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Only You!  作者: 羽衣
14/14

十三話 死ぬ罪


「ぐ……ぐへぇぇぇ……」



「自業自得よ……ばか」



芝生の上に座りこんで吐き気を催しているのは、一体だれだろう……。


あ、俺か。


ってこんなこと前にも経験したな。



「な、何回転くらいしたかしら……?」



「わからん……。百は超えただろうな……」



いやマジ、冗談抜きで。


ワンハンドレッドオーバー達成だ。


音速はまあ……無理だったかも。



「この大ばか者……すっかり夜じゃない……」



「なんだ?あんなに喜んでたくせにイチャモンつけるのか?」



「喜ぶわけないでしょう……あんなにイジメられて……」



「でも桜、笑ってた」



「…………」



「ほら、反論できない」




やっぱり桜は嬉しかった……って。


反論しない?



「……反論しないってことは……もしかして、イジメられて嬉しい人?」



「なっ……なななななな……!?どういう意味よっ!?」



「だから、ロウソクとかムチとか目隠しが好きかって訊い……」



「うるさーーーーいっ!!」



どういう意味かと訊いておきながら、拳で俺をだまらせる桜女王。


顔の造形が歪んだのは、どこのドイツ人だぁ〜い?


アタシだよ!



「怒った!ものすごく怒った!もう屋敷から出してやんないっ!」



どうやら俺を殴っただけでは気がすまない模様。


プンプンに怒りながらひとりで歩きだしてしまった。


……ひょっとしてエマージェンシー?



「やば………」



こんなところに置き去りにされては、白骨化してしまう。


もしくは愉快なオジサマ方に蜂の巣にされてしまう……。


俺は立ち上がり、耳を真っ赤にしている桜に歩み寄った。



「おーい……怒ってますか?」



「……そうね、ご機嫌斜めといったとこかしら」



なんとわかり易い。


斜めどころか垂直?



「どうやったら機嫌は平行線に……?」



「生け贄でも捧げてもらおうかしら。それよりほら、もう着いたわよ」



さらっとダークな冗談をいただいてしまった。


心の底から、冗談だと信じております……。



「お、お邪魔します……」



桜に続き、玄関へと進入。


予想していたオジサマたちは、どうやら居ないようだった。



「おお……普通の空間……」



しかし、玄関とはいえ広さは十分。


我が家の約五倍はあるのではなかろうか。



「西園寺家の人間がみんな、あんなだとは思われたくないからね。追い払っておいたよ」



………え?


桜さん、いつの間に男性へと性転換なされたのか……。


こんなに男らしくなるなんてちょっとビックリ……って。



「こ、こんばんは……?」



思わず語尾を上昇。


疑問文へと変化してしまった。


入った時は、俺と桜だけでしたよね……?



「ありがとう、兄さん。夕飯はまだ?」



「ああ。どうやら間に合ったようだね」



桜が兄と呼ぶからには、兄なのだろう。


だれも居なかったはずの上がり框を踏んでいるのは、俺よりも幾つか年上の男性。


大学生くらいだろうか。



「けど、急いだほうがいい。父さんが待ちくたびれちゃってるからね」



「そう、わかったわ」



「それで……そちらの方は?」



桜のお兄さんの視線が、俺へと注がれる。


紹介が遅れてるからなんか気まずい。



「あ……皐月柊一です。申し遅れましてどうも……」



こういうのは、桜がきっかけを作るもんじゃないのか……?


