五話 ANOTHER STORY〈ココロノキズナ〉
ある朝、彼女は目覚めた。
半開きになっているカーテンから漏れる日光が眩しい。
時計を見ればまだ7時にもなっていない。
休日に起床する時間にしては早いと思うのだが、起きてしまうものは仕方がない。
この土地――木枯は、名前の由来からか年中通して気温が低い。
少し気は引けるが、ベッドから降りて背伸びをする。
彼女は何故か朝にだけは強く、まだ眠っている父を叩き起こすのが日課だった。
今朝も日課を果たすために父の寝室へと向かうと、その父の姿が見当たらない。
焦ることもなく、昨夜父から聞いた話を思い出す。
「そっか、トラブル発生とかで夜中に出て行ったんだっけ」
父の仕事が謎に包まれているのは昔からだし、こんなことにも馴れていた。
ただ、まだ小さかった彼女にとって、それは耐え難い孤独だった。
母はずっと昔に死んでしまったし、我が家には自分一人ということになる。
その一人ぼっちを救ってくれたのが、お隣さんというわけだ。
彼女が一人の時はいつも家へ招き、寂しさを和らげてくれた。
その家はこの家とよく似た環境で、母親を早くに亡くした少年が一人と、その父親が居るだけ。
似ているのはそれだけではなく、その家の父親も時々家を離れる。
すると今度は、その少年がこの家に厄介になりに来るのである。
それが、長年続いた両家の関係。
不思議と、両方の父親が家を離れることはなかった。
今やその関係は崩れてしまったが、完全に崩壊したワケでもない。
微妙な関係が続いているからこそ、幼馴染みとしての関係も確立しているのかもしれない。
「沙樹ちゃんと約束もあるし、早く準備しよう」
彼女は最近仲良くなった友人の顔を浮かべ、リビングへと向かった。
彼女は大人しい割に、他人と仲良くなるのが上手い。
ダントツに上手い。
沙樹というのも、二年になってから初めて同じクラスになった女子だし、会話だってほとんどしたことが無かった。
この前なぞ、同じクラスでもなく、話したことも全くない女子と数分で仲良くなった。
今では名前で呼び合う仲だ。
それがどんな強敵だろうと、仲良くはなる。
彼女のポリシーとは、そういうものだ。
今もそのポリシーを守るべく、身支度にいそしんでいるのだ。
顔を洗い、寝癖を整え、着て行く服を思案する。
朝食はトーストを焼いて済ませたし、時間はたっぷりと余っている。
朝10時にあおぞら広場前、というのが約束の時間だ。
時間は使い切るつもりで費やしたのに、まだ一時間以上もヒマがある。
ここからあおぞら広場まで約10分。
一応『市民噴水広場』という正式名があるのだが、その外観から『あおぞら』の名を冠している。
彼女は家でのんびりと過ごすタイプではないので、一足先に広場まで足を運ぶことにした。
そうと決まれば行動あるのみ。
迅速に家を出て、これまた手早く戸締まりを完了する。
一度ドアノブに手をかけ、引いてみる。
ガチャッと引っかかったのを確認してから、また身を翻した。
麗らかな日差しの中、彼女の足取りも軽かった。
通り過ぎる全ての公共物に挨拶したくなるような気分。
散歩されている犬を見ると微笑んでやった。
空を舞う小鳥を発見すれば手も振った。
どうにも休日の、しかも朝の散歩は気分が澄み切ってしまうらしい。
そんな清々しい気分で歩を進めたおかげで、意外と早く広場に到着してしまった。
そこに足を踏み入れると、まず空を見上げる。
まさに“あおぞら”。
子供たちが遊ぶに相応しい様々な遊具と、広大な敷地。
さらには雑木林まで存在するこの広場は、ほとんど建造物というモノがない。
遊具にも、必ずと言っていいほど屋根がない。
故にあおぞら。
見上げるといつもそこにはあおぞらがあり、悠々と流れる雲がある。
ただ一カ所、雑木林には、この風景がない。
暖かい木漏れ日と、繁茂している木々。
もはや別空間のような雰囲気を持つ場所である。
