5.白い少女
「にしても、〝白鯨〟の咎人を捕まえてくるとはな」
腕組みをしながら、グライフは白い少女――〝白鯨〟の咎人をまじまじと見る。
そのやや後ろで、反省の色を全く見せないアリュオンがいる。ばつが悪そうにしているのはむしろ、サージェスの方だった。
「お前さん、どんな罪を背負っているんだ?」
「同属殺し」
「同属殺し? 〝怪物〟がか?」
集団意識の高い〝怪物〟が仲間を殺すとは考えにくい。が、かといってここで嘘をつく意味もない。咎人の言ったことは事実なのだろう。どこか釈然としないが。
訝しげに咎人の様子を窺っていると、服の端を後ろからくいくいと引っ張られる。肩越しに振り返ると、その犯人はアリュオンだった。
「なぁ、親父。この子、なんて呼べばいいんだ?」
「なんてって。そもそも〝怪物〟には個別の名前なんてないんだ。お前がつけてやりゃいい」
「えっ?」言われ、さすがに戸惑う。「君はいいの?」
「なんでもいい」
その態度はまるで他人事のよう。そんな彼女を、アリュオンは腕を組みながら見つめる。
「じゃあ……」アリュオンがゆっくりと口を開き、「シロ」
「――っ!? いや、犬じゃねぇんだぞ!」
「それでいい」
何故か声を荒げて制止するグライフだが、少女自身に興味ないのか間を置かずに頷く。
「親父、『シロ』ってなんだよ?」聞き慣れぬ単語にコラルダが訊く。
「あぁ、竜海の言葉で『白色』ってことだよ」
ふふんっ、と自慢げに鼻を鳴らすアリュオン。「ま、知らなくても無理はないね、コラルダくん」二、三度、コラルダの肩を叩く。
「なんで知ってんだよ、そんなこと?」
「いや、まぁ……あれだよ……」
途端、言葉を濁らせるアリュオン。ちらりとグライフを見ると、『俺を見るな』というどこかばつの悪そうな顔を浮かべ、金色の瞳を泳がせていた。
半年前、船の倉庫を無断で漁っていたアリュオンが見つけた、竜海の孤島が舞台の小説のヒロインが『白椿姫』という名の芸者だった――ちなみに官能小説であり、こそこそと読んでいたところを偶然通りかかったグライフに見つかり、こっぴどく注意をされた。色んな意味で。
「知識ってのは、知らない内に入ることもあるんだよ。赤子が言葉を覚えるのと一緒だ」
平然と話すグライフだが、背中には形容し難い嫌な汗が垂れている。
やや嘘臭い咳払いを一つして、二人の間だけに漂っていた気まずい空気を払拭した。
コラルダは他ならぬ親父の言葉に納得はするが、どうしても言いたいことがあった。
「でも、俺としては改名を勧めるぞ。その前に教会にでも寄れば、犬畜生と同じ感覚でつけられた名前に憐れんでくれて、手続き金も払ってくれるかもしれないしよ」
「お前、頭大丈夫か?」
「アリんこには言われたくはないね!」
馬鹿にされ、アリュオンはコラルタの胸倉を掴む。コラルタもまた掴み返すが、サージェスがそんな二人の頭に拳骨を一発ずつお見舞いして、喧嘩を強制終了させた。
それでも、ブツブツ文句を垂らす二人。今にも取っ組み合いの喧嘩を始めそうだ。
そんな空気を察してかは分からないが、少女がアリュオンに向かって言う。
「なんでもいいから、それでいい」
「……〝怪物〟のセンスはいまいち分からん」
どこか勝ち誇った顔のアリュオンに、コラルダはそれ以上何かを言う気力を失う。
ともあれ、〝白鯨〟の咎人――シロにグライフは訊ねる。
「で、お前はなんでここにいるんだ?」
「私は聖域に帰らなくっちゃいけない。だから連れて行って欲しい」
「刑期を終えたのか?」
グライフが当然のように訊くが、〝白鯨〟の少女は首を横に振る。
その反応にグライフが首を傾げるが、それ以前に彼の質問の意味が分からないアリュオンは、もはや話についていけなかった。
「なら、まだ聖域から見放されているんじゃないのか? なのに戻ってどうする?」
「彼らは私という存在を認識していながら、理解していない。だから、それを知らせなくてはいけない」
よく意味が分からないが、これ以上訊ねてもまともな返答は期待できないであろう。
〝怪物〟の咎人は『無知の知』を理解できる人間とは違い、知らないことを知らない。故に、核心をつかない限り望んだ答えは永遠に手に入れられない。
仕方なく、グライフは話を変える。
「だが、いくらなんでも聖域になんか連れて行けるか」
「あの人と『約束』した」
指差すその先。そこには間抜け面を浮かべたアリュオンがいた。
「うん。したぞ、約束」
「アリュオン、お前……」
「大丈夫だろ? ちょっと寄るくらいさ。〝怪物〟に出くわすことなんてないんだろ?」
言葉を失い思わず顔を覆うグライフに、アリュオンはあっけらかんとした態度。
そんな彼を見、普段は温厚なサージェスもさすがに怒りが頂点に達す。そして、衝動的にアリュオンの胸倉を乱暴に掴んだ。
「お前! 〝怪物〟の聖域がどういった場所なのか分かってんのか!?」
いきなりのことに、アリュオンは目を真ん丸にする。
反論しようにも圧倒され、ただ口ごもってしまう。また視線を外すこともできず、サージェスの憤怒の双眸に委縮し続ける一方。
「よせ、サージェス」
力のこもった彼の腕に触れ、グライフが諭す。
「アリュオンの馬鹿野郎が『約束』をしてしまった以上、どう足掻こうともこの船は聖域に行く――今、どこにいるのか分かっていないわけがないだろう?」
サージェス自身、どうしようもないことは重々既知していた。だから、すんなりとアリュオンを解放する。それでも滾った怒りの矛先を、すんなりと納めることができずにいた。
誰かに、何かにぶつけるわけもいかず、サージェスは小さく吠えたあとに船内に戻っていく。
さすがのアリュオンも、気まずさに何も言えずにいると、
「もう決まってしまったことだ。ここ、モービー・ディック海域は白鯨海だ――他ならない〝白鯨〟の領域に俺達はいる。お前が悔いたところでどうにもならん」
「親父……」
落ち込み、うなだれるアリュオンの頭に、グライフが優しく手を置く。
「アリュオン、お前が『約束』をしたんだ。だから、どんなことがあってもお前が最後までつき合えよ――それは俺やサージェスでもない、他ならないお前だけの役割だ」
ぽんと叩き、グライフもまた船内に戻る。
その背中をアリュオンは見つめ、託された役割を果たす覚悟を決めた。
――決めた気でいた。
何せこの時はまだ、言葉の意味と重みを理解してはいなかったのだから。