そこら辺の教育はしていないのだろうか。



「いや、失礼。僕は桜の兄の、西園寺 吹雪ふぶき。そうか、君が柊一くんか……。会えて嬉しいよ」



そう言って、吹雪さんは手を差し出した。


……ちょっと感激。


まさか西園寺家にも普通の人間がいようとは……。


俺は快く握手を交わし、普通の人間関係を噛みしめた。



「ほら、早く行きましょ」



「あ、ああ……」



桜に急かされ、さくさくっと廊下へ突撃。



「……柊一くん、ちょっと」



桜には聞こえないボリュームで、吹雪さんがなにやら呟いた。


おいでおいで、みたいな手招き付きだ。



「な、なんでしょう……」



こちらも小さな声で応答する。


クロスレンジまで近づくと、吹雪さんは俺に耳打ちする。



「君、さっき庭で桜とじゃれてたよね。縁側から丸見えだったよ」



「は、はあ……」



吹雪さんは嬉しそうに囁いた。


笑っているところは桜にそっくりだ。



「桜が家に友達を連れてくるのは、これが初めてなんだ。昔からひとりで遊んでばかりだったから少し心配だったけど……どうやらもう心配ないみたいだ」



なんと妹想いなお兄さん。


けど、昔の桜ってどんな感じだったのだろう。


あんがい引っ込み思案だったのかもしれない……。



「でね、桜は大事な妹なんだ。桜は君のことをだいぶ気に入っているみたいだけど……今度、桜を泣かそうものなら、僕は君を許さないからね?」



表情はさっきと変わらないはずなのに、俺はその笑みがとてもニヒルなものに思えた。


冗談などではない、とういうのがひしひしと伝わってくる。


……この人は本気で桜を案じている。


少なくともそれだけは理解できる。



「あ、それから、他のひとに桜が泣かされるようなことがあっても許さないからね。君が桜を守るんだ。これは男としての義務、だろ?未来の義弟おとうとくん」



最後に邪悪な単語を残して、吹雪さんは俺の背中を押した。


俺と桜との距離はかなり長くなってしまった。


気付いてもいいようなもんだが、桜はずんずん進んでいく。


俺は吹雪さんに頭を下げ、小走りで桜を追った。


この屋敷で迷っても、死亡率は高いだろう。


無人島でサバイバル生活を送るぐらいには高いはずだ。


……ふと気になったが、あんなところで立ち尽くしてどうするのだろう、吹雪さん……。




     ◇




私は優秀だ。


そう確信している。


如何なる英傑であろうとも今の私に勝りはしないだろう。


あんな…………。


あんな爆弾発言のあとで、こうして平静を装うことが出来る人間なんてそういない。


そう、私は確信している。



「……迷ったらきっと自力じゃ抜け出せないな、ここ」



となりからそんな呟きが聞こえて、心臓が飛び跳ねた。


……まだ、顔を直視できるかどうかはわからない。


もしかしたらあまりの恥ずかしさに爆発してしまうかもしれない。


ひとつ、疑問があるとすれば。


なぜこいつは、私の一世一代の愛の告白を受けてなお、平然としていられるのだろう……。


私もこの手のことには疎いけれど、さすがにこの態度はあり得ないのではなかろうか。


抱きついたり抱きしめられたりしたら誰だって、心中穏やかではいられない。


なのにこの男ときたら、照れもしない。


こっちは今も心臓が踊り狂っているというのに気楽なものだ。


あんなに強く抱きしめられて……まだその感触が残っているというのに。



「ん、ここか?ってふすまデカ……」



どうやらうちの襖は大きいらしい。


ほかの家の襖なんて見たこともないからわからない。


私は襖に手をかけ、深呼吸する。


ついに……この時がきてしまった。


西園寺が異性を親に紹介するこの時が。





     ◇





「おおっ!来たか!」



襖が開くと同時に西園寺パパの声がした。


豪快、無敵、最強、鬼神といった単語がよく似合うお人だ。


そしてその向かい側に鎮座していらっしゃるのは吹雪さん。


この屋敷には隠し通路でもあるのだろうか。



「ご無沙汰して……」



「さあさあ、まずは一杯」



挨拶をするひますら与えられず、となりに座らされて杯を受け取る。


少し変わった香りのするお酒をいただき、一気にあおってみた。



「あ、うま……」



「そうかそうか!君も気に入ったか!」



なんというか……洋酒のような日本酒?


ウィスキーやテキーラの風味をかもしつつ、それでいて澄んでいて喉越しがよい。


今までに味わったことのない奇妙な酒だ。


そして、今までに味わった酒をことごとく淘汰するほどの美酒。


こんな飲み物がこの世に存在したとはな。


さ、ラベルをチェック開始!



「……『グレイプニル』……?」



あまりにへんぴなネーミングのせいで声にだしてしまった。


グレイプニルって、北欧神話に登場するあれのことか?



