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高射砲の森 琥珀の花 第一部  作者: がらんどう
10/10

セシル・テイラー

   琥珀の花 10 セシル・テイラー



 セシル・テイラーは自分にあてがわれた士官専用の個室でくつろいでいた。ぼんやりと天井に設置された扇風機が回るさまを眺めていた。

 セシルは煙草を吸わない。若い頃は吸っていたのだが、結婚した後、タバコを吸うたびに妻と子に口うるさく健康被害について口うるさく言われた結果、禁煙することとなった。副流煙がどうのこうのと言われたためであった。

 よって、今現在も基地において嗜好品としての煙草は彼にとってはさほど気持ちの良いものではなかった。いくら家族の監視がないとは言っても、禁煙の誓いを破るのも癪である。

 しかし、煙草の誘惑は大きい………特に、この基地で流通している煙草は、彼が今までに目にしたことがない銘柄であり、興味をそそられるものだ。しかしセシルは禁煙の身。傍目にはのんびりしている彼ではあるが、自分には厳しい人物であるから吸う訳にはいかない。

 自らに厳しい彼はその自身の煙草を吸いたいが禁煙の誓いを破る訳にはいかないという二律背反した自身の感情をなんとか満たす方法を考えていた。

 

    ◆


 俺はぼんやりと椅子の背もたれにぐいと背中を預け、ひたすらに回転数を維持し、終わることのない回転運動を維持し続ける天井に備え付けられた扇風機を見ていた。

 考えることは妻子と煙草のこと。任務のことはある種どうでもいい。軍隊のようで軍隊でないこの部隊に配属されたとはいっても、俺の仕事は変わらない。

 ただ、操縦士として爆撃機を飛ばし、ブツを投下して帰還する。ただそれだけのことだ。心配しなくていいのは自身の身の安全くらいか?まあ前線でもなければ普通の部隊に配属されたとしてもさほど自身の身の危険度という点では大して今のこの酒保商人のような部隊での仕事とそうは変わらないだろう。

 爆撃機の基本は高高度爆撃が任務であるし、地上部隊の損耗率と比べれば、空軍の軍人の死傷率などかなりの低確率でしかない。地上部隊のことを考えれば、空爆任務の危険性なんぞ無いも同然だ。特にこの辺境の戦場においては。

 回転する扇風機を見ていたら爆撃機のプロペラを連想してそんなことを考えつつ、妻子と煙草の問題ーーーつまりは〈禁煙〉の問題について考えを巡らすことにした。

 禁煙とはなんだろうか?実際のところ、煙草を吸うという行為は何を持って吸ったと言えるのだろうか?そんなことを考えていた。

 妻は、俺自身の煙草の常用による健康被害だけでなく、副流煙による家族の健康被害をも訴えていた。毎日毎日くどくどとそれについて口うるさく俺に説教をたれてきた妻の表情は恐ろしく怪訝な表情だった。しかし、俺は妻を愛している。そういった説教も俺と自分と子供の将来を考えての発言なのだ。

 説教のたびに妻も俺のことを深く愛しているのが伝わってきた。それ故に禁煙を決めたのだが………やはり時折無性に吸いたくなる。

特に、この戦争の意義と自分の所属する部隊の異様な状況について考えてしまう夜には煙草でも吹かして何もかも忘れたい気分になる。

 副流煙の話だった。話を戻そう。何を持って煙草をすったということになるのか?ということについては副流煙を吸うことも喫煙に入るということだろう。ならば、今の俺の状況はどうなのだろうか?

 部隊の連中の殆どは煙草を吸っている。そこらかしこに副流煙を吸う機会が多い。この自分自身にあてがわれた個室であっても、空調設備の関係かほのかに煙草の煙の独特の匂いを感じることができる。

 俺は煙草を吸っていることになるのだろうか?それともやはり紙巻煙草を口にくわえ、フィルター越しに吸うという行為をして初めて煙草を吸ったということになるのだろうか?

