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最果てのテスタメント  作者: pu-
第一章 怪物が蒼海に誓ったこと
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4.紅き印章

「さて、どういうことでしょうか大尉?」


 溜め息とともに吐かれる、呆れ疲れた声。

 船内に設けられた、さほど広くはない室内にてルミナ・セトラヴァディンは眼鏡を外し、天井を見上げるように眉間を押さえる。

 作業をすることためだけに作られた、質素な机と椅子。それに腰かける男は若い。二十代半ばといったところだ。その隣に立つ少女はその瞳で、常に正面の男を睨んでいた。


 ルミナはイルレツァリア帝国に雇われた戦略指導家。《博雅の()》と呼ばれる無国籍の組織に所属している。

 その会員が着る白い外套の胸元には『神堕とし』の意を持つ『逆さ吊りの太陽神』の紅い紋章が刺繍されていた。

《博雅の徒》の目的は、創立者であり初代会長でもあったティレスタ・エスタレウカが掲げた『全知の解明』。

 そのためには一切の手段を問わない。今回のように一国に手を貸すようなことも。


 そんな彼の正面で何も言えず立ち尽くしているのは、三〇代を折り返したばかりのがっしりとした体躯の海軍将校デイラー・ウォルドーだ。

 威圧だけなら軍将校である彼の方がある。それに二〇代の最後に大尉まで昇りつめた矜持も。

 だがそれでも、別の空気が彼を押し潰していた。

 眼鏡をかけ直し、深く不快な溜め息をするルミナ。向ける金色の瞳は酷く冷たい。

 それにデイラーの心臓が緊張に跳ねたのを、ルミナは表情から理解できた。


「わざわざ、貴族達の社交界に紛れての輸送なんていうことをしたのに……一体、あの馬鹿な貴族達を集め、満足をさせるための準備だけでいくらかかったか、あなたはご存知ですか? そして、彼らへの賠償がいくらになるかも……」


 求めている返答が、金額でないことくらい察してくれているだろう。どうせ払うのは帝国だ。ルミナでなければ《博雅の徒》でもないのだから。

 一つ一つ、丁寧に並べていく。彼が見たくもないものを。失態を。


「私達のこの船。ドゥンケル・ハイト号が着く頃には、無事に例の荷物が軍港にあるという話ではなかったでしょうか?」


 暗躍船という二つ名を持つ小型船、ドゥンケル・ハイト号がこのドレッシア軍港に着いたのは約一時間前――つまり、ローゼ・エーデルシュタイン号の襲撃が終わってから(海賊達の蹂躙はほんの三〇分で終了した)三時間後ということだ。

 さらにローゼ・エーデルシュタイン号が軍港に着いたのが二時間前。

 貴族達に対する説明と謝罪はまだ終わっておらず、今なお別室で全体説明が続いている。


「どこで情報が漏れたのか。それとも単に運がなかったのかは分かりませんが、そういった事態を未然に防ぐために海軍がいるのではないですか?」

「しかし、今回襲撃して来たのは、《ブルーレイス》と呼ばれる海賊でして――」

「海軍が海賊を褒め称えるとは……いやはや、世も末ですな」


 くつくつと笑うルミナ。

 まだ指で数えるほどしかデイラーとは顔を合わせていないが、彼の洞察力とコミュニケーション能力が高いのはすでに承知している。

 だから、こちらが腹の中で怒りを滾らせていることを理解させるために、おかしくもないのに笑っている。それもきちんと伝わっているはずだ。本心ではそんなこと微塵も思っていないが。

 腹の内では嫌な男とでも思っているだろう。表情に出さぬように堪えているのが、ルミナには手に取るように分かった。


「概ね耳に入っていますよ。突っ込んで来た海賊船との交戦中に、別の仲間の海賊に豪華客船の船内占拠を許した――ま、よくある話ですね。軍艦一隻を撃沈されたという以外は」


 軍艦といっても碌な武装も備わっていない小型の船だった。が、軍艦であることには変わりない。海賊に沈められたなど、表には出てはならない大失態だ。

 ルミナ自身、この作戦が成功するなど思ってもいなかった。


 そもそも今作戦は、表向きは軍のスポンサーである貴族達の護衛ということだったので、人員は極端に減らされ、軍艦は小型船一隻しか用意できなかった。大尉であるデイラーが責任者に押しつけられるくらいだ。

 どこでも軍人というものは嫌われているのだ。そのため、貴族が飼っているご自慢の兵が混在する、酷く戦力の低い護衛と成り果てていた。

 今作戦の惨状を例えるなら、『繁華街の中央で、金の延べ棒の山を野猿と一緒に守れ』と言われているようもの。襲われないことを神に祈りながら臨む、とてもではないが作戦とは呼べぬものだった。


「あの船に何が入っていたのか、あなたはご存知で?」

「いえ。詳しくは……」


 デイラーが知らないのは無理もない。帝国の佐官以上の階級を持つ者にしか、今作戦の詳しい内容を知らされていない――ちなみに《博雅の徒》が帝国に加担する場合、一時的に少佐以上の地位を与えられる。現にルミナは少佐の地位を与えられていた。

