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Only You!  作者: 羽衣
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七話 夢・集合、夜





「ただいまー、って柊一の家だっけ」



愉快な声をあげてチャイムも鳴らさずに桜が帰ってきた。


廊下をトコトコと歩き、リビングへ向かってくる。


廊下とリビングを仕切る扉を開き、リビングに足を踏み入れた。


その瞬間―――――。



「西園寺ーーーっっ!!」



泉が逃げ出すように桜の後ろへ回った。


桜の背中越しに水野を睨む泉の瞳は、恐怖と疲労に染まっていて凄みがない。



「泉くん、逃げるのは良くないよ」



妃奈が蔑むような眼差しで泉を見つめる。



「まだ決着は着いてないんだけど?」



水野までもが泉を非難するように呟いた。


俺は泉が座っていた場所のすぐ左に座しており、妃奈はそのまた左に居る。


テーブルには将棋盤が安置され、その上の戦局は地獄だった。


簡単に説明すると、満足に動かせる駒が王将ぐらいって感じ。


打ち合っているのは、もちろん泉と水野。


明らかに劣勢なのはもちろん泉。


……事は三十分に遡る。


俺との人生ゲームに連勝連勝を重ねた水野は、人生ゲームそのものに飽きた。


飽きた水野は、俺に他のゲームを要求し始めた。


幸い我が家にはボードゲームの類が豊かにしまってあったので、それを聞いた水野は狂喜した。


チェス、囲碁、バックギャモン、ダイアモンドゲーム、将棋……etc.


