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最果てのテスタメント  作者: pu-
第一章 怪物が蒼海に誓ったこと
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1.青の世界

 それはまだ、世界が空白だった時代。

 天から注がれた一滴の水が、この世界に海を生んだ。同時に、その海に全てを叩き潰す〝始まりの怪物〟が生まれた。

 それでも空白は埋まらず、天から再び一滴の水が注がれた。


 二つ目の海には、全てを踏みつける〝二番目の怪物〟が生まれた。

 だが、世界は空白ばかり。そのため天から次々に水を垂らす。


 三つ目の海には、全てを覆い隠す〝三番目の怪物〟が。四つ目には全てを捕まえる〝四番目の怪物〟。五つ目には全てを拒絶する〝五番目の怪物〟。六つ目には全てを洗い流す〝六番目の怪物〟が生まれた。

 そして、最後の空白を埋めるために天から雫を注がれ、七つ目の海と全てを貫く〝七番目の怪物〟が生まれた。



 全ての空白は埋まったが、できあがったものは全てが海で満たされ、〝怪物〟達の聖域の境界が分からなくなってしまった世界。

 その不確かな境界は〝怪物〟達に不信を生み、やがては自らの聖域を守るために争い出してしまう。

 始まりすら思い出せないほど長期化した戦争に、〝始まりの怪物〟は天に境界を引いてくれるよう願う。

 他の〝怪物〟もまた希う。


 願いに応えるべく天は、境界を引くために無数の雨を降らす。

 雨粒は海を穿ち、広がった波紋は大地を隆起させた。

 そして、大地に〝八番目の怪物〟が生まれる。

 その彼らには、自らを守る聖域は与えられなかった。

 何故なら、彼らには海が存在していなかったのだ。


   ――ティレスタ・エスタレウカ著『水伯』の原典より 


  ◇◆◇◆◇◆


 青空をそのまま映したような蒼海が地平線の彼方まで広がり、海面を薙ぐ風は撫でる程度の穏やかさ。

 初夏の風は暖かさとともに心地よく潮の香りを運ぶ。

 立つ波は僅かに青色の海を歪める程度。むしろ、太陽の光をより煌かせている。

 陽は遥か天壌まで昇り、その下で渡り鳥達が時折、鳴き声を上げながら彼らの目的地へと力強く羽ばたいていた。

 それはなんてことのない、ありきたりな光景。

 このモービー・ディック海域は、まるで眠っているかのように穏やかであった。


 ――が、海には突如として目覚める時間が存在する。

 豪華客船ローゼ・エーデルシュタイン号。

 その豪華絢爛な内装に、一般庶民では見たことはおろか、名さえ知らない世界の海から取り寄せた数々の食料が並んでいる。それはどれも、超一流のシェフ達が自らの技術を最大に生かして拵えていた。