水野沙樹の指定は、この雑木林の中にあるただ一つのベンチだ。
よくカップルが待ち合わせに使うこのベンチは、いつも陰に隠れている。
待ち合わせに最適な場所とまではいかなくとも、少なくとも紫外線を気にする女性にとっては最高のポジションである。
彼女がそのベンチに腰掛けると、見事に様になる。
恋人を待つ麗人ほど、麗しいモノはない。
ただ彼女の場合は、恋人ではなく同性である友人を待っているワケだが。
「やっぱり早過ぎたかなぁ……」
時間に空きがあるのは変わらない。
いくら過ごしやすい空間でも、飽きなどすぐにやって来る。
するコトが無くなった途端に時の流れが遅く感じるのも、相対性理論の特徴だろう。
そして、人間ヒマな時ほど物思いにふけるものだ。
ふと天を仰ぐと、最近帰ってきた幼馴染みの顔が浮かんでくる。
遂に再会出来るというから、会ったら何を話そうとか、どんな顔しようとか心の準備をしたのに、肝心の相手は自分に気付いてさえくれない。
席も結構近いし、目だって合った。
それでも長年会えなければ仕方がないと自分を抑え、勇気を振り絞って話し掛けてみた。
そして振り向いた時の表情、まるで“どちらさん?”と顔に描いているようだった。
さすがにムッとしたが、昔と全く変わらない性格と態度のせいでそんなモノ消えてしまっていた。
一つ変わっていたのは、自分に対する呼び名だけ。
これが決定打になり、聞いた時は涙が溢れそうだった。
あの時結んだ約束を、未だ忘れずに居てくれたのかと。
これは本当に致命傷になった。
昔の思い出が走馬灯のように次々と蘇り、自分の中の“彼”という存在に再び火が灯った。
幼少の頃の想いはそのまま引き継がれ、今でも爛々と光を放っている。
いや、常に彼の存在は心の中にあった。
だからこそ恋沙汰は頑なに避けてきた。
無意識の内に彼を意識していたのだろう。
さすがに中学時代は、彼氏の一人や二人と思っていた。
けれどまさか、今になっても恋愛関係まで発展したヒトが居ないとは。
男性と手をつないだコトもなし、その先などもってのほかだ。
でも、それで良かったと思う。
自分は誰のモノにもなったことが無い、みたいな安心感があったし、なる気も無かった。
そして何よりも、彼が帰ってきた。
彼が帰ってきてからだ、自分に欠けていた何かが埋まったのは。
それまで一度も考えなかったようなコトを、考えるようにもなった。
清楚な性格の方が好まれるだろうか、どんな髪型が好みなのだろう、やはり料理は上手い方がいいのか。
服装は?喋り方は?スタイルは?
一途で純情な乙女を望むのなら、私はどうだろう。
髪も染めてあって、いわゆるギャルを望むなら?
自分でも、下らないと思う。
いつか彼女は、こんなコトを聞いたことがある。
『自分らしく在りたい。けど、私らしく在っても願いが叶わない』
それは、いつも素直になれない女の子からの、純然たる心情吐露。
その言葉を聞いた途端、胸がキリキリと締め付けられるように痛かった。
自分を悩ませているファクターの一つである彼女が、全く同じことで悩んでいる。
その事実を消化するために、正論をかざしてやった。
他人ごとならではのフェミニストは自らの虚像であり、自らの実像を改変させるための指標。
彼女の正論はまさに妥当だったのだろう。
いとも簡単に納得してもらえた。
けれど、自分はどうなのだろう。
“考えるようになったコト”と、それしか“考えられないコト”。
指標には程遠い、浅はかな考え。
(はぁ……私ももう少し強引になろうかな……)
ため息をつき、がっくりと肩を落としてみた。
「自分が変わるのもいいけど、もっと手っ取り早い方法があるでしょ?」
聞き慣れた声と、耳に吹きかかる涼風。
「あんっ……にゃにゃにゃにゃにゃ!?」
突然の出来事でワケが分からず、左耳を押さえてベンチから逃げ出した。
振り返るとそこには、友人である水野沙樹の姿があった。