その全てにおいて、水野は最強だった。


俺が一矢を報おうと、電子機器である家庭用ゲーム機を持ち出し、いわゆる格ゲーで勝負を挑んだ。


勝負は2ポイント先取。


初戦、僅かに圧倒した俺だが、小さなケアレスミスから敗北を喫してしまった。


二回戦、どうやらコツを掴んだらしい水野は、超必殺技という初心者には難しい筈のコマンドを駆使して俺を抹殺した。


その後の勝負が目も当てられない惨状になったことは言うまでもない。


経験者、しかもだいぶやり込んだ俺にパーフェクトを決め込むのだ。


格ゲーはプレイ時間とコンボを編み出すセンスが全て、という俺の法則は完全に破壊された。


経験を積んだ格ゲーのプレイヤーに勝つには、更なる経験を積むしかないと思っていたんだがな。


電子機器では勝負にならないと考えた俺は、ボードゲームでまた挑んだ。


結果は同じだったと、敢えて言おう。


最終的には将棋で落ち着いたのだが、やはり戦局は変わらず。


俺と泉、そして意外にもルールを知っていた妃奈も加え、水野へと立ち向かった次第である。


俺に圧勝し、妃奈を瞬殺した後、泉を軽く捻り潰した水野は、連続での勝負を発案した。


飛車抜きでも全く歯が立たないのだから、有段者であることを信じよう。


そして連続で火花を散らし、今のような状態を招いたワケである。


泉はあまりの劣勢に堪えきれず、桜に助けを求め始めたのだ。


その桜は寝間着を入れてあるだろうリュックを右手にぶら下げている。


そして泉に侮蔑を込めた視線を送った後、テーブルに歩み寄って将棋盤を睨みつけた。



「……なにこれ、絶望的じゃない」



そのままの感情を口にした桜は、カーペットの上にリュックを置いた。


泉に変わって席についた桜は、駒を元に戻し始める。



「次は私の相手を頼もうかしら。私も将棋は少し自信があるの」



「ぬっふっふ。容赦はせぬぞ〜」



怪しく笑った水野は、桜と一緒に駒を元に戻していく。



「桜も帰ってきたことだし、ゴハンの用意しよっか」



未だへたれこんでいる泉を無視し、妃奈はカレーを温めるためにコンロに火を点ける。


俺はスプーンや食器、妃奈が家から持ってきた食材で作ったサラダを食卓に並べていく。


離れた所にあるテーブルでは、熱戦が繰り広げられていた。



「あれ、福神漬けが無い……」



重大な事に気付いてしまった。



「えー、もうお腹ペコペコだよー」



妃奈の抗議には従えない。



「「福神漬けの無いカレーなんてカレーじゃない!」」



珍しく泉と息があった俺は、財布片手に家を飛び出した。


福神漬けくらいならコンビニでも買えるハズだ。


自転車にまたがり近くのコンビニ目指して足に力を入れる。


風を切りながらチャリをこぎ、数分の内にコンビニへと到着した。


素早く福神漬けを発見した俺は店員に差し出し、出来うる限り最速で福神漬けを購入した。


コンビニ袋をチャリのカゴに突っ込み、息が荒いのも気にせずチャリをこぎ始めた。


行きよりは時間がかかったものの、神風のごとき速さで自宅に帰宅。


何故かドアを開けるのも力がこもってしまう。


俺がリビングへ踏み込むと、



「負けたーっっっ!!」



水野の悲鳴のような叫び声がこだました。


聞いて判るように、水野は桜の前に敗北したようだ。


俺はあくまで冷静を装いながら将棋盤を見てみた。


…………凄い。


俺たちを軽くあしらった水野が、まさかの大敗。


桜の王将は不動のまま、金将や銀将が二、三動いているだけだ。



「う……よもやここまでとは……」



「なかなかいい勝負だったわ。まだまだ詰めが甘いけれど」



余裕の笑顔でそう告げる桜。


対して水野は悔しそうな顔をつくり、今にも再戦を申し渡しそうだ。



「はーい、続きは後にしてね。もうカレー出来上がってるから」



妃奈の宣言に空気は一変した。


勝利した桜も敗北した水野も、将棋のことなど忘れたかのように立ち上がる。


はーい、と声を揃えて食卓に着いた。


まるでお母さんだな、妃奈。


そして水野と桜も子供のようだ。


という俺は既に席に着いているわけだが。


泉は俺よりも早く座っていたんだがね。


散々俺たちを敗北させ続けた水野は、遊び疲れたのか、カレーを目の当たりにして目を輝かせている。


散々敗北し続けた俺の目は淀んでいるかもしれないが。


律儀にもみんなで手を合わせ、いただきますと言ってからスプーンを駆った。


材料には多少の不満があるかもしれないが、味付けにおいては誰もが満面の笑みだ。


なにせ妃奈のつくったカレーだ。


一口、また一口と、口に運ばれる度に食欲が湧いてくる。


そんなことは絶対にないのかも知れないが、スプーンを持つ手は易々と止まってくれそうにない。


カチャカチャと食器の擦れる音が続き、誰もが笑いあった。


ここぞとばかりに、腹を膨らましながら抱える奇妙な画だ。


なんとなく―――あくまでもなんとなくなんだが、俺はこんな状況が不思議でならなかった。


自分でも判らないが、とにかく不思議だ。


この温かい団らんの中に俺が居ること自体、不思議でしょうがない。


判らんことを考えても判るワケないし(数学とか化学は特にな)こんなうざったい感情は破棄した。


何より、そろそろ鍋の中のカレーが底を突く。


俺は競い合うかのようにカレーにがっついた。


初心者の常套料理であるカレーが、ここまでウマいとはな。


―――その後、思う存分カレーを堪能した俺たちは、いや、俺と泉は朽ちた。


胃袋のキャパシティを無視した食事は、激しい苦痛を伴うんだな。


鍋のカレーは見事に空。


そのほとんどを俺と泉と水野の三人で分けた結果、俺と泉は撃沈。


何故かケロッとしている水野は置いといておこう。


プリンとようかん、食べたかったなあ。


桜が俺の残った半分を、水野が泉の一人前を平らげてしまったのだ。


でも何で隠れながら食べてたんだろ、桜。



「大丈夫?柊くん」



「う……。腹がはちきれる……」



ソファーで横たわりながら答えた。


泉はイスに座りながら燃え尽きている。



「ちょっとは考えて食べなさいよー。アンタたちバカ?」



「ば…バカはヒドいな…。お前もちょっとは、妃奈みたいに心配できないのか……?」



妃奈は苦笑し、桜はヘンな顔で睨んできた。


泉は真っ白な灰になり、現在桜と対局中の水野は苦虫を噛んだような表情をしている。


そちらも直に燃え尽きるだろう。



「妃奈。おじさんはいいのか?今家で独りぼっち喰らってるんじゃないのか?」



「お父さんだって大人なんだから大丈夫。1日ぐらいほっといても死なないよ」



そりゃ肉体的には死なないかもしれんが、あの人は精神的にな……。


神谷家の大黒柱、神谷 優弥ゆうや


俺の親父同様、職業が謎に包まれた未知の男性だ。


よく家を空けるという事だけは確かだが、今は神谷家に帰還している。


このおじさんを説明するには、おそらく五分とかからない。


ただ―――娘である妃奈を溺愛している。


それが彼の存在意義であり不動の信念である。


せっかく家に帰ってきたというのに妃奈が構ってくれないとなれば、今ごろ半狂乱になっているだろう。


しかし、そこまで溺愛しているにも関わらず、肝心の妃奈に煙たがられているというのが今の現状である。


これはこの前妃奈から聞いた話なのだが、妃奈が小学校低学年の頃、同級生の男子に告白されたとおじさんに報告したらしい。


それも、授業参観を間近に控えたという時期に。


参観当日、校舎は黒塗りのベンツに包囲され、何故か教室には強面のお兄さんが沢山いらっしゃったという。


皆さんスーツを華麗に着こなし、顔には刃物でつけられたような古傷があったとか。


当然、校長先生が直々にやってきたわけで、切り札である『警察呼びますよ』を繰り出したところ『サツがなんぼのモンじゃい』の一言であっさり撃墜されたらしい。


