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Only You!  作者: 羽衣
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九話 陽・解禁




―――五月柊一。


陰暦五月、すなわち皐月の姓を受けて産まれた男児。


遥か昔から受け継がれてきた皐月の宿命を背負い、内なる二面性に苦しむ者。


……二重人格ならばどんなに楽であっただろうか。


苦しみをぶつける相手が自分の中にでもいれば、その者を憎むことが出来るから。


けれど彼には、そんなモノ存在しない。


常に自分は皐月柊一であると確信し、行動している。


ただ記憶が少し曖昧で……でもその曖昧なハズの記憶がふと甦ったりと、本当に不安定なだけ。


しかし、それももう終わり。


彼は完全に割り切ったのだ。


陰と陽の差ぐらい解っているんだから、適材適所以外に取る道はない。


陰が友好的ならば、陽は情熱的。


皐月柊一は情熱的な方が良いと判断したから、陰は引っ込む。


昔からそうやってきたのだ。


自分を大事にできそうにないから……他人を優先するだけ。


彼がそう決断した時、本当の意味で彼は“切り替わった”――――






     ◇



異変……と言えばそうかもしれない。


現に神谷妃奈は、自らがよく知る少年とは少し違う少年を見た。


そう、五月柊一の特徴であり欠点であり、一部の人間からは最大の難関である事柄が、消えていた。


発端はおそらく……彼の一言から。


一緒に居てくれ……そう言われた時、彼女は頷いた。


だから本当に一緒に住んでいる。


皐月家に、神谷妃奈が居候していると言ってもいい。


そして毎日一緒に過ごし、今も一緒に登校中である。



「けど、急にどうしちゃったの?なんかヘンだよ?」



何気に照りつける日差しの中、彼女は隣にいる青年に問いかけた。


彼はニコリと微笑みを返した。



「ヘン……か。妃奈は今の俺が嫌いか?」



彼女は慌てて首を横に振り、必死に否定する。



「ならいいじゃないか。俺は妃奈なら、同棲なんて全然オッケーだけど?」



途端に妃奈の顔が赤くなる。


視線を地面に固定しながら俯くのが彼女らしい。



「こんなに暑いのに赤くなったら、溶けるぞ?」



柊一は俯いた彼女の顔を覗き込みながら、ニッコリとした笑みで言った。



「……っ!か、からかってるでしょ!」



妃奈は素早く距離を離すと、柊一を睨みつける。


もちろん、と強く頷く柊一。



「……ふーんだ、もう柊くんのお弁当作ってあげないからね」



ぷいとそっぽを向き、妃奈は柊一を置き去りにするかのような勢いで歩みを進めてしまう。


それを苦笑いしながら柊一は急いで追いかける。



「あー、はいはい、悪かったって。だから拗ねるなよー」



隣に並んでも、妃奈は視線を合わせようともしない。


小さな歩幅を頑張って大きくして、子供のように先を急ぐ。



「拗ねてなんかないもん。それに、謝っても許さないからねっ」



拗ねてるじゃん、と心の中で呟き、妃奈のご機嫌取りを開始する。


残念ながら柊一には自炊機能が付属していないので、妃奈のボイコットはかなり痛い。



「じゃあどうやったら許してくれるんだ?生贄でも捧げればいいのか?」



「そ、そんなのいらないっ!」



言って、彼女は顎に指を当てながら思索し始めた。


うーん、と頭をひねり、やがて頭上に電球を光らせた。



「じゃあ……学校までお姫様だっこかな」



彼女は表情を一変させ、冗談混じりに彼に告げた。


この冗談を境に機嫌を直し、また仲良く一緒に並んで歩く。


それが彼女の予定。


それなのに、柊一は―――



「お姫様だっこ……か。お安いご用だ!」



半ば絶叫しながら、そんなことを平然と言い放った。



「――――え?」



表情を変える間もなく、妃奈の体がふわりと浮く。



「え!?ちょ、えぇ!?」



膝の裏と肩を下からがっしり抱きしめ、妃奈と地面とが平行になる。



「しゅ、柊くん!冗談だってば!」



顔を真っ赤にしながらジタバタと暴れる妃奈。



「大丈夫!落っことしたりしないから!」



そんな事意にも介さず、柊一は妃奈を抱きしめる力を強める。


しっかりと抱きかかえられ、妃奈は抵抗しなくなった。


夏服だから肌が密着するとか、そんな感情が吹き飛んだ。


ただ――どうでもいいから顔を隠そう。


そう決心した妃奈は学生鞄で顔を覆う――ハズだった。


残念ながら鞄は柊一の手の中にあるようで、手頃なモノがない。


仕方がないので、妃奈は柊一にぴたりとしがみつき、顔を隠した。


それを発進の合図と勘違いしたのか、柊一は駆け足で走り出した。


太陽のように火照った妃奈を抱えながら、一歩、また一歩と学校を目指す――――






     ◇




