指名夜
ブラックユーモアショートショートです。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
月は毎晩、ひとりの死ぬ人間の名前を告げる。
そして昨夜、その名前が僕だった。
最初にこの現象が起きたのは三年前だ。
満月の夜、空から声がした。低く、よく通る声だった。
「本日、死ぬ者。――田中健一」
翌朝、田中健一という男が事故で死んだ。
偶然だろうと言われた。
だが次の満月も、その次も、月は名を告げた。
そして告げられた人間は、必ず二十四時間以内に死んだ。
外れたことは一度もない。
科学者は調べた。宗教家は祈った。政治家は規制を考えた。
だが月はやめなかった。
ただ一つ分かったことがある。
予告された死は回避できない。
警護をつけても、地下に閉じこもっても、鎖で縛っても死ぬ。
事故、発作、落下、偶発的な何か。方法は毎回違う。
だが結果だけは同じだった。
だから人々は、月の声を聞く夜を「指名夜」と呼ぶようになった。
⸻
そして昨夜。
満月だった。
僕は窓を閉め、耳栓をし、布団をかぶった。
聞かなければ関係ない。そう思った。
だが声は、頭の中に直接響いた。
「本日、死ぬ者。――佐倉真人」
僕の名前だった。
⸻
朝になっても生きていた。
むしろ妙に元気だった。
体調もいいし、視界もはっきりしている。
「案外、外れることもあるのか」
そう思いかけたが、すぐ打ち消した。
三年間、一度も外れていないのだ。
ニュースをつける。
当然、僕の名前はもう出回っていた。
《今夜死亡予告対象者:会社員 佐倉真人(29)》
玄関を出ると、記者がいた。
望遠レンズ。中継車。野次馬。
「いまどんなお気持ちですか」
「死ぬ予定についてどう思われますか」
「遺言は」
質問が飛んだ。
僕は答えず、駅へ向かった。
⸻
会社では拍手が起きた。
「すごいな」「本物だ」「初めて見た」
まるで珍しい鳥でも来たみたいだった。
上司が肩を叩いた。
「今日は帰っていいぞ」
「まだ朝ですけど」
「だって死ぬんだろ」
合理的な判断だった。
⸻
昼。
何も起きない。
事故も、発作も、通り魔もない。
僕はカフェでコーヒーを飲んだ。
死ぬ予定の人間とは思えないほど、穏やかな午後だった。
隣の席の女子高生が小声で言った。
「ねえ、あの人じゃない?」
「ほんとだ、今日の人だ」
写真を撮られた。
⸻
夕方。
まだ生きている。
ニュース速報は出ない。
SNSも静かだ。
胸の奥に、妙な確信が芽生えた。
助かるんじゃないか?
月も間違えることがある。
三年無敗でも、四年目の一回目は外れるかもしれない。
僕は帰宅し、風呂に入り、テレビをつけた。
時計は23時58分。
あと二分。
⸻
そのとき。
スマホが鳴った。
非通知。
出る。
「もしもし」
返事はなかった。
代わりに、あの声がした。
低く、静かで、逃げ場のない声。
「訂正」
背筋が凍った。
「本日、死ぬ者。――佐倉真人ではない」
息が戻った。
「……なんだ」
笑いがこみ上げた。
助かった。外れた。月は間違えた。
奇跡だ。
「びっくりさせるなよ」
僕は言った。
「じゃあ誰なんだよ」
一拍。
月は答えた。
「本日、死ぬ者。――人類」
その瞬間。
窓の外が、昼になった。
いや、違う。
昼より明るい。
白い。
熱い。
世界が音を失った。
⸻
数秒後。
地球は存在しなくなった。
⸻
月だけが残った。
そして次の満月まで、静かに待った。
次に名前を呼ぶ対象はもうなかった。
読んでくださってありがとうございました。
アンデルセンの「絵のない絵本」を今時のテイストでという発想から書いた作品です。
アンデルセンと違って怖い月になりました。
感想や評価をいただけるととても励みになります。