遅れてやって来た妃奈のおじさんが、そのお兄さんたちに頭を下げられたりと、まるで猿山のボス猿のように慕われていたというのは言うまでもない。


必然的に、妃奈激怒。


おじさんの『告白しくさったクソガキってどの子かな?』を、『お父さんキライ』の一言で瞬殺。


アブナいお兄さんたちの『お嬢、落ち着いてくだせぇ』を『もうクッキーの差し入れしてあげない』の一言でまたもや瞬殺。


曰わく、妃奈の存在はそのスジの人たちの心のオアシスだったとか。


結果、校舎の周りを巡回するベンツ以外は全て消え去った。


そしてそれは今もまだ続いている―――。


これは直接おじさんから聞いたんだが、もし俺以外の男が妃奈に近付こうものならその男は数分の内に世界から抹消されるらしい。


『俺が認め、かつ妃奈も気に入っている男』であるらしい俺は、今のところ無事だ。


しかも、俺の親父とは高校時代からの友人だったらしい。


引っ越しの荷物を処理している時に発見した高校時代の写真は、俺の親父と妃奈のおじさんも含め、明らかに銃刀法違反なモノを所持していたりする。


一応大人の判断として、見てみぬフリをしておいたが。


で、何でこんな話になったんだっけ。


あぁ、妃奈の家の話だ。


独りぼっちも可哀想なので、おじさんを救済しておこう。



「さすがにこれだけの人数じゃ効率が悪いなぁ。あ、そうだ。妃奈の家があったんだ」



俺はあくまでも自然に閃いたフリをした。



「何の話?」



「風呂だよ風呂。女子は妃奈んち、男子は俺んちで風呂に入ろう」



妃奈は少し考えた後、うん、と頷いた。



「じゃ行こっか。沙樹、桜、将棋はひとまず休憩」



はーい、と元気よく返事をして、桜も水野も妃奈について行った。


アヒルの子みたいだな。



「うしっ!俺たちも入るか」



そう言って俺は、泉を促した。



「ジャージぐらい用意してやる。だから早く入りなされ」



「―――すまんな、では先に」



泉にジェスチャーで風呂場を教えてやると、すぐに向かっていった。


一応客人として迎えている以上、これぐらいはしてやらんとな。


俺は泉の着替えを脱衣所に置いてから、リビングへと舞い戻った。


別に男の入浴シーンに出くわしても嬉しくないさ。


そこで俺は、ある事に気がついた。



「―――あれ、忘れてるじゃないか。コレ」



部屋の隅に追いやられてしまった桜のリュック。


確かコレには着替えが入っている筈だ。


何で取りに帰ってこないんだろ。


コレには桜と水野の着替えが――――。


そう、女の子の着替えが――――。


女の子の――着替え――?


着替えって―――下着?



「せいやーーーーっっ!!」



理解していても視線が離れないので、廊下にぶん投げた。


理性よ……我が大いなる理性よ……この不浄を清めたまえ―――!!


……よし!煩悩は去った。


去ったので、扉にぶつかったリュックを届けに行こう。


なるべく視線を向けず、指で摘みながら持って出た。


妃奈の家を訪れ、チャイムも鳴らさず扉を開ける。


親しき間がどうたらこうたらとかいうことわざがあったが、家族同然ならばもう不必要だ。


妃奈にも教えてやらんとな。


「おじゃましまーす、と」



間取りは大体同じ妃奈の家。


リビングへ向かう廊下の途中、



「……なんか騒がしいな」



やたらに大きな笑い声がしたりと、まさにドンチャン騒ぎ?



「忘れモノが―――」



ガラッと扉を開くと、そこには――――。



「おっ、柊ちゃーん。いらっしゃい!」



一升瓶片手に顔を赤くした神谷優弥の姿。


あぁ、呑んでるな、と思っただけならどれだけよかったか。



「ほほー。お前が柊一か、小僧」



俺を小僧などと呼ぶ男の姿。


今どき小僧なんて言わないだろ。


おじさんと同じ四十歳ぐらいの男性は、ガッハッハと愉快に笑っている。


体格のいい大男は顎に薄くヒゲを伸ばし、渋みというか、貫禄をかもし出している。


そして、向かい側には……。



「あ、着替え持ってきてくれたんだ。ありがと」



透明な液体が並々と入っているガラスのコップを握っている水野。


検討はつくが、酒か……。


だって水野の両隣にさ。



「こらあーっ!柊一!何しに来たー!?」



……誤解しないよう解説するが、これは妃奈の罵声である。


ベロンベロンに酔っ払った妃奈の頬はほんのり赤くなっていた。


妃奈のことだからほんのちょっと呑んだだけなんだろうが、弱いんだな…酒。



「ばかぁ!しゅーいちのばかやろぉーっ!」



ちなみにコレは桜の声だ。


妃奈と同じく桜も弱いんだな…酒。



「おじさん、これは一体?」



「いやー、妃奈とそのお友達が来たというから酒を振る舞ったんだがなぁ。初めて呑むには強すぎたか」



「おじさんが呑む酒は強いのばっかなんだから、妃奈が可哀相じゃないか。あーあ、こんなに酔っ払って……桜まで……」



「だーはっは!俺の娘もコレが初めてだぞ、小僧!」



おじさんの呑み友達らしき男性は豪快に笑い飛ばした。



「ていうかあんた誰……って、娘?」



えーっと、妃奈はおじさんの一人娘だし、水野がブンブンと首を横に振ってるってことは……。



「……………」



うつろな目をしている桜を見てから、また豪快オヤジを見てみる。


オヤジは自信満々に、というか笑いながら大きく頷いた。



「え……でも、まさか……」



もう一度桜を見てから、豪快オヤジに視線を戻す。



「桜はオレの娘だぞ、小僧」



え、えええええェェ!?


マジっすか!?


てか何で!?


え、桜の――オヤジさんが妃奈のおじさんと――?


知り合い?


世間狭っ!!



「申し遅れた。西園寺家、現・当主。西園寺 秋羅あきら



西園寺 秋羅と名乗ったオヤジは、あぐらをかいた両膝の上に手のひらを置き頭を下げた。



「こちらこそ申し遅れました。皐月 柊一です」



すかさず俺は正座し、手をついて頭を下げる。


礼儀には礼儀で返すべしと、イヤってほど学んでるからな。



「いやいや、これはなかなかの好青年。頭を上げるがいい。堅っ苦しいのは性に合わん」



そう言ってまた笑い始めた。


こういう礼儀を重んじる反面堅苦しいのは嫌いな人、大抵大物なんだよなぁ。



「柊ちゃんも呑みなよ!見ていてもつまらんだろ!」



おじさんがコップを差し出すので、仕方なく受け取る。


そのまま一升瓶から日本酒がつがれた。


それをグイッと一気呑みすると、また笑われた。


どうやらこの西園寺さんはよく笑う人らしい。



「ていうか水野、よく平気だな。このペースで呑んでたらこうなるぞ」



酔っ払って暴れ回っている妃奈たちに目をやる。



「ナメちゃ困るね。私はお酒には強いんだから」



西園寺さんがワッハッハと笑い、水野に酒をついだ。



「最近の若いモンは元気でいい!うちの衆なぞ、三十分でツブれるぞ!」



うちの衆……ね。


どうやら名家の人らしいが、この人はそっち方面を取り仕切っているようだ。


そりゃ桜も強なるわ。



「おじさんと西園寺さんは知り合いみたいだけど」



「ああ。妃奈が構ってくれないし一杯やろうと思ったんだけど、若いヤツらじゃ可哀相だろ?で、親玉同士、旧友のよしみで呑もうかなと」



やっぱり拗ねてたんだ、おじさん。


西園寺さんもおんなじような理由だろうけど。


俺は何杯目かの焼酎を呑み干し、またつがれた。



「いやしかし、キミのことはよく聞いているぞ。なんでも、桜と仲良くしてくれてるそうじゃないか」



仲良くはしているかもしれないな。


何だかんだで殴られなくなってきたし。



「そりゃ、俺が認めた男だ!それぐらいは当然!」



「ほっ!お前が認めた男だったか!どうりで桜も懐いているワケだ!」



懐いてるって、桜が小動物みたいな。


それと、未だ俺に辛辣な口調なのは懐いている証拠なのだろうか?



