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最果てのテスタメント  作者: pu-
第二章 人間が過去に選んだこと
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2.神話

 帝国海軍の五番隊隊長であるザギィ・グリーンダッツ・ハウリー少佐との話を終えたあと、ルミナはドゥンケル・ハイト号の自室に戻り、メーアが持ってきた夕食を傍らに書物――ティレスタが綴った門外不出の書『水伯』の原典だ――を読んでいた。とてもではないが、隊舎に行く気にはなれない。それが憎き海賊どもと同じ空気を発するからだと、自覚している。


 部屋の片隅では、わざわざ取り寄せた小さな机(護衛でもあるのだから一緒にいるべきだと、彼女が半ば強引にそこに置いた)でメーアが自身の食事を取っている。ルミナとさほど変わらない、強いて言えば少し質素になったくらいの、ごく一般的なものを黙々と口に運んでいる。

 基本的には咎人はみな、人間と同じ身体構造をしている。よって、食事も変わらぬものを取る。メーアから聞いた話では、咎人でない〝怪物〟は食事を取らないらしい。

 視線を落とすと、新品の絨毯に目が留まる。


(デイラー大尉も、随分と運のない男だ)


 今頃、今作戦の真の概要を聞いているであろう悲運な彼を憐れむ。

 デイラー大尉は不幸なことに、これまで通りルミナと海軍の伝令役としてドゥンケル・ハイト号に乗船することになった。

 建前としては、計画の最終段階で人員を変えたくないこと。計画の概要を無用に広げることの危惧や漏洩など、それらしい理由――実際にその問題はあるため嘘ではない。彼が計画の全てを知らなくとも――を上げた。が、本音としてはいびられ役に彼が最も適しているからだ。

 恐らく彼は命を受け、肩をぐったりと落としているに違いない。


(右の肩はすでに落とされて、落とすに落とせないけどね)


 デイラーが怒り狂うことはないだろう。彼は鬱憤を発散するのではなく、独りで抱えるタイプだ。嫌みの一つに、胃薬でも送りつけてもいいかもしれない。

 ただ、デイラーの仕事ぶりは一通り評価している。彼は己が役職に見合った仕事をこなす。可も不可もなく。こき使われる人材としては、これほど有能なものは滅多にない。

 仕事をきちんとさせながら、どう痛めつけるかルミナは本を読みながら思案した。




 そんな彼の胸中を、ほくそ笑むルミナの表情だけではメーアは汲み取ることなどできない。

 何に笑っているのか。自分の無知に歯痒さを覚えながら食事を続ける。

 ルミナを見続けるわけにもいかない。もしも目が合ってしまった時、なんと言えばいいのか分からない。本音など、絶対に口にできないのだから。だから視線が虚空を彷徨う。

 ルミナが読んでいる本。彼の夕食。本棚。窓。そこから覗ける、橙へと変色を始める青い海。かけられた《博雅の徒》の会員の証たる白の外套。そこで留まる。

 口には出さず、その紅い刺繍の名を胸中で言う。


『神堕とし』


 神は全知全能の象徴であることから、神の血肉の全てを解体すれば全知と全能を手にすることができるという、大昔の錬金術師が持っていたと言われる傲慢で冒涜的な思想。


「珍しいね、君がそれを見つめるなんて。君は、神を信じないんだろう?」


 呆けていたため、メーアの反応が遅れる。一拍置いて、彼女は無言で頷いた。


「神とやらは時代や場所で、姿はおろか数さえも変わる。もちろん、誰もその存在を目視したことはない」


 そこで何かを嫌なことでも思い出したのか、ルミナが深い溜め息をついた。


「ま、中にはわざわざ《博雅の徒》の本部までやってきて御遣いと名乗ったり、はたまた神の生まれ変わりと主張する者もいるけどね」


 そう小さく苦笑する。

 同意を求めているとメーアは分かったものの、ともに笑うことができなかった。もちろん信仰心から来るものではなく、単に神というものがいまいち分からないからだ。


 意味は漠然とだが理解している。

 神とは人間よりも高次の存在であり、形容し難い絶対の力を保持しているという。

 そんなもの、いるはずがない。だというのに、どうして人間はその存在を否定しないのであろうか。否定できないのであろうか。


「まぁ、僕も今は神を信じられないね。ただ、《博雅の徒》の会員である以上、存在しないものを頭ごなしに否定することもできないんだけどね」


 メーアは不思議だった。人間が抱く望んだ神の姿というものは、所詮は人間の想像の域を出ることはない。人間の想像の内で人間よりも高次の存在を想像するというのは矛盾だ。

 なのに人類はどうして、ないと分かっているもの探しをし続けるのか。人間の思考はやはり分からない。不在証明という矛盾を理解していて、どうして受け入れないのか?


