第二十七話 千年の結末
雨の降る浜辺、向かい合うジアとカラヤシキは互いに満身創痍。
残存魔力もほとんど無く、使える手札は限られている。
ここでの殴り合いが、正真正銘の最終決戦だった。
(あと、一撃)
拳を構えるジアを見据え、カラヤシキは決着の算段を立てる。
カラヤシキが扱う陰陽術である虹化粧は、極彩色の液体を哺乳類の体内に侵入させることで、その生物に生体変化を施すことができる。
生体変化を施せば、その生物をカラヤシキの支配下に置くことが可能。
つまり、虹化粧の液体を一定量相手の体内に侵入させれば、カラヤシキの勝利は確定する。
(ここまでの戦闘。虹化粧は確実にジア・エルマの肉体に浸透している。あと一撃、あと一撃でも虹化粧を当てられれば、生体変化を施すには十分な量に達するはずだ)
ジアの体は既に傷だらけ。
虹化粧の攻撃が命中すれば、液体は相当量が傷口から体内に侵入するだろう。
だが、あと一撃という条件はカラヤシキも同様。
今のジアは船上での戦闘ほど激しい雷は纏っていないが、その魔力性質が攻撃に向いた雷という属性であることは変わらない。
傷と疲労の影響を差し引いても、彼女の拳を一発でもまともにもらえば、ノックダウンは必至だ。
さらに、残存魔力も互いに底を尽きかけている。
(私が虹化粧を撃てるのはあと二度。二度の攻撃で、こいつを仕留めなければならない)
カラヤシキの魔力も残り僅か。
攻撃できるチャンスはたったの二度。
(初撃は正面。躱せばこいつは詰めて来る。そこを二発目で仕留める)
カラヤシキの作戦はシンプルな二段構え。
一発目の攻撃に意識を引きつけてから、二発目でトドメを刺すというだけの単純な構成。
「虹化粧」
詠唱の省略を会得してから、長らく口にすることのなかった陰陽術名。
満身創痍の状態でも確実に術を発動できるように、カラヤシキはその名を口にした。
両の掌でこねるようにして生み出したのは、極彩色の液体で出来た二発の砲弾。
一つは掌の上で射出準備を整え、もう一つは袖の中に隠す。
そして、一発目を放つ。
直線を描いて飛んだ一発目の砲弾。虹色の水はジアへと迫るが、ジアはこれに反応する。
しかし、砂浜という足場が悪さをしたのか、回避はギリギリ間に合わず、虹色の水がジアの肩口を掠める。
そのまま走って距離を詰めるジア。
硬く握られた右の拳には、青緑色の雷が纏われている。
全身から雷と閃光を発していた船上とは異なり、魔力を右手にのみ込めて攻撃を仕掛けるジア。
砂浜を蹴り、右側方から踏み込んだジアは、青緑色に瞬く拳を振りかぶる。
同時、カラヤシキが袖下に隠した二発目の砲弾を放つ。
極彩色の液体がジアの左脇腹に直撃したその瞬間、カラヤシキの脳裏に浮かんだのは――――
(何故?)
どうしようもない疑念だった。
(何故、生体変化を施せない?)
カラヤシキは虹化粧をジアに当てると同時に、すぐさま生体変化を施そうとした。
しかし、ジアの肉体を改造することはできず、彼女は雷撃を纏う拳を握って、こちらへと踏み込んでくる。
魔力を使い果たしたカラヤシキは、起死回生の一手を探すように、視線を泳がせる。
その先に、疑念の答えはあった。
(そうか)
カラヤシキの視線の先、立っていたのはユヒナ・アマノミヤ。
彼の両手には、治癒の術を使った際に出る特有の光、その残滓が漂っていた。
(治癒の術。なるほど、解毒と同じ要領で、体内の異物を取り除いていたのか)
ジアがカラヤシキへの距離を詰めるべく駆け出す直前まで、ユヒナはジアに治癒の術を施し続けていた。
無論、それは虹化粧を阻止するための策などではなく、少しでもジアの傷を癒そうとしただけの行為だったが、思わぬ形で功を奏した。
(解毒まで可能な治癒の術は難易度が高いはずだが……いや、教えたのは私だったな)
随分と皮肉な末路だと言えよう。
自分が教えた陰陽術が、自身の敗北を決定付けるなど。
だが、不思議とカラヤシキの心は澄んでいた。
千年の人生をかけた計画は失敗に終わり、自分で蒔いた種が原因で死ぬにしては、穏やかな心持ちだった。
――――俺はもうお前の所になんて戻らない! ジアもお前になんか渡さないっ! 俺は……これからも、ジアと二人で暮らすんだ!
それは、最期に綺麗なものが見られたからだろうか。
欲望の受け皿として育てられた少年が、自らの望みを口にしてくれたからだろうか。
その少年の叫びは、たとえ欲望であったとしても、美しいものだったと思うから。
「終わりだ、カラヤシキ」
ジアの拳がカラヤシキに突き刺さる。
青緑色の雷撃を伴って、ジアの打撃がカラヤシキの胸に風穴を空けた。
「ええ、中々悪くない、結末、でした……」
胸に穴の空いたエルフは、バタリと砂浜に倒れ込む。
うつ伏せに倒れるエルフの死体は、薄っすらと微笑んでいるように見えた。