「どうだ、お前も認めてやっては」



「うぬ、オレはまだ会ったばかりだから何とも言えぬ。だが―――」



西園寺さんは俺を品定めするように見つめた後、にかっと笑った。


いや、笑われても。


しっかし水野元気だなあ。


このハイペースについて行ける高校生なんてなかなかいないぞ。


ありゃ酒豪だな。



「くぉら〜。むヒするな〜」



妃奈がいつぞやのようにヘッドロックを仕掛けてきた。


多分無視するなと言いたいんだろうが、舌が回っていない。


そもそも喋りかけられてねェ。



「はいはい。酔っ払いは早く寝なさい」



全く力がこもっていない腕を解き、妃奈を座らせる。



「はい、桜もこっちにおいで。ここ座りなさい」



ふにゃふにゃと寝転がっていた桜を呼び、妃奈のとなりの床をポンポンと叩く。



「しゅーいちぃ。なあに〜?」



へべれけ桜は割と素直だな。


こっちの方が可愛げあるんじゃないのか?


桜はノコノコと歩き、妃奈のすぐとなりにペタンと女の子座りした。



「せっかく着替え持ってきたんだが、もうムダかな。もう夜遅いんだから早く寝なさい。明日起きられないぞ?」



遅いと言っても、時間はまだ九時半。


眠るには少し早いだろうけど。



「おまへはぁ〜、もっと私にやさしくしなら〜い」



あ、無視された。


しかも説教口調。



「ひとのきもひをかんがえろって……ようちえんで……言われにゃかったのか〜!」



はいはい、お酒は二十歳からって最近言われませんでしたか?


俺も呑んでるけどさ。


そんなに頭ふらふらなのに何言ってんだか。


とにかく、今の妃奈は支離滅裂だ。


常識の通じる相手じゃない。



「桜。おーい、桜」



「ん、んん〜〜〜?」



桜め、やけに静かだと思ったら座りながら寝てやがった。


首をコクコクさせてたぞ。



「桜、眠たいんなら妃奈と一緒に部屋へ行きなさい。ちゃんとベッドで寝るんだぞ」



「ねむくないよぉ〜ん。う……ひっく」



目蓋閉じてるし。


俺が酔っ払いの面倒を見ていると、後ろから水野がやって来た。


グラス片手にすり寄る水野は少し頬に赤みがさしていた。



「あらま。二人ともギャップスゴいなぁ」



それっきり、またオヤジたちの輪の中へ帰っていった。


何となく気になっただけらしい。



「しゅう……いちっ!むヒを……するなぁ!」



だから無視だってば。


またもや喋りかけてもないのに無視などと言う暴君が一人。


酔っ払いの相手はこれが初めてなので、ここまで常識が通じないとは思わなかった。


どうしようかな、この二人……。



「無視してないよ。ほら、頭撫でてやるから許せ」



妃奈の頭に手を置いて撫でてやると、大人しくなった。


ホントに小動物みたいだな。


俺が手をどけてみると、妃奈はかなり不機嫌そうな表情になった。



「んん〜……もぉっとしろ〜〜」



そう要求する妃奈はふらふらの頭で俺の心臓目掛けてヘッドバッドをかましてきた。


もう、面倒くさいなぁ。


仕方ないからまた頭を撫でた。


猫のように顔を和ませながら、力を抜いてもたれ掛かってくる。


酔うとこういう男子が困ることばっかりして来るもんなのか。


俺が妃奈をこのまま寝かしつけるかどうか思索している時、すぐとなりから桜の声が聞こえてきた。


しかもすすり泣くような声だ。


ふと桜の方を見てみると、本当にすすり泣いていた。



「う……うっ………ひっく………」



桜は大きな黒い瞳から、これまた大粒の涙を流している。


泣いてる桜も見ものだが……やっぱり何とかせねばなるまい。


あぁ、面倒くさいなぁ。


小さい女の子みたいにぐすんぐすん泣かれちゃ困るんだよな。



「今度はどうした、桜。なんで泣いてるんだ?」



「うっ……しゅ…ちが………す、る……」



桜が俯くので表情がよく判らない。



「え?なんだって?」



「しゅ、しゅーいち………」



「ああ、俺がどうしたんだ?」



桜はパッと顔を上げ、目にいっぱい涙を溜めている。


視線がバッチリ合い、潤んだ瞳をこっちに向けてくる。


どうする、アイフル〜。



「うっ…しゅーいちが……ひなとばっかりなかよくする………」



はあ、酒の力とは恐ろしい。


あの勝ち気な桜を幼児化させてしまうとは。


妃奈とばっかり仲良くするって、俺を幼稚園の先生か何かと間違ってんじゃないのか?