 そんな美しく配置された空間で優雅に振舞っていた貴族達が、乱暴に開いた扉を見て下品な悲鳴を上げた。


「きゃああああああ!」

「なんだ!? なんなんだ!?」

「――海賊!? 海賊だ!」


 嵐のように人々は荒れ狂い、高潮のように武装した海賊は押し寄せる。

 煌びやかな服装に身を纏うせいか、貴族達の動きは実に緩慢。

 贅の限りを尽くした彼らはただですら身体能力が劣っているというのに、自らが持つ貴重品やら衣装を気にするためいとも簡単に無力化されてしまう。


 四散する貴族達の間を縫い、この船には似つかわしくない野生染みた者達が奥へ奥へと雪崩れ込む。

 彼らの焼けた肌は貴族達の白い肌もあるせいで嫌というほど視界に入り、逃げ惑う者達を畏縮させていた。


 今回は人質の所持品を奪ってもいいと言われているためか、若い者達は目的そっちのけで縛りつけた貴族達の装飾品を奪い続けている。ここぞとばかりに食事まで貪る始末。

 命を奪うことと、人質を辱めること。それに無駄な暴力。

 彼らの掟に触れることさえしなければ、大体はお咎めがないので仕方ない。

 しかし、中にはそんなものには目もくれない者がいる。


「くそ! お宝はどこだよ!?」


 一見、この荒れ狂う海にはついていけそうにない幼い黒髪の少年アリュオンが、喚きながら廊下へ飛び出す。

 身長は他の男達よりも遥かに小柄で、年齢もだいぶ離れているであろう。

 ただ、その黒い瞳は誰よりも純粋に輝いている。たとえ、焦っていようとも。


「小僧! 覚悟しろ!」


 いくら幼かろうとも、アリュオンも一端の海賊である。

 物心がついた時から、この雰囲気に揉まれているのだ。

 素人に毛が生えた程度の剣術しか扱えない護衛兵の横薙ぎに払う斬撃など、上半身を屈めるだけで躱すことができた。

 そして、遠心力によって空振りした刃に身体を持っていかれた者を無力化することなど、子供でもできる。

 完全に無防備状態の顎目がけ、掌底を思いっきり突き上げればいい。それだけで、人は面白いように倒れる。


(早く宝物庫に行かないと! また何もできなかったら、みんなに馬鹿にされる!)


 廊下は広く作られているが、ごった返した状況ではまともに動けるスペースはない。

 揉みくちゃになる者達の間を縫い、迫る護衛兵の攻撃を掻い潜りながらひたすら走る。

 腰には護身用の短剣が収められているものの、抜く気はない。他人に構っている暇はないのだ。相手を倒すことはつまり、時間のロスになる。

 そんな些末なことさえ惜しむほど、焦燥は膨らんでいた。


 逸る気持ちをなんとか抑え、アリュオンは必死に船内経路を思い起こす。

 一応、船内図には目を通した。

 このツェツィンデヌ社が設計したローゼ・エーデルシュタイン号がよほど改装されていない限りは、図面通り頭の中に叩き込んでおけばいいと親父――船員はみな、船長であるグライフ・ジャンパールをそう呼ぶ――は言っていた。


(……どうして、ざっと目を通しただけで覚えられるんだよ)


 雑用くらいしかやらせてもらえない下っ端のアリュオンが見た時間など、十秒にも満たないほどで、群がる仲間の隙間から覗いた程度。

 なので当然、頭に入るわけがない。

 船奥に行くのは場数を踏んだ戦闘員の仕事で、子供の出る幕ではないと言いたいのだろう。


(じゃあ一体いつになったら、そこを踏ませてくれるんだよ!)


 愚痴ったってしょうがないことは分かっている。だが、納得はいかない。

 やり場のない怒りを腹に抱えながら、とにかく宝がありそうな場所を探す。


「おい、アリんこ!」

「アリんこって言うな!」


 正面。貴族達を縛り、適当な部屋に押し込む海賊の中にいる二つ上の青年コラルダの悪口に、アリュオンは腹の底から叫んだ。


「お前、なんで事態鎮圧に参加してないんだよ!」

「うっせえ! 俺にはもう、あとがないんだよ!」

「なんの話だよ!――って、お前!」


 コラルダの叫びは、横切るアリュオンの耳には届かなかった。

 廊下を駆け始めてから三、四分経ったであろうか。仲間の首尾の良さもあり、廊下はゆっくりだが確実に鎮圧、制御されている。進めば進むほど人が少ない。


(やっぱり、すごいんだな)


