十一話 二人の十メートル
「ぐ……ぐへぇぇぇ……」
「あはは……柊くん大丈夫?」
ベンチにて吐き気を催しているのは、一体だれだろう……。
あ、俺か。
「なっさけないなー。あれぐらいでノックダウンなんてだらしないわよ」
「……なあ桜。実は俺は、健康的な一般男子なんだ。だから美人が嫌いなんて道理はない。それがたとえ、乱暴者の桜でもだ」
俺は突然、そんなことを口走った。
桜も目をまん丸にして驚いている。
「それだけで好感度は上昇していくもんなんだ。加えてお前は、最近俺のなかでもさらに地位を高めつつある。人間としていい奴だと認めてるからだ。だがな……」
暗い空気を漂わせ、なにやら意味深な俺。
ああ、ホントなに言ってんだろ……。
「俺の桜に対する好感度が、現在マイナス値の臨界点に達しようとしているのは何故だと思う?」
「ねーねー、次どこ行こっか?あ、プールとかあるんだー。水着持ってきたらよかったわねー」
「あからさまに無視をするなぁ!」
「ったくもう……めんどくさいわね。なに?じゃああんたはどうしたいの?」
心底だるそうな表情で睨んでくる桜は、そんなことを口にした。
どうしたいか?
そんな事はわかりきっている。
「フン……よし、お化け屋敷だ。お化けが不法占拠している屋敷へと赴こうではないか」
「お化け屋敷?ここから少し歩かないとダメよ……?」
ククク、嫌がってやがるな。
俺が推測するに、桜みたいな勝ち気娘は幽霊沙汰に激しく弱い!
そう、名付けるならばギャップ定理!
桜、これ即ち強気。
ならば弱気になる場面がないはずがない!
そしてそれはお化け屋敷と相場が決まっており、遊園地は最高のロケーションともいえる!
拝んでやろうではないか、桜の泣き顔を!
「怖いなら構わん。宙を舞う魑魅魍魎たちに怯え、すすり泣く桜など見たくもないからな。ま、恐れをなして半べそで尻尾をまく桜もまた然り」
「妙に挑発するな……。柊のやつ、命が惜しくないのか……?」
「……きっと、仕返しがしたいんだと思う。さっき、半強制的にジェットコースター乗せられてたから」
「わたしも同感ですね。あれでは行きたくて仕方がないみたいですから」
外野が少々うるさいが、今はそんなことはどうでもいい。
あとは、桜がどう言うかだけなんだが……。
「べ、べつに怖くないけど……、そんなに行きたいならいいんじゃない……?」
フ……予想どうりの反応だ。
挑発にのってきたな、西園寺桜……!
お化け屋敷が貴様の墓場とは、リアル幽霊候補ナンバーワンじゃないか。
さあ、では行こうではないか。
魑魅魍魎の蠢く死の館へと……!
◇
「きゃあーーーー!」
そんな甲高い悲鳴をあげているのは一体だれなのか。
暗闇のなか、前を歩く人間にすがりついているのは一体だれなのか。
「……ねえ、柊一。そんな風に抱きつかれたら動けないんですけど……」
宙を舞う魑魅魍魎に怯え、すすり泣いているのは一体だれなのか。
あ、俺か。
「す、すまん。ゾンビが走り回ってたもんだからつい……」
「はあ……。あんたのそんな情けない顔を見るハメになるとは予想だにしなかったわ」
だるそう、かつ呆れた顔でそんなことを口にした。
――――あれから、俺たちは予定どうりお化け屋敷へと赴いた。
入り口で、『私は行かないよ?だってそういうの苦手だもん』と言い放った妃奈をのぞき、全員お化け屋敷に突入している。
鉄の意志で拒否した妃奈をだれも説得できず、ふたりペアで闊歩しているわけだが……。
「うわああああ!?なんだお前!?バカッ、こっち来んなよ!!」
「だから来ないって……何度言えば分かるの?」
「あ、ああスマン。吸血鬼が抱きつこうとするもんだからつい……」
こうして、なぜか俺だけが怯えているわけだ。
……しかし、盲点だった。
桜を怖がらせることしか考えていなかったが、まさかお化け屋敷がこうもハードだとは……。
ていうか何で涼しい顔していられるんだよ……。
西園寺桜、侮るなかれ……。
「……柊一、強く握りすぎ。痛い」
「おお……すまん。致命傷を負った人間がなんかわめくもんだからつい……」
いつの間にか、桜の手をかなり強く握っていたようだった。
パッと手を離し、ふたたび歩みを進める。
「………」
「………」
「なあ……いつになったら終わるんだ……?」