妃奈は頭撫でないと拗ねるし、桜は急に泣き出すし、水野が酔わなくて助かったぜ。


俺はもういっぱいいっぱいだ。



「それで?何してほしいんだ?」



「…………なでる……」



桜は目線を少し下げ、カーペットを険しい顔で凝視している。


その頭の上に左手を乗せると、一瞬目を瞑ってから嬉しそうに笑ってくれた。


ニコニコと微笑む桜の顔は見ているとこっちまで嬉しくなる。



「しゅ………いちぃ!」



嬉しさが臨界点に達したのか、腰に届こうかという麗しい黒髪を舞わせながら両手を広げて抱きついてきた。


首に腕を回して、顔が触れ合うような距離からこちらの目を見てくる。


至近距離からだと桜の顔はとても火照って見える。



「ん…しゅう……いちぃ……」



「え…?うぇうぇうぇ!?」



トロンとした目のまま、桜が跳んだ。


勢いをつけて俺に向かって飛び込んできた桜は、そのまま俺を押し倒そうとする。


抱き付いた状態から飛び込んでいるため、勢いはさほど強くない。


だが、体勢が悪い。


尻をついているから踏ん張りがきかない。


オマケに右腕は妃奈の頭を包み込んでいるし、左腕は桜の腰に回している。


腕を突っ張る前に――――ドサッと押し倒されてしまった。


右側には妃奈、左側には桜。


二人とも俺の胸を枕にし、それぞれ半身ずつ俺に預けてくる。


ゼロ距離の密着状態がサンドイッチだ。


俺は言い知れぬ感情に襲われたが、二人があまりにも可愛い寝息を立てているので気にならなかった。


水野とおじさんと西園寺さんは、いつの間にか川の字になりながらツブれていた。


この短時間にやたらと呑んでいればそうなるさ。


職業不明のおじさん二人と仲良く一緒に酒呑めるなんて、酒に強いだけじゃ不可能だな。


三人で暴れ回った結果友達になったんだろう。


みんな一升瓶片手に夢の中だ。


妃奈と桜も一口程度じゃここまで酔わんだろうに。


自分の娘を酒乱状態にして、恥ずかしくないのだろうか。


酒乱……そういえば、桜は酔拳使えないのか。


酒呑むの初めてとか西園寺さんが言ってたし、当然か。


安心するのと同時に、少し残念な気もする。


まあ、使えたとしてもこれじゃあな。


俺が桜の髪を優しく撫でると、ごそごそと身じろいだ。


体をスリ寄せてくるからくすぐったかった。


さて、そろそろ戻らなければ。


泉が不思議に思ってる頃だろうし、こんな状態で眠ってしまうわけにはいかない。


妃奈に要らぬ心配をかけてしまう。


桜にどつかれるのもイヤだしな。


桜にしろ妃奈にしろ、酔うと面白かったな。


―――妃奈はもう少し積極的に自己の存在をアピールするべきだ。


引っ込み思案ではないだろうが、相手のことばかり考えるのもあまりよろしくない。


その点、酔った妃奈はこっちのことなどお構いなしだった。


言葉遣いは多少頂けないので、足して二で割るといい感じになるんじゃないのか。


桜も絶対足して二で割るべきだ。


目を腫らして泣かれるのは勘弁だが、素直でおとなしい(?)のは大賛成だ。


結局、人間は表裏でバランスを取ってるんだろうな。


ただこの二人は極端なだけ。


人間として個体でいるならそんな事はどうでもいい。


表だろうが裏だろうが結果的にいいヤツならそいつはいいヤツなのだ。


しかし、良い部分と悪い部分、裏にしまうなら悪い部分に決まってる。


集団で生きていく人間にとって、コミュニケーションが必要になってくるからだ。


ただ……それでは隠すだけで根本的な解決にならない。


だから、良き理解者がいるんだ。


悪い部分を見せてもそれだけに捉われず、ちゃんと理解してくれる人が。


それで初めて、人は悪い部分を改善できる。


そのためなら酒は真価を発揮してくれる。


酔っているから、という理由で人の裏を垣間見れるからだ。


酔っている妃奈の良いところと悪いところを見たから、表の妃奈と比較できる。


妃奈の欠点を正してやることができる。


妃奈も桜も目を覚ませば表に戻る。


その時必要なのは、俺が理解し、指摘し、導くことだ。


俺がそんなに達観した人物ではないのは百も承知だが、俺にはその責任がある。


義務とは、知ってしまった事実にもついて回る。


不可抗力であったとしても問答無用だ。


今の俺に出来る事は―――せいぜい、風邪を引かないよう毛布でも持ってきてやるぐらいか。


俺は両腕で二人を引きはがした。


しがみついてきたが、難なく離れてくれた。


ごろん、と転がり、それでも起きなかった。


名残惜しかったが、仕方がない。


俺は立ち上がり、毛布を探しに廊下へ戻った。


リビングへ到着する前に二つほど部屋があった筈だ。


扉はもう少しあったが、一つは確実にトイレだろう。


そのうちの一つを開けてみると、そこは寝室だった。


おじさんの部屋であろう簡素な棚やらが置かれている。


大きなダブルベッドから毛布を剥ぎ取り、またリビングへと踵を返した。


おじさんと水野、それと西園寺さんにまで届くように毛布をかけてやる。


長さが少し足りなかったので、おじさんには二回転ほどしてもらった。


次に、妃奈の部屋を捜索する。


間取りは完全に一致しないので、骨が折れそうだ。


またもや廊下に戻り、残りの扉を開けてみた。


一つはやはりトイレ。


もう一つは書斎のようだった。


おじさんに必要かどうかは疑問だが、あるのだから仕方がない。


となると、リビングから続く階段の先―――二階か。


俺は階段を上り、二階へ向かった。


部屋は三つ……二人で住むにはいらないだろう。


妃奈の家も母親が居ないから部屋が余るのは当然なんだがな。


俺の家も似たようなモンだし。


とりあえず一つ目。


開けてみると、そこには何もなかった。


カーペットが敷かれている以外本当に何も無い部屋。


物置ですらなさそうなので、さっさと二つ目の扉を目指す。


ガチャリ、と音がする。


開いた扉の向こう側には黄色いカーテン。


部屋に足を踏み入れ、辺りを見渡した途端―――――


――――頭の中で、なにか音がした。


直立していた棒が転げ回るように、ぐるぐると脳が引っ掻き回される。