 手際の良さに素直に感心した。そして同時に、そうなりたいと心の底から思った。

 いつか親父の隣で戦いたい。強く頼りになる男と認めて貰いたい。その意志が、アリュオンの気持ちを余計に急かせていた。

 僅かに残る護衛兵や逃亡者など眼中にはない。

 彼に見えているものは、煌びやかな装飾が施された扉のみ。

 この中のどれかに、お宝と呼べるものが存在しているはず。そう願う。

 部屋のプレートに目を通していと、一つ目に留まるものがある。『客室』。


「しめた!」


 アリュオンは飛びつくように扉に張りつき、中の音を窺う――特に物音はない。

 何も別に宝物庫に行かなくてもいい。豪華客船などという名を冠しているのだ。各部屋には豪勢な造りに見合った装飾品があるはずだ。

 客室なら来客に見栄を張るのだから、なおさらだ。それにトイレさえ、純金がふんだんにあしらわれているという話だ。


 興奮のあまり激しくなる動悸をなんとか抑えながら、アリュオンは手早く扉を開く。

 そして、目の前には豪華絢爛な装飾人の数々が――


「――……ない」


 呆然と立ち尽くす。

 棚とテーブルとソファ。それ以外のほとんどが、綺麗なまでにない。

 少しばかり物はあるものの目ぼしいものは見当たらない。どうやらすでに誰かに奪われてしまったようだ。

 ただ、これがまだ仲間が奪ったのならいいが、客がどさくさまぎれに火事場泥棒紛いなことをしていたら堪ったものではない。

 溜め息を一つつき、肩を落としながら部屋を出ようとすると――


「ん……?」


 ――真正面にある、大きな本棚の下部分。観音開きの扉が少しだけ開いた。


 気配を探られないよう、足音を忍ばせながら近づいていく。

 大人一人がやっと入れそうな、あまり大きくはない棚。

 その中に人が入っていたとしても、それは脅威に及ばない。

 隠れているということはつまり、現状では戦意がないということだ。

 騙し討ちだとしても、そもそも誰かがいるということが分かっているのだからすでに失敗している。攻撃してきたとしても、初撃さえ躱せば済む。

 だがそれでも、警戒を怠ることはない。慎重に距離を縮め、意識を一点に収斂させる。


 扉の闇から、徐々にその姿が現れていく……


(……白?)


 白い何かがそこにはある。

 アリュオンはその見事な白さに、目を奪われてしまった。

 その『白』は、今まで見てきたものよりも遥かに白い。

 純白とはまさに今、目の前にあるもののことを指すのであろう。

 その色の印象が強すぎるためか、なんなのか判断がつかない。


 ――と、この時にアリュオンは犯した失態に気づく。

 未知の敵に対して、一瞬でも警戒を解いてしまったことに加え、あろうことかそれに目を奪われたことに。

 もし、これがなんらかの罠だとしたら……? 背中に冷たいものが走るのを感じたと同時に、警戒を一瞬にして戻す。


(……他の敵の気配は……ない)


 なら、注意すべき敵は未だ出てくる気配がない白色の何か。

 白色の何かは、アリュオンが俄かに目を放した隙に奥へ引っ込んでしまったようだ。

 しかし、妙である。何故、出てこないのか。こちらの出方でも伺っているのか?


(こんなところで油を売っている暇はないよな)


 敵が出てこないのなら用はない。どうせ扉の奥に大したものはなさそうだ。

 中の何者かが、この部屋の宝の全て抱えているとは到底考え難い。

 それに、できれば隠れるような者の宝は奪いたくない。最低限、自分が狙うものは権力に物を言わせている者達の宝のみだ。

 扉から視線を外さず、姿勢も変えないまま後方に退いていく。


 ――その時、ずどん、という音と共に地面が一瞬だけ沈む。

 急な衝撃にアリュオンはバランスを崩し、肩膝立ちになってしまう。

 その拍子に、扉の奥から何かが飛び出た。


 ごろごろごろ……

 そんな音が聞こえてきそうなほど、体育座りしたまま綺麗に『白』が転がり、アリュオンの足元までやってきた。

『白』と強く認識してしまった、この物体。

 アリュオンの足元に体育座りしたまま横たわっている、それは――


「女の子……?」


 アリュオンは呆然と立ち尽くす。

 固まったまま動かない足元の少女は、身に纏う純白のドレスよりも遥かに白く美しかった。

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