 それ故に、デイラーを始めとする現場の人間は、隠し場所すら知らされていなかった。最悪の場合を想定して教えて欲しいという上告があったものの、破棄された。


「正確には、宝箱を開く鍵のようなものだったのですがね。世界を支配できるほどの宝が入った……まぁこの際、あなたにも説明しなければいけませんね。何を運んでいたのかを」


 ごくり、とデイラーは唾液を嚥下する。

 一呼吸ののち、「〝白鯨〟の咎人です」ルミナが言う。


「〝白鯨〟の咎人?」


 彼には珍しく、ぽかんと間抜けな表情を浮かべた。

 当たり前だ。満を持して出てきた答えが、あまりにも(・・・・・)肩透(・・)かしなもの(・・・・・)なのだから。

 しかし、それもすぐに険しいものへと変化する。答えのおかしさに気づいたのだろう。

 帝国だけでなく、多くの国が〝怪物〟の咎人入手に暗躍している。表立って行わない最大の理由は、種族によっては単体で軍艦一隻を凌駕する戦力を保持しているためだ。

 だがそれなら、尉官以上の階級を持つデイラーにも知らされるはずである。帝国の秘匿軍規ではそうなっているのだから。


(それに、『宝箱を開く鍵』という言葉にも引っかかっているみたいだな)


 特段、凝った比喩表現をしたわけではない。いやむしろ、その単語通りの意味として捉えていい。

 デイラーもそれは分かっているだろう。馬鹿にも分かりやすいようにして噛み砕いてやった。そう言わんばかりの嘲った表情まで浮かべてあげたのだから。

 奥歯をきつく噛むデイラーに、嘲笑の混じった苦笑いをルミナは向けた。


「深く知らなくてもいいんですよ? ただ、この〝白鯨〟の咎人を探せばいいんです」


 差し出された一枚の写真には、浮世離れした白く美しい少女が映し出されている。

 デイラーが過去に数体の〝怪物〟の咎人と接触していることは知っている。故に、困惑しているだろう。目の前に差し出された咎人は、他の咎人と大差はないのだから。


 しかしデイラーは、「了解しました」そう短く口にするだけ。

 問わないのはこれ以上、自分を不利にしても意味がないと察したのだ。

 ぱんっ――唐突に、ルミナが両掌を叩く。『神堕とし』の紋章を抱いているのだから当然成功を願った柏手ではなく、単に話を終わらせる合図だ。


「さて、メーア。あなたはどう思います、この失態の決着を?」


 デイラーの視線がルミナの隣に向く。恐怖が瞳の奥からその顔を覗かせていた。

 エメラルドグリーンの長い髪を持つスーツ姿の彼女は、黙ったまま瞑目する。

 見た目からすれば、《博雅の徒》の会員と同い年かそれ以下だ。が、そんな杓子定規な考えは彼女の前では無意味だ。何せ、人間とは決定的に違うのだから。

 人智をいとも簡単に踏み躙る、究極の暴力を持っているのだから。


 存在するだけで恐怖を与える彼女は、蒼海(メーア)そのものを切り取ったような瞳――〈蒼海の瞳〉と呼ばれる〝怪物〟の証たるそれでデイラーを見、小さく口を開いた。


「小さな罪であろうとも、罰は下すべきだ」

「だそうです、大尉」

「なっ!?」いきなりのことにデイラーは混乱する。「待ってくれ! 挽回する機会を――」

「責任者は責任を負うのが役割だ。でなくては、組織としての示しがつかない」


 言葉に、ルミナが口を掌で覆いながら――吊り上がった口角は隠せていない――頷く。


「腕一本くらいなくとも、口先はありますからなんとかなるでしょう。ね、大尉?」


 ルミナが満面(あくま)の笑みを浮かべた瞬間だった。デイラーの右腕が跡形もなく消えていたのは。

 いや……ある。足元に! 自分の足元に! 絨毯に現れた、真っ赤な泉の中に! 

 今の今まで思うように動いていた自分の腕が、何をどうしたところで動かない! 動いてくれない!――そんな混乱が、彼の挙動一つ一つから如実に伝わって来る。


 血が吹き出る千切れた肩口を押さえ蹲ってもなお、デイラーが痛みに叫びのたうち回らないのは、最後の抵抗であり、同時に砕かれた矜持の欠片を落とさないようにする意地。唇を閉じ、歯を食いしばり、口内で膨れる絶叫の塊をなんとか出さぬように耐える。


「優しいとは思いませんか? 軍法会議なら真っ先に極刑ですよ? 何せ、奪われたものは世界の一〇分の一を支配できる力を手にする鍵の一つだったんですから」


 苦悶の中で、まるで絵空事のような言葉を彼が理解できるだろうか。

 それでも構わずに続ける。少しでも希望のようなものが耳に残れば、彼はまだ充分に利用価値が出てくる。


「まぁ、あれは保険でしたからね。なくてもどうにかしましょう。最悪、メーアがいれば、微調整こそありますがなんとかなります――世界を支配する宝を手に入れるには」


 世界支配。それは権力を手にした者の究極願望たる、妄想。

 果たして誰かの思いのままとなった世界と、そんな妄想に固執し続ける世界。そのどちらが、真に狂っているのだろうか。

 少なからず、この世界はその選択ができる段階にまで来てしまっている。

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