「あははっ!すご〜いっ!あなたはトマトさん?それともポストさんかな〜?」
意地悪そうに、それも爆笑している沙樹。
その後ろには苦笑している女子が二人。
「なっ――何をいきなり!?」
未だ情緒が不安定で、言葉もまとまらない。
「いやー、少しからかおうと思ったんだけど、まさかそこまで官能的に反応してくれるとはねー。感じやすい体質かな、妃奈は」
あくまでニヤニヤと笑い続け、じとりとした眼差しを向けている。
そこでようやく言葉の意味を理解し、また顔が熱くなった。
どうやら、ひとりでに考え込んでいるうちに沙樹らが到着したようだ。
そして背後を取られ、毒牙にかかってしまった。
何故か心を読まれ、官能的とか言われ、挙げ句の果てには感じやすいなどと言われてしまい、もはや血液は沸騰寸前。
全身を巡る血が煮えたぎっているように熱い。
「それ以上赤くなると蒸発しちゃうよ?愛しの彼と裸で抱き合う妄想はおよしなさい」
「にゃ、にゃにをーーー!?」
本当に一瞬想像してしまい、血液が沸点を越えた。
現在の体温、約50℃。
もはやこの血液、液体窒素をもってしても冷やせまい。
「奇声あげるの好きなのね。しかもネコだなんてお茶目だなぁ」
一体何処の誰が奇声をあげさせているのかは問うまでもないが、当の本人はケラケラと笑っている。
(うっ……沙樹の取り扱いは気を付けるようにって、泉くんから言われてたんだ………)
今更思い出してもかなり遅いが、これからは気を付けようと強く決心する彼女であった。
水野沙樹と同じ中学、それも親しい仲にあった人間は、その身をもって彼女の本性を知らされる。
かつて、水野沙樹をこう評した者がいた。
『人を愚弄せず、攻撃せず、しかし挑発することにおいては一級品だ。何故なら水野沙樹は、どんな心も見抜く眼を持ち、あらゆる情報を収集する耳を持ち、様々な弱みを嗅ぎ分ける鼻を持っているからだ』と。
(そして、焼き付くことを知らない饒舌を以て人を封殺する……か。侮るべからず、水野沙樹)
相手をしていても勝ち目がないので、彼女は後ろの二人組に目をやった。
遊ぶのに二人きりとはいささかなものかと、沙樹が呼んだのだ。
今の今まで誰が来るか知らなかったが、顔を見て安心した。
どちらも一応常識的な人だ。
「お久しぶりです、神谷先輩」
一人は日本人とアイルランド人のハーフで、中学の時から知っている下級生だ。
彼女は中学時代女子バスケットボール部所属で、まさにエースだった。
そして二年生の時に、一人の上級生が突然入部してきた。
バスケ部は三年でも多く参加する少し特殊な部であるのだが、さすがに三年からというのは極稀だった。
しかし入部してきた上級生はメキメキと上達していき、レギュラーの座を奪い取るに至った。
同時にエースの座もかっさらっていったことは言うまでもない。
その人柄と容姿に魅せられ、彼女もまた、新たなエースとして尊敬の眼差しを送っていた。
三年最後の大会にも見事優勝し、それも偏にエースである彼女の存在が大きい。
入試の時期と共に去っていったそのスーパーエースは、不思議なことに彼氏が一人もいなかったとか。
曰わく、彼女は入部した全ての部で輝かしい功績を残したという。
一年は女子ソフトボール部、二年は陸上部、三年は女子バスケットボール部という風に。
彼女が去った後、事実上のエースに戻った彼女―――上永谷 アミリアは、残り約一年間その上級生を目指し続けたという。
「神谷先輩はもうバスケしないんですか?どこの部にも入ってないみたいですけど……」
「うん、高校はもう特に。家のこともあるし」
妃奈はあっさりと答えた。
彼女がまたバスケットをしていることは知っていたが、曖昧に答えると勧誘されてしまう。
可愛い元後輩に、そんなこと訊いて欲しくなかった。
「けど……アミちゃん、結花と知り合いだったの?」
そう言って、彼女は目線を左にずらす。