「それはうちが作ってるお酒でね。変わった名前だろう?神話からとったんだよ」



グラスをかたむけながら吹雪さんが口を開いた。


飲んでいるのはもちろん、グレイプニルだろう。



「グレイプニルっていうと……フェンリルを縛った紐ですよね?」



「おお、存外に博識よ」



存外は余計です、西園寺パパ。



「え、なになに?私わからないんだけど……」



興味を示したらしい桜がいざってやってきた。


名前を知ってる人は多いと思うけど、神話そのものを知ってる人は少ないのではなかろうか。



「北欧のほうに伝わる神話に出てくるんだ、グレイプニルって魔法の紐が」



「フェンリルというのは悪神ロキの子供でね。小さい頃はアースガルズというところで育てられていたんだ。けれど、日に日に大きくなるフェンリルと不吉な予言も相まって、神々はフェンリルを拘束しようと決意した」



どうやら北欧神話に詳しいらしい吹雪さんは、上機嫌で語りだした。



「どんなに強力な鎖を鍛えてもフェンリルは簡単に引きちぎってしまった。困り果てた神々は小人たちの力を借りることにしたんだ。そして完成したのが、グレイプニル。この魔法の紐を使って神々は見事フェンリルを岩に拘束することに成功するんだ。一時的にだけど」



最終戦争ラグナロクが勃発するころにはフェンリルの拘束は解け、主神オーディンを飲み込んだ。


ずっと拘束されてたわりに案外強かったんだな、フェンリルは。


まあ結局、その直後にオーディンの息子であるヴィーザルに殺されてしまうんだけど。



「へえ……。でも、どうしてこのお酒の名前がグレイプニルなの?関係あるの?」



「そもそもグレイプニルとは、猫の足音、女の髭、山の根、熊の腱、魚の息、鳥の唾という六つの材料から出来ていたんだ。そのおかげでとり尽くされてしまい、今の世には残っていないともされる。このお酒も六つのとても貴重な材料をつかっているんだ。それで、グレイプニルと名づけられたわけ」



なるほど、そういうことか。


俺はてっきり、巨狼すら縛り上げるほど強い酒なのだとばかり思っていた。


しかしこの不思議空間はなんだ……?