俺はいつの間にか床に膝をついていた。


黄色いカーテンに花柄のカーペット………。


他には何もないというのに、虚無感を全く感じさせない部屋。


リビングと何ら変わらない人間の雰囲気。


そんなものが、この部屋には漂っている。


そして、俺は確実に―――“この部屋”に狂わされた。


脳みそを直接握られているかのような頭の痛み。


それは多分激痛。


痛みを感じているものの声を出そうとか頭を押さえようとか思わなかった。


おそらく眉一つ動かしていないだろう。


これがいわゆる放心状態。


痛いけれど、それが俺のものじゃないみたいに駆け抜けてゆく。


思考すら無意味。


イコール行動ではない思考など無意味。


感情など無関心。


意味の無い思考に感情の入る余地が無い。


今、ここには“無”が無い。


無価値無関心無関係無感動無意味無意識無抵抗無定義―――――――


あらゆる“無”をはねのけ、“無”が流れ込んでくる。


この感覚―――どこかで……。


鉄の金属片が空高く舞い上がり、物凄い速さで直撃する。


飛んでいく俺。


そして俺が流れ込む。


…………違う。


あの時は俺ではなく外に意味があった。


危険や怒りに苦しみ。


それが俺を突き動かした。


今は無いのか―――?


いや、俺が“皐月柊一”である以上意味はある。


反吐が出るほど些細な事だが、義務がある。


なら……存在意義を放棄してやる――――――。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。



……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。




……目が覚めた。


単に、そう思った。


俺は眠りから覚めたのだ。


無理な体勢で眠っていたためか、体の節々が痛む。


俺は壁に寄りかかり、座り込みながら寝ていたようだ。


かなり体が重いのもそのせいだろう。


そこで気付いた事だが、今日は学校あるんじゃないのか?


かなり焦り気味に時計を見てみると、六時の手前だった。


何となく一安心した。


だが、俺や妃奈はともかく、泉たちはどうするのだろう。


まだ起きてはいないだろうし、学校の準備があるだろう。


いや、泉には俺が服を貸せば何とかなる。


あいつらは制服もカバンも持ってきている。


ちゃんと考えているだろうから、心配はよそう。


周囲に目線をやると、みんな仲良くスヤスヤと眠っていた。


おじさんはともかく、西園寺さんは仕事があるだろうに。


いい年して何やってんだか。


俺が持ってきた毛布を奪うように引っ張る水野。


それでおじさんも西園寺さんも簡単に奪われてしまった。


独り占めした毛布にくるまりながら静かに眠る水野の表情は、年相応の女の子のそれだった。


昨日呑みまくってたのが嘘みたいだ。


それで昨日の事を思い出し、妃奈と桜に目をやった。


こちらは体をくっつけて仲良く寝ている。


毛布を奪い合うこともなく、安心しきった表情をしている。


……そういや、泉をほったらかしにしてた。


あいつが風呂に入ってから俺が眠るまで何して――――


俺は……何をしてたんだろう。


毛布を取りに二階へ行って、それから………。


―――ダメだ、思い出せない。


きっと俺も呑み過ぎたんだろうな。


あの後毛布を妃奈たちにかけてやって、それからこんな所で寝てしまったんだろう。


全く情けない。


これじゃ人のこと言えないな。


二度寝して起きたら昼、なんてシチュエーションはごめんなので、俺は立ち上がった。


取りあえず妃奈の家を出て、我が家へと帰投する。


廊下を渡りリビングへ行くと、ソファーで泉が眠っていた。



「おい、泉。朝だぞ。早く起きなさい」



泉は鬱陶しそうに寝返りを打ったあと、上半身を起こした。



「……柊か。何なんだ、こんな朝早くから」



泉は目をこすりながら起き上がった。



「今日学校行かなくちゃならんだろう。どうせ服とかないんだろ?」



大きなあくびをしながら頷く泉。



「泉、料理はできるか。腹が減った」



「一応人並みにはできるが、材料がなければ物理的にできない」



そりゃそうだ、とばかりに相づちを打つ。


後で妃奈に朝ゴハン作ってもらおうかな。



「それと泉、昨日は悪かったな。帰れなくて」



「……寝ぼけてるのか?俺が昨日神谷の家に行った時、話は済んだだろ」



「そう…なのか?昨日は酒呑んだからか、記憶がごっそり無いんだ」



「ああ。先にベッドで寝ていろと言ったのは柊の方だぞ。夜中の一時まで粘ってみたんだが、さすがに無理だった」



なるほど、そういうことか。


ならなおさら泉には悪いことをした。


また謝るのもヘンなので、俺は顔を洗いに行った。


今の俺に冷たい流水は効く。


一発で完全に覚醒した。


こう、種がキラーンと。


覚醒したところで俺は泉の着替えを用意してやった。


それからすぐに顔を洗いに行くよう促し、神谷家に舞い戻った。


やはりみんな起こしておかねばなるまい。



「妃奈、起きてくれ。朝だ。コケコッコーだ。学校あるんだぞ」



妃奈は顔をぷいと背け、また寝息を立て始めた。


俺は標的を妃奈から桜に変えた。



「起きろ〜。遅刻するぞ」



肩を揺すってみるが、あまり効果がない。


桜までもが寝坊助と化してしまった。



「おーい、桜。メイド服着せるぞ」



桜に対する反則的なまでの切り札。


桜はパチッと目を開いた。


のそのそと体を起こし始める。



「ん……柊一……」



桜が虚ろな目で見つめてくるので、昨夜の暴挙を思い出してしまった。


勢いよく抱き付いてきた時の潤んだ瞳や柔らかい感触。


その全てが鮮明に蘇り、急に恥ずかしくなった。


やはり美少女を二人も抱き締めながら寝転ぶなんざ、精神的によくなかったんだ。


これで桜が覚えているなんて事態になろうもんなら………。



「あたま………」



桜がボソッと呟いた。


ヤバい、俺が桜の頭を撫でたこと覚えてる!?