 いやしかし、煙草の成分の濃さと言う点ではフィルターごしのそれよりも副流煙を吸うことのほうがより喫煙の強度は高いのではなかろうか?フィルターか?フィルターが問題なのか?家族は自分たちにも健康被害が出ないようにと俺に禁煙を薦めたわけだが、今俺が置かれている副流煙に晒された状況ではむしろフィルターごしに煙草を直接吸ったほうが俺自身の健康被害という点ではリスクが低くなるのではないだろうか………?

 思考が色々な方向に自由連想法の如くに流れていく。

 このせいで俺はいつも眠れない。色々なことを考えてしまうからだ。最近はあまりにも酷いので軍医から処方してもらった睡眠薬以外にも自分で調達してきた強力な睡眠薬を試してみている。

 他の連中は不眠にはならないのだろうか?考えることは山ほどあるのではないだろうか?この部隊の異常性と自らの安寧な軍務と引き換えに戦争の最前線で死傷している者のことなどを考えたりはしないのだろうか?俺はいつもそのことを考える。罪悪感を感じることもある。だが、この部隊を去るわけにも行かない。わざわざ死のリスクの高いところへ行きたくないという思いがあるのも事実だからだ。他の連中は煙草を吸っているからそんなことも考えたりしないのだろうか?麻薬のような効果でもあるのか?煙草を吸うのを禁じている俺にはわからない………。

 吸うべきか吸わざるべきか?それが問題だ。

 

   ◆


 セシルはぼんやりと色々なことを考えながら天井を見つめ続けていた。そして、以前オーネットから聞いた武勇伝のひとつである高射砲の森の探索話を思い出していた。

 高射砲の森。それは彼が航空会社で働いていた時から注意を喚起されていた地域であった。戦時中の噂に過ぎなかった話ではあるのだが、実際にそこで撃墜された機も存在しているということで、戦後もその地帯は決して飛ばないようにと会社からお達しが出ていた場所であった。

 なにしろ、先の大戦でのその高射砲の森での高射砲を運用していた者が誰だったのか?度の勢力だったのかが未だに謎であるからという事もあった。

 戦間期においては、既に戦争は終わっているのだから高射砲の森の上空を通過しても攻撃などされないのではないか?との意見も多数でてはいたのだが、高射砲の森付近の住民は特にこの森の特異性を伝承として伝え聞いており、その異様な地域であるとの噂はベラム共和国中に広く尾ひれの付いた形で広まっていた。

 そのためにある種お伽話めいたものではあったものの畏怖する気持ちを持つ者が多く、すべての航空会社は高射砲の森の上空を飛行することを禁止していた。

 しかし、航路が制限されるのはあまりよろしい状況ではない。そのため、高射砲の森が安全かどうか確かめるために何度か調査隊が送られたことがあったのだが、その多くは行方不明となり、無事に帰ってきた者も精神に変調をきたすこととなった。

 そんな異常な地域の高射砲の森にオーネットは行ったのだ。そして何事も無く帰還した。

 その冒険譚についてセシルはオーネットから何度か聞いたのだが(オーネットは同じ話を語り方を変えて何度も話す癖があったためだ)彼はとある老紳士の依頼でそこに向かったとのことだ。しかも、あの地域において何の武装もせず、単独で向かったというのだ。

 何が起こるかわからない地域に赴くにあたって武器も持たずに空手で行くとは!とセシルは初めてその話を聞いた時に驚いたものだ。

 しかし、それは結果として彼の生還に影響しているはずだ。地域住民の伝承においても武装し敵意をもった状況で複数人で森に侵入することを咎めてはいたのだがそんなお伽話めいた根拠のない話に耳を貸す者などいなかったために、調査隊は壊滅状態に陥ったのだ。

 オーネットのその話については何度も耳にタコが出来るくらいには聞いているセシルであったが、その中で一番印象に残っているのがオーネットに高射砲の森の調査依頼した老紳士の話であった。

 オーネットは何度かその老紳士に依頼を受けたとのことで、それは全部特異な依頼だったと言っていたが、セシルが気になったのはその依頼内容ではない。

    その男が自身を〈魔術師〉と名乗っていたという点であった。

 