会っていきなり酒を振舞われた挙句、神話の話で盛り上がるなんて……。


さすがは西園寺の人々といったところか。



「さ、話が長くなってしまったね」



吹雪さんはグラスを置き、姿勢を正した。


改まった表情で桜と西園寺パパに視線を送る。



「ようこそ柊一くん。僕たち西園寺家は君を歓迎するよ」



そう言って、にこやかな笑みを俺に送ってくれた。


……西園寺家。


言われてみれば、ここには西園寺家の面々が集結している。


桜に吹雪さんに、西園寺さん……。


たった、それだけ。


俺が言えたことではないが、この家族には決定的な存在が欠けている。


今日はたまたま居ないだけなのかもしれないが、その実真相は闇の中だ。


俺と妃奈……それに桜。


気味が悪いほどに共通しているのは、単なる偶然なのか……。


もっとも、偶然では片付けられないからこそ気味が悪いのではあるが。



「……こちらこそ、招待して頂いて嬉しくおもいます。それで……」



こればかりは訊いておかねばなるまい。


俺だって、人間性の欠如に目をつぶれば馬鹿じゃない。


うすうす感ずいているさ。


俺を取り巻くこの環境は……。


俺の周りに居る人々は……。


――――普通の世界に比べて、完全に狂っている。



「俺を呼んだ本当の理由……教えてくれませんか?」



「――――――――?」



「……なに、そう大したことではない。少しばかり忠告をと思ったまで」



……忠告。


桜を利用してまで……そんなに大切な忠告なのか。



「柊一くんには必要ないと僕は言ったんだけどね。手遅れになってはいけないと、父さんが危惧しているんだ」



いけない。


この先の話を聞いてはいけない。


聞けば帰れなくなる。


俺の平穏な日々に……みんなとの大切な日常に。



「……桜、席を外してくれないか?」



「――――吹雪。桜とて西園寺家の一員であろう」



桜の退室を希望した吹雪さんを、西園寺さんが制した。


……彼女も無関係ではないのだ。



「……真っ先に訊いてくる辺り、君も感じてはいたか。こちらとしては最後に言いたかったのだがな」



俺は……感じている。


あの日……俺の祖父が訪問した時から狂いだしたんだと思う。


俺の死を予言したあの日。


改めて他人から言われたせいで自覚した、俺の体。


“切り替わる”とかそんな難しい話は抜きで、俺の体は日々蝕まれ、腐っていく。


それがなんのせいかは知らない。


けれど確実に、俺の体は着々とおかしくなってる。


その理由を、俺の父と祖父は“切り替わる”せいだと言った。


俺の心には二種類あり、本来生まれてくるほうを陽性、生まれてこないほうを陰性というらしい。


そして皐月家の人間は決まって、この両方を持って生まれてくるのだ。


しかしそのどちらかが、幼い頃に消滅するのだとか。


俺の場合は、今でもこの両方を持ち合わせており、それらが“切り替わる”ことで体に物凄く負担がかかり、最終的には死に至る……。


そんな……まるで不治の病のような体質が、本当に存在するのか。


それは俺自身がよく知っていることであり、答えなど言うまでもない。


……でなければ、俺が死を予感するほど体がおかしくなったりしないはずだ。


……そんな俺の苦悩も知らず、この西園寺の人間は一体なにを忠告しようというのか。


桜にさえ明かしていないというのに……。



「君は……自分の体のことを知っているのだろう?」



「――――――――!」



……やはり、この話か。


俺の体が限界に達し始めたこの時期に言うからには、西園寺さんも俺や皐月を知っていたんだろうな。



「そろそろ限界だ。今のうちに手を打っておかねば、その命、無残に散らすことになる」



「……だから、どうしたんですか?俺だってこのままでなんかいたくありませんよ……!」



「そうだろうな。だからこそ、今日きみを呼んだ」



「………え?」



「そのまま死にたくなどないのだろう?ならば、西園寺の者として、生きる術を君に示そう」



――――これはどうしたことか。


生きる術を……示す?


それは、俺がまだ生きられるってことなのか!?



「……俺の父や祖父は俺の体のことを知っていて、わざと放置しています。俺が生きようが死のうが、無関係ですから。――――血縁関係もない貴方に、俺を助ける理由などないはずですが?」



――――簡単な話だ。


俺の命を救ったところで、西園寺家にはなんの利益もない。


ならば、捨て置くが必定。


一般人とは違う血筋の人間は、やはり一般的な考えなど通用しない。



「――――気に食わないね、その態度」



会話の中に割り込む吹雪さん。


凛とした態度で俺を睨みつけてくる。



「僕だって、君たちの家系のことぐらい知ってるさ。たとえ親子だろうが憎しみあうんだってね。だが、西園寺は違う。皐月と同類にはしないでくれないか。僕たちは、必要とあらば身を挺してでも身内を救う。――――それに」



吹雪さんの言うことはもっともだった。


……たしかに、俺は皐月の視線でものを言っていた。


それはやはり、西園寺家を侮辱したことに繋がる……。



「血は繋がっていなくとも、将来姻戚関係になる相手を放ってなどおけないだろう?」



……まだ言うのか、桜の兄。


俺の伴侶はもはや決定されたらしい。


嬉しくないと言えば嘘になるが、俺にだって少しぐらいは選ぶ権利がある。



「はっはっは!それもそうか!」



あれ、完全に家族公認……?



