第二十四話 怪物再演
船上、座り込んだユヒナの目に映ったのは、この世のものとは思えない怒涛の戦闘風景。
心臓移植者として完全に覚醒したジアと虹化粧・贄戯を発動したカラヤシキの、凄絶極まる殴り合いであった。
駆け抜ける雷光と極彩色。あまりに高速かつハイスケールに展開される戦闘を、ユヒナは目で追うこともできない。
「頑張れ……」
それでも、視線で追いかける。
何故だか、目を離せなくて。目を離したくなくて。
瞼に張り付く雨粒を拭って、彼女の勇姿を見続ける。
「頑張れ! ジア……っ!」
零れ出た応援は、ほとんど無意識。
叩きつけるような雨の中、その言葉は――――
「ああ! 任せとけ!」
ユヒナの声に背中を押されるように、ジアは戦闘のギアを一段階上げる。
ただでさえ常軌を逸した魔力出力をさらに底上げし、カラヤシキへと殴りかかる。
雷撃を纏って打ち込んだ拳。
しかし、迎撃するように放たれたカラヤシキの拳が、ジアの一撃を相殺する。
ぶつかり合う拳と拳。
それに伴い生じた衝撃波と烈風に煽られて、大型船が僅かに傾いた。
(打ち返された! 身体能力の向上が半端じゃねぇ!)
虹化粧・贄戯。
自らに生体変化を施したカラヤシキの肉体は、通常のエルフとは一線を画す強度と運動性能を誇る。
千年の時間をかけて磨き上げた体術も合わせれば、カラヤシキは心臓移植者との肉弾戦さえ可能となる。
「そんなものか! 心臓移植者!」
「うるっ……せぇなァア!」
すかさず左の拳を打ち込むジア。
しかし、挑発に乗せられて勝負を急いだ一撃は、カラヤシキの体術にあっさり受け流される。
返しの蹴りがジアの胴に直撃し、ジアは後方に吹っ飛ばされた。
(クソっ。経験値が違いすぎる。技術じゃ太刀打ちしようがねぇ)
体勢を整えながら、ジアは思考を巡らせる。
心臓移植者として完全に覚醒したジアは、運動性能だけで言えば、カラヤシキを上回っている。
しかし、つい最近まで一介の冒険者に過ぎなかったジアと千年に渡って技を極めたカラヤシキでは、技術の面で雲泥の差があった。
(難しいことは考えなくて良い。あいつの体術をどうこうしようなんて思うな。オレはただ、もっと速く、もっと強く――――)
ジアが甲板の板を踏みしめる。
青緑色の髪が雨風に揺れ、纏う閃光が瞬く。
直後、駆け出したジア。
雨粒を裂く稲妻は一条に、カラヤシキへと肉薄する。
(こいつに拳を叩き込め!)