アミリアと同じ黒髪の、同中学出身である相葉 結花。
親友とまではいかないが、そこそこ見知った人物だ。
中学の頃は吹奏楽部に所属していた彼女に、一つ年下で、しかもバスケ部だったアミリアとの接点が思い浮かばなかった。
「あれ、妃奈知らなかったっけ?私とこの娘、ご近所さんなのよ。ま、いわゆる幼馴染みってやつ?」
なるほど、とばかりに頷くが、やはり意外だ。
その上沙樹とも知り合いなのだから、世間は狭いものだ。
「挨拶も済んだみたいだし、そろそろ行こっか。これからはっちゃけましょ」
そうして、水野沙樹を先頭に進軍していった。
向かう先はまだ聞いていないが、大体の予想はつく。
最近駅一つ離れた場所に、大型ショッピングモールができたらしい。
前々から興味はあったのだが、未だ決行に移せていない。
まるでそのことを知っているかのように、沙樹は駅へ吸い寄せられていった。
愉快な声をあげながら道のりを踏破する沙樹は、主に相葉結花と肩を並べている。
男勝りな性格の結花と、いたずらっ子レベルMAXの沙樹は、これまた意外なほどに相性が良かった。
そんなテンション高めの二人組には先導を任せ、残りのまったり組は数メートル後ろをゆるゆるとついて行った。
「アミちゃんはいつ沙樹と知り合ったの?もしかしてまたご近所さん?」
彼女は、ふとそんなことが気になった。
自分の後輩が友人の幼馴染みで、中学から違うはずの女の子とも知り合い、とはあまりに出来過ぎている。
少なくとも沙樹との接点は小さいはずである。
「あ〜、まあ、何と言うかですね。その、私が傷付いて森で倒れてるところを……いや、井戸に飛び込んだら戦国時代にタイムスリップ……でもなくですね………あっ、かくかくしかじかですっ!はい!かくかくしかじか!」
「…………」
何とも言えぬ緊張ぶり、そしてあの焦り方。
誰がどう見ても訝しむだろう。
挙げ句の果てにはかくかくしかじか?
“かくかくしかじか”だけで理解出来るやつなんかがいるとすれば、そいつは時間短縮のためにそうゆう風に設定された架空の人物か、概念を読み取る対有機生命体用インターフェースのどちらかだ。
そんな宇宙人的スキルを持ち合わせていない彼女にとっては、ただ動揺しているようにしか見えなかった。
(隠し事をしてるのは明らかだけど……アミちゃんはそういうの苦手だし、結花は『隠し事』なんて単語知らないんじゃないかな。可能性があるとすれば……)
当たり前のように怪しい人物に目を向けてみると、楽しそうにおしゃべりに夢中になっていた。
とても隠し事なんてしていなさそうだが、演技ということも有り得る。
あれが演技だとすれば、最優秀新人主演女優賞モノだ。
必死に何かを隠しているアミリアを詮索するのは酷なので、ここは潔く引いた。
その後何事もなかったかのように会話を進め、歩くこと数分。
「は〜い、着きましたー!いつ見ても圧巻ですなあー」
嬉々とした声が一同の視線を固定させる。
まさに圧巻。
高層ビルとマンションの特性を見事に複合させた、超巨大ショッピングモールがそこにあった。
アミリアは部活一筋の多忙娘で、結花は喜んで買い物に出かけるようなガラではない。
妃奈は最近違うことで頭がいっぱいだし、先頭は自ずと沙樹に決定してしまっている。
「しかしデカい建物だな。近くにこんなモノがあるとは知らなかった」
「あっ、結花ちゃんも知らなかったんだ。私も存在くらいは知ってたんだけど、見るのは初めてなの」
結花は感嘆、アミリアは歓喜といったところか。
正直妃奈も一度は来てみたかった所なので、嬉しくないと言えば嘘になる。
「沙樹も変なコト考えてそうだけど、今日は楽しまなきゃね」
妃奈は小さく呟き、置いていくことも厭わない沙樹たちの後を追いかけた。
「つ、疲れたー!無理!限界っ!!」
初めに音を上げたのは相葉結花だった。
開始二時間で足が棒になったと述べ、それから十分ごとに『地獄のようだ……』と漏らし続けたのだ。
