜ?あの狭くて糞うるさい空間で立会人とやらにそのことについて文句を聞かされるとかありそうでありそうで………。はあーめんどくせえなあとため息を付いた。
「まあ高射砲の森の付近を飛ばなくてよくなった話だけでよかったわなあ。それだけでもよかったと思わないとな………」
まあ、仕事だから仕方ない。戦争よりはましだ。機体の騒音や狭さ、油の匂い云々に関しての客人からの文句なんて大したことは………そう思いながら二人はバラックに向かって歩いていった。