「………それで、力尽きたってワケ?……呆れた」



目を細めながら呆れ顔で、数メートル離れた柊一を見る。


沙樹の隣には妃奈と涼太。


つまり、教室の中だ。



「もう……すごく恥ずかしかったんだから………」



妃奈の顔は未だほんのり赤く染まっている。



「柊も大変だな……」



同情する相手が違う、と涼太は沙樹に咎められる。



「いい?いくら幼馴染みとはいえ、勝手な行動はダメなのよ。こういうのは両者の合意の上でしか成り立たなくちゃいけないの!」



沙樹は柊一にも言ったつもりだろうが、おそらく聞こえてはいない。


席三つ分ほど離れた位置にいる柊一は机に倒れ伏し、死んでいる。


メロスのごとく駆け出した柊一は、校門に辿り着いた頃には燃え尽きていた。


妃奈とて、軽いとはいえ数十キロはある。


それを両腕だけで支え長い道のりを走りきるなど、燃え尽きなければ到底完遂出来はしない。


故に、柊一は肉の塊と化しているのだ。



「柊よ……燃え尽きたのならば、その灰の中から飛び立ってみせろ―――!そう、不死鳥のように!」



涼太の願いも虚しく、ろうでできた翼はことごとく溶けてしまっている。


不死鳥〈フェニックス〉と言うよりは、堕落者〈イカロス〉の方が適している。


涼太はゆっくりと柊一に近づくと、なにやら呼吸らしきモノが聞こえてきた。


耳を澄まさなければ到底聞こえないような声で呼吸を整えるている。


それはどこか不気味で、ゾンビやマミーのようなアンデッド系な声だ。


ヒュゴー、ヒュゴー、という、柊一が既に死に体であることを最高に表現した音声を聞きながら、涼太は歩みを進めてゆく。



「……王子、ご苦労様でございます」



「……うむ、王子とは、筋力と体力も必要であったぞ……」



密かにお姫様だっこの感想を述べ、柊一は事切れた。


頬に若干の赤みを残しながら―――



「柊くん……大丈夫?」



見かねた妃奈が、心配そうな顔つきで歩み寄る。



「大丈夫でしょ。男の子なら耐えなきゃね」



こちらは呆れながら、妃奈に付いて来た沙樹。


高く腕を振り上げると、ゆっくりと柊一の頭に手刀をかます。


かまされた柊一は寝起きのような顔で起き上がった。



「……俺のダメージの半分以上は疲労だけど、残りは妃奈の攻撃だ」



一瞬自分に視線が集中したのに気づき、ドキッとする妃奈。



「あれ…?加減したんだけど……」



困ったようにはにかむ。


だが柊一は納得がいかないのか、追求を敢行する。



「大体なー、遊園地の時もそうだったけど、妃奈は手加減を知らないんだよ。普段人を殴らないからかもしれないけど」



「……ほっぺたつねったくらいでそんな……」



むくれながら視線を背ける妃奈。


その瞳の先には五十度ほど昇った太陽。


数分前、校門に到着した柊一と妃奈は、軽めに戦った。


疲弊しきって抵抗すらできない柊一に、彼女は制裁を加えたのだ。


羞恥ゆえに顔を赤くしながら必死に柊一の頬をつねる妃奈の姿は、多数の生徒の目に触れた。


そしてある生徒は妃奈の赤くした顔を拝み、またある生徒は親しい二人の仲に嫉妬した。


それが教室の中に入った今でも続いているのだから、妃奈の怒りも当然だ。


しかし、妃奈を苛立たせる原因は『他人に自らのあられもない姿を目撃された』だけではない。


二人の仲に嫉妬したのは………なにも男子だけではなかったのだ。


言ってしまえば、それに一番腹を立てている。


今も何気に感じる視線の中に、女子も混ざっていれば言い訳もたたない。



「まったく、皐月くんは後先考えずに行動するからね」



「あ。沙樹、『五月くん』に決定したんだ」



「ええ。いつまでもあだ名を考えるのが面倒で……」



やれやれ、といった風に両手をあげる。


その姿をまじまじと見つめた柊一は、嬉しそうに顔をあげた。



「おっ、水野、俺の名前解ってんじゃん」



「まぁ、一応知ってるからね。ていうか本名知らなきゃあだ名つけらんないし」



「違う違う。俺が言いたいのは、『五月』じゃなくて『皐月』の名前で呼んでくれたんだなってこと」



「柊くん……それ一緒だよ」



妃奈は可哀想なモノを見るような目で柊一を見つめる。


涼太も同じような目つきだが、沙樹だけは訝しむ。



「え?一緒じゃないだろ」



そう言って、柊一は筆箱を取り出した。


中からさらにシャープペンシルを取り出し、今朝のホームルームで配られたプリントに文字を書いていく。



「ほら、これ」



書き終えた柊一はプリントを妃奈たちによく見えるよう突き出す。


左の隅の方に『皐』の文字、そしてその隣には『五』の文字。



「おいおい……こんなの紙に書いて初めて解ることだろ?聞いてるだけじゃ解らない、普通」



「んー、なんて言うか、人の発音みたいなモノでなんとなく解るんだよ。今泉が言った『紙』だって、みんなは髪の毛の『髪』とか神様の『神』とか思わずにプリントの『紙』だって解っただろ?」