「いや、陰鬱な話はここまで。せっかくの料理ゆえな」



酒しか呑んでないのに何を言うか。


と、俺が胸の中で突っ込んでおくと、唐突に西園寺さんが手をたたいた。


あれはもしや、伝説の召喚術。


俺の予想を裏切らず襖がスッと開き、仲居さんが登場した。


西園寺さんがひそひそと耳打ちすると、かしこまってまた奥へと消えた。


……無茶苦茶だな、西園寺の人々よ。



「おやおや、杯が乾いてしまうぞ」



そしてまた一杯。


名前こそ珍妙かつ不恰好だが、味は一品なのでいただいておく。



「………?」



あとは、全く話が理解できていない桜をどう説得するかだな。


それは保護者の方々にお任せするとしよう。









早めの夕食に舌鼓を打ったものの、酒だけは止まることを知らなかった。


俺と西園寺さんとが酔っ払った挙句、大暴走。


吹雪さんと桜は身内にもかかわらず傍観を決め込み、歯止め役がいないまま暴れまわったという俺と西園寺さん。


――――後に、この騒乱はラグナロクと呼ばれることとなった。



「うっはぁぁ……」



体中の力を抜き、床に敷かれた布団へと倒れこむ。


時刻は午後十時。


燃料がきれた暴走列車は運行をストップし、うそのように眠りこけたという。


目を覚ました俺は時間が時間ということもあり、西園寺家にご厄介になることにした。


入浴前に妃奈にメールを送ってはいたが、返事はなし。


ちなみに明日は学校がいつものようにあります。


いえ、考えたくないので無視を敢行します。


ひとつ言えることは、良い子の素行とはかけ離れているということだけ。


良い子はマネせず、悪い子は見なかったことにしましょう。



「あぁ……まだ頭がクラクラする……」



風呂に入ったせいか、酔いがなかなか醒めない。


今日はこのまま寝てしまおうと決意した矢先、人の気配がした。



「柊一……起きてる?」



障子の向こう側から、聞きなれた声がした。


一瞬だれか判らなかったが、今度はすぐに思い出した。



「……桜か。どうした?」



「えっと……中、入るね」



すうっと障子が開き、すでにパジャマ姿になった桜が姿をあらわした。


いつもなら乗り込んできそうなものだが、なぜか今の桜は少し違った。


どこか緊張しているようにも思える。



「ふーん、女子って寝巻き姿を見られるのがイヤじゃなかったんだ。勘違いしてた」



「わ、私だってイヤよ!でも、今は仕方ないから……」



まあ風呂上りなら仕方あるまい。


もっとも、俺は風呂上りはパンツにTシャツ一枚という恰好だが。


妃奈が来てからは改革が行われてしまい、パジャマの着用を義務付けられてしまった。


ちなみに今の俺の服はすべて吹雪さんのものである。


西園寺秋羅さまのものではないと断言しておこう。



「それで、何しに来、たんだ……?」



「……なんか言葉ヘン」



まだうまく舌が回らない。


視界も歪んでいるし、酒がまだ残っているようだ。



「……気に、するな。話を続けてくれ」



「え……まあ、そうなんだけど……」



どこか煮え切らない。


桜はもじもじとして、なかなか話そうとしなかった。



「料理……おいしかった?」



なにを言い出すかと思えば、そんなこと。


が、そこで俺は閃いた。


桜が夜な夜なやって来てまで訊きたいこと……そしてこの発言!