ショッピングモール突入後、まず一階の雑貨店を制覇。
続いて二、三と順調に上の階を目指していく沙樹のペースは、凄まじいものだった。
普段こんなところに来ない結花にとって、それはまさに地獄。
そしてアミリアと妃奈の懸命な説得により、現在喫茶店にて休憩中というわけだ。
「さて、次はどこに行こうかなー」
エレベーター付近で入手した地図つきのパンフレットとにらめっこしている沙樹。
その言葉を聞いた途端びくんとした結花など知る由もない。
各々飲み物と、体重計との戦闘を覚悟している者はスイーツ。
結花はあまりの疲れにレモンティーしか頼んでいないため、沙樹だけがプチケーキを口に運んでいる。
「沙樹さんは……疲れないんですか?」
沙樹の無限ともとれる体力を目の当たりにしたアミリアが問うた。
「フツー疲れないでしょ?こんな楽しいとこに来たら」
「まあ、フツーに回ってる分には疲れないんですけど、ペースがちょっと………ね」
「そうだよ。ここに来て早めにお昼ご飯食べて、それからの結花、魂抜けてたよ」
「うーん、残念ながらそれは現在進行形ね。それに、私たちが疲れてちゃ意味無いでしょ」
不可思議な視線をアミリアに送る沙樹。
結花にも送ろうとしたが、テーブルに突っ伏していて顔がうかがえない。
「そう……ですね。頑張ります」
なぜか納得してしまうアミリア。
それで場は収まってしまい、話は完全に逸れてしまった。
HPの回復した結花も交え、他愛もない話を続ける一同。
そして話題は、妃奈の中学時代の物語。
「私、中学生の時にイジメられてたの」
そんな宣言を聞いた沙樹は目をむいた。
「男子から集団でイジメられてて、その……学校にもあんまり行きたくなかった」
問題発言の多い神谷妃奈に、沙樹は驚かされっぱなしだった。
しかし過去を知るアミリアと結花は、苦笑したり鼻で笑ったりしている。
「イジメられてたって、何で……?」
「……分かんない。昼休みとか放課後に、人目に付かない所に呼び出されるの。それで、私が嫌がったり困ったりしてるのに………」
「先生とかに相談してみたの?」
「……恥ずかしくて出来ないよ。男子は味を占めたみたいに何度も呼び出してくるし。しかも同じ人に……」
苦い過去を語るように俯いてしまう妃奈。
それをいたわるような沙樹の表情は、神妙そのものだった。
「やっぱり、神谷先輩のルックスによるところが大きいですよ。純粋なところとか、自分のモノにしたいっていう支配欲じゃないですか?」
「確かにその通りなんだが……アレはイジメっていうのか?イジメの定義は分からないけど、私はイジメじゃないと思うぞ」
「そうね。話を聞いてると、犯罪的なイメージが……」
「アレは普通、自分でするよりもされる方がいいんじゃないですか?私はどっちもまだ経験無いんですけど……」
「だからって無理強いはダメでしょ!そういうのは合意のもとで行われるのであって、一方的にしていいモンじゃないっ!ましてや18歳未満のこわっぱ共が……!」
「それ、私たちもですね」
「ウサギにつの!(兎に角)許されることじゃないわ!」
沙樹の両手がテーブルを叩きつけ、グラスが揺れる。
瞳がメラメラと、憤怒の怒りに燃えている。
「許されるだろ、告白くらいなら」
冷静に入る、突っ込み。
「告……白………?」
「たくさんの人から、しかも何回も告白されるなんて、幸せですよー」
「でも嫌だったんだもん!アレはイジメだよ。ねっ、沙樹」
わなわなと震える腕は力を失し、沙樹の体はストンと落ちた。
心配そうに見つめていた店員も、同時に安堵に浸る。
ああ、やっと静かになってくれた、と。
「……ごめん。私、どえらいカン違いしてた。恥ずかしいから、しばらく話しかけないで……」
小鳥のように首を傾げる妃奈をよそに、一人頭を抱える沙樹。
ワケが分からないモノは無視しておくのが無難なので、三人はまた違う話題で盛り上がり始めた。