「……だが、〈水伯〉なる存在は――」

「――いる。確実に」


 口に運んでいた魚の肉を呑み下し、唇を拭きながら言う。

 ほんの僅かな間だったが、その解答は自分に求められていると気づいた。そして答えられたことに安堵する。彼の期待に自分は応えなくてはいけないのだから。


「〈水伯〉とは遥か昔から伝承があるものの、共通して神としては扱われていない。それに〝怪物〟を裁くのは〈水伯〉ではなく、支配権を後継した〝八番目の怪物〟――〝オケアノス〟だ」


 便宜上、『水伯』に書かれた創世の時代を『神話の時代』と呼んでいるが、実際にはその話の中に神なる存在は書かれていない。だが少なからず、この海と大地、それに生命に関して言えば、造物主は神ではなく〈水伯〉である。


「なら、〈水伯〉とはなんだ?」

「世界の意思」

「それは神とは別の存在なのか?」

「〈水伯〉自体は何もしない」

「それは神も同じなんだがね」特に誰に向けたわけでもない皮肉を口にし、「そして神とは違い、〈水伯〉は全知全能ではない?」話を戻す。


 ルミナの答えにメーアが頷き、加えた。


「むしろ、限りなく無知に近い」

「だが、我々よりも遥かな知識を有しているのだろう? それで無知とは、僕らはよっぽど馬鹿じゃないか」


 ルミナは馬鹿じゃない。口から出そうになるが、言葉として紡がずに心の奥にしまう。そんなものなど、彼が求めているわけがない。

 と、ルミナの金色の瞳がこちらを見据える。


「そこまで知っていながら、〈水伯〉がなんなのか分からないのか?」

「……ごめんなさい」

「いや。謝らなくていい。君達〝怪物〟はそもそも、『〈水伯〉とはなんなのか?』なんていう疑問すら抱かないのだから――始めから期待はしていないよ」


 何気ない一言だったのだろうが、メーアの胸は酷く締めつけられた。

 自分が彼の役に立たなかったどころか、期待すらされていないという事実が嫌で仕方なかった。

 だが、その現実を変えられることはできない。自分が〈水伯〉について何を知っていて何を知らないのか、全く分からないのだから。ルミナに問われ、そこで初めて自分の知識がどこまであるのか自覚するのだから。


 ルミナが手招きをする。

 食事の途中で席を立つのは行儀がよくないと彼自身に教えられたのだが、その彼が呼んでいるのだから目を瞑ってもいいのだろう。


「君は、この最後をどう思う?」


 メーアは書物に目を通すため顔を近づける。隣に彼の顔があり、自分を見つめている。それがどこかくすぐったく、同時に一抹の辛さを抱いた。自覚があるが故に。


(何を考えている)


 自らに言い聞かせるメーア。胸の奥に抱いているものを自覚しているならなおさら、彼の質問に答えを返すべきだ。

 彼が示す書物にはこう書かれている。


『そもそも、〝怪物〟という存在そのものが、本来なら在るはずのないもの。生まれるはずのないものとしか思えない。生物としての理からあまりにも外れている。ましてや咎人などという、〝怪物〟でありながら人間の形を成しているものなど、どうやって生まれるのだろうか? しかも、生殖制限という枷まで自由に付加できる』


 ここでページが変わる。


『では、それらを生み出した〈水伯〉とはなんなのか?』


 ルミナが先程、訊いてきたことだ。そして、自分が出した答えが綴られている。


『最低限、神などではない。すでにそれは幾人かの咎人の証言を取っている。『人間が抱く、神という高次の存在ではない』と。それどころか、中には〈水伯〉と人間が同等の存在という者までもいた。人間に似通った存在を造れる者と同等なのだと。