一般人は見逃すかもしれないが、名探偵である柊一さまは欺けないぜ。



「ふっ……読めた。あの豪勢な料理、桜が作った……もしくは手伝ったな?」



「ううん、全然。私は柊一のとなりで出来たての料理を食べていたわ」



名探偵皐月柊一……玉砕。


ここは蝶ネクタイで俺のふりをした少年にたのむしかあるまい。



「それに、私は洋食派よ。和食は作れないの」



「……洋食派?」



意外や意外、西園寺の武家屋敷に住まう一見大和撫子な桜さんは、洋食派ときたか。


その割には刺身をペロッと平らげていたが……まあ、訊かぬが華ということで。



「特にお菓子作りなんかは得意かしら。アップルパイは生地から作るし」



「生地からって、それがふつうなんじゃないのか?」



「生地から作るとすごく手間がかかるのよ。けど今は冷凍で売ってるわ。少し大きなスーパーに行けばあるんじゃないかしら」



パイを生地から作る、というのはふつうじゃないらしい。


それに、こうして話をする桜は楽しげだ。


本当に好きなんだろうと思う。


ま、人間ひとつは可愛いところがあってもおかしくないか。



「今度ごちそうしてあげるわ。マドレーヌとか、ケーキとか」



「………」



「……って、なんで睨みつけるのよ」



「いや、なんていうか……命にかかわることだから言わない」



「……どうせまた、お前にそんなの似合わないーとか、ちゃんと作れんのかーとか言うんでしょ」



そんなこと思ってもいないのに疑いをかけられるとは、俺も落ちたもんだ。


今までの言動が悪いんだろうな、きっと。



「……やっぱ可愛いなーと思っ――――」



と、視界が突然真っ白に。


何事かと思いきや、桜が俺の布団の上にあった枕をフルスイング。


そして俺の鼻っ柱へジャストミート。


驚くほどのスピードとパワーで、俺を殴りつけたのだ。


補足させていただくと、ばふん、なんて生易しい音はしなかった。


コンクリートを思わせる効果音が響いたのだから、たまったもんじゃない。



「な、なに言い出すのよ!そ……それに、やっぱってなによ!」



ほーら、命にかかわる。


俺のカンはよくあたるんだ。



「いやー、初めて会ったときから思ってたんだよ。こう、頭からかじりたくなるほど可愛いなと――――」



俺は最後まで言い切ることが出来なかった。


理由はもはや語るまい。



「ま……また言った……!」



「ほほう……なんだ、恥ずかしいのか?自分を『可愛い』と言われることが」



「………っ!」



もちろん、第三回目の襲撃。


すでに予想していた俺は両腕でガードした。



「照れるな照れるな。そうやってムキになるところも桜らしくて可愛いとおもうぞ!」



「うるさいっ!黙りなさいっ!静かになさいっ!」



顔を真っ赤にして繰り出す必殺三連撃。


完全に体勢がくずれてしまった俺は、布団の上へ仰向けに倒れてしまった。


それでも攻勢を止めようとはしない桜。


俺の上にまたがると、枕でラッシュラッシュラッシュ――――!


これを、馬乗りなどと呼んではいけない。


ほんとうの武闘家がひとの上にまたがれば、それはマウントポジションと呼ばれるのだから。



「どうした、息があがってるぞ?女の子らしくて可愛すぎて、体力もないのか」



すこし無理があるが、とにかく『可愛い』という単語につなげなくてはならない。


桜に殴りかかれない俺の唯一の武器……そう、言葉だ。


この言葉で、たまには桜に反撃せねば。



「ハッ――――暴力でなんでも解決できると思うなよ、『可愛い』桜ちゃん!」



大きく上に振りかぶってから振り下ろされる凶器と化した枕。


見事に防ぎきる俺のダメージは、無に等しい。



「……ひとつ気になることがあるんだがなぁ、桜」



「言わなくていいっ!死人に口なし!」



俺はまだ死んでないし、これから死ぬつもりもありません。


それに、言っておかねばならぬ気がしないでもない。



「桜、風呂から出たばっかりだろ。髪がまだ少し濡れてるぞ」



「だからどうしたーーー!」



「いや……風呂からあがったばかりの若い男女二人が、夜二人きりで戯れているのは如何なものかと。しかも、男の上で女が息遣いを荒くしながら上下運動をくりかえしているなんて、人に見られては一巻のおわりかと」



「――――――――」



石化してしまう桜さん。


枕は天高く振り上げられたまま、動こうとしない。


……いや、プルプルと震えていた。


ラッシュの次はダッシュ。


桜は勢いよく俺から飛び退いた。


二メートルほど離れ、枕を両腕で抱きしめながら座り込んでしまった。


背を向けて女の子座りされると、だれなのか判らなくなる。



「それと、いま気が付いたことがひとつ。桜がしたのは完全な、夜伽ってやつだ」



「――――――――」



はたして耳に届いたかどうか。


鼓膜すら石化して聞こえていないのではなかろうか。



「ま、気にするな。ミスはだれにだってある。それに今のは、からかい過ぎた俺の落ち度だ」



俺も気にしていないから落ち度も気にしてないがな。


だって、ミスはだれにでもあるだろ?