「頭……すんごく痛い……。ガンガンする………」



ふむ、どうやら桜は二日酔いを訴えているだけらしい。


慣れない事した代償だ。



「そりゃ二日酔いだ。よく覚えとけよ、呑まれるなら呑むな」



桜は頭を押さえ、まだふらふらしている。


頭がぐるぐる回っているようだ。



「ん……学校行く……」



眠そうに目をこすりながら呟いた。


まだ少し寝ぼけているようだが、学校には行くらしい。


今は取りあえず寝ぼけ眼の桜をなんとかしよう。



「ほら、立てるか?そのまんまじゃまた寝ちまうぞ」



俺は立ち上がり、桜に手を伸ばした。


桜はそっと俺の手を握ると、支えにしながらゆっくりと立ち上がった。


寝ぼけているせいか、それともまだ酒気が抜けていないのか。


立ち上がったのはいいものの、足取りはおぼつかなく、ふにゃふにゃと倒れ込んでしまった。



「あっ、おい桜―――」



咄嗟に腕を差し出し、桜を背中から受け止める。



「……柊一………」



あろうことか桜は、俺の腕の中でスリスリと抱き付いてきた。


ますます蘇る昨夜の出来事―――


女の子の柔らかさがまた腕や胸を通して襲いかかってくる。


昨日の桜は酔っぱらってたからまだ許せたが、今は違う。


酔ってはいないだろうから、多分寝るときに布団とかを抱きしめるクセがあるんだろう。


あんな一生に一度あるかないかの体験は、繰り返すべきではない。



「み、水…………」



まるで傷付いたサムライのような声で呟いた。


目が閉じているので、未だ睡魔と交戦中だろう。


俺は桜をずるずると引きずりながら水屋に手を伸ばした。


グラスに水を注ぎ、桜の口元まで持っていってやる。


桜は唇にグラスが触れたのを確認すると、両手で握りしめた。


俺に寄りかかったままの体勢で、喉をコクン、コクンと鳴らしながら一気に飲み干してしまった。


空のグラスを俺に手渡し、少しは目が覚めたのか自力で立ち上がった。



「おはよ……柊一」



「ああ、おはよう。目は覚めたか?」



「うん。頭がやたらに痛いけど目は覚めた」



「そうか。なら……着替えたらどうだ?その、目線のやり場に困る……」



桜はハッとなり、初めて自分があられもない姿になっていることに気が付いた。


あらわになった胸元を隠すように腕を交差させ、俺に背を向けた。



「……もしかして、私が寝てる間に変なコトしなかった?」



「あのな、俺がそんな鬼畜に見えるか?せいぜい寝顔を観察したぐらいだ」



それを聞いた桜は、顔を赤らめながら振り向いた。



「こ、の……変態っ!スケベっ!根性なしっ!カタツムリっ!」



最後にウェスクァルゴォ(ここ、発音注意)とか言われたのは意味が分からないが、さすがに傷つくなぁ。



「またそんな可愛げのないことばっかり言って……。昨日の桜の方がよっぽどカワ――――」



何とかそこで、言葉を飲んだ。


まったく、自分でも赤面していると判るほど沸騰している。


これ以上思い出してはならんのだ。


桜のやわらかい黒髪を撫でたことや抱きしめたこと。


それは妃奈にも共通するのだが、やはり目の前に本人がいたのでは気恥ずかしい。


ましてや口にでもしようモンなら、どんな仕打ちを受けるか判らない。


俺、今ものすごく目が泳いでるだろうな……。



「昨日……?昨日……きのう……機能?」



顎に指を当てながら、少し考え込む桜。


おそらく最後の“昨日”は発音がおかしい。


ああ、と小さく漏らした桜はポンと手をついた。



「確か、ここに来てみると、何故かお父さんがいて、酒呑めとか言われて……少し呑んで……気分が悪くなって……」



つい昨日の出来事を順々に思い出しているようだ。


ほどほどにしてもらわなければ…。



「沙樹に水もらって、一気呑みしたら余計クラクラしてきて……それで……?」



ここまでのようだな。


記憶の終点に辿り着いた桜は訝しむような表情で暗中模索をくり返している。


多分水野にもらった水ってのは水じゃないんだろう。


水と言われて差し出されれば、俺だって見分けがつかない。


俺の予想である、水野超いたずらっ子疑惑は強まるばかりだ。


酒に弱い人が一気呑みなんてするもんじゃない。


妃奈もきっと同じようにハメられたんだろう。



「そりゃ大変だったな。でも今はホントに早く着替えてきてくれ……」



桜は俺にキツい一睨みをくれると、俺を警戒しながら二階に行こうとする。


階段に片足をかけた時、思い出したかのような顔で振り向き、トコトコと戻ってきてから妃奈を担いだ。



「俺が連れて行こうか?担ぎながら階段はツラいだろ」



俺が少し近寄ると、桜は無言の抵抗をしてくる。


じと〜っとヘビのような目つきで。



「……………………」



あまりの恐怖に顔をそらしてしまう。


あぁ、今やっと理由が判った。


桜が二階に行ってる間、俺が妃奈に狼藉を働かないように連れて行くのか。


俺が寝てる相手にそんな汚いことするかよ。


ていうか水野はいいのか。


桜は散々こちらを睨んだあと、妃奈に肩を貸しながら一生懸命に階段を登っていく。


信用無いなぁ、俺。


けどそんな俺にも出来ることがあるわけで。



「うぉ〜い水野。起きたまえー」



少し離れた所から叫んでみた。


これぐらいじゃ起きてはくれないとおもったのだが、



「むー?朝ー?わかったー」



きっかりと起床してくれた。


むくっと起き上がると背筋を伸ばし、こっちを見つめてきた。