「あんたが毎回律儀にビビッてるから、終わらないんでしょ。わかったら早く行くわよ」
「はい……」
なんだか怖い……。
なにがって、お化けにビビッて桜に狼藉働きそうな俺が怖い。
ちなみにさっき、肘鉄を頂いた。
精神的にも肉体的にも、もうボロボロです……。
「……柊一、最近なんかあった?近頃あんたおかし……」
「うほ!?お前キモッ!その歩き方キモッ!でもめっちゃ怖っ!」
両手を前に突き出し、ぴょんぴょん飛び跳ねてくる野郎が急接近。
名前は忘れたが、確か中国の妖怪だった気がする。
マヌケな恰好だが、とにかく怖いのでとっさに飛びのいた。
「きゃあ!?ちょ、ヘンなところ触らないでッ!」
バキ、という絶対に人体からしてはいけない音。
桜に後ろから抱きついてしまった俺は、痴漢撃退のための護身術を一身に受けていた。
それが理解できたのは、チャイニーズ妖怪が面食らって立ち尽くしている最中のことだ。
「い、いたい……。お化けは脅かしても暴力は振らない……」
「うるさいわね……。ほら、手……」
吹っ飛ばされて腰を抜かしていた俺に、桜が手を差し伸べた。
俺はその手にしがみつき、なんとか立ち上がる。
「………?」
不思議と、俺が立ち上がった後も桜は手を握ったままだったが、振り払う理由もないのでそのままにしておいた。
怖いからとうつむくと、誰かさんの生足が目に入ります。
目には毒ですが脳には栄養なので、まあ良しとします。
◇
顔から火が出る思い、なんてものを今さら思い知った。
「………?」
無言なのが、せめてもの救いだろう。
さっきは自然に握れた手も、自分から握るとなるとこれまた違ってくる。
息は荒くなり、心臓も飛び跳ねている。
たかが手をつなぐくらいでこんなにも緊張するなんて、いくらなんでも免疫なさすぎだ。
高二にもなって手をつなぐのがどうのこうのって、それじゃあまるで小学生だ。
「桜!あれ!出口じゃないか!?」
嬉々として叫ぶ柊一。
どうやら本気で嬉しいらしい。
「え、ええ……。そうみたいね」
……こいつは人の気持ちを解さないというか何というか。
人が緊張しまくっているというのに、このいつもと変わらない態度はなんだ。
こっちから手を握ったんだから少しぐらい気付いてもいいのに……朴念仁め。
「やっとこの地獄も終わりか……?いや、油断は禁物だな」
やけに意気込んではいるが、きっと意味はない。
今までさんざん身構えてたのに毎回悲鳴をあげてるんだから、恰好のかも決定だ。
「妃奈め、ひとりだけこの恐怖から逃げやがって……。こんなに怖いなら教えてくれればよかったのに」
「……今さら言っても仕方ないでしょう。ほら、早く行くんでしょ」
……妃奈、か。
このまま出て行ったらどう思うだろう……。
少し前から柊一とやけに仲良いし……やっぱり手を離したほうがいいかな。
でも、それじゃいつまで経っても関係は発展しないし……。
でもでも、もしも妃奈と柊一が付き合ってたりしたら、ものすごい修羅場になりかねないし……。
ああ、どうしよう……。
この握ってる手を自分から離すなんて、ありえない。
けど、このまま出て行けば確実に妃奈と鉢合わせだし……。
……どうせなら。
手を離せば、関係は維持される。
今まで通り、みんな仲良くできる。
臆病だなんてことはわかってる。
でも……自分を正当化してでも、失いたくないものもある。
だから、ここは――――
「よっしゃ!全力で駆け抜けるぞ、桜!遅れるなっ!」
「え――――?」
せっかく私が心を決めたというのに、彼は……柊一は、私の手を引いて走り出した。
転びそうになったところを支えてもらい、何とか後をついて行った。
途中で飛び出してくるお化けなんて、関係ない。
すべて無視して、私と柊一は十メートルほどの距離を完走した。
「制覇………!」
そうもらした柊一は、満面の笑みだった。
涼やかだった屋敷から出ると、外は初夏の日差し。
夏休みもまだだというのに照りつける太陽は、さほど気にならなかった。
そんなことより――――
「あ…………」
妃奈の眼差しのほうが、よっぽど心を締め付ける。
「ようよう、お二人さん。この暑い日差しの中でもお熱いな。仲良く手なんてつなぎやがって。えぇ?」
泉の冷やかしさえ、気にならない。
私は胸が痛くて仕方がなかった。
