第三話 病は癒えず、黒鉄は兆す
ハイネヒは小さな村だ。人も少なければ、店も少なく、ついでにまともな仕事も少ない。
そういうわけで、日銭を稼ぐためには、ハイネヒの外で仕事を見つける必要がある。
そこでジアとユヒナの二人が訪れたのは、隣町の冒険者ギルド支部。
大きな街には大抵一つはあるその施設は、読んで字の如く冒険者を支援するための組織の支部。
ギルドは依頼という形で冒険者に仕事を斡旋し、仲介料で儲けを得る。
冒険者になるために必要な資格は特に存在せず、十二歳以上であれば誰でも冒険者登録が可能だ。
年齢などいくらでもちょろまかせる上に、規定年齢に満ちない者の冒険者登録もギルドは半ば黙認している状態にあることから、冒険者ギルドで仕事を請ける条件はほぼ皆無と言って良い。
つまる所冒険者ギルドとは、定職に就かない者にはうってつけの、仕事斡旋所ということだ。
「あ、ジアさーん。こんにちはー」
ジアとユヒナがギルドの扉をくぐれば、カウンターの女性が声をかけてくる。
おっとりとした口調の女性は、この冒険者ギルドの受付嬢。
常連のジアは名前を覚えられているどころか、何度か食事にも行っているほどの顔見知りだ。
「ユヒナ君もこんにちはー」
受付嬢はユヒナにも手を振るが、ユヒナはさっと目を逸らす。
ぐらぐらと揺らぐ目で俯き、ジアの後ろに隠れる姿は、照れているというより、怯えているといった感じだ。
「ありゃ」
明らかな拒絶の反応に、受付嬢は少しポカンとする。
「悪いな。ガキなんだ」
「いえいえー、可愛いですよー」
ユヒナの怯えた態度に気を悪くした様子も無く、受付嬢は笑顔で応対している。
そのありふれた気遣いに、ユヒナは気まずそうに顔を背けた。
ユヒナの女性恐怖症は、ほとんど人間恐怖症の域に片足を突っ込んでいる。
過去のトラウマと結びついているためか、特に女性を恐れる傾向があるが、それ以上に人間そのものに対する忌避感が、ユヒナの中には渦巻いていた。
だが、これでも良くなった方なのだ。二年前は、ジア以外の人間と目を合わせただけで、体調を崩すほどだった。
「そうですねー、本日はこちらのお仕事が――――」
「良いな、それ。そいつで頼むよ。いつも通り――――」
話を進めるジアと受付嬢。
二人の話を聞きながら、ユヒナはじっと床を見つめている。
ユヒナはこの時間が嫌いだった。
冒険者ギルドにはそれなりの人が集まる。ユヒナの容貌は目を惹く。ジアが連れているというのも、注目の的となる一因だった。
周囲から突き刺さる視線が苦しい。そこに悪意は無くとも、醜悪な欲望は無くとも、自分が値踏みされているような錯覚に陥るのだ。
何の役にも立たず、金魚の糞みたいにジアの後ろにくっついている惨めな自分を、物差しで測られている気になるのだ。
「ユヒナ」
心を落ち着かせることだけに躍起になって、荒れそうになる呼吸を抑え込んでいたユヒナに、ジアは声をかけた。
「害獣退治だ。街道沿いの林に出たらしい」
ジアは受付嬢と話をつけたようで、ポキポキと指の骨を鳴らしていた。
ジアが受ける依頼は、決まって害獣退治等の戦闘関連のものだ。
まだ現場に着いてもいないのに、伸びをしてウォーミングアップするジアは、意気揚々としている。
「あ、うん」
蚊の鳴くような声で返事をして、ユヒナは先を歩くジアについて行く。
そうして、ギルドを後にして林の方へと向かおうかといった瞬間、勢いよくギルドの扉が開いた。
「おっはようございまーす!」
大声で中に入って来たのは、一目で冒険者と分かる装いをした少女。
歳はジアと同じくらい。綺麗な金髪を後ろで纏めていて、腰には片手剣を提げている。
彼女だけではない。少女の後ろには眼鏡をかけた長身の青年。ダボっとしたローブを着込み、長い前髪で両目を隠した小柄な少女が見える。
「あっ! ジアちゃんだ! やっほー! 元気? 私は元気だよ?」
弾幕のように言葉を撃ち出す少女に、ジアは溜息を吐く。
「相変わらず声がデカいな、リーニア。朝からお前の相手は疲れるよ」
「もー! そんなこと言わないでよぉ。私とジアちゃんの仲でしょ? これからお仕事? 今日は私のパーティに入ってくれる気になったりしてない?」
「いつも言ってるだろ。パーティはオレに合ってないよ。ヘルプにはたまに入ってるだろ?」
「えぇー! ヤダヤダ! 私はジアちゃんと一緒に冒険したいの! 強敵に立ち向かったり、決戦前の夜にしんみりとした会話とかしたいのー!」
リーニアは子供のように駄々をこねる。
ユヒナが会話に入る隙は無いし、会話しているジアも若干引き気味だ。
「ねえねえ、ダメ? そうだ! ユヒナ君はどう? 私達のパーティ入りたいと思わない? 治癒魔術使えるんでしょ? うちヒーラーいないしぃ、結構良い感じだと思うんだよねぇ」
「え、俺……?」
思わぬ方向からの流れ弾を食らったユヒナは、おろおろと狼狽える。
「俺、俺は……」
急に話を振られたユヒナは、上手く言葉を返せない。
ユヒナが返答に窮していると、眼鏡の青年がリーニアの頭にチョップを叩き込んだ。
「いたい!」
「あまりユヒナ君を困らせてはいけませんよ、リーニア。お二人共、うちの馬鹿が迷惑をおかけしました」
眼鏡の青年は丁寧に頭を下げ、ついでにリーニアの頭を掴んで下げさせる。
申し訳なさそうにする青年だが、頭を上げた後には、こう続けた。
「しかし、勧誘の話は私も同意する所です。治癒魔術の使い手はもちろん、この街にジア以上の前衛はいない。もちろん、無理にとは言いませんが」
青年の言葉に同意するように、ローブの少女もこくこくと頷いている。
一見、リーニアは癖の強い変人にしか見えないが、ここの冒険者ギルドでは一目置かれる実力者だ。
それは眼鏡の青年とローブの少女も同様で、彼らは紛れもない一線級の冒険者パーティである。
そこに勧誘されるジアもまた、戦闘においては相当の実力者である。
「オレの答えは変わんねぇよ。戦闘はテキトーに軽くこなすだけ。オレはそれで十分なんだ。パーティ組んで真剣にやるなんて、土台無理な話だよ」
ジアは一貫して拒絶の意思を示す。
何をどうしてもパーティには入らない。そういう意思の強さが滲んでいた。
「悪いな。それじゃ、オレ達は行くぜ」
「まだ、ユヒナ君の返答を聞けていませんが」
ギルドを去ろうとしたジアの背に、青年が言葉を投げる。
ジアが溜息混じりに振り返れば、眼鏡の青年はしたたかな笑みを浮かべていた。
当のユヒナは、俯きながらも、青年の提案について深く思索していた。
(俺……俺を勧誘? ジアが断った後も訊いてきたってことは、ジアのバーターってことじゃないのかな。俺、この人達に必要とされてる……?)