   ◆


 くるくると回る天井の扇風機を見ながら俺はオーネットの話していたとある男のことを考えていた。自らを〈魔術師〉と名乗る人物。奇術師ではなく魔法使いの類の者のことだ。

 オーネットはその男のことを老紳士などと呼んでいたが、俺にはオーネットが言うほど年寄りには見えなかった。

 見えなかった。ということは勿論、俺自身二度だけではあるがその男と面識があるということだ。

 一度目は、基地内での事だった。オーネットが俺を連れ回して基地内をジープで走り回っているときに(その間ずっとオーネットの冒険譚を聞かされ続けていた)急に

 「ん?あ!?テイラー大尉!あれあれ!あの老紳士。アレが俺の話に出てくる依頼人ですよ!」

 と、オーネットが言い、指を差し向けた。そこは酒保であり、商品の納入に立ち会っている男を指していた。

 ちょうど取引を終え、帰っていくところであったので挨拶をする事は叶わなかったが、半分つくり話だと思っていたオーネットの話に信ぴょう性を持つきっかけになった出来事だった。

 色々と調べてみると、その男はこの部隊に流通している特別製の煙草を作り卸しているらしい。酒保商人かと思ったがそうではなく、敵味方関係なく何か自分自身の目的を達成するために色々とこの状況下で暗躍しているらしい。特に高射砲の森に関してはかなりの興味を示しているそうだ。

 俺はそのことを本人に直接確認した。二度目の邂逅である。それは基地近くの酒場での事だった。

 非番の日に馴染みの酒場に行った俺は偶然にも、その男に会った。

 一度目は遠くから見ただけではあったがその姿があまりにも特徴的であったためにすぐにその男だとわかった。

 シルクハットに片眼鏡、インバネス・コートを羽織ったその男は明らかに周囲と比べて浮いた格好をしているにも関わらず、誰もさほどきにしていないようであった。その男は俺の視線に気づいたようで向こうから近づいてきた。

 「珍しいこともあるものだ。私に興味を持つとはね。君。何か私に関して知っていることや共通の知人がいるのではないかい?」

 男はそう言ってカウンター席に着き、俺に隣に座るようにと促した。

「………オーネット。オーネット・コールマン。彼からあなたのことを聞いていました。あと以前一度基地内でお見かけしましたので」

 俺は内心はその男の冴えた直感から発せられたと思われる言葉に驚きながらもなんとか返答した。

「なるほどなるほど。彼の知り合いでしたか。彼には大分働いてもらったものだよ。戦争が起きてからはめっきり会うこともなくなってしまったがね」

 そう言って男はスコッチを注文し、ぐいと飲み干した。

「大分彼と親しいか私に興味を持っているかだね。そうでないとこの私に大して興味を持つ者などいないはずなのだよ。そういう気配を消す術法を心得ているのものでね。」

 術法………俺は思い切って聞いた。

「彼が言うにはあなたは〈魔術師〉だそうですね。その術法とやらもそういった類のもので?」

 シルクハットに片眼鏡、インバネス・コートというその前時代的な風体に興味を惹かれる方が普通であるのにこの酒場にいる者ときたら誰も奇異の目で見てはいない。この男が酒場の常連とも考えにくい。自分自身が常連であるからそれはわかっている。この男は一見の客だ。しかも特異な風体であるのに注目されていない。信じがたいが本当に魔術師とやらではないのだろうか?俺はそう思い聞いた。すると男はニヤリと笑い、

「まあそのようなものだね。一応肩書きは医者なのだがね。」

 と答えた。

「正直、お伽話の世界の存在だと思っていましたよ。今でも自分がこんなに簡単に疑義も挟まずあなたを魔術師であると確信してしまうことに驚いています」

「ま、時としてそういう奇妙な確信が芽生えることもあるさ。」男はそう言ってチェイサーに口をつけ続ける「もしかしたら君には魔術師の素養があるのかもな。色々と不思議な出来事の類に体制があるはずだ。それはある種の幸運かもしれないな。この高射砲の森周辺においてはね」