「……ねぇ、柊一」



「……な、なんでしょう?」



どうしてそう冷淡なのか。


桜は改まって俺の名を呼んだ。



「……早い……のかもしれなけど……」



ドクン、心臓が高鳴った。


こうして桜を見ていると――――



「私こういうことわからないから、言い辛いんだけど……」



強く、賢く、可憐な桜がいま、目の前にいる――――


ひとつのイノチとして優秀な存在が――――


ああ……たまらなく惹かれてしまう。


俺のなかの欲求が爆発しそうで……そそられるのを理性でおさえつけて。



「答えを……聞かせてほしい」



今にも殺したくなる衝動を――――必死でおさえつけている自分を殺したいくらい。



「答え?なんの問いの答えだ?」



はて、と首をかしげてしまう。


いきなり『答えはなんだ』と訊かれて答えられるヤツがいるとするなら、それはきっとエスパーの類だ。



「庭で言ったじゃない。……その、あんたが好きとかなんとかって」



ああ、あれか。


で、一体何を答えればいいんだ、俺は。


好きだと言われて何か返さなければいけないのか?


だとしたら……。



「……ありがとう、か?」



俺に思いつく答えはこれしかない。


それを聞いた桜は、顔だけ振り向いた。



「………」



いや、なんでそんな変な顔するんですか。


スネてますか?


それとも怒ってますか?


まさか、あまりの感動で泣きそうですか?



「どうしてそう……的外れな答えを……?」



……どうやら、憐れみの表情だったらしい。



「解説を要求する」



「……女性に告白されたら、同じように自分の気持ちを言うのがマナーなのよ」



「へえ、赤面しながらどうもありがとう」



「だ――――だれのせいだと思ってんのよ!ふつうこんなこと、相手に言わせる!?マナーというより常識よ!常識!あんたがあまりに能天気でバカだから、私がこんな目に遭ってるんじゃない!小学生でも分かるわよ、こんなこと!」



「い、いや――――落ち着いて……?」



「あんたがぜんぶ悪いのよ!何もかも、森羅万象すべて!」



突然あばれだす西園寺のご令嬢。


殴りかかられないだけましだが、すべて俺のせいになっている。



「腹立つわ!あんた見てると!今に思い知らせてやるから、覚悟しときなさい!」



せ、宣戦布告……?


軍事大国に宣戦布告された小国は、さっさと降伏するに限るのだが……それも許されそうにない。


ああ……羞恥の赤面と憤怒の赤面はこうも違うのか。


さっきまで沸き起こっていた嗜虐心は消し飛んでしまったよ。


なんだかとっても、もったいない気がする。


あんな桜は……今日一度見たが、もう見られないかもしれない。


思えば、俺は桜の問いに正解をだしていない。


桜が俺に何を伝えたいのか……。


それを俺は理解したと思う。


桜は告白をしたのであり、独白とはちがう。


返事が欲しいと言うなら、俺は返さなければいけない。


好きだと言われ、だからどうしたというのか。


俺にはそれが解らないが、いつか……返事を返したい。


時間はあまり……残されていないのだから。


覚悟はできている。


だが俺は、最後まで生き抜いてやるという覚悟もしているつもりだ。


どんなに無様で、醜く、異常だとしても、生きたい。


ただ、生きたい。


なぜなら俺は、死にたくないから生きているのではなく、生きたいから生きているのだから。


生命としての義務……現代の人間に本能がどこまで残っているかは知らないが、そんなことは関係ない。


生きて、生きて、生きて――――大切な人たちのためにも生きたい。


だから――――その大切な人たちを犠牲にしてでも、俺は生きたい。


その点では、食事と大差ないと思う。


様々な命を犠牲にし、自分の命を長らえる。


価値観の違いはあれど、それは俺の主観。


客観的に見れば、何も変わりはしない。


生きるためなら――――桜や妃奈、泉と水野までも、俺は殺してしまうのか。


それが当たり前だと感じているのに……。


それはとても、悲しいことだと思う。


もし決断を迫られた時、俺はどうするのか。


想像する自分はいつもバケモノじみていて……まるで悪魔のよう。


俺はそれが……二番目に恐い。


死の恐怖の次に怖い、と感じてしまうことが恐い。


ああ……だからこそ。


俺はこうして頑張ってるんじゃないか……。

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