ユヒナがあの家で習った傷や病気を癒す術は、一般に治癒魔術と呼ばれるものに近い。
使い手が非常に少ない魔術であり、治癒魔術を使えるというだけで、冒険者の間では重宝される。
戦闘の心得が一切無いユヒナを勧誘するのも、決して不思議な行為ではない。
「お、俺なんかで、良ければ――――」
「ダメだ」
ユヒナの言葉を強く遮ったのは、ジアだった。
獣じみた青緑色の瞳孔が、一層険しい色を放った気がした。
ローブの少女は言葉こそ発しないが、ぎょっとしたように体を震わせた。
「本人はその気のようですが……理由をお聞きしても?」
青年は眼鏡を光らせて問う。
ジアの威圧感に屈する様子は少しも無かった。
「こいつを女が二人もいるようなパーティに放り込めるか」
しばらくの沈黙。
青年の眼鏡がずり落ちる。
「え? ちょっと待ってそういうこと? ジアとユヒナ君ってそういうことなの!?」
何でも無いような顔で爆弾発言をしたジアに対して、リーニアは目をキラキラさせて詰め寄る。
「違う。ちょっと黙れ、リーニア」
「えー! 否定しないってことはそういうこと!? そういうことなんだよね!?」
「否定しただろ。話をちゃんと聞け。あと、そのキラキラした目をやめろ。無性に腹立つ」
「個人の関係にどうこう言うつもりはありませんが……束縛が強すぎるのもどうかと思いますよ?」
「あの、これは違くて……」
騒ぎ立てるリーニアに、静かにこめかみをひくつかせるジア。青年はずり落ちた眼鏡を上げ、ユヒナは何とか弁明しようと試みる。ローブの少女は無言のまま、わたわたと右往左往していた。
午前の冒険者ギルド。少年少女の声が響く。
なんてことはない日常の風景。あの日、少年が全てから逃げ出して手にしたのは、平凡で美しい日々の欠片だった。
思わず笑ってしまうような、思い返せば愛おしいような、そんな記憶。
トラウマは根深く、拭いきれない物もある。
それでも、ここに来て良かったと思えるだけの幸福が、ユヒナに与えられていた。
そんな日常のワンシーンに亀裂を入れるようにして、冒険者ギルドの扉が開いた。
「――――――――!」
騒いでいた五人の声が止む。
それほどまでに、彼の存在感は絶大だった。
黒鉄の全身鎧。背負った盾と剣も黒一色という徹底ぶり。兜は脇に抱えて持っていた。
黒一色という色彩センスを除けば、冒険者ギルドで見かける分には不思議の無い恰好。
だが、彼が身長二メートル近い大男であることを考慮に入れても、彼が放つ存在感は強すぎた。
全身鎧で歩いているのに、金属が鳴る音が一切しない。その静謐さたるや、ユヒナの耳でも聞き取れないほどだ。
静謐。故に、異常。パワフルな大男でありながら、繊細で洗練されている。
歩き方、佇まい、姿勢。どれを取っても隙が無い。まさに常在戦場。
一目で分かるほど、あまりに洗練された黒鉄の騎士であった。
「失礼」
男は少年少女に声をかける。
体の芯に響くような低い声だった。
「冒険者ギルドというのは、ここでしょうか?」
重く沈むような低音で、黒鉄の騎士は問いかける。
何てことはない、ありきたりな質問。
日常会話でしかないはずの問いかけが、命を天秤にかけられているような威圧感を纏う。
それは、彼の放つ濃密な死の気配故だろうか。
「ああ、そうだよ。依頼なら、あっちの受付で請けられるぜ」
騎士の異様な雰囲気に呑まれることなく、ジアは淡々と返答する。
「ありがとうございます。依頼は……もう少々後にさせていただきましょう。働くには、些か外が明るい」
騎士は愛想の良い笑顔で返す。
細められた双眸の奥に、こちらの命を狙っているような鈍い光が瞬く。
「それでは」
そうとだけ告げて、騎士は冒険者ギルドを去った。
この時の誰もが知る由も無い、いずれ訪れる崩壊の使者が彼であることには気付かぬまま。
大きな嵐の前兆の如き、静けさを纏う朝だった。