 自分でもびっくりするほどお伽話の中の存在である〈魔術師〉という存在を簡単に信じて、いや、確信してしまったのは今振り返ってもわからない。しかし、その時、確かに俺は彼を〈魔術師〉と確信したのだ。

 それからしばらく、その男との交流が続いた。この酒場で、夜な夜ないろんな話をした。

 名前を聞くと彼はクリストファー・クロフォードとでも呼んでくれと言った。どうやら本名ではないらしい。しかし、彼自身に問うたところ、「本名が何であるかなんて問題は、ただ会話を楽しむ目的においては他者と自身を区別する際の便宜上のものにすぎないのだからどうでもいいものさ。」と答えた。

 とりあえず、俺は彼のことをクロフォード氏と呼ぶことにしようと思ったが、結局、話の中で彼の名前を呼ぶことは殆ど無かった。

 その程度のものなのだ。名前が持つ意味は確かにあろうが、それが本名であろうと仮名であろうとさほど問題は生じない。

 俺はクロフォード氏から自身の〈魔術師〉としての様々な研究内容を聞きたかったのだが、彼はあまり語ってはくれなかった。彼が言うには、〈魔術〉〈オカルト〉というものは神秘性を保つことでその存在強度を高めることができるが故にあまり多くを語ることは自身の術法の効力を低下せしめることになるとのことだ。

 それならば、何故俺に自身が〈魔術師〉であるということを明かしたのか?と俺は彼に聞いた。すると彼は、

「神秘性、秘技性というものはそれが存在するかもしれない、もしくはその存在を確信しているーーー盲信でもいいのだがーーー者がいて初めてその存在が認められるのだよ。それ故に、極少数の人間には自身の存在をアピールすることでより存在強度を高めることにもなるのだよ。まあその周知の数というものの塩梅が難しい所でね………君に話したのはまあ、気まぐれと思ってくれて構わないよ。そして、君は私を〈魔術師〉だと確信していると思うが、たとえそれが確信でなくホラととってもらっても構わないのだよ。バランスさ。〈魔術師〉という者は世界の一般的な常識的な法則を逸脱してありえない過程から結果を生成せしめるものだからね………」

 クロフォード氏はそう言って遠くを見つめるような視線を俺を通り越した空間に投げかけていた。 

 理解が難しい話だったが何となく俺はわかるような気がした。秘密が秘密であるためのちょっとしたリークが必要ということなのだろう。秘密は個人と関係者の中だけで共有するだけでは成り立たず、何も知らない第三者をも巻き込んで噂として広まることで初めてその神秘性を増す………そのようなものだろう。

 その話をして以来、彼とは会っていない。彼は高射砲の森に興味があるようで、その調査の監督として、敵軍に協力すると言っていた。そもそも、彼は味方でもないし敵でもない。自分が利用できるものをこの戦争という混乱の中でうまく使っているようだ。それはまるで俺の部隊が戦争の混乱に乗じてやっている商売のようなものだと感じた。

 類は友を呼ぶとでもいうのだろうか?とにかく、その不思議な〈魔術師〉との邂逅は俺の人生においてとても興味深い体験となった。

 ノックの音がする。続いてオーネットの声がした。俺を下士官や一般兵用のあの特殊な食堂に誘いに来たとのことだ。

 「まったく、ここは何もかも特殊だな」

 俺はひとりごとをつぶやいてオーネットの案に乗ることにした。あの特殊な食堂自体にも興味があるが、それよりもその食堂に漂っていると思われる魔術師特製の煙草の副流煙を吸えるということに俺は興味を惹かれていた。

 勿論禁煙はしている。しかし環境上副流煙を吸ってしまうのは仕方が無いことだ。家族との禁煙の誓いを破ったことにはなるまい。それに経験上、副流煙をたっぷり吸うと睡眠薬が必要になるほど思考が巡り巡って眠れなくなるということがない。薬に頼るか、煙草の副流煙に頼るかの違いだ。なら後者でも構わないじゃないか?

 そう自分を納得させて俺はオーネットの運転するジープに乗り込んだ。



 

 高射砲の森


  琥珀の花 第一部 


            了


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