「でも、それは前後の会話や常識で解るんじゃない?誰も髪の毛に文字書いたりするとは思わないし」



「ま、そりゃそうか……」



「けどそれじゃさっきのはつじつまが合わないぞ。柊の名字は『五月』だろうが『皐月』だろうが意味は通るんだから」



沙樹は顎に指を当てて悩んだ後、真面目な顔で柊一を見据えた。



「……ねぇ、五月くん」



冷静で重い、小さな一言。



「あっ、今数字の五で『五月』って呼んだ」



柊一はすかさず反応した。


その的確さに沙樹の瞳が黒く光る。



「そんな……まさか……。でも……有り得ない……っ!」



大きく目を見開き、まるで幽霊でも見たかのような表情で固まる沙樹。


その視線はただ宙を漂うばかりで焦点が合わない。




「……何が有り得ないんだ?」



「え?あ、あぁ、別に何もない……」



「体調でも崩したか?」



沙樹はまだ焦っているようで、足元がぐらついている。



「……うん、そうみたい……ごめん、気分悪いから保健室行ってくる」



そう呟いた沙樹はくるりと背を向け、声をかける間もなく早足で歩いていった。


その背中は呼び止めることを拒否するようにも見える。


さっさと沙樹は教室を出て行ってしまい、残った三人はあっけにとられる。



「……どうしたんだろ、沙樹……」



「様子が変だ。何気に心配」



「…………」



妃奈と柊一が不安がる一方、涼太は至って冷静だった。


その瞳に猜疑を映しながら、ただひっそりと佇む。


心配もむなしく、教室はなんら変わらぬ雰囲気を保っている。


一人の女子が出て行ったところでその形態は変化しないのだ。







     ◇




「まさか……ね。これでしばらくは、この土地に留まらなきゃいけないわね」



廊下を急いで歩きながら、彼女は独り言を呟く。


別段焦る必要はないのだが、焦りから自然に急ぎ足になってしまう。


通り過ぎる人々も彼女の独り言など気にもとめない。



「けど、あそこで言っちゃったのはマズったかな……。正直彼には……解って欲しくない………」



落ち着かなければいけないのに、どうしても落ち着いてくれない。


精神が高揚し、まるでイタズラをしてバレた時のような感覚。


それでも彼女は歩くスピードを緩めない。


向かう場所は、もちろん保健室などではない。


焦っても仕方がないのにと自分に言い聞かせながら、廊下を渡りきる。


階段すら残りの数段は飛び降り、踊場も手すりを軸に遠心力を利用した。


一階の階段なぞ全て省略して、一番上から大ジャンプを披露したくらいだ。


まだ昼にもなっていないというのに、学校から急いで立ち去る。


幸い、誰にも住所を明かしていないので押しかけられることはない。



「はぁ……。今の生活、結構気に入ってるのになぁ……」



下駄箱にある自分の靴に指をかけながら、独りごちる。


数秒間目を瞑ったあと、靴をはいて外に出た―――






     ◇



――数日後、学校を連日欠席していた水野沙樹が、久し振りに登校してきた。



「――沙樹!おはよう!」



顔に笑みを浮かべながら、神谷妃奈が走り寄る。



「おはよう、妃奈。久し振りね」



沙樹も同じく笑顔で挨拶を返す。


妃奈の声を聞いたのか、二人の男子も沙樹に近寄ってきた。



「お、懐かしいな。元気してたか?」



そんな風に挨拶してくる少年の名は、五月柊一。


その隣にはいつも涼しい顔をした泉涼太の姿。


こうして三人が並ぶ姿を見るのも、沙樹にとっては久方ぶりだ。



「そうだ、沙樹。今度の休日、みんなで遊園地に行こうってことになったの!泉くんが無料招待券をきっかり四人分―――」



「あー、ゴメン、私パス」



片目をつむり、すまなさそうに手のひらを合わせる。


妃奈はさっそく残念そうな表情になり、後ろの二人は相変わらず無表情。



「えー!?なんでー!?この前ゆっくり遊園地を回れなかったからって、みんなで計画したのに……」



しょんぼりと落ち込む姿はまるで子供のようで、沙樹から見るとなんとなく可愛らしかった。