渾身の力を込めて、ただ拳を打ち込む。
青緑色の一撃はカラヤシキのガードを貫通し、その雷撃と衝撃を惜しげも無く発散する。
ジアの一撃を両腕で受けたカラヤシキ。高威力の一撃を正面から受け止めて尚、その体刻まれたのは掠り傷一つ。
「軽い」
足りない。
確実にダメージは蓄積している。僅かであっても、傷は与えられている。
だが、カラヤシキ千年の執着を上回るには、まだ威力が足りなかった。
「クソがよ……ッ!」
カラヤシキの肉体強度に悪態をつくジアの眼前。
カラヤシキは極彩色の液体を大量に展開する。
それは一面に展開された虹のカーテン。
オーロラのように輝く水の帯から現れたのは、何体もの獣の群れ。
カラヤシキは予め格納していた生物を解き放ち、ジアへとけしかける。
その全てが戦闘用にカラヤシキが生体変化を施した化け物だ。
「二十一体。今まで温存していた全ての改造生物で、貴方を食い散らす。凌いで見せろ、ジア・エルマ」
虎。像。水牛。獅子。猿。蝙蝠。
押し寄せる獣の群れは、一斉にジアへと襲いかかる。
カラヤシキによって狂化を施された彼らには、恐れも躊躇いも無い。
ただ、湧き上がる食欲と闘争本能に任せて、目の前の獲物に食らいつく。
「言われなくても、やってやるよ」
瞬間、閃光が爆ぜる。
ジアが解き放った全方位の魔力放出。
ジアを起点として三百六十度全方位を巻き込んだ雷撃は、一瞬にして動物達を焼き貫く。
雨によって甲板が濡れていなければ、船そのものが燃えただろう稲妻の乱舞に、獣の群れは消し飛ばされる。
尋常でない肉体強度を持つカラヤシキだけが、ジアの魔力放出を耐えきった。
(眩しい――――)
虹化粧・贄戯は、肉体強度だけでなく五感も強化する。
ジアが放った眩い閃光に、視力を強化していたカラヤシキは、思わず腕で目を覆う。
一瞬、極彩色に染まった瞳が瞼に覆われたその一瞬。
一瞬の間に、カラヤシキの視界からジアは消えていた。
(どこだ? 魔力探知を――――)
魔力探知でジアの位置を探ろうとしたカラヤシキの背後。
ジアが振り抜いた拳が、カラヤシキの後頭部にクリーンヒットした。
バチン、と電気が弾ける音とともに、カラヤシキの体が甲板を転がる。
「やっと、良い一撃が入ったな」
床を転がったカラヤシキはすぐさま立ち上がり、すぐさま反撃の構えを取る。
目線と構えでジアを牽制しつつ、カラヤシキは治癒の術で後頭部の負傷を治していた。
(なんだ? 今の打撃は。贄戯を使っていなければ、頭が吹き飛んでいた)
先刻までとは、明らかに違うジアの打撃。
エンジンがかかってきた、などという言葉では済まされないほどに高威力の一撃に、カラヤシキは悪寒を覚える。
ジアの一撃が如何なる理由によって放たれたかなど、カラヤシキにとっては些事。
今認識するべきは、ジア・エルマがカラヤシキを殺し得る攻撃手段を手にしたということだけだ。
「いいや、それでこそ! それでこそ鵺よ!」
なればこそ、カラヤシキは高らか謳う。
今自らが拳を交えるは、千年前のあの日に全てを壊した怪物であると。
あの純然たる力の結晶が、今目の前に立っているのだと。
「来い! ジア・エルマ! この世でただ一人の心臓移植者! かの怪物の一部を継ぐ者! 私は今日! お前を超え! 我が手に収める!」
かつて憧れた怪物と相対する高揚に、カラヤシキは叫ぶ。
興奮も露わに、戦闘という美酒に酔うカラヤシキとは対照的に、ジアは冷静に思考を重ねていた。
(さっきはズレた。今度は外さねぇ。次で決める)
ここまでの戦闘を経て、ジアは掴んでいた。
心臓移植者である彼女が出せる最大威力の攻撃手段。
(打撃のタイミングにドンピシャで魔力放出を合わせる。微妙にズレたさっきのでも十分効いてた。成功すれば確実に仕留められる)
ゆっくりと拳を構えるジア。
カラヤシキとの距離は数メートル。
今のジアならば一瞬で詰められる距離だ。
故に、カラヤシキも迎撃の体勢を整えていた。
開かれた極彩色の眼。彼が構える右の掌の中には、極彩色の液体が球状に渦巻いている。
それは限界まで圧縮された虹色の水。飛び込んで来たジアをカウンターで仕留めるための渦だった。
((次で殺す))
両者の思考が一致する。
方針さえ決まれば、後は瞬きの間の出来事。
刹那の攻防だけが、結果を決める――――はずだった。
遥か頭上、真っ黒な雨雲を圧縮したような、乱気流の塊が吹き荒れている。
天変地異の具現とばかりに荒れ狂う乱気流が、今、アメツチ沖の船に向かって、墜ちようとしていた。




