2.七色の夢
アリュオンは目の前にいる、絶世の神々しさを醸す少女から目が離せないでいた。
何よりも白い、短めの髪。半分閉じた瞼の奥からは、海のような綺麗な青色を覗かせている。
視界から外せない美しき少女。まるで時間が凍りついてしまったかのようだ。
それが溶けたのは、膝を抱えたままじっとする少女と目が合ってから。
青い双眸は、無言のままアリュオンを捉える。
「止まってる……」
なんて呟き、むっくりと少女は立ち上がる。身長はアリュオンよりもやや小さい。
少女はきょろきょろと辺りを一瞥し、「行くしかないか……」アリュオンから見て正面の壁まで歩く。
そして、白い少女はおもむろに、白くて華奢な掌を壁に添えた。
次の瞬間に起きた光景に、アリュオンは言葉を失う。
「これくらいか……」
なんと、白い少女は壁をすり抜けた。
(いや違う)
アリュオンは胸中で、今確かに起こった現実を修正する。
すり抜けではなく、少女に触れた壁に穴が空いた――これが正しい。
白い少女が通り抜けたあとには、くっきりと少女の形通りの穴ができ上がっている。
驚きのあまり固まっていたが、そこから覗ける少女が隣室の壁を再び空けたところでようやく我に返った。
「ちょっ!? どこ行くのさ!?」
アリュオンは慌てて少女を追う。どこに向かっているかは分からないが、少女の進む方向は船内の奥――つまり、戦闘が激化しているであろう場所。
何度かかける制止の声を完全に無視しながら、少女は真っ直ぐ進んでいく。
壁があろうが棚があろうが、なんなら金庫でさえも関係なく(残念。空だ)どんどん通り抜けていく。もちろん、彼女が通った跡は鮮明に残っている。
壁の穴は少女の大きさそのものであるためアリュオンには小さいものの、身体の向きや高さを上手く調整すれば抜けられないこともない。
三部屋目を通過したところで――意外に少女の足が速く、またアリュオンが穴抜けに手こずっていたため差が開いた――、貴族達が監禁されている部屋へと少女が侵入した。
『えっ――!?』
貴族も海賊も、揃いも揃って同じ顔を浮かべる。何が起こったのか、現状を理解できていない間抜け面を。
だが無理もない。いきなり壁から白い少女が現れたのだ。驚かない方がよっぽどどうかしている。
ただ、それを傍から見ていたアリュオンは、次に起こるかもしれない事態に背筋を冷やした。
(人も貫通するんじゃないだろうな!?)
少女の形に抉られた惨殺死体を浮かべ、アリュオンは制止させようと走る。
「どいて」
が、心配をよそに少女は仲間の海賊と貴族達を両手で無理矢理どけたり、避けたりしていた。どうやら、人は通り抜けられないらしい。
それからあっという間に、少女は次の部屋へと壁を貫いて進む。
「アッ、アリュオン! てめぇ、あれは――っ!?」
「俺が知るかよ!」
呆然とする貴族と仲間の海賊を尻目に、アリュオンは少女を追う。
次の部屋へと繋がる穴を潜ると、白い少女は何故か部屋の真ん中で立ち止まっていた。
ここぞとばかりにアリュオンは全力で駆け、ついに少女の目の前まで辿り着く。
息を切らせる彼を見、少女が呟いた。
「……ところで、あなたはなんでついてきているの?」
純粋無垢な青い瞳に見つめられ、アリュオンは思わず頬を赤らめる。
目を合わせるのがどこか気恥しくなり思わず視線を逸らすと、その額に申し訳なさ程度にある、白乳色に輝くこぶのようなものが目に留まった。それはまるで、角のような……
「どうして?」
再度訊ねられ、アリュオンははっとした。
小さく頭を振る。今は少女の額にある、よく分からない物体を見ている場合ではない。
「いや、どうしてって……この先は多分、戦闘が行われているから!」
「そう」
興味がなさそうに踵を返し、少女はさらに奥に進もうとする。
咄嗟にその少女の細い腕を掴む。よく分からない力を持っているとはいえ、女の子を戦場に行かせるわけにはいかない。
「だから行っちゃ駄目だって! 危ないんだってば!」
「でも、この船は止まってしまった」
怒るわけでも困るわけでもなく、少女はただ淡々と現状を口にする。
一体何が、彼女をそこまで進ませようとするのか。よほどどこかに行きた居場所があったのか、それとも単にこの場所から離れたいという恐怖から来る錯乱なのか。
理由はどうあれ、とにかくこの場から離れて少女を保護させるべきだ――それに自分は、価値のあるものを早く見つけなければいけない。
何か言おうとアリュオンが口を開くと、先に白い少女がそれを遮る。
「あなたは……なんなの?」
「俺? 俺はアリュオン――あの有名な《ブルーレイス》一味の海賊だ!」
これがアリュオンの自慢。《ブルーレイス》は名の知れた海賊であり、それだけで逃げる者さえいる――ただ彼が言うと、『そんなわけがない』と馬鹿にされるのだが。
「海賊……」
ぴくり、と本当に僅かなに興味らしきものを示す。
終ぞ反応らしきものを見せなかったお陰で、それははっきりと分かった――それがどこか、アリュオンは嬉しかった。
「一つ頼みがあるの。もう、この船では無理みたいだから」
「頼み? おう! なんでも言ってみな!」
思ってもいなかった彼女からの要望に、ここぞとばかりに意気込む。
この時の彼の頭の中には、『何か宝を見つけなければ馬鹿にされる』という思考が完全に奥へと引っ込んでいた。
少女の願いを叶えてあげたいという純粋な良心と、可愛い子の前で恰好をつけたいという下心。それらが同居して、先の思考が入り込むスペースを奪っていたのだ。
「私を聖域に連れて行って欲しい」
熱のこもっていたアリュオンの頭が、たった一言で冷める。
知識が芳しい方ではないアリュオンとはいえ、海に生きる者としてその単語――『聖域』が意味するものくらい分かっている。
聖域とは、七つの海にいる〝怪物〟の棲み家。
人知を超えた、神話の時代からこの世界に君臨する暴者が棲む場所である。
――はずなのだが……
「よし! 聖域だろうと世界の果てだろうと、なんなら新世界にだって連れてってやるよ!」
完全に熱が冷めていたわけではなかった。むしろ、再燃してしまった。
か弱き者の願いを叶える。
まさにそれは、夢に描いた理想の姿の一つだったから。
「だから、俺と一緒に来て!」
少女が頷くと、半ば強引にその手を掴む。それまで進もうとしていた方向とは真逆の、自分達が侵入してきた時に使った小舟が留まっている場所に向かう。
少女の白く小さな手は、温もりはあれどどこか冷たかった。