「ゴメンゴメン、最近私忙しくてさ……もうてんてこ舞い。遊園地はまた今度にして、あと一人誰か誘いなよ」



「……残念だけど、仕方ない……ね。でも、また行こうね!」



ファイティングポーズをとるように両手拳を握る妃奈は、まさに小動物のようだった。


沙樹は妃奈の頭を無性に撫でたくなったが、止めておいた。



「じゃ、柊くん、任せたから」



そう言って、妃奈は柊一の肩に手を置く。



「……せめて意味が分かるよう言ってくれよ」



「だから、沙樹が居ない分一人空くでしょ?その一人は、柊くんが選んできて」



「またどうして俺なんだよ」



「私と泉くんは別に誰でもいいもん。あ、でも男子は勘弁かな……女子が私一人っていうのも気まずいし」



沙樹が意味ありげな視線を送っているのに気づき、顔をしかめる柊一。


涼太も黙っているからには了承している。


つまり、柊一に決定権が委ねられたのは既に決定事項だ。



「……言っとくが、俺は友達少ないからな」



柊一もしぶしぶ認め、妃奈の顔に花が咲く。



「ところで水野、なんで欠席した?」



思い出したように突然口を開く涼太。


その目は真剣そのものだ。



「ちょっくら水星まで」



適当に即答した沙樹。


顔はあくまで無表情。


涼太は笑わず、そうか、と呟いて了解した。



「なに、その反応。ボケた側としてはそのリアクションが一番イタいんですけど」



「おい、水野。水星まで行くにはすごい速さで行かなくちゃならないぞ。しかもあそこの平均気温、ヤバいだろ」



満足げに、そして冷静に突っ込んでおく柊一。


その対応に気分をよくした沙樹は、無言で親指をたてる。



「水野…沙樹……」



静かに呟く、泉涼太。


その顔には疑心と影が付きまとう――――









     ◇



「ったく、どうしようかな……」



呟きながら、五月柊一は隣の隣のそのまた隣のクラスへと足を運ぶ。


神谷妃奈に頼まれた通り、遊園地へと同行する人間をもう一人捜している最中だ。


だが、実はもう決まっている。


もともと他人とあまり接触を持とうとしない彼にとって、選ぶ人間など最初から決まっていた。


それでも迷っていたのは一体なんのためか……。



「……しゃあないな」



言って、屋上へと向かった。


近頃の彼女はいつもあそこにいるのだ。


そうと決まれば行動は早く、というより地形的に近く、階段を昇るだけで屋上への扉が目の前に広がってくる。


一応生徒の出入りを禁止しているこの扉は、数年前にカギを盗まれたらしく常時開放となっている。


そんな頼りないドアノブに手をかけ、静かにドアを開ける。


真夏の日に外に出るなど自殺行為に近いが、屋上は風が強く案外快適だった。


奥――手すりにもたれかかり、彼に背を向ける一人の少女。


長い黒髪をなびかせ、静かにたたずんでいる姿は、男の目を強く惹きつける。



柊一はゆっくりと近づき、少女との距離を縮めてゆく。


そして、残り五メートルというところで、その少女は爆ぜた。


静止状態から一気に百八十度回転し、一直線に彼に肉薄する――!



「―――おっと」



とっさに少年は顔をズラす。


一閃、彼の頭があった場所に少女の掌が高速で通り過ぎる。


見事なまでの掌底。


それを、彼は直感のみで回避した。



「――――っ」



続く連撃。


まるで躱されることが判っていたかのように間髪を入れず、少女が捻れる。


タン、と後方へのバックステップ。


少年がこの行為をとらなければ、今頃地に伏せていることだろう。


少女は足を曲げ、少年の腹目掛けてミドルのニーバットを回し蹴りの要領で放っていた。


―――開く間合い。


両者の距離は三メートルほど。



「っ―――――」



またもや少女は地を駆ける。


先ほどよりも早く、最短距離で彼に突進する。


少年は腰を落とし、次の攻撃に備える。


身をかがめて疾走する姿はまるで豹。


そのするどい牙で、目前の獲物を引き裂く――!


