第二十五話 天剣解放
――――つーかよ、皇族がよくこんな所まで来られたよな。そういうのって、厳しいんじゃねぇのか?
――――私のこれは式神ですから。本体は今もアメツチで眠っております
それは、カヤにとっても記憶に新しいやり取りだ。
確か、鳥の式神に乗ってカラヤシキの船を目指す道中でのことだっただろうか。
――――この式神が破壊された場合ですが、私はアメツチから船そのものを攻撃する予定でございます。アメツチの天気次第ですが、軽く見積もっても船は木端微塵にします
――――それオレも……っていうか、ユヒナが死ぬだろ? あいつ泳げないんだぞ
――――はい。この式神が破壊されるほど追い詰められたなら、兄上は殺します。最後の手段ですが、それでカラヤシキの計画は破綻する
そんな会話の記憶を思い出しながら、カヤはアメツチの海岸を走っていた。
髪は黒。瞳は浅葱色。エトーニルへの潜入用に作った式神ではなく、カヤ・アマノミヤ本人だ。
そこはカヤがカラヤシキが取った航路から導き出した、船の予測到着地点。
本当ならここにありったけの兵を配置したいが、すぐに国の兵を動かせるほど、末子という立場は強くない。もっと言えば、この国はそこまで柔軟な動きができるほど一枚岩でもない。
――――分かった。そん時は遠慮無くぶっ放せ
豪雨の中、砂浜を走って船を探す。
当ても無く走り回っているわけではない。
ジアの馬鹿げた魔力放出は、既にカヤの魔力探知に引っかかっている。
後は、船が射程圏内に入る位置まで移動するだけだ。
――――ユヒナはオレが守るからさ
そして、カヤは目にする。
大雨によって荒れた海。その中を進む一隻の大型船を。
既に岸から目視で確認できる所まで、アメツチに近付いた大型船。甲板で青緑色の光が弾けるのが見えた。
「兄上を頼みましたよ、ジア」
今も船上で戦う友を思い、カヤは小さく呟く。
同時、懐から取り出したのは、一振りの剣。
明らか装飾過多なそれは、実戦用の刀というより、芸術品としての宝剣であった。
透き通るような水色をした刀身には、等間隔で円形の穴が空いていて、柄には紐や玉による装飾が施されている。
宝剣全体の長さも短く、小柄なカヤの腕ほどの長さがあるかどうかという所。
それは斬るための刃ではなく、祈るための杖。
皇族のみに使用が許されたアメツチの国宝。極東の地に保管された、天変地異を起こす姉妹剣。その片割れである。
「天剣、解放――――」
カヤが皇室からくすねてきたアメツチの国宝。
天変地異とも謳われる、高威力の術を引き起こす宝剣。
「吹けよ神風、起こせよ嵐。遥かなる天から撃ち下ろす。これは天神の落涙なり――――」
カヤが唱える詠唱に呼応するように、上空の空気が掻き混ざっていく。
空気はやがて風となり、風はやがて乱気流と化す。
雨雲を巻き込んで暴れ狂う乱気流は、船の上空で圧縮されていく。
黒い雲が渦巻き、雨粒は氾濫の如く荒れ狂い、風の中で稲妻が時折光る。
船の上空で形成された乱気流は、凝縮された天変地異。矮小な人間を蹴散らす自然災害そのものだ。
「落とせ! 天吹之御霊!」
そして、落ちる。
天変地異の結晶は、その圧倒的な風圧と乱気流で以て、海上を走る船を飲み込んだ。
轟音と共に爆ぜる船体。津波と見紛うほど大きな高波と共に、大型船は木端微塵に砕け散った。
***
頭上より、カヤによる国宝の一撃が降る。
数秒後には、木端微塵に粉砕されることが確定した船の上で、ジアとカラヤシキは相対する。
両者の身体能力は既に人外の域にある。
ユヒナを確保してから船を離脱することは、十分に可能なだけの時間が、お互いにあった。
だが、離脱のためにユヒナ確保に走れば、その隙を狩られることは間違いない。
それは、ジアとカラヤシキの両方に言えること。
故に、両者が出した答えも、全く同じものだった。
目の前の敵を殺してから、船を離脱する。
先に動いたのはジア。
右の拳を握りこみ、その一撃を以てカラヤシキを葬りにかかる。
(遅い! 獲れる!)
カラヤシキには見えていた。ジアが魔力を右の拳に集中させていること。その意識がパンチを打つための拳にのみ集中していること。
攻撃に集中した意識。浅い呼吸。狭い視野。殴ることに傾いた意識は、殴られることを想定できない。
突っ込んできたジアの顔面に、カラヤシキは先んじて極彩色の渦をぶつける。
渦巻く虹色の水はジアの顔面左側に命中し、鮮血と共に弾ける。
直撃。肉が抉れ、血が迸る。
カラヤシキの陰陽術が、ジアの頭部を吹き飛ばしたかのように見えた。
「まさか、貴方わざと……」
カラヤシキの口から零れた、驚嘆の呟き。
しかして、ジアは倒れなかった。
顔面にカラヤシキの陰陽術の直撃を受けておきながら、右の拳を振りかぶったまま立ち、あまつさえさらに踏み込む。
「痛ぇ。こんな馬鹿やるんじゃなかったぜ」
カラヤシキの陰陽術を左側頭部から中央にかけて受けたジア。
左目は潰れ、左耳は消し飛んだ、さらに、頭蓋には罅さえ入っている。
それでも、ジアは足を止めることなく、カラヤシキの至近距離にまで踏み込んだ。
「くたばれ、カラヤシキ」
叩き込んだ拳は、腹への直撃。
インパクトの瞬間にドンピシャで合わせた魔力放出は、強い衝撃と雷撃を生む。
青緑色の火花が散り、雷鳴の如き轟音と共に、カラヤシキの腹を穿つ。
海を割る雷撃と共に、ジアはカラヤシキを殴り飛ばした。
船から弾き出され、海へと吹っ飛ばされたカラヤシキ。
その行方には目も暮れず、ジアはユヒナがいる方へと走る。
「ユヒナ! 掴まれ!」
甲板に座り込んでいたユヒナを拾い上げ、ジアは砂浜へと跳躍する。
完全覚醒を果たした心臓移植者の身体能力を以てすれば、ここから岸まで跳ぶことは容易い――――はずだった。
「ジア……?」
抱きかかえたユヒナが零した疑念の声。
しかし、ジアは言葉を返せない。
連戦による疲労。覚醒した身体と精神の不適合。加えて、先にカラヤシキから受けた、致命傷にもなりかねない一撃。
ジア・エルマは限界を迎えていた。
船の縁から跳んだ少女。しかし、その跳躍はあまりに弱々しく、とても岸にまでは届かない。
少女は少年を抱えたまま、意識さえ朧げなまま海に落ちる。
激しい乱気流と高波に飲み込まれていくジア。
思考すら及ばなくなった体で、その腕だけが、強くユヒナを抱きしめていた。




