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怪物の君へ  作者: 讀茸


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第二十三話 むかしむかし、あるところに

 遥か昔、今よりも千年以上前のことだ。

 アメツチの小さな漁村に、エルフの夫婦が流れ着いた。

 元々は大陸に住んでいたという夫婦が、どういった経緯で海を渡りアメツチにまで辿り着いたのか。

 今となっては知る術も無いが、ほとんど漂流のような形だったのではないかと、私は考察している。

 帰る場所も無く、行く当ても無く、夫婦が辿り着いた漁村。

 そこで、夫婦は暖かく迎え入れられた。

 エルフという種族の例に漏れず、その夫婦は美しい容姿をしていた。

 夫婦はすぐに村の人気者になった。

 誰もが夫婦の美しさに見惚れ、その美貌を褒め称えた。

 人気とは、視線を集めるということ。その夫婦に関して言えば、欲望の視線を集めるということだった。

 そういった欲望の視線に晒されていることに夫婦が無自覚的だったのは、生殖本能や恋愛感情の乏しいエルフという種族故だろうか。

 彼らの心情はどうあれ、同じ速さで時は流れた。

 やがて夫婦の間に子供が生まれた時は、村のみんなが祝福してくれた。

 みんなが祝福した。

 とてもとても、祝福したのだ。


 随分後になってからのことだが、こんな文化人類学の研究を読んだことがある。

 女性の交換が社会を形成する、という研究内容だ。

 人間が築く社会の最小単位は家である。

 家と家が結びつき、関係を持つことで二次的な社会が生まれる。

 その二次的な社会がさらに結びつき、今度はもっと大きな社会が生まれる。

 つまる所、人が社会を形成するのに必要な最初の第一歩は、家と家との繋がりである。

 では、何が家と家の繋がりを保つのか。

 それは女性の交換である。

 家の女性を他の家に嫁入りさせることで、その家との繋がりを作る。他の家の女性を嫁に迎えることも、同様に家同士の繋がりを強固にする。

 家の間で行われる女性の交換。

 夫婦が流れ着いた漁村では、その形が少し異なっていた。

 交換ではなく、共有。

 ケーキを全員に切り分けるように、玩具をみんなで順番に使うように、美しいものは共有する。

 特定の人間を共有することで、その漁村は社会を形成していた。

 曰く、第一子の出産を終えることが、共有財産になる条件だと言う。

 私が生まれたことによって、その夫婦は知ることとなった。

 自分達に向けられていた視線の正体。村民達がどれだけ醜悪な欲望を、夫婦に対して抱いてきたのかを。


 物心ついた時には、ハーフエルフの弟妹がたくさんいた。

 私が認識していた以外にも、ハーフエルフの幼子は村中に殖えていたことだろう。

 文化とは、それ自体が欲望を覆い隠す被膜だ。

 私の目には凌辱にしか見えなかった行為も、その村では伝統だった。

 通常、老化と共に解放されるはずの使命。

 エルフという長命種には終わりが無かった。

 その夫婦は村民達に愛されていた。永遠に美しさを失わず、未来永劫に欲望の対象で在り続ける彼らは、村民達に深く愛された。

 その夫婦が何を思ってあの漁村で暮らしていたのか。

 私には永久に知り得ぬことだ。

 村民達の欲望をぶつけられ続ける日々に吐き気を催していたのか。

 村民達から崇拝じみた愛情を注がれる毎日に幸福を感じていたのか。

 私には永久に知り得ぬことだが、彼らの子として一歩引いた場所で私が感じたのは、直覚的な嫌悪感。


 なんて、醜いのだろう。


 人の欲望の醜さ。果ての無い醜悪な欲望の連鎖。

 肉欲。虚栄欲。物欲。承認欲。愛欲。自己実現欲。

 言い訳のしようがないほど醜い欲求を、伝統や文化という形で覆い隠す。

 多勢の欲望を満たすために虐げられる少数を、偽の栄光と義務感で縛り上げる。

 郷に入っては郷に従え、なんて暴論で、美しいものを欲望の対象に引きずり落とす。

 欲望することを是とし、欲望されることを栄誉とする。野生の獣の方が、いくらか澄んでいるというものだ。

 「愛している」という言葉を免罪符に、「愛されている」という言葉を麻薬にして、欲望の限りを尽くし尽くされる、人の営み全てが気色悪かった。


 そんな日々は、唐突として終わりを告げた。

 村を襲った怪物が、全てを壊して去って行った。

 顔は猿、胴は狸、脚は虎、尾は蛇の形をした雷獣が、村人を皆殺しにしていった。

 まるで災害。人の欲望も欲求も意に介さず、何もかもを蹂躙していく圧倒的な暴力。

 どこまでも透明な力の結晶。

 そして、私は決めたのだ。

 何の欲望にも縛られない純粋な力で、この国を捻じ伏せてやろうと。

 心に決めたのだ。

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