「…………なに?」



「……女の子には色々準備があるから、シューマッハは家に戻りなさい」



水野は俺をシッシッと追いやるようなジェスチャーをする。


そんな気はしてたんだがね。


どうせ俺みたいなカタツムリがいちゃあくつろげないんでしょう。


えぇえぇ、男同士寂しく家に引きこもってればいいんだろ。


俺は水野の辛辣な目線を受けながら神谷家を後にした。


寂しく俺の家に戻ってみると、泉がいた。


いや、いるのは当たり前なんだが、床に倒れ伏していた。



「……このご時世に行き倒れは珍しいな」



俺は道端の犬の落とし物を見るような目つきで泉を見下げた。


足でツンツンとつついてみると、まるで芋虫のように蠢動した。



「うお……さみィ……」



泉が漏らす苦悶。


そりゃ玄関先で居眠りしてたら寒いわな。



「起きろ」



短く言い放ち、断頭の勢いで泉の首に手刀をかました。


地に伏しているというのにバウンドする泉。


バスケットボールのように跳ねた泉は、その勢いで素早く立ち上がった。



「うむ。ナイスな手刀であった」



既に制服姿へと変わり果てた泉を見て、少し時間が気になった。


時計を見てみると七時を回っている。


急がなければ間に合うものも間に合わない。


俺は自らの私室へ直行し、サクッと着替えを済ました。


通学カバンにいれるような代物はないので、俺の準備は完了である。


後は女子高生連中なのだが、今行くのはちとマズい。


どうしたもんかと悩んでいると、我が家の扉が開いた。


顔を出したのは水野。


さっきまでついていた寝癖は消え失せ、妃奈よりも少し短い髪が流れる。



「みんな準備終わったから妃奈の家に集まって。美味しい朝ご飯が待ってるから」



それだけ言い残し、全力疾走で消えた。


台風のようなやつだと、泉と顔を見合わせた。



「………行くか。体が栄養分を欲しておるわ」



俺は泉と一緒に神谷家へお邪魔した。


入ると、パンが焼けるような香ばしい香りが漂ってきた。


事実、パンが食卓の上に人数分用意されていた。


美味しい朝ご飯とは、パンを焼いてジャム各種やマーガリンを配置しただけか。


とはいえ腹が減った。


炭水化物とみればすぐさまかじり付きたくなる衝動にかられる。


陰鬱な表情をしている妃奈と桜はもう安置しておこう。


さわらぬ神に祟りなしだ。



「早く来て来て。私が焼いたんだから絶対美味しいよ」



オーブントースターの能力を我が物にしてしまった水野は、さっきとは反対に俺と泉を招き入れた。


ああやっていつも優しく笑ってれば水野だって見栄え良いのに、勿体無い。


俺は食卓に座り、トーストのお供であるブルーベリーを手にとった。


桜はイチゴ、妃奈はマーマレード。


水野はマーガリンを塗りたくり、意外にも泉はナマでそのままいった。


サクサクと快音が響く中、言葉を交わすのは泉と水野ぐらいだった。


俺は少し交ざる程度で、残った二人は沈黙のまま事務的にパンをかじる。


妃奈も桜も、まるで幽鬼のようだ。


二日酔いのせいで元気が欠片も無い。


沈黙を美とするにしても、暗い雰囲気を放つのは少し違う。


ついでに水野が淹れてくれた紅茶を飲む音すら聞こえない。


――そんなこんなで朝食も無事に終わり、八時を目前に控えた頃みんなで家を出た。


五人で登校するなんて初めての体験。


ワクワクしてくるのは俺が子供っぽいからか。



「暗い人がいるにしろ、こんな人数で学校に行くなんてワクワクするね。集団登校なんて久しぶり!」



水野がくるくると回りながら喜々としている。


どうやら俺以外にも子供はいたらしい。


辺り構わずはしゃぎ回る水野はまさに子供そのもの。


呻き声を漏らしながら付いて来るお二人さんも、となりであくびする泉も、ついでに少し前で踊り狂っている水野も、みんななかなか良い奴だ。


俺が思っていた以上にバラエティーに富んでいる。


こっちの土地に来て幸せだから、そんな理由かもしれない。


そういや、俺が預けられてたあの土地―――クソジジィ(祖父)はどうしているだろうか。


相変わらず剣術に没頭したり怪しげな黒魔術でも開発しているだろうか。


あの土地にジジィさえ居なければ、今と変わらぬほど楽しかったろうに。


俺の体を鍛えてくれたあの山は健在だろうか。


今でも切り崩されることなく生き生きとしていて欲しい。


なんたって、あそこには俺のダチがいる。


腹が減ったら襲いかかってくるなんてお茶目なヤツらだが、それは当然。


むしろそれが自然だ。


冬になるとみんな眼の色変えて一触即発だもんな。


今の時期ならわりと大人しいだろ。


――――バカな、俺は何を考えている。


まるでホームシックにかかったみたいだ。


今いる場所がイヤか?


今一緒に歩く人間がイヤか?


―――ハッ、そんなものくだらない。


俺にしてみれば全てが勿体無い。


山も、友達も、家族も――。


………けれど、俺は手放したくない。


身に余ると知っていても、絶対に手放すもんか。


俺はいつの間にかキザったらしくなってしまった。


理屈っぼくてワガママなのは昔から。


人見知りが激しいのは抑えていたが、もはや限界。


誰に言われたんだっけな、自分らしく在りたいなんて。




俺も早く、そうなりたいもんだ――――

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