 この事実に、誰もが共感し得ないはずだ。我々が神との決別を選択し、自立によって獲得した技術を以ってしても、残念ながらそれは到底成しえないのだから』


 と、まだページが残っていたものの、ルミナが本を畳む。


「あっ」

「この先が読みたかったかい?」


 小さく笑うルミナに対し、メーアは戸惑う。そして逡巡ののち、「少し……」と、あえて首を縦に振った。

 ただ、本心は違う。

 内容などどうでもいい。この時間が長く続けばいいと淡い望みを抱いていたのだ。

 もちろん、それは口が裂けても言えない。言える立場ではない。


「ま、ここから先はつまらない妄想話さ。ティレスタは最後にどう結論づけたと思う?」


 下らなそうに笑む彼に、メーアは首を横に振る。


「未来人じゃないか、だとさ。どう頭を回せばそんなぶっ飛んだ正解が出るだろうな?」


 心底、呆れるルミナ。それにはどこか、失望のような感情が垣間見えた。


「ま、いくら世界の真実に最も近づいた者とはいえ、所詮は昔の人間だ。その時代の想像力は僕らを遥かに超越しているよ。何せ、ティレスタよりも昔の人間の世界地図には、『海の果ては滝になっていて、奈落の底に通じている』なんて書かれていたくらいだ」


 まだ〈水伯〉の神話が伝わっていない大昔は、その奈落の底に〝怪物〟が棲んでおり、滝を這い上がって人間達が住む海に現れていたと信じられた。聖域がしばしば『世界の果て』と呼ばれているのは、その名残である。


「この一連の文章は、一般に出回っている『水伯』には載っていない。『未来人説』なんてもっての外だ。店頭に並ぶものはこの原典から一部を抜粋しただけで、ほとんどは削除、隠蔽、改竄されて核心は一切載っていないんだよ。〝怪物〟に関する疑問なんて、一般人は永遠に抱かなくていいからね。普通に暮らしていればまず、遭遇なんてしないんだから」


 なら、自分とルミナが出会えたのは運命、はたまた奇跡なのだろうか。


(いや、違う……)


 暗澹たる気持ちで否定する。

 恐らくはそんな美しいものではなく、彼に巡り合えたのは他ならぬ『罪科』だ。

 メーアが抱えた気持ちなど知る由もなく、ルミナは喋り続ける。


「僕らは当たり前のように君達〝怪物〟を受け入れている。無理もないだろう。僕らが生まれるよりもずっと前から、確かにいるのだから――だがどうしてか、それでも僕ら人間は、その存在に対して心のどこかに違和感を抱いている。これは何を意味しているんだろうな?」


 また、ちくりと胸が痛む。

 これもまた、咎人の肉体を得てから身に着いたものの一つ。

 原因の正体は、薄々気づいている。それは身に着いたものの中でも、比較的最近のものである。


「まぁ、ただそれも近い内に分かるかな?」


 窓から覗ける、橙に染まる大海の先を見つめる。

 釣られ、メーアも見やる。

 初夏とはいえ、この地方の日没は遅い。二人はしばし無言のまま、太陽が沈み始めた水平線を見続ける。その先に存在している、〝白鯨〟の聖域を。


「何せ、聖域には――『世界の果て』には〈水伯の証(テスタメント)〉はあるんだから」


水伯の証(テスタメント)

 それはかつて、〝八番目の怪物〟が、〈水伯〉から継承した他七種の〝怪物〟を管理するための証。

 ただ、お伽噺や伝説の類としてしか扱われておらず、存在を信じている者は少ない。


「ルミナは〝オケアノス〟になりたいの?」

「ああ。そうすれば、〈水伯〉についてだけではなく世界そのものも理解できるかもしれないからね。《博雅の徒》としては、これほどまでに素晴らしい宝はないだろ?」


 金色の瞳を純に輝かせるルミナ。

 ただ、本心から出たものではないことはメーアでさえ理解できた。何せ、彼が自嘲気味に笑っているように見えたから。

 そしておおよそ、彼の本当の望みは分かっている。

 様々な策略を巡らせ、複雑な仕事をこなす彼の望みは。

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