今度は正直なストレート。


俊足を以て放たれた拳は空を切り、少年の顔面に激突する。


その刹那、少年は体を半回転捻る。


通常、人間の拳は避けれない。


二人の戦闘は茶飯事であり、そのこともあってなんとか少年は回避出来ている。


若干の弧を描きながら突撃する拳は完全に外れ、大きな隙を少女にもたらす。


その隙を見逃すまいと更に肉薄する少年。


だが、あと一歩というところで彼は踏みとどまる。


ヒュン、と目の前を通過する鈍器。


彼女の膝が渾身の力で繰り出されていた。



「―――――!?」



驚きは少女のもの。


完全に捉えたと思っていた獲物が間近に迫っている。


身をかがめていた彼にとって、先ほどの一撃は必殺であっただろう。


それを彼は寸前で踏みとどまり、やり過ごした。


後に待つのは、少女の大きな隙と、少年の絶好の機会。


彼はもとより彼女に力を振るうつもりはないので、適当にあしらうつもりでいた。


そしてそれは、彼の必殺の機会を以て完遂される――



「んなっ……!?」



―――ハズだった……。


季節は夏。


この暑い時期に戦ったことが、彼の敗因と言える。


振り上げられた太もも、舞い上がるスカート。


彼女のスカート自体が短めで、暑さゆえに体操服の類は一切着用されていない。


後は神様のいたずら、彼の視界は純白に包まれる。


――少年の心は軋んだ。


この後に起きる攻撃を防ぐべきか………それとも、至福の時間を満喫するか―――


迷っている内に決断は下された。


彼女の細い生足と白い下着を目にしたが最後、目を背けることが出来なかった。


――――男、故に敗北。



「この――スケベっ!!」



怒号と共に振り下ろされる肘。


視覚外からの攻撃に対応できず、キレイに後頭部へと、垂直に落ちた。


――少年の視界は、また違った純白の世界に包まれかける。


ドサッと倒れ込む少年。


彼は最後の最後で僅かに首をズラし、気絶だけはなんとか回避した。


精神力をフル活用して保った意識は、今にも消えそうなほど薄い。


だがそこをなんとか耐え抜き、ごろんと仰向けに転がる。


時間にして十秒も経っていないだろが、疲れは大きかった。



「はぁ……はぁ……」



荒い息のまま、その場にぺたりとヘタレ込む桜。


隣には脳震とうをかろうじて回避した柊一の姿。



「桜……さ、最後のは反則だ……」



「こっちのセリフよ……変態っ!」



肩で息をする桜を見て、柊一は息を飲む。


スレンダーな体つきなハズなのにふくよかな一部分。


まさしく女のものだ。



「やっぱり桜は卑怯だ……」



柊一は青すぎる空を仰ぐ。


つられて桜も空を見上げた。



「何言ってんの。素人のクセに私の攻撃に反応するあんたの方がよっぽど卑怯よ」



「でもなぁ、今だってそうやって女の子座りしてるだろ?それが卑怯」



柊一が言うと、桜はポカンとした。



「いっつもこうやって女の子らしくないことしてくる反面、時々信じられないほど女の子っぽい」



「…………」



「なぁ、桜」



「…………何よ」



「遊園地、行きたくない?」



「…………はあ?」



それが彼にできる、精一杯の誘い方。


自然であるかどうかと言われれば、それは聞くまでもない愚問だ。



「さっき、桜がワザと作った隙に俺、踏みとどまっただろ?ご褒美として、一緒に遊園地へ行こう」



「……まぁ、確かに…」



彼女は先ほどの攻撃を思い出す。


―――確かに、ストレートの後にできた隙は作ったものだ。