冷たい炎で焼かれるように……キリキリと痛んでは、私を切なくさせる。
「あぁ、これか?途中からつなぎっぱなしだったんだよ」
柊一はつないだ手をヒョイと上にあげ、そう口にした。
そういえば、私と柊一はまた繋がったままだ。
「……………」
妃奈の視線が、痛い。
私の何倍も切なそうな表情でこちらを見ている。
こんなことになるから……手などつないでいたくなかった。
妃奈との友情が壊れてしまいそうで、失ってしまいそうで……怖かった。
………でも。
でも、私はここで手を離しちゃいけない。
私には失いたくないものがある。
けれど、どうしても手に入れたいものだってある。
それは妃奈も同じで、だからこそ、私は絶対に退いちゃいけない。
正々堂々と、最後の最後まで競い合って、そしてケリをつける。
……私はなぜ、あんなに臆病だったのだろう。
私にも妃奈にも譲れない想いがある以上、ぶつかることだけは絶対に避けられないのに…………。
「手をつなぐどころじゃないわよ。柊一ってば、どさくさにまぎれて抱きついてくるのよ。だから―――」
だから―――あなたもぶつかってきなさい。
私は何も隠さない。
柊一と一緒にしたことや感じたもの、全部あなたにぶつける。
それがたとえ、あなたを傷つけることになろうとも。
だから、あなたも全力でぶつかってきなさい。
もし、どんな理由であれ全力でぶつかってこないなら――――
その時は、あなたの想いすべてを踏みにじって、柊一を持ってってやる――――
◇
「―――驚いた、な」
上層部にかけ合って、書庫を開けてもらった甲斐がある。
「神谷に西園寺……そして皐月、か。私ってば、スゴいことに首突っ込んじゃってるかも」
感知する者―――神谷の人間はそう呼ばれる。
あらゆる事象を理解しないまでも、感知することに関しては一級品。
遺伝的特性は、カンタンに言えば利他的。
自分よりも他人を優先にしがちな性格、みたいな感じだろう。
―――理を正に捻じ曲げし者。
代々、西園寺の血を引く者に継承される特異体質。
ある程度、事柄を『正しい』と決定づけてしまう能力のことだ。
しかし、チカラの大きさでいえば神谷や皐月に劣る。
「ま、チカラが強いと無敵だからね。運命操っちゃうよ」
少し他より劣っていなければ釣り合わないのだろう。
それほどまでに、強力ということだ。
特性は……強固な自我。
それも能力に後付けされたのかも。
自我が弱ければ意味がない。
そして最後に……皐月。
言を詠み、患う者。
「患う……?太極分離のことかな……」
言の真の意味を、聴くだけで理解してしまう能力のコト。
これにはこの前、不意を突かれたからなあ……。
いやー、たまげたよ。
けど、患うってのはどういう意味だろう?
「えっと……『幼年期に一度、死に瀕する。故に錯覚し、混迷する。その実、単なる奇病なり―――太極分離にあらず』……」
……皐月くんてば、私を脅かすのが好きみたい。
こうなんども意表を突かれると、逆に感心しちゃうなあ……。
これ、すごい事実よ?
「他の意を解さない……これが特性か」
なるほど、頷ける。
あいつの鈍感レベルは並じゃないからねー。
周囲はタイヘンだ。
特に妃奈と桜が。
「ふむ……新事実も発見したし、今日はこのくらいにしようかな……。これ以上知るには、直接血族と話さなくちゃいけないし」
にしても……やっぱスゴいな、木枯って。
町立でしかも名前が第二高等学校なんてくだらないことではない。
高校ならもっとカッコイい名前をつけて欲しいとか思っていない。
中学校かよ、なんて断じて思っていない。
「異能は惹かれ合う……敵対するためか、それとも血を強くするためか」
それはおそらく後者だ。
こればっかりは理屈じゃなく、現場を見ての見解である。
私の人を見る目は意外とアテになる。
「……意外は余計か」
私は本を閉じ、キチンと本棚へ返した。
パチってしまってもいいけど、内容はすべて記憶してしまった。
だから、拝借するのはなんて言うか……KY?
すこし古い言葉なら、どんだけ〜。
いかほど〜。
「ふ……私って流行の最先端?」
ニヒルな笑みを浮かべながら、書庫から退出した。
意味もなくスキップしてるのは、緊張感がなさすぎだろうか?
ま、とにかく……今はこれでいい。
いずれ必ず、結果は出るから。
この夏の内にでも……ね。