第八話 憧れは土に、自罰は胸に
化猿を撃破した後、ジアとユヒナはハイネヒに帰り、ユヒナの姉を弔った。
棺桶に寝かせ、ジアが暮らしている家のすぐ裏に埋め、簡易な盛り土をした。
二度とは帰らぬ死者を前に、ジアとユヒナは立ち尽くす。言葉を待つように口を噤んでも、盛り土は言の葉を発してはくれない。
埋葬をしている内に、すっかり日は暮れていた。
「ありがとう、ジア」
ふと、ユヒナはそんなことを口にした。
視線を横にやったジアの瞳孔に映ったのは、おぼろげな表情で盛り土を見下ろすユヒナの横顔だった。
悲しむような、慈しむような、それでいて何かを悟ったような、おぼろげな顔。
「まあ、最期くらいは、せめて……な」
ジアが返せたのは、そんな曖昧な言葉だけ。
ユヒナの姉が辿った運命を、ジアはカラヤシキが語った悪趣味な言葉を通して知っただけ。
実際に姉と共に暮らしていたユヒナの想いも、彼女が死の間際に何を思ったかも、ジアには慮れない。
「姉上は強い人だった。優秀で、何でもできて、ちゃんと自分の力で生きていける。少し気が強くて怒りっぽいけど……本当に、すごい人だったんだ」
ユヒナが語り出した言葉は、誰に聞かせるためのものだろう。
隣に立つジアに、目下で眠る姉に、或いは己自身への独白か。
「姉上と比べて俺はダメダメで、いつも姉上の後ろに隠れてばっかりで。俺も姉上みたいに頑張ろうと思ったんだけど、それも上手くいかなくて。……結局、姉上に助けられて、迷惑かけてばかりだ」
ユヒナにとって、姉は常に自分を助けてくれる存在だった。
強くて優しい姉はいつもユヒナを庇い、ユヒナのせいで海を越えた地に連れ去られ、ユヒナのせいで死んだ。
何か一つでも返せただろうか。
いつも自分を助けてくれた姉上に、ユヒナは何か一つでも返せるものがあっただろうか。
自分のために姉の命を食い潰したという罪悪感が、ユヒナの胸には蟠っていた。
「それで、今度はジアに助けられた。俺は……ずっと変わってない。いつまでも誰かに寄生して、人の命を啜ってる害虫なんだ」
ユヒナが最も許せなかったのは、他人に自分を守らせて、肉の盾として使い潰す自分自身。
いつも誰かに助けを求めて、害虫のように寄生している醜悪な精神性。
認められたい、必要とされたい、愛されたい。そんな欲望だけを口にして、自分一人では何一つ為せない虫のよう。
姉上を死なせて、あの家から逃げ出して、今度はジアという新たな寄生先を見つけたに過ぎない。
「俺、なんで生きてるんだろ……」
果てしない自罰は、ユヒナから生きる意味さえ奪い取る。
他者を消費し、自分だけ生かされてきた半生は、ユヒナから自尊心を取り去っていた。
「オレは……ユヒナが生きてて良かったよ。ほら、さっき化猿にやられた傷を治してくれたのもお前だろ?」
ジアはユヒナを慰めようと言葉を紡いだが、生憎気の利いた言葉は出て来ない。
むしろ、カラヤシキに教わった陰陽術を褒められても、ユヒナの表情は晴れなかった。
だから、ジアは本当のことを言うことにした。
「昔、両親が死んだんだ」
ポツリと、ジアが吐き出した告白。
「朝起きたら、親父もおふくろも死んでた。誰にやられたのかも分かんねぇし、なんでオレだけ生きてたのかも謎だ。ただ、気付けば、オレ以外の家族全員が死んでたんだ」
苦笑交じりに話すジアは「髪と目がこんなんになっちまったのもその時だっけな」と付け加えた。
ジアが語る出来事は、今から数年前の事件。
まだ幼かったジアの身に起きた、あまりに唐突で凄惨な殺人事件。
「親父とおふくろの死体を見て、オレは何も思わなかった。ひでぇだろ。今まで大事に育ててくれたってのに。親の死に目に涙の一つも流さないなんてさ」
ジアは両親に愛されていたし、ジアもまた両親を愛していた。
そこに一切の嘘や欺瞞は無く、ジアは誰がどう見ても、愛のある暖かい家庭で育った少女だ。
ただ、その家庭が失われても、何も感じなかっただけ。
「分からなくなっちまったんだ、あの日から。何が悲しくて、何が嬉しいのか。子供の頃は些細なことで泣いたり笑ったりしたはずなのに、今はもう何も分からない」
それはジア・エルマが両親と共に失ったもの。
あの日、致命的にズレてしまったもの。髪と瞳の色と同様に変質した本性。
正常から異常へ。内側から外側へ。人間から怪物へ。
ジアは両親の死と共に、人間性を失っていたのだ。
「だから、お前は凄いよ、ユヒナ。家族の死を悲しめるのは、お前が優しい証拠だ。お前みたいな優しいやつはさ、人から助けられて当然なんだ。助けた側も……少なくともオレは後悔してない。結果、お前を助けたことが原因で死ぬことになっても」
ジアには眩しかった。
この二年間、ユヒナの人間性を見てきたジアにとって、ユヒナは自分に無い物を持っている存在だった。
誰かを想い、誰かを慈しみ、誰かを悼み、誰かに憧れる。そんな人間性の数々がジアには眩しかったのだ。
「ほら、行こうぜ。ギルド。一応、害獣退治の報告と、あとは……あの化猿の死体処理か。色々頼まなきゃいけないしな」
お互いに、失ったものは数知れず。
それでも前を向いて、などと言えるほど単純な話でもない。
ただ、今はそれだけで良かった。
同じ場所で息をしているというだけで、ほんの少しだけ、救われていたのかもしれない。
ジアも、ユヒナも、同様に。
「うん、ありがとう。ジア」
すっかり日の暮れた夜道。
二人は並んで歩き出した。




