3.黒き船出
大海原に一隻の船。風を受けて膨らむ海賊旗には、王冠を被った白い髑髏とその左右に嵐を模った紋章が描かれている。
海賊船シュトゥルム・ケーニヒ号。
《ブルーレイス》一味が乗るこの船は他の船よりも巨大で、伊達で『嵐の王』の名を冠しているわけではない。
元々イルレツァリア帝国海軍がツェツィンデヌ社に製造させたその当時の最新艦であり、元帝国兵だった(?)グライフ船長が奪ったという話だ。真偽は定かではないものの、船内には海軍から鹵獲したと思わしき武器や航路図などが確かにある。
甲板の上では、海賊達がひと仕事終えた高揚感と手にした戦利品の数々に興奮していた。
自らの活躍を遜色たっぷりに自慢する者や、まだ配分の終えていない宝石を身体中に纏って笑う者。中には奪った高級酒と料理――袋に詰め込んだせいで、シェフの腕が光る艶やかな盛りつけの跡形は全くない――で宴会を始める者までも。
そんな彼らを取り纏める操舵手のサージェスは、とてつもなく厄介な戦利品を目の当たりにして軽い頭痛を覚えていた。
「気持ちいい」
白い少女は潮風を受けながら、細くした青い瞳で水平線の先を眺めていた。
厄介な戦利品を半眼で見ながら、サージェスは深いため息をつく。その後ろでアリュオンとコラルダが何やら揉めており、頭痛が酷くなる。
「お前、いくら宝が見つからないからって人攫いはどうなんだ?」
「だから! 違ぇって何度も説明してんだろ、バカ!」
殴りかかろうとするものの頭を押さえられ、拳はコラルダの遥か手前で空を切る。何度もやるが結果が変わることはまずないだろう。
「あの子が連れて行った欲しい場所があるっていうから、俺は連れて来たんだ!」
「それでも立派な誘拐だ――いや、誘拐が立派って意味じゃないぞ?」
(誘拐かどうかなんて瑣末なことは問題じゃないんだけどな、コラルダ……)
サージェスが胸中で諦め気味にぼやく。
俄かには信じられないそれに、平静を装っているものの、内心はみっともなく慌てふためいていた。何度も何かの間違いだと、胸中で泣き言を喚きながら確認する。しかし、額の突起と青い瞳が現実だと正してくる。
以前、酒場で自慢げに『知識を得れば得るほど、人間は恐怖に囚われていく。何故なら未知こそが、人間の最大の恐怖なのだから』と話していた学者の言葉を思い出した。
今ならその意味が分かる。
知識があるが故に怖い。できるなら、今すぐアリュオンの脳味噌と自分のものを入れ替えたい。知らない方がよっぽど幸せだ。
そんな馬鹿げた妄想を抱いて現実逃避を図ろうとする自分の思考を、頭を振って現実へ呼び戻す。もう起こってしまっているのだ。何をしたところで、受け入れるしかない。
「とりあえず、今から親父を呼んでくるから」
目眩までしてきた。思わずサージェスは顔を覆う。
グライフにこの事実を報告するため、船長室に向かう――途中、アリュオンの馬鹿に一つ言わなければいけないことを思い出し、肩越しに振り返る。
「あっ、あとなアリュオン。お前はもっと協調性ってもんを持て。お前一人が勝手に突っ走ると、他に迷惑がかかるんだ。この注意、もう何度目だ?」
「あぁ、はいはい。以後、気をつけますよ」
反省する気のない少年を見、サージェスは肺の奥底から深いため息を吐き、重い足取りで船内に戻る。その様子を見ていたコラルタは、にやにやと嫌な笑みを浮かべていた。
「アリんこ、また怒られてやがる」
「アリんこって言うな、馬鹿コラルダ」
「お前はもう少し語彙を得た方がいいな。二言目には馬鹿しかつけらんねぇんだから」
ふん、と鼻を鳴らすコラルダ。普段は楽しいやつなのだが、何かにつけて他人(年下に限る)を見下し、馬鹿にするこういうところは嫌いだ。
「で、君の名前は?」
「〝白鯨〟」
コラルダの問いに遠くを眺めていた少女は、振り返って答えた。
途端、アリュオンとコラルダの表情が、ゆっくりと強張る。
二人とも何度か鯉のように口をぱくぱくと開閉し、揃って『〝白鯨〟って、あの〝白鯨〟!?』
「どの〝白鯨〟?」
二人同時の質問に、白い少女は間髪容れず、無表情のまま首を傾げる。
「どのって、〝七番目の怪物〟の〝白鯨〟なのっ!?」
少女が頷く。何に驚いているのか、いまいち分かっていない表情を浮かべながら。
「でもでもでも! どうして、女の子?」
「それは、私が咎人だから」
その海のように青い瞳をアリュオンに真っすぐ向け、続ける。
「罰として、私は人間の姿をしている」