彼をおびき寄せ、カウンターの膝蹴りでノックアウトのハズだった。


それを柊一は見破り、足を止めた。


その後の隙は作ったものではなく、作らされたものだ。


正真正銘、できてしまった隙だ。


そこで彼がもし反撃でもしていたならば―――



「行くって……いつ?」



「まだ決まってないけど、一応今後の予定は立てないでくれ」



柊一の言いぶりに、桜は軽くため息をつく。



「アンタってほんと、たまにワガママよね」



柊一は意外そうな顔をした。



「………どこらへんが?」



「予定立てるなっとところよ。いつ行けるかも分からないのに予定だけは空けろって、何様よ」



「……なんだ、無理なのか?」



「なっ……別に無理なんて言ってない……」



「どっちだよ……」



「だから、無理じゃないけどワガママ言うなって言ってるの!」



「……結局行くのか、それとも行かないのか?」



「行くっ!!」



そうハッキリと断言した彼女の表情は、どこか真面目だった。


まるで焦っているかのような、瞳の色。



「よし、決定だな」



「うん」



…そこで、会話は途切れた。


あとはただ照りつける太陽と、吹き抜ける風だけが交錯する。


風は彼女の長い黒髪をなびかせ、舞わせる。


そうして静かに佇んでいれば、さっきまでの鬼神のような動きは想像も出来ない。


容赦というものを知らない太陽は、自然と二人を日陰に追いやった。


二人肩を並べて、後ろの壁にもたれる。


いざ日陰に入ってしまえば、そう暑くはなかった。


むしろ涼しい。


風は意外と冷えていて、火照った二人の体の体温を下げてくれる。


呼吸もずいぶん整い、身体の疲労もとれてきた頃、ふと桜が立ち上がった。


柊一は不思議に思ったが、大して気にも留めない。


彼女は屋上の隅の方まで歩き、暗い影の中から何かを取り出す。


長い――彼にとっては見慣れたモノ。



「……桜、そいつは何だ?」



「何って……竹刀よ?」



まさしく竹刀。


素人が見ようと達人が見ようと、桜が手にしているモノはまさしく竹刀だ。



「それは解る。で、それで何をするんだ?」



本当は、何をするかは解っていた。


最近彼に何かと好戦的な桜。


二本用意された竹刀。


そして、やる気に満ち満ちた眼差し。


桜は柊一に歩み寄り、竹刀を一本さあ、と渡す。



「さ、スタンダップ!始めるわよ」



言われるがまま立ち上がった柊一。


桜との距離は十メートル近く開いている。



「たまには剣でヤりたいなって思ってたの。だからこの前、剣道部から拝借してきたの」



彼はそれが悪いことだろうなと思ったが、正直少し楽しみだった。



「―――そうだな。空拳もそろそろ飽きてきた。俺も剣道は出来ないが、剣には少し自信がある」



竹刀を握りしめ、感触を確かめる。



「ふふ、そうこなくちゃ」



彼女は無邪気に笑う。


竹刀を握りながら微笑む姿はどこか死に神めいている。



「じゃ……やるか――」



心底楽しそうに、柊一はニヤリと笑う。


二人の間に飽和する殺気。


互いにせめぎ合い、押しのけようとする。


――桜の構えは基本を少しアレンジした形。


基本を最強とする構えを敢えて崩し、自らの長所をさらに引き伸ばす構え。


――対して柊一は自然体。


竹刀を片手で握り、桜を正面から受けずに横を向いている。


両者の準備が整ったことを感じさせる沈黙。


そして沈黙は――対峙した二人の疾走によって破られる―――!