グラスの中身が空になり、沙樹も復活した頃、喫茶店を後にした。
その後、沙樹が本気でまだ遊び回ろうとしていたことが判明し、同じく結花の本気の懇願によりそれは中止された。
ならばここに居る意味は無いと、夕方五時頃には帰宅の途に就いた。
なんだかんだで疲れたと言い張る沙樹は真っ先に姿をくらまし、結花は言うまでもなく疲労困憊。
アミリアも結花と共に帰るハズだったのだが……。
「アミちゃんっ。ちょっとちょっと」
呼ばれたアミリアは結花に意味ありげな目配せをする。
承知した、と結花は一人で歩き出し、それを見届けてから妃奈の許へと駆け寄る。
「??どうしたんですか?神谷先輩」
「……そろそろ、タネを明かしてもいい頃じゃない?」
「え、ええ!?タネですか!?そんなの無理ですよぅ……」
「ふぅ〜ん、やっぱりあるのかぁ」
「あぅぅぅぅ……」
自滅してしまうあたり、彼女は本当に嘘が吐けないのだろう。
心底困ったような表情をつくり、あたふたと手を振っている。
「う〜ん、もう…観念するしかないかなぁ……」
アミリアの情けない声が、妃奈を歓喜させる。
「ぶっちゃけてしまうとですね、今日の出来事は全て沙樹さん考案なワケなんです」
そんなコトは分かりきっていると、妃奈は話を促す。
「沙樹さん曰わく、『妃奈が最近悩んでるみたいだから、みんなで遊びましょう』とのことだったんです。それで急遽、神谷先輩の知人である私や結花ちゃんに白羽の矢が立ったと」
「沙樹が……?」
「はい。知り合いでもない私たちを誘うくらいですから、相当神谷先輩のコトが心配だったんじゃないですか?」
――本当に、水野沙樹は食えない。
何を考えているか分からない顔して、他人を気遣う。
埋め合わせと称して呼び出し、わざわざ親しい友人まで用意して、今日一日楽しませてくれた。
「神谷先輩今日とっても幸せそうに笑ってましたから、沙樹さんも喜んでましたよ。作戦大成功です」
「ホント…沙樹は何でもお見通しなんだから……。私のためにこんなコトまで……」
あのいたずらっ子が、まさかこんなにも思いやりのある人だと、誰が気付けただろう。
今回だって、アミリアというウィークポイントが無ければ真相は闇の中だった。
彼女はいち早く妃奈の悩みに気付き、それを遠いところから解消した。
いや、彼女のことだから、この場でアミリアが真相を明かし、妃奈が彼女の真意に気付くことまで読んでいるのかもしれない。
真相と共に自分という明確な友人を提示し、精神的に安定させる。
悩みの解消への近道だ。
そこまでは妃奈もアミリアも頭が回らないのだから、やはり沙樹の一人勝ちというわけだ。
だが、そんな思惑はどうでもいい。
現実に妃奈は息詰まることもなくなった。
ただそれが沙樹の一計によるモノだっただけ。
それこそ妃奈にとっては、沙樹が自分の心配をしてくれていた、という事実だけで充分。
常に優しい沙樹から垣間見た、沈黙の思いやり。
それだけでも十分な報酬と言えるし、実際救われた。
―――今日、神谷妃奈にとっての休日は、水野沙樹に二つ目の借りをつくり、彼女の本質に気付かされる一日であった。
―――今日、水野沙樹にとっての休日は、神谷妃奈と思い切り遊び、彼女の肩の荷を少しでも下ろすための一日であった。
―――今日、上永谷アミリアにとっての休日は、上級生の友情をその身を以て感じる一日であった。
―――今日、相葉結花にとっての休日は、様々な思惑の中、楽しくも疲弊しきった一日であった。
「おはよう、沙樹」
彼女は今日も、いつもと同じように同級生と挨拶を交わす。
「あっ、おっはよー、妃奈」
彼女もまた、何食わぬ顔で挨拶を返す。
そこには、変わらぬ日常の中で深まる絆が確かに存在した―――――。
本当に短く、特記するような事柄も皆無。
ありふれた何でもない………下らないとさえ言えそうな一日で、ヒトは極上の気持ちを、紡いだのだ―――――。