同時に走り出した二人。


空を切る音をたてながらぶつかる竹刀と竹刀。


これは剣道の試合でもなんでもなく、ただの殴り合い。


故にルールはなく、有るのは当事者の掟のみ。


敵を討つために放たれた一閃は静止し、鍔迫り合いに持ち込まれる。


互いの力は拮抗するはずもなく、桜はあっさりと押し負けた。


しかしそれも承知の上――


横へステップして力を受け流した桜は、下段から斬り上げる。



「は――――!」



身を反らして回避する柊一。


鼻先を掠める竹刀は空を切り、そして翻る―――!


大きく振りかぶっての斬り下ろし。


それを彼は、右手に握った竹刀で軽々と弾き返す。



「―――――っ!」



渾身の一撃を弾かれた彼女は、体勢を立て直すべく距離を離す。


――だが、やすやすと見逃しはしなかった。


間髪入れずに振るわれる重い一撃。


それは桜の渾身の一撃を遥かに凌駕する力。


しかも一撃では止まらず、二撃、三撃と、攻撃の手を緩めない。


そのどれもが力で桜を圧倒し、後退させる。


片手で振るっているだけの竹刀は鉄のように感じられ、彼女から竹刀を奪おうとする。


強く柄を握り、防御に徹していく。


―――しかし、長期戦は危険。


彼の剣戟は受ける毎に桜の体力を削り、動きを緩慢にさせる。


後退しつつも開く間合い。


彼が常に攻め立てれば決して開くことのない間合いは、なぜか離れていく。


とはいえ竹刀の攻撃範囲。


防御を怠れば一瞬で懐に飛び込まれる。


柊一の竹刀の先端が下から突き上げる。



「あっ――――」



大きく崩される彼女の構え。


なんとか竹刀を握りしめ、吹き飛ばされるのを防いだ。


完全にがら空きになった彼女の合間に、柊一はたった一歩だけ詰め寄る。


彼の手にした武器が舞うに相応しい、最高の有効射程。


その射程にて、彼は不自然な構えを取る。


柄を優しく、摘むように持つ。


低く落とした姿勢にこもる凄まじい闘気。


竹刀は頭を下げ、深く落とされた腰よりも更に低く、奥に鎮座する。


不気味ですらある静寂。


それはひどく長く感じられる二分の一秒。


彼の奇異な構えに釘付けとなる桜。


自らの姿勢を整える暇も与えられず、ただ次の一撃を受け入れるのみ。


――だが、この刹那に彼女はあらゆる可能性を考える。


構えと距離からして……突きはない。


竹刀の向いている方向的に、中段以上―――



「―――――鳩尾」



「―――――え?」



凛とした声のもと、ほとばしる白。


柄の白が、想像しうる可能性全てを貫いた。



「―――――っ!!」



ただがむしゃらに、一瞬視覚が捉えた何かを防ぐべく、竹刀を走らせる。


ビッグバンでも起こしそうなほどの衝撃。


彼女の竹刀が悲鳴をあげる。


竹を割る閃光は桜の鳩尾目掛け突進し、彼女の竹刀に阻止される――いや、阻止させた。


みしり、と音をたて、桜の竹刀が宙を舞う。


彼女の斜め後方に吹き飛んだ竹刀は地面に落下し、衝撃を殺しきれずまた滑る。


カラカラと回りながら遥か遠くへと滑り、静止した。



「……すごい。圧倒的ね」



額に玉のような汗を浮かばせながら、彼女は言った。



「桜がもし男なら、判らなかったさ」



柊一は竹刀を捨て、静かに桜に歩み寄る。



「ケガ……しなかったか?」



桜の手を取ると、手の平をまじまじ見つめる。



「え、ちょ……!」



慌てて彼の手を振り払う。



「バカ、照れるな」



振り払われても手を取る柊一の顔には、笑顔がない。


無言のまま桜の手を握り、傷の有無を確かめていく。



「手は……無事みたいだな。肘や肩は痛まないか?関節とか、筋肉とか」



「う、うん……特に……」



桜は俯き、少し長い前髪で目を隠した。


それでも赤面しているこては窺い知れる。


柊一は内面ホッとし、視線を上げる。


頬に赤みがさし、やけに温和しい桜を観察した後―――



「……なんだよ、ちょっと手を触ったくらいで大げさな……」



「なっ……触ったくらいって、あんたねぇ……!」



「それともなにか、今まで男と手を繋いだこともないってか?そんなの、俺みたいなモテないやつの特権―――」



「……ないけど、悪い?」



「え……?いや、あ、悪くない。妃奈もそんな感じだしな……うん……」



苦笑――苦い笑いと書いて苦笑。


苦笑いしつつ頭をポリポリと掻くのももはや常套だろう。



「……ねぇ、それよりさ、なんで私に鳩尾って教えたの?」



「え。いや、まあ……防具も着けてないのに当たったら、痛いじゃん……?」



心底すまなさそうに、柊一は呟いた。


手が頭から離れない。



「あ、あんなの防げるわけないでしょ!!何!?柄で突きって!?」



「あれはそういう技なんだよ……。剣と言うよりは槍に近い使い方だからな」



桜はついさっきの場面を思い出していく。


……そう、あれは、竹刀を槍に見立てた突きだった。


だからこそ威力が格段に上昇したのだ。


だが、柊一の腕力を以てすれば、両手で振り下ろした方が攻撃力は高い。


つまりあの技は、力で相手の防御を崩すわけではなく、速さで翻弄するでもなく、技で防御をくぐり抜けるわけでもない。


すなわち、その真骨頂とは――意表を突くことにある。


異様な構えで相手の意識をかき乱し、そこから放たれる更に異様な一撃で相手を討つ。


欠点である攻撃力と速さを槍の要領で放つことにより、解消する。


あくまで一対一の戦いでしか用いることの出来ない荒技だ。


もちろん剣道などでは使用できない。


加えて柄で突くこともあり、“攻撃力”は高くとも“殺傷力”は低い。


真剣の勝負で使うなら意識を奪うことに特化していると言える。


真剣での決闘は法で禁じられ、剣道ですらその技を使えないのならば、一体どこで使うのか……。


それは、彼の幼児体験が知っている。



「昔からそういう、試合に勝つんじゃなくてとにかく生き延びるための技を習ってたんだよ。だから、流派もなければ型もメチャクチャだろ?」



「……あんた、相当厳しい人に師事してたのね。基本を無視してはいたけど、柊一なりの型が出来上がってたもん。実戦を重ねることで必要な部分を補わせていく。ある意味それが流派ね」



「そんな大層なもんでもない気がするけどな。でもまあ……厳しくはあったか」



彼は記憶を遡るように考え込む。


木枯に来る前の仄かな記憶。


今までの短い人生で、最も長い間過ごしてきた土地だ。


彼にとって良い場所であったかどうかは定かではないが、そこは確実に存在する世界。


生き方を決める――重要な分かれ道の一つ。


二人仲良く遊んだ記憶を抑えこみ、なんら変わることなく過ごした地。


影でいつも独りだった少女を忘れたことなど一度もない。


なのに触れ合う人はいつも一人。


仮初めの記憶を繕う……今の優しい笑顔。


果たして選ぶは過去に捕らわれし者か、自らの咎を忘れた幼き罪人か。


――だが、第三の選択肢が今目の前にある。


断罪を放棄し昔年の想いを投げ捨て――新たな無垢を選ぶか。


答えの出る日はまだ遠い。




其れ迄に決めよ。


嘸辛かろうが、欲深き子ら故、残るは一人。


同情など捨てよ。


億劫など捨てよ。


夢想など捨てよ。



――然すれば汝、真の想